大草原編-6 幻影
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一気に坂を降り、盆地の外を囲む森の中へと入る。
警戒して入ったけれど、僕たちを迎え入れたのは静けさだけだった。
「魔物の気配がしないのね」
「ここは狩場ではないから魔物の出現率は元々低いらしいよ。でもそれにしても静か過ぎるか……」
陰に潜んでいる魔物の呻き声や、生い茂る草むらを移動する小虫が葉をこする音ぐらい聞こえたっていい。無風なせいか、目の前にある背高草の葉のさざめきすら聞こえず、妙に不気味だった。
「他の魔物もどこかに移動したってことなのね?」
「それは分からないけど、可能性は高いと思う。この現状を見る限り移動したのはマンティコアだけじゃない。でもマンティコア以外が大草原に来てないのを鑑みると、他の魔物は途中でマンティコアに食われたか……意図して殲滅させられた可能性もあるよ」
「意図してだとしたら……どういうことなのね?」
「分かるわけがない。でもだとしたら注意すべきだよ」
とりあえず慎重に進んでいく。
ところどころにある背高草は迂回した。
もし、誰がいた場合、掻き分ける音を察知されると困るからだ。
一応、隠密行動中なので、そういうヘマは回避したい。
忍士や狩士なら、そういう技能に長けていて大胆に動けたりもするけれど、こっちは薬剤士に双剣魔士だからそうはいかない。
セリージュもそれに気づいたのか、余計なことを言わず、僕の後ろをついていく。
「これは……」
「足跡なのね」
セリージュの言うとおり、少し軟質の地面には足跡がくっきりと残っていた。
この先に誰かがいると直感的に思うと同時に、この騒動が人為的なものであると理解する。
「一気に進むよ」
僕は呟いた。後方のセリージュが頷いたかどうか確認しなかったが、反対されてないので同意とみなした。
円状密集していた背高草を十字に刈り取った。そんな不自然な空間の中央。そこにそれはあった。
「見ないほうがいい」
セリージュを制止するけれど、すでに遅かった。
見上げるだけでそれは見えた。
「配慮は嬉しいのね。けれど、冒険者なんだから似たような場面には出くわしているのね」
一目見てからセリージュは冷静に淡々とそう答えた。考えてもみれば戦闘の技場で仲間を三人失う場面も相当ショックだったはずだ。なのに、今のセリージュの姿はそれを乗り越えたようにも見える。
無理をしているというようにも見えないが巧く演技しているだけ、という可能性も否めない。僕には判断がつかない。
三人もの仲間の死を乗り越えたから平気、とでもセリージュは言うのだろうか。
そう思うと、セリージュの言葉は虚勢にも見えた。
そこにあったもの。
それは異常で異形な改造者の姿だった。
かつてのハンソンのように、誰かが自分を改造する前に実験台にした。
そんな感じだった。
怒りが胸中で蠢く。
「誰がこんなことを……」
行き場のない怒りが声に出たそんなときだった、セリージュがあることに気づく。
「まだ生きているのね」
セリージュが指したのは、その改造者の右胸からむき出しの心臓だった。今もドクンドクンと波打つように活動している。
屠殺鳥の羽飾りをつけた頭の右側が破砕され、脳がむき出しになり、その脳にはたくさんの歯が突き刺さっていた。
なのに、彼は生きている。
ぽっかりと開いた口から見えるのは歯茎だけ。おそらくそこにあった歯は脳に突き刺さったものだろう。
鼻は削ぎ取られ、ベェーと出された舌の上にえぐられた右目と一緒に乗っていた。残った左目は独立した意志があるかのようにギョロギョロとひとりでに動き回っていた。
悪趣味の一言に尽きる。絶え間なく吐き気が襲い掛かってきた。
へそあたりの腹部が切開され、そこから取り出したであろう小腸大腸胃に食道。すべてが繋がったそれがマフラーのように首に巻いてあった。切開された腹には臓器の代わりにひじから切断された右腕が納められている。足は左右前後逆につけられていた。左手だけは異常がないように思えたがよくよくみるとその指はすべて右手の指を入れ替わっている。
その切断された右腕の代わりに付けられていたもの。それだけが唯一人体のものではない。あたかも音声拡張機を彷彿させるような、それでいて円形の異物。それが右腕になっていた。
「キィーン、キィーン」
そこから耳を澄まさなければ聞こえないような音が鳴り響く。
異常な偶像に、異常な空間。ここが本当に現実なのか疑いたくもなる。
足跡はそんな異常な異形を回り込むように通り越し奥へと消えていたがもはやどうでもよかった。
おそらくこれが――
「これが、マンティコアが草原に侵入してきた原因だ」
直感でしかないがそう思えた。
なぜこの改造者がこんな風になっているのか、されているのか理由なんて分かりはしない。
それでもこの人を殺そうと僕は考えていた。
今になってなんとなく、ディオレスの言葉が分かったような気がした。
でもそれでいいのか。これしか救うことはできないのか。どこかで助けたい気持ちもあった。
でもそれを阻むのは僕が勝手に作り出したリゾネとハンソンの幻影だった。
彼らを殺すことこそ、正しかったんじゃなかったのか。ディオレスの選択こそ、一番の正解だったのではないか、と僕を指摘するのだ。
迷いは常にある。答えは決まらない。
それでも僕は鷹嘴鎚を構え、振りかぶろうとした――そのとき、
「誰か来るのね」
セリージュの声が飛び、僕たちは急いで背高草に隠れた。




