真相
1.
「嘘だっ!」
僕は叫んでいた。
「嘘をつくなっ! 嘘をつくなよっ!!!」
その言葉が信じれず、何度も何度も、僕は叫んだ。
「嘘だ」
ディオレスはあっけらかんと言い放つ。僕は意味の分からなさに茫然とするしかなかった。
「正確には、まだ死んでないだけ。だが同じようなもんだ。いずれ死ぬ」
「説明してください」
「ああ、いいとも。端からそのつもりだ。がその前に人形の狂乱の仕組みを知っているか?」
僕は否定し、さらに睨みつける。人形の狂乱がランク3になるための試練ということだけは知っていたけれど、そんなことよりもアリーがなぜ死にそうなのかを急かした。
「落ち着け。まずはその仕組みを知ってもらわないとこの話はできねぇよ。人形の狂乱は多数対多数。今までの試練と違って端からボスと戦える。ボスのドールマスターが従えるのは試練で敗北した冒険者達のクローン。試練は一ヶ月に一度。一ヶ月ごとに敗北した冒険者はひとりを除いて全員が解放される。なんとなく分かるか? なぜひとりを残すのか?」
「生贄とか……?」
僕は自信なさげに呟く。
「似たようなものだ。残されたひとりは次のドールマスターにされる。つまり、人形の狂乱のボス、ドールマスターは元冒険者でドールマスターの犠牲者だ。ちなみに冒険者が敗北した試練のドールマスターは異端の島に送られ――その後は分かるだろ?」
言い澱んだディオレスの言いたいことは分かる。異端の島で苗床となるのだろう。悪辣極まりないその手段に吐き気を覚える。
「でもどうやって次を決めるんですか?」
「ドールマスターになったやつの好みだ。そして運が悪いことに今のドールマスターは昔アリーにしつこく付きまとっていた男でもある。陰追者と言うらしいな、最近は。となれば次は――」
続きは言われなくても分かった。アリーが選ばれてしまう。
だったら僕は助けたい。助けないといけない。ぐずぐずなんてしてられない。
「助けたい、だなんて思ってるんだろ? 無理だな」
「どうしてですか?」
「雑魚だからだ。お前は、きちんとした名前も与えられないそこらへんにいる雑な魚程度だからだ」
「そんなことはないです」
「はっ。どの口が言うんだ。新人の宴はアリーに修行してもらったおかげ。共闘の園はネイレスがいたからクリアして当然。お前が役立った要素が皆目見当たらない。そんなお前が助けるだなんて思うこと自体が浅はか。瓜の浅漬けよりも浅い漬かり具合。味がついてるのかも不明だ」
「テキトーなことをほざくなよ」
僕は喧嘩腰になって怒鳴る。
「だいたい、アリーが負けたのはお前のせいだ。俺の言いつけ通り、ひとりで経験を積めばクリアには十分なレベルに達していた。人形の狂乱なんぞ屁程度の軽さでクリアしていたはずだ。なのにお前のせいで修行で得るはずの経験は分散され、結果十分な力を得てないアリーは負けるしかなかった。この結果はお前が招いた。なのに助けたいとはおこがましいぜ。落第者の分際で」
怒りを露にするディオレス。僕はその言葉に打ちのめされていた。
僕と会ったからアリーは負けた。その一言が僕の心を折った。
「言いすぎですよ、ディオレスさん」
ネイレスが慰めるように言う。その慰めさえ傷ついた心を抉る。
「じゃあ諦めろって言うのか」
それでも足掻くように、僕は言う。まだアリーは死んでないのだ。死んだことにはなってないのだ。捉えられてもなお、生きている。そのわずかな光を何もせず潰すことは僕にはできない。
「……知るかよ。じゃあ聞くが、仮にアリーが負けたのがお前のせいだとして、お前はそこで諦めるのか?」
「諦めない」
「けっ。素人が熱血見せてんじゃねぇーぞ。だいたい今月の人形の狂乱が始まるのは明後日。つい先日ランク2になったような若造が勝てると思っているのか?」
「勝てる」
それだけは自信を持って言った。
「ブラジル、なんなんだ。このクソガキは!」
自信だけの言葉にディオレスは呆れたように笑う。
「このバカはクソガキなんだから仕方ないだろ」
ブラジルさんも呆れていた。
「まあいい。それならそれで好都合だ。役には立たないなりに囮程度にはなるだろう」
「もしかしてコジロウくんも人形の狂乱を受けさせるつもりだったのか?」
