陸■反応
使用人の中年女性に髪を結って貰いながら、私はぐるぐると思考を巡らせていた。
義兄はいったい、いつから感付いていたのだろうか。なに食わぬ顔をして。無関心な空気を纏って……。
以前ならお気に入りであったはずのボレロを袖に通されるも、目で楽しむ事が出来なくなってしまっては、その価値はボロ布とさして変わりはなかった。
それまでは“色”として認識していた享楽も、感じられなくなった今では空しいものでしかない。
今の私の心中を彩るのは、目が見えないという“虚しさ”と“恐怖”だけ。
――でも、何故だろう。義兄にならば知られてもいいような気がしている。
この胸の内を。幼い頃から蓄積してきた、黒くドロドロとした想いを……。
「身支度は済んだ? 朝食を持ってきたけど」
不意にドアが叩かれたかと思うと耳慣れた声が聞こえ、私の心臓は跳ね上がらんばかりに暴れだした。
「ええ、もう終わりましたよ。後はお任せします」
背後で使用人が答えると、彼女の気配が遠退いていった。そしてドアが軋む音がし、入れ違いに別の気配が部屋の中へと入てくるのが足音でわかる。
近くでカタッと音が鳴り、同時に微かな金属や陶器の音が聞こえ、テーブルに朝食を乗せたトレイが置かれたのだと気が付いた。
「ほら、手を貸して」
言われた通りに差し出すと、ティーカップの持ち手を握らされ、もう片方の手で反対側の縁を支えるように手を添えさせられた。
紅茶を飲むという行為がこんなにも大変なものだとは、以前ならば気付けなかった。
「熱いから気を付けて」
「……わかっているわよ」
抑揚のない声で注意を促す義兄に、私は苛立った口調で返した。
ナイフやフォークが上手く使えなくなった私に、義兄は己の時間を割いて私の口に食事を運んでくれる。
――まだ、胸の中がもやもやしている。
まだ、言葉にするのを躊躇っている。
そもそもが胸中を曝け出したところで、果たして理解されるのだろうか。受け入れてくれるのだろうか。
受け流されるかもしれない。
鼻で笑われるかもしれない。
幾つもの思いがじわじわと湧いてきて、心を侵食してゆく。
与えられたスープを飲み干し、それでも喉に引っ掛かったままの言葉達。
――その内、窒息するかもしれないわね。
心の中で自嘲気味に独りごちる。
どのみち、あのぼんやりとした母には期待できないのだ。
義父は私の願いをなんでも聞いてくれる。
この義兄だけが、己の中で唯一異端だったのだから……。
「今のお前となら、上手くやっていけそうだ」
黙りこくっていた私に、義兄は低く呟いた。