蘇生
3.
アリーンに近づいたアエイウは咆哮。その雄叫びに同調するように、筋肉が肥大する。
【筋力増強】の技能によるものだった。
狂戦士たるアエイウは己が肉体を武器へと変える。
はちきれんばかりに肥大したその筋肉を利用して武器を振るうだけという至って単純な攻撃方法しか用いない狂戦士だが、その威力は単純ゆえに絶大。
「あんまり傷つけたくないからな、一撃で倒してやるから俺さまと楽しもう。夜の準備はできている!」
アエイウはアリーンに対峙。
「何をほざいてんの、アンタ!」
ややアエイウの言葉に赤面しながらも、このド変態野郎をなぶり殺せるのだと思いなおして、身体を恍惚に震わすアリーン。
両手に持つのは鉄錘〔修復のタン〕と短突剣〔破壊のバリン〕。錘と、短突剣という珍しい組み合わせを巧みに使う狩士。それがPKアリーンだった。もちろん、利き手が右手である以上、左手に持つ鉄錘は破壊力を存分に活かしきれないが、それは二刀流を選択した全ての冒険者に言えることだ。
アエイウが疾走。アエイウが持つ剣は、アネクが持つ屠殺剣以上に長く大きい。よもや異常としかいいようがない長さと大きさを持っていた。幾重にも枝分かれした刃は針葉樹を彷彿させる。名を長大剣〔多妻と多才のオーデイン〕といった。
その長大剣をわざと誰にもあたらないように振り下ろすアエイウ。強靱な筋力とともに振り下ろされた長大剣は大地を抉る。大小の床板の破片が、アリーンや冒険者クローン、リアンへと向かう僕やアルへと飛び散る。僕とアルは自らでその破片を弾き、クローンへと飛び散った破片はエミリーが手際は悪いものの的確に破壊する。アリーンへと飛び散った破片は自身が鉄錘〔修復のタン〕を用いて破壊する。
しかしそれは陽動。もとからアエイウはその飛び散る破片で攻撃するつもりなどなかった。長大剣から既に腕を放していたアエイウは突発的な俊足でアリーンへと近づく。【瞬間移動】の技能によって足の筋力を一瞬だけ爆発的に増大させ、その爆発力をもって俊足を生み出していた。
背後へと回り込んだアエイウはそのまま頚部を狙い、手刀を放とうとする。
しかし、同時に眩い光が周囲を襲った。予想外の光に一瞬だが目を眩ましたアエイウの隙をつき、アリーンが態勢を立て直す。あくまで逃げはしない。アリーンはアエイウを壊す気でいた。
***
「……リアン」
リアンのもとに辿り着いたアルは焦燥としていた。アルが首にかける首飾〔命辛々ナイアガラ〕は対象にした人物の生命力を知ることができる装飾品だった。
対象にしていたのはリアン。リアンが命の危機に瀕したとき、それは光り輝き、そして命が絶たれたとき、強烈な光を放つ。先程アエイウが怯んだ光の正体はこのペンダントから放たれたもの。それは対象者であるリアンの死を宣告する光だった。
「そ……そんな……」
ようやく辿り着いた僕もアルの様子を見て驚く。
「死んだの?」
アルが言葉にしたくなかった言葉は僕が紡ぐ。
「ああ」
いつも冷静なアルが涙を流す。
「ちくしょうが!」
放った光の意味でリアンの死が分かったアネクが遠くに居ながら叫ぶ。苛立ちが分かった。
苛立ちをぶつけるようにクローンたちを気絶させていく。
「慌てんじゃねぇーよ、お前ら」
壁にもたれていた舌なめずり男が呟く。
「その動揺ぶりを見るに、お前らはまだこの大陸での経験が浅いらしいな。だったら死んだと勘違いしても無理はないのかもしれない」
「どういう意味だ」
アルがリアンをそっと床に置き、舌なめずり男に掴みかかる。
「かっかするなよ。……傷に響く」
舌なめずり、男が顔を歪める。動くのもやっと様子だった。
「悪い……」
冷静さを若干取り戻したアルが手を放す。
「その子には……傷をわずかだが治してもらった礼も……あるから……俺もできれば……助けてぇ」
途切れ途切れながらも言葉を紡ぎ、男は下をなめずる。。
「今……その子は仮死状態。生死の狭間にいる。……本当の死が訪れるのは……彼女の名前がセフィロトの樹に……刻まれたら、だ。刻まれれば魂は消滅する。だからまだ助ける余地は……ある」