「ああ、予定では来月にするはずだったが、ここでアリーを失うわけにはいかない。俺の計画が破綻するからな。だからこそできるだけ戦力と囮は多いほうがいい」
「ネイレスは駄目だぞ」
ブラジルさんから出た言葉はディオレスによる勧誘と、ネイレスの発言を抑止するものだった。
「でも……」
それでもなおネイレスはブラジルさんに抗おうとする。
「確かにディオレスは困っている。だからネイレスにも行かせてやりたいけどね。私は常に最悪を想定する。ヒーローが負ける可能性だって考える。ディオレスの計画が破綻する可能性も。だからこそ私はそのクソ最低な結末を迎えても、少しの救いがあるようにしたい」
「なるほど。お前らしい」
ディオレスが納得する。
「ヒーローたちが負けてアリーがドールマスターになっても、ネイレスが殺す。そうすればヒーローもコジロウくんも救出できる。アリーが死んでディオレスの計画に支障が出るならネイレスだって貸してやる。そうすれば最悪を免れる、クソ過ぎる展開だがな」
「そんなことにはなりませんよ」
だってそんなの哀しすぎる。ネイレスがアリーを殺し、僕は嘆き悲しみ、それでも世界が進んでいく。そんなのは、他人に最悪じゃなくても、僕には最悪で最低の結末だ。
「だったら分かってるだろ、クソヤロー。お前が人形の狂乱を合格すれば、お前が妄想する最高の結末だ」
「ようするに勝て、ってことですよね?」
ブラジルさんは応援してくれているんだということにやっと気づく。素直に頑張れと言ってくれるような性格の持ち主じゃなかった。
「そういうことだろうな、おそらく」
ブラジルさんははぐらかすように言う。
「そうと決まれば善は急げ。試練は明後日、今からじゃないと間に合わない」
ディオレスは立ち上がり、僕を急かす。ディオレスは焼いていた肉をすべて平らげていた。いつの間に。
「ここから遠いんですか?」
「フレージュから街道沿いにラセベルガの森とアデス川を越えると、レスティアって街がある。人形の狂乱はその北――ミトルーダの森にある洞穴で行なわれる。まあ一日はかかるわな」
「ギリギリじゃないですか!」
「ああギリギリだ。何かアクシデンツがあったら、駄目かもしれない」
「アクシデンツ……?」
「要するにひとつ以上、事故や問題が発生したらやばいってことだ」
「それでも僕は諦めませんよ」
「時間は待ってくれない。まあ、お前の運と巡り合わせの女神様に祈るしかないな」
「そうと決まれば私がフラージュの近くまで送る。毒全開でね。魔物どころか集配員も近寄れないよ」
「ああ、よろしく頼む」
***
「でここがレスティアだ」
ディオレスが自慢げに言う。自慢する意味が分からないけど。
既にネイレスとブラジルさんとは別れて、今はディオレスとふたり。
アクシデンツとやらに見舞われることなく、なんなくレスティアに辿り着いていた。けれどそれはこれからの行なう人形の狂乱が、容易ではないと暗に示されているような気がした。
「コジローが待っているからついて来い」
言われるがまま、ついていく。
「さあ来い、エミリー。俺さまのハーレムはすぐそこだ」
通りがけにおかしな声が聞こえる。気のせいだと思うことにしよう。
「貴様のせいで試練に落ちたのだ、マリアン」
「何をおっしゃいますの。原因はあなたにありますのよ、グラウス」
「確かにマリアンお嬢様のせいですが、落ち着きましょう、グラウスお坊ちゃま」
「マリアンお嬢様の責任はこれっぽっちもございません。クズ執事の言うことなんて間に受けてはいけませんよ」
「おやおやクズとは、ゲスメイドが何たる言種。だからマリアン様程度の三流に拾われるまで仕事がなかったのですよ」
「お黙りなさい。そちらこそ有能すぎて無能すぎるグラウスお坊ちゃまに拾われるまで仕事がなかったくせに」
「私の文句はともかく、グラウス様を無能とは、メイドの分際でっ!」
「そちらがその気ならば望むところです。こちらとてお嬢様を三流呼ばわりされて黙ってはいられません」
メイドと執事が喧嘩を始め、その主人たる少年と少女が唖然としていた。
野次馬として見学する興味も微塵と湧かず、チラ見しただけでその湧いてもない興味も失せる。
なんだろう、なんか人が多い気がする。
「全員が全員じゃないだろうが、目的はお前と同じさ。大半は参加しないかもな。今回は捕まった冒険者が多いようだし」
