捌■焦燥
静寂が支配する室内。
薄暗闇の中、時計の秒針の音だけが耳障りだった。
夜の空気に漂う気怠い沈黙。
屋敷全体が眠りに就いている事を、肌で感じとった。
澱んだ気持ちを打ち消すように、私は胸に溜まった空気を重々しく吐き出す。
幾度目かの寝返りを打つが、睡魔は一向に私を眠りの世界へと誘いに来てはくれなかった。眠らなければと強く思えば思うほどに頭が冴え、余計な事を考えてしまう。
意識ははっきりしているが、果たして瞼は開いているのだろうか?
視力を失ったあの日から、己が目を閉じているのか開いているのかさえも自覚する事が難しくなってきていた。
自分が光を失ってしまった理由も、本当は薄々わかっていた。ただ、なぜ今になって発症しだしたのかは判然としない。
――嫌な事から逃げているだけ。
私は両腕で枕を抱え込み、顔を埋めた。
――解っている。
こめかみが鈍く痛んだ。
何故、これほど弱くなってしまったのだろう。
何故、これほど脆くなってしまったのだろう。
急に切なさが込み上げてきて、胸が苦しくなった。喉がひゅっと鳴る。右手で寝間着の胸元を引き裂かんばかりに強く握り締めると、同時に口惜しさも込み上げてきた。
不意に雫が頬を伝うのを感じて、はっとする。それが己の涙であると気付くのに数秒かかった。
――泣く……なんて、いつからしなくなったのかしら。
自分で思ったよりも、心はずっと冷静のようだ。つい先刻までは、あれほど思考と感情の渦に飲み込まれていたのに。
思い立ったように、私はベッドからゆっくりと身を起こした。冷たい夜の音が体を包み込む。
素足で床を探り、時折ふれる冷えた板の感触にびくりとしながらも、なんとかスリッパを見つけて履く事が出来た。今度は手探りでベッドの側にかかっている筈のガウンを求めてするりと羽織り、壁際の内装を手で辿りながら慎重に歩みを進める。
やがて、部屋の角に行き当たったらしく、手を横にずらして壁とは違う質感を探した。断熱材とクロスにより温もりを持つ壁とは異なり、冷たく硬い感触に私は僅かに緊張を走らせる。
――ドアだ。
そっとドアノブを回して扉を外側へ押し出すと、ひやりとした廊下の空気が室内へと流れ込んできた。
――音を立てないように。
私は息を潜め、静かに廊下の床板へと足を踏み出した。
何故だか無性に、義兄に会いたくて仕方がなかった。