レンヌルシャトーの秘宝伝説
1885年、ピレネー山中の小さな村、レンヌ・ル・シャトーの教会に赴任した、
ベランジュ・ソニエールは、貧しい日々をこの教会で過ごしていた。
さて赴任してから6年後のことである。
あまりにも傷みが激しい祭壇を修復しようと思い立ったのである。
修復といっても資金があるわけでなし、自ら治すしかなかったのである。
祭壇を取り外していると、壁の中からなんと4枚の古い羊皮紙文書が出てきたのである。
2枚には何やら家系図らしきものが、もう2枚には暗号のような意味不明の文字があったという。
よくよく読み解いてみると、暗号のような文書は新約聖書からの文章がつづられているようであったという。
何日もかかっててやっと読み解いた箇所には、
『財宝はダゴベール2世とシオンのものである」
と、書かれていたという。
シオンと聞いてお分かりですか?
血盟騎士団シオン修道会のことですね。
この騎士団について話せば膨大になってしまいますから、
概略だけをお話ししますが、12世紀ごろ、
十字軍の遠征の際に結成された聖地巡礼の護衛組織「テンプル騎士団」の母体がこの
シオン騎士団修道会なのです。
この修道会は多額の献金を受けて膨大な富を蓄えたといいます、
14世紀にフランス国王から弾圧を受けてほぼ壊滅状態になりますが地下組織として長く残ったといわれていますね。
もちろんその膨大な富もフランス国王には渡ることもなく隠匿されてつづけたといいます。
そもそもシオン修道会の目的は7世紀に倒されたメロビング王朝の再興にあり、
その王朝の最後の王が例の羊皮紙に書かれていた「ダゴベール王」なのである。
そしてもっと衝撃的なのは、
メロビング王朝の開祖がイエスキリストだというのだ。
実はイエスはマグだらのマリアとの間に子をもうけ、
マリアとその子は南フランスにのがれてそこに定着し、
それがメロビング朝を開いたというのだ。
もしこれが事実なら、ローマカトリック教会を崩壊させかねない大スキャンダル?である。
イエスの血脈を物語る伝承としてメロビング家の当主は誰も、
皆ヒーリング能力があり、簡単に病気を治してやったりしていたという。
また千里眼や、予知能力もあったという、
だからメロビング王たちは皆「魔術王」とも呼ばれていたという。
さてこうしたメロビング朝が目の上のたんこぶである、ローマ教会は
躍起になってつぶそうと図ったのだという。
かくしてメロビング朝は滅亡し、
その王家の宝物もいずこへかと消えたという。
ここまでお話すればお分かりですね。
『財宝はダゴベール2世とシオンのものである」
という文章の意味が、
シオン修道会は14世紀以降もずっと地下活動を続けていて、
その会員には、ダビンチ、ニュートン、ユーゴー、ドビッシーなどもいたそうです。
そしてイエスの正当な子孫である証拠の『聖杯』ももちろんシオン修道会は秘蔵しているというのです。
さて話を、ベランジュ・ソニエール神父に戻します。
彼は当然これらのメロビングの秘密のは知っていたでしょうから、
早速パリに赴き、そこの司祭を訪ねたり、ドビッシーやマラルメなどとも面会していますね。
さらに教示を受けてルーブル博物館に行き、ニコラプッサンの「アルカディアの羊飼い」の絵の複製を買っています。
彼はこうしてレンヌ・ル・シャトーに帰りそれから財宝探しに取り掛かったようです、
しかしその財宝が何だったのかはいまだ不明です。黄金なのか?「聖杯」なのか?
しかし見つけたことは確かでしょう、
なぜならその後彼は村に水道を引き、道を舗装し、教会の別邸として豪華な屋敷を立て塔も新築したからです。
その別邸にはヨハン大公も訪れたという。
ベランジュ・ソニエール神父には一人の召使女のマリーがいたが、
彼女は1953年に死ぬまでかなり優雅な生活を送るだけの金があったようだ。
しかし彼女は死ぬまでその金の出所については頑として口を割らなかったという。
かくしてレンヌ・ル・シャトーの秘宝は、
再び謎に閉ざされてしまったのである。
まだどこかに、残っているのか
もう使い切ってしまったのか。
どんな、財宝だったのか
どこにかくしてあったのか。
すべては謎である。
信じるか?
信じないか?
それはあなた次第です。