「じゃあリアンは、助かるのか?」
「確率は極めて低いがな。……見たところ、聖剣士……だろ、お前……?」
「そうだが……なにか関係があるのか?」
「……【蘇生】は使えたりしないか?」
「俺は癒術の一切を禁じる制約を立てている」
悔しそうにアルは顔をゆがめる。
「それに……聖剣士はランク4までの癒術しか、使えない」
「そういや……そうだったな……」
「けどもし俺が【蘇生】を使える、覚えれるならなら、誓約だって破っている。リアンの命のほうが大事だ」
「宣言したところで……何も変わらねぇ……よ。それより……」
男は哀しそうに舌なめずりをして、
「ほかに癒術を使えるやつらはいねぇのか……? いなきゃ、あの子の命は……」
「分からない……だが、いなさそうだ……」
アルが涙を流す。
「そうか……」
舌なめずり男も嘆息する。
「いなさそうだだなんて、冷静さを欠けてるね」
僕は笑う。まだ希望があるように。
「何が、おかしい! 見損なったぞ、ヒーロー。リアンが死んでしまう。救いがあるかと思ったのに死んでしまうんだ。あなたは悲しくないんですか」
涙を流し、激昂するアル。
僕はそういうつもりで笑ったわけではないのだけれど、確かに不謹慎だったのかもしれない。
「だからそれが勘違いだって。冷静になれ」
「俺はいつでも冷静です」
「違うね。キミは冷静じゃない。だってすっかり忘れてるんだもの」
「どういうことだ?」
「共闘の園でも使ったんだけどね」
義憤と疑問をぶつけるアルに僕は【回復球】を作ってみせる。
「それは、【回復球】! お前、まさか……」
舌なめずり男が驚く。驚いたついでに回復させてやるか。【回復球】が舌なめずり男へと浸透していくなか、僕は続ける。
「そう。僕は薬剤士だ。しかも【蘇生球】が使える、ね」
無駄に二年も経験を積んでいたかいがあったというべきだろうか、僕の経験は既に【蘇生球】を覚えれる段階に達していた。
その言葉にアルは驚き、手を放し、腰を抜かし、倒れこんだ。
リアンが助かる、その安堵がそうさせていた。今、僕がここにいることが奇跡だとでも思っているのかもしれない。
――救ってみせる。
僕は誰にも聞かれないように呟いた。
誰かが死ぬ可能性が示唆されたとき、僕は【蘇生球】を覚える決心をした。使う機会がなければいいと思っていたが、早速使う機会が訪れてしまった。仮死状態のことは知識としては知っていたけど実際に目の当たりにして、驚愕した。
手が震えはじめた。僕が救わなければリアンは死ぬ。
恐怖していた。命を操る、その行為に。
――それでも救いたかった。
【蘇生】とは――癒術を使える冒険者が癒術の経験を2年以上積み、使うことができる上位癒術だ。セフィロトに書き込まれる前の仮死状態の人間を現世へと呼び戻す。祝詞は長く、隠されたセフィラ、ダアトを用いる。
精神磨耗が多く、祝詞も長いため成功率は高い。しかも仮死状態の人間に生きたいという意志があればより成功率は高まるといわれている。
対して【蘇生球】は――薬剤士のみが使える球種で投球士としての経験を2年以上積み、使用が可能となる上位技能だ。能力としては【蘇生】にやや劣るものの、祝詞を必要としない。
しかし現世に【蘇生球】をとどめるための集中力と環境が必要となり、【蘇生】以上に精神を磨耗するため、低ランクの薬剤士が使用するには不向きだった。
成功率だって【蘇生】より低い。もちろん、こちらも生きたいという仮死者の意志により成功率は高まるといわれていた。
気持ちを落ち着かせるように、【蘇生】とそして【蘇生球】の知識を思い出す。改めて【蘇生球】の難しさを痛感してしまい、逆効果に思えた。
でも――
それがどうした。深呼吸する。救ってやるんだ。
目を瞑る。そのほうが集中できると僕は判断した。音を意識的に聞こえなくする。それができるということは集中しているということだ。
「――」
気配でしか分からないが、誰かの唇が動いた。
