聖女編-13 生活
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それでも一瞬だけ隙を作れば、勝てるかもしれない。ヴィヴィはそう思っていた。
ムジカがランク1でありながら【無炎壁】を覚えていたように、ヴィヴィもまたランク3でありながら、高ランクの癒術と棒術を習得していた。
そのふたつを組み合わせれば勝てるかもしれない。
そうは思いつつも、相手の思考が乱れなければ、癒術詠唱の時点で、何の癒術を使っているかがばれ、何をしようとしているかさえばれる危険があった。
もちろん、詠唱時に癒術名を言うから、そのときにはばれてしまうが、その後の結末は一瞬だ。詠唱さえどうにかしてしまえば。
だからヴィヴィは考える。どうやって詠唱すべきかを。
だとしてもヴィヴィの経験は壮絶ながらも少ない。
島での生活、そして奴隷生活、囚人生活。
その三つのなかで、活かせるものは何か。
そう考えていったとき、ヴィヴィは囚人生活で学んだものを思い出した。
試す価値はある!
ヴィヴィはそこで出会った、とある三人のことを思い出し、そう判断した。
ヴィヴィは詠唱を始める。柔らかな唇が祝詞を紡ぎ始めた。
しかし、そこに音はない。いわゆる口パクというものだった。
そこから刹那遅れて、
「王冠よりアレフを通り智慧へ」
声が聞こえてきた。それはヴィヴィの声だった。
それを聞いたヘレリエットは戸惑う。目の前でなぜ、ヴィヴィの声が遅れて聞こえてくるのか。
ヴィヴィの目論見はまんまと成功する。そのままヴィヴィは祝詞を紡ぐ。
「智慧からヴァヴを通り慈悲へ。慈悲からカフを通り勝利へ」
さなか、ヴィヴィは戸惑うヘレリエットへと棒術を繰り出す。アルは自分から癒術を封じているが、ヴィヴィは杖を持っていないため、双魔士であっても魔法を使うことはできない。
とはいえ、ヴィヴィが高位との癒術と棒術を覚えたように本人も魔法に頼る気はあまりなかった。今は、の話であって、いずれは頼ることもあるのだろうが。
繰り出したのは【座狗座苦】。
棒に切れ味を持たせ、さながら剣のような斬撃を繰り出す技だ。
ヘレリエットは戸惑いながらも、きちんと避ける。
けれどヘレリエットはヴィヴィの動きにぎこちなさと隙を見つける。
タネは分からないが付け入る隙もあると、ヘレリエットは考える。
それでも、声が遅れて聞こえてくるというのは不気味だ。
とはいえ、実はそれは一般市民の多くが知る技法だった。
いざやろうと思っても相当な鍛錬が必要だが。
それをヴィヴィが覚えるきっかけになったのは、女看守ミリアリアのおかげだろう。
***
囚人は日によって労働を強いられる。重犯罪者だろうが、軽犯罪者だろうが区別なく重労働だったり軽労働だったりする。
ヴィヴィが入った刑務所はどちらかといえば男が収監されることが多く、重労働が多い。
だからヴィヴィも覚悟をしていたし、それに重労働によって筋肉が衰えなくて済むと考えていた。
けれどそんなヴィヴィの思惑を知らず、ヴィヴィを見た女看守ミリアリア・ゴールドハートは言った。
それは重労働が始まって3日目のことだ。
「アンタ、美人なんだから子どもの世話をしな」
どうやらこの刑務所は月に何回か、一般民の子どもの育ちを保つ仕事、つまるところ保育を引き受けるらしい。
犯罪者に子どもを預けるのはどうなのか、とヴィヴィは囚人ながらに思ったが、この仕事はアタシが信用したヤツにしか任せないから大丈夫とミリアリアは言ってのけた。
それに今、各地の街では囚人の手を借りたいほど子どもの保育をする人間がいないらしい。
「子育てしたくなけりゃ冒険者にすればいいのに」とミリアリアは簡潔に保育事情を説明してからぼやく。
冒険者になる、またはしたい子どもは原点回帰の島の役人が引き取ってくれるからだ。
そんな目には遭わせたくないけれど、子育てもしたくない、そんな余裕もない。
そんな一般民の親が子どもを囚人に預けるのだ。
そんな世界情勢はともかくヴィヴィは出会って間もないミリアリアにいつ信用されたのか甚だ疑問だった。けれどそれはすぐに氷解する。
ミリアリアはディオレスの知り合いだった。
その後、もたらされたディオレスの訃報は彼女を哀しませ、そしてヴィヴィが愚痴を聞かされたのはのちの話で今語るべきことではない。
何にせよ、ミリアリアはヴィヴィの事情を知っていて、信用足る人間だと判断されていたらしい。
「子どもの世話なんて楽勝だから、そう気負うことはないよ」
とはいえ、ヴィヴィには子育ての経験も保育の経験もない。
癒術士系だから、勘違いしている節があるのかもしれない。
それを説明するとミリアリアは快活に笑った。「大丈夫だって」
そう言って引き合わせたのが道化師タブフプ・コーズナーだった。
タブフプというのは偽名―ー道化師の間では芸名というらしいー―で本名は教える気はないらしいが、彼の挨拶にヴィヴィは驚いた。
声が遅れて聞こえたのだ。
「驚くことはないよ、これは僕たちの世界じゃあ、努力すれば身につけれる技術だよ」
遅れて聞こえてくる声でタブフプは言ったあと、今度は人形を手にはめた。灰色のおどけた兎の人形だった。
何が起こるのかとじっと見つめるヴィヴィを尻目に人形は喋り出す。
「やあ、ボインのお姉さん。僕と楽しいことしない?」
一瞬、タブフプが喋ったかと思ったが口は動いていなかった。それに声色も違う。
「ダメじゃないかピーボルくん。彼女が怒ったら手伝ってくれなくなるぞ」
今度はタブフプの声だった。
驚いて何も言わないヴィヴィを見て、タブフプとピーボルくんは笑う。
「ヴィヴィさんだったか。キミは腹話術を初めて見るのか」とタブフプ。
「えへへ。コケにしているわけじゃないよ。冒険者はいつもこの手に驚いてくれるんだ」とピーボルくん。
「劇場の公演や保育で披露はするけれど、冒険者はそんな場所にくることはない。祭のときしか見れないだろうからね」とタブフプ。
ヴィヴィは新人の宴のあとの祭をあまり楽しんでいないから、そう言われてもピンとこなかった。それでも何か言おうとして、
「どういう仕組みなんだ……?」
タブフプとピーボルくんがまた笑った。
「早速興味を持ってくれたのか。嬉しいね、それならたのしいことしよう」とピーボルくん。
「唐突すぎるね、ピーボルくん。自重しろ。さてもこの腹話術の仕組みだけれど、簡単に言えば、口を閉じて喋ってるって感じ」
「何それ、分からねぇーよ。僕は僕の意志で喋っているんだ」
ピーボルくんはあくまでそう主張する。意志がある人形、そういう設定なのだ。そういう演出は覆さないのが道化師だ。
「とりあえず、キミは……どっちが好みかな? ミリアリアさんにはどっちかをやらせろ、と言われている」
「どっちか……というと?」
「声が遅れてくるほうか、ピーボルくんとの絡みか」
「……遅れてくるほうで」
「嫌いになった?」とピーボルくんが突っ込む。
「いや、人形を操るのはなんだか物操士みたいだからな」
ヴィヴィの答えにタブフプは苦笑する。
「冒険者の人はよく言うよ」
それが始まり。