僕の思惑を見破るようにディオレスが言う。ということは、つまり人形の狂乱に向かう人達なのだろうか。
「喧嘩したりとかいろいろみんなゆっくりしてませんか?」
「そいつらは登録が済んだんだろう。お前は済んでないから急ぐ必要がある。まっ、予想以上に早く着いたから時間的に余裕はできた。油断は魔物以上に大きな敵だがな」
「試練って登録しておいたらゆっくりしていていいんですか?」
「ランクによるな。人形の狂乱だけじゃなく的狩の塔や戦闘の技場も順番待ちがあるから登録後にゆっくりできる。人形の狂乱は順番待ちなんてないが、集まり具合でキャンセルもできるっていう特殊性があるからだろうな。その代わり、登録したやつは例外なく、試練の開始日時になれば強制的に人形の狂乱に転移させられる。マヌケにも寝てたって話は聞かないが、あってもおかしくはない」
僕が頷くと、ディオレスは裏道へと入る。
「宿屋はあっちじゃないんですか?」
「宿屋で待ってるって誰も言ってない。ここは俺のホームなんだよ」
T字路を左に曲がり、Y字路の右上を進む。でもそこにあるのは建物の行き止まりだった。
「昔から秘密基地ってものに憧れていたわけよ。でも駆け出し、新人時代は金がなかった。まあβ時代だったってのもあるが」
β時代というのが、イルキとエージの生きた時代、副職がなく、本職だけで冒険者が旅した時代だったはずだ。
壁に手を触れると壁が分解される。
「最先端の指紋認証ってやつだ。俺、もしくは俺の仲間の指紋を認証して入れる。お前も生きて帰れば登録してやる。入れ」
促されるように僕が入るとディオレスが続く。すると壁は音もなくもとに戻った。そして闇が訪れる。
ディオレスが通路にかけてある蝋燭に火をつける。暗闇でそんなことができるぐらい位置を暗記しているらしい。
仄かな明かり。
「進むぞ」
僕を追い越し、ディオレスは進み、扉を開ける。
「遅かったでござるな」
その声の女性、いや男性……? どっちだろう、とてつもなく中性的な顔立ちをしている。彼、いや彼女、とにかく目の前の相手がディオレスの言うコジローなのだろう。丁寧に整えられたポニーテールがわずかに揺れた。
「待たせたな、コジロー」
ディオレスが言うやいなや、コジローが忍者刀を取り出し首筋に当てる。
「ディオレス殿、拙者はコジローではなくコジロウでござる」
その凄みに負けてディオレスは即座に
「すまない、コジロウ」
「分かればいいでござる」
「ところでこいつがびびってるぞ、コジロウ」
「誰でござるか」
疑問に首をかしげるコジロー、もといコジロウ。
「アリーが言ってた〈双腕〉だ。こいつも救出に参加させる。お前も登録しろ」
「一時期は諦めると言っていたのはおぬしだと思ったでござるが?」
「やめた。お前だってそんな結末は望んでないだろう? さっさと助けに行け。俺の冒険の結末はもっと増大で雄大で可憐で清廉潔白なんだ」
「意味が分からなくなっているでござるよ」
「ともかく出かけろ。とっとと出かけろ。お前らふたりで出かけてしまえ」
「やれやれ、まっ、仕方あるまいて。お主もディレオスに振り回されているでござろう」
「いや、僕はそんなに」
「まあ、本人の前では素直に言えんでござるか」
「でだ、コジロウ。ついでにお前はこいつが使えるかどうかも確認して欲しい」
「そんな暇はないかもしれないでござるよ? 拙者とてまだ経験が浅いゆえ苦戦するかも知れぬ」
「そうかもしれないが、なんとか頼む」
「分かったでござる。ともかくまずは登録をしに行くでござるか。……申し遅れた、拙者はコジロウ・イサキ」
「えっと僕は……」
仮面を外そうとすると、
「ヒーロー、でござろう。名前はアリーから聞き及んでござる。その仮面のせいで本名は言えないようでござるが……」
「えっと……」
「保護封〔マスク・ザ・ヒーロー〕だろ。俺もコジロウも知っている。情報保護封としては上位に入る代物だ。本来、武器にしか宿らないはずの名前が宿ってるんだからな。それとここに侵入されることはまずないが、不用意に仮面を外すな」
答えたのはディオレス。言われた通りに外しかけていた仮面をつけ直す。
「道具蒐集家なんですか?」
いろいろ詳しそうなので冗談交じりに訊いてみた。
「元々は俺の持ち物だ」