「お前はこいつを守ってやれ。なーに、俺は自分の身体ぐらいなら守れる」
舌なめずり男がアルにそう言っているようだった。さらに僕に近づくもうひとつの気配。アルが傍に居て、リアンが仮死状態。となれば近づいてきたのはアネクだろう。リアンを助けてほしいから僕を守ろうとしているぐらいのことは目を瞑っていても分かる。
光。
――光。
僕は想像する。
生に満ち溢れた光。
それを凝縮するように球を形作る。【造型】していく。これがうまくいかない。球を想像しても、それは球として固定してくれない。手からするりと抜け出ていく。現世にとどまらないというのはこういうことなのだろうか。僕の手から逃げ出そうとするのは魂。人の生命力。これをうまく現世にとどめるように固定しなければ【蘇生球】は完成しない。
僕はさらに集中の深遠へと潜っていく。
闇。
無。
虚無。
しかし、球は未だ固定しようとはしない。隙あらば僕の右手からすりぬけようとする。
……僕は思考する。ならば、左手で抑えてしまえばどうだ? 赤子をなでる母親のように、そっと、そっと、僕は左手を覆い被せる。
――確かにさっきよりは、【蘇生球】はすり抜けない。しかしそれは出口が塞がれたからにすぎず、やはりまだ固定していない。
――ならば、と再度僕は思考する。右手で成り損ないの【蘇生球】を維持し、覆いかぶさる左手でも【蘇生球】を作り始める。
痛い。
頭が痛い。
脳に響くように痛い。
精神に負荷がかかっていた。本来ならば片手でしかしない【造型】を、両手でしているからだ。〈双腕〉ゆえの特権。未熟ゆえにそれしか手がなかった。誰かが無理をする僕を咎めるかもしれない。いや僕の救いたいという気持ちを理解すればこそ、誰も咎めることができないはずだ。だからこその無謀、暴挙。失敗すればリアンは助からず、さらに僕も危機に瀕する。絶望の未来を思い描いてしまい、すぐに打ち消す。
想像するのは希望の未来。リアンが救われ、アルもアネクも喜ぶ、そんな未来。
右手の【蘇生球】と左手の【蘇生球】が交じり合う。そのおかげか幾分か形が留まってきた。ここからが正念場だった。左と右、両手から発現した【蘇生球】を完全にひとつにしなければならなかった。
集、
中。
ふたつが収束しなければ全ては水泡だった。
眩い光。
手から光が零れだし、やがて終息。光なき風景、その両手の間にあるのは、真ん中に光を宿す透明の球。その球体の中に輝きを主張しない、仄かな淡い光。
――【蘇生球】の完成だった。
光。僕の目に光が差し込んだ。
手に握るのは希望の光。救いの光。結末は絶望か救済か、全てはリアンの意志、そして僕の精度によって招かれる。
歓声。間近で見ていた舌なめずり男が驚嘆している。
「本当に作りやがった。これはマジで助けられるかもしれない」
半ば諦めかけていた舌なめずり男とアル、アネク。
僕の作り出した【蘇生球】は三人にとっては救い。救済の光。僕への希望が満ちるなか、僕はリアンの胸へとそっとその球を置いた。
リアンにとってそれは救いとなるのか。なりえるのか。絶望へと転じはしないのか。不安と期待が入り混じり、それでも吸い込まれるように救済の光はリアンへと入る。
――ドクン、聞こえもしない心臓の音。それが聞こえたような気がした。大きさを主張することのない胸を穿つ穴が塞がり傷が癒えていく。白い肌に出現した残酷な青痣が消え、整った美しい顔立ちに付着した赤黒い血すらも消える。リアンの全てが元に戻っていく。
濁ることのない瞳が瞼から姿を現し、僕達を見渡す。
「私……どうしたの?」
戸惑うリアンにアルは抱きつく。力強く、もう二度と手放さないとでも言うように。
「痛いよ……アル」
涙と鼻水を垂れ流し、アルは泣いていた。
一方、僕の身体から汗が噴きでていた。異常なほど。
頭が痛い。痛い、痛い。――い。
やがてそれは痛いということが痛いと認識できなくなるぐらいの激しい頭の揺れとなって襲いかかってきた。
――い。――い! ――!
言語に、記憶、あらゆる全てを失ったように、全ての思考が止まり、僕はその場に倒れた。両手で【蘇生球】を作ろうと試みたそれは、あまりにも無謀で、あまりにも精神磨耗が多かった。
でも――だからこそ救えた。意識が途切れる前、僕はそう思った。
「ヒーロー!」
気づいた誰かが僕へと叫んだ。それが誰の声なのかすら判断できず、僕は冷たい床に倒れた。
闇。
深い闇。
深淵。
自ら精神の深みへと嵌った時よりもそれは暗く、絶望に近い。
何も見えない。
闇にひび。そして崩れていく。
闇が僕の精神で、崩壊こそが破滅だと悟った。
直後、光。僕はその光に手を延ばす。
死んでたまるかよ、想いが口から零れる。
光を掴む。
光が闇を修復する。崩れた闇が元に戻り、僕は遡る。
深淵。光を離さない。
深い闇。光を離さない。
闇。光が離れていく。
光。
――光。
僕は目を覚ます。
目の前にはリアン。
僕はリアンが何をしたのか理解した。リアンが援護魔法階級1【精神移譲】を使ったのだ。【精神移譲】は、自らの精神力を他人へと渡す魔法。精神に負担がかかりすぎ、精神崩壊寸前の僕へとリアンは精神を分け与えてくれたのだ。
僕は辛うじて現実へ引き戻される。
「……ありがとう」
なんとか出たお礼の言葉。
「お礼を言うのはこちらです、ヒーローさん」
「ああ、そうだとも。すまない、見損なったなんて言って。あなたは命の恩人だ」
リアンの言葉にアルが同意。
「ありがとうございます」
お礼を言ったリアンは今までで一番綺麗な顔をしていた。
「……僕はちょっと休むよ。この人と一緒に」
舌なめずり男の横に腰を下ろす。
「シッタ・ナメズリーだ」
「……えっ?」
「俺の名前だ。まだ教えてなかっただろ。俺の恩人を救ってくれた恩人に名乗らないのは失礼だからな」
そう言ってシッタ・ナメズリーは舌なめずりをしていた。
僕は唖然としていた。舌をなめずるシッタ・ナメズリー。これ、この人の死亡フラグじゃないよな、と疑ってしまう。この世界には、ある言葉を言った後には必ず死んでしまうという迷信がいくつもあって、それは死亡フラグと云われている。
安直過ぎる名前はそのひとつになんじゃないだろうか。そうじゃないことを祈りたい。
「僕はヒーロー。マスク・ザ・ヒーローだ」
「なるほど、命を救ったお前は確かにヒーローだな」
うんうん、と納得するシッタを冗談ではなく叱咤してやろうかと思ったが、僕の知ったことではない。呆れたように目を瞑る。
「こんな場所で寝る気かよ。自殺志願者か阿呆かどっちだ?」
「どっちでもない! 目を瞑ると落ち着くんだよ。それにアルたちを信用しているからね。ほんの五分だけでも目を瞑らせて」
目を閉じた僕に訪れる安息。闇。怒号も嘲笑も、悲鳴も奇声もついでに舌なめずりの音も全て意識的に遮断した完全なる闇。そこにひとり佇む僕。それがなぜだかすごく落ち着くのだ。そのことを僕自身はおかしいと思ったことはない。
今度、アリーに言ってみようか。あんたらしい、と笑ってくれるんだろうか。それともバカじゃないのと呆れてくれるんだろうか。
早くアリーに、本物のアリーに会いたい。羨望が膨れ上がってくる。
わずかの休息を終え、僕は立ち上がる。
「もういいのか?」
気づいたアルが尋ねる。
「そろそろ助けたい人を助けなきゃ、いい加減怒られる」
一呼吸。
島でもらって以降【収納】に入れたまま、使っていなかった練習用棒を取り出す。
持つところが細く、そこから先端に行くにつれ、太くなっている。
「使えるのか?」
「一応ね。久しぶりすぎるけれど」
投球士に許された装備は、こん棒に限られる。しかしながら、戦闘のほとんどで投球を用いるため、その機会はごくわずか。
癒術士が副職の薬剤士は、こん棒以外にも癒術士系複合職が使うような長棒も使用できるけれど、戦術的に投球士に近い薬剤士が両手で持つ長棒を使うのは不利というものだろう。
「さて行きますか」
僕は練習用棒を握り締めた右手で、不格好に鉄球を【造型】。さらに左手で【蜘蛛巣球】を【造型】。そのふたつを組み合わせて僕は【合成】する。
本来、薬剤士が使える【合成】はアイテムとアイテム、もしくはアイテムと自分が【造型】した球の組み合わせの2通り。しかし〈双腕〉である僕だけは、自分が【造型】した球ふたつを【合成】することができた。
僕の思考どおりに【合成】が進む。【蜘蛛巣球】が迅速に糸になっていく。さしずめ蜘蛛長糸だろうか。その糸に鉄球が張りつく。糸の先端を結び、指が入るような穴ができる。僕はその穴に指を通して、糸のついた鉄球を投げる。放たれた鉄球は、糸の弾力の限界まで達すると、同じ運動量で手許まで戻ってくる。
〈双腕〉だけが作れる新技能【回転戻球】の完成だった。
僕は【回転戻球】と棒を握り、疾走する。