それを聞いてなんともいえない気分になったのはなぜだろう。
「とりあえずコジロウ。コイツにはその仮面の影響で情報は隠蔽されているが気にするな。〈双腕〉対策って奴だ」
「なるほど。納得したでござる。しかし素顔はいつか拝ましてもらうでござるよ」
コジロウが笑みを浮かべる。
こうして僕はコジロウと邂逅を果たし、アリーを助けに行くのだった。
「そういやよ、コジローについて話してなかったな」
準備をしてくると自室へ去ったコジロウを待っているとディオレスが話しかけてくる。というかコジロウがいなくなると発音が長音になるみたいだった。
「お前、あいつの性別分かるか?」
「いや、見た目どっちでもとれますよね?」
「それは的を射た意見だな。お前には話しておくがお前の〈双腕〉と同様、あいつも特別なんだ」
「僕みたいなモノを持っているってことですか」
「ああ、今は色々と工夫しているからバレてないが、もしバレたら大変なことになる。だから俺はその保護封〔マスク・ザ・ヒーロー〕を大金をはたいて買ったわけよ。もちろんそんな大仰なものが不要になったからブラッジーニに売りつけたんだけどな」
きっとこの人のことだ、ブラジルさんに大金を積ませたに違いない。
「で本題だ。コジロウは〈中性〉っていう才覚を持っている。お前、サキュバスとインキュバスって魔物は知ってるか?」
「ええ」
「その2種類の魔物に進化する前がキュバスっていうらしいんだが、その魔物は男体にも女体にもなれる。それと似たような才覚を持っているからそう呼ぶらしい。コジロウの前では言うなよ。コジローって呼ばれることの次に、それを嫌うからな」
そう忠告したあと、ディオレスはさらに言葉を続けた。
「でだ、その〈中性〉の特性はさっきも言ったがどちらにでもなれる、ってところか。男にだろうが女にだろうがなれる。それどころかナイスバディから肥満体まで体型すら自由自在、皮膚の皺だって何のその。誰にでもなれるが誰でもない、それが〈中性〉ってやつだ」
「つまり個性がないって言いたいんですか?」
「そうだ。あいつは悩んでないふりしていつも自分が何なのか問答している。あの姿だって子どもの頃に見た死体の姿をしているだけらしい。だから怪しまれもした、狙われもした。まあ今はそんなことはない。忍士には【変装】ってのがあるからな。今のところ、怪しんでも追及できない。【変装】と〈中性〉の識別はできん。忍士である以上、コジロウは狙われることはない。だが〈中性〉ってもののせいで苦しんでる。自分とはなんなんだって」
「でも赤ん坊のころの写真とかは……」
「ない。何もないな。親が既に死んでいるってのは俺ら冒険者にとってはごく普通のことだ。生まれた赤ちゃんは原点回帰の島か、一念発起の島、はたまた大陸で育てるか決める。原点回帰の島なら冒険者、一念発起の島なら商人、大陸で育てたらそれ以外の人生からスタートってとこだろ。お前も生死は不明だが親はいる。俺の親は死んでるがな。ところがコジロウには親そのものがいない。原点回帰の島にいつの間にか置き去りにされてたんだと、俺が島を出る日のことだからよく覚えている。だからあいつは自分の姿を鏡でしか見たことがなく、しかもそれが自分なのかどうかも確信が持てない」
話に区切りがついたところでコジロウが現れる。
「何か話をしていたでござるか」
「お前のアレについてちょっと説明をな」
「……。なるほど、だからこの姿を見ても驚かないでござるか」
現れたコジロウは明らかに女性の身体つきをしている。下衆な言い方だけど出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。他の女性が見れば羨むどころか嫉妬を買いそうなぐらいだった。
「そう怒るな。アレを説明しとかないといろいろ大変だろうが。それにこいつも特別だからな、そこのところは察してくれるだろうよ」
そう言われたからじゃないが、僕は〈中性〉についてこれ以上尋ねるつもりはなかった。
「ともかく、登録に行って来い。行ったらおそらくすぐに始まるぜ。酒池肉林の戦場が。ともかく誰かを救いたいならPKには気をつけろ」
PKという聞きなれない言葉の意味を知りたかったが、時間がないとあしらわれ、僕はそのまま、秘密基地を出ざるを得なかった。