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  作者: 星空
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第10話 儀式

『冴ちゃん・・・助けて・・・助けて・・・』

『しーちゃん、しーちゃーん・・・置いていかないで、冴子をひとりにしないでよーっ!!・・・』

冴子ははっとして飛び起きた。時計の針は夜中の3時をさしていた。夢だった。もう何度、この夢を見ただろう。目にはうっすらと涙がにじんでいた。「しーちゃん・・・」一人の部屋で、冴子はつぶやく。「何で死んでしまったの・・よ・・」


 待ち合わせ場所を錦糸町の駅と決めていた。梅雨といっても、その日はだいぶ気温が上がっていたので、冴子は半袖の淡いピンク色のワンピースを着ていた。良彦は、10分ほど遅れてやってきた。いつもビジネススーツ姿の彼は、今日、あまりの暑さに上着を脱いでいた。急いでやってきたのだろう、額にうっすらと汗をかいている。黒いネクタイを付けた黄色の半そでシャツは、何だかとってもよれよれに見えた。(奥さんはアイロンをかけてくれないのかしら・・)そんな細かいところに、人間の心のつながりを感じるものだ。心というのは、形から入るものでもある。愛情があれば、アイロンをかけることを忘れることなどないではないか。ビジネスマンの夫であれば、当然ではないのか。奥さんに大事にされていないのだろうか。だからこの人は今私と逢っているのか・・。いえ、だとしても、そんな言い訳は許されるはずもない。それに少なくとも姉はそうではなかった。義兄をとても愛していたし、大事にしていた。その証拠に義兄の身に付けるシャツはいつもきちんとアイロンがかけられていた。彼らには子供がいなかったので、ちょっと寂しかったのかもしれないが、傍目からは仲の良いベストカップルに見えていた。


 良彦と冴子は駅から5分くらい歩いて、2本目の路地を曲がると、とあるやまぶき色の壁のホテルに入っていった。場所も時間も、もうすべてを冴子が決めていた。部屋に入ると、冴子は、良彦が手に持っている上着を部屋の隅のハンガーにかけてあげようとした。すると良彦は恐縮した。「いえいえ、そんなことまでさせたら悪いので・・」そういいながら自分でハンガーにかけた。冴子は何だかおかしくなってしまった。

「シャワーを浴びてきますね。」

「あ・・ど、どうぞ・・」

緊張しているらしい良彦に、冴子は軽く声をかけた。

「ご一緒にいかがですか?」

「あ、い、いえ・・」


冴子はにっこり笑って「じゃ、お先に」と、シャワー室に向かった。


 冴子は一人でシャワーを浴びるのが好きだった。すべてを洗い流してしまえる気がした。でも、姉のこと、義兄のこと・・これだけは、何をしても消し去ることなどできなかった。


 良彦は、加奈子を抱ける喜びで一杯だった。昨日から一睡もできなかった。体だけを求めているつもりなどこれっぽっちもない。加奈子のすべてを自分が受け止めたかったし、ずっといつまでもそばについていてやりたかった。心の底から大切に思っていた。それが良彦の真実の心だった。

 

 数分後、ガウンを着た加奈子が良彦のそばにやってきた。良彦はソファーに座ったまま身動きができなかった。(しょうがないわね。)冴子は彼のそばにそっと座ると、上から一つ一つシャツのボタンをはずしてあげた。3つ目のボタンをはずそうとしたとき、「加奈子さん・・」といいながら、良彦が加奈子の上に覆いかぶさり、深い深いキスを交わした。完全に火がついた感じだった。優しさと激しさと、熱く乱れた呼吸で、良彦は加奈子の腕を取りながらソファーからベッドに移動した。加奈子をそっと横たわらせると、自分もすぐに服を脱ぎ捨て、加奈子を抱きしめた。

 ガウンは乱れていた。白い小さな乳房が、良彦の手の中に入り、優しくそっと愛撫されていく。心の優しい人というのは、セックスまで優しいのだろうか。ゆっくりとゆっくりと加奈子の体を愛していく。時には優しい手で愛撫し、キスをしては、舌を上手に使いながら。それに応じて加奈子の体が反応していく。その反応が、再び良彦の心を燃え上がらせる。

 冴子はこんなときにも知らず知らずに演技をしてしまうのだった。程よく感じる体とは別に、自分でもびっくりするくらい冷静にはっきりと、ベッドの上の二人を客観的に見ていた。加奈子の指は、優しくそっと良彦の体に触れていく。加奈子の触れた指先に、良彦の体がびくっと反応する。それがまた楽しくて、もっと触ってしまう。(一度でも忘れられなくなってくれたらいいけど)そう思いながら加奈子は、いえ、冴子は良彦の体を愛撫していく。(でもやっぱり一度ではダメだろうな・・・)

 時折交わす深いキスに、良彦はもう完全に酔いしれていた。そしてそんな男性を冷静な冴子は、とてもかわいいものだと思った。(あなたが他の人のものでなかったら、いつでも私を抱かせてあげるのにね・・)

 思った以上に良彦との相性はよかった。冴子にとってそれはとてもラッキーなことだった。良彦にとっては、この上ない喜びだった。

 一つになるとき、お互いに最高潮に達していた。もうこれでお互いの体を忘れることなどできない、と二人とも直感していた。これが男と女なのだろう。体をあわせてしまうと、それまでの感覚とはちょっと違う深い愛情が生まれてきてしまうものなのかもしれない。そこには二人を誰にも引き離すことのできない大きな力が働いてしまうものなのかもしれない。(あなたもあの女とそうだったんでしょう、お義兄さん・・・どうしても許せない!)


 良彦はずっとそばにいて、いろんな話をしてくれていた。子供のころのこと、自分の両親のこと、絵を描くのが得意だったこと、本当は絵描きになりたかったということ・・などなど。冴子はいつになく優しい気持ちでそれらの話を聞いていた。ベッドの中はとても温かかった。それは良彦のぬくもりだった。(この人を選んでよかった。)氷のような冴子の心が、ゆっくりと溶かされていく。人を愛することのできなかった氷のような冴子の心を、ゆっくりゆっくり時間をかけて溶かしてくれる気がした。(あなたの奥さんはとても幸せね。奥さんはもう少しで、もっともっと幸せな女性になるわ)


 最後まで『愛している』と言われなかったことが、冴子の救いだった。どうせ結婚することもなければ、恋人になることもない二人なのだから。二人が愛し合ったのは事実だ。でも結局、単なる儀式に過ぎないのだ。特に、本気で人を愛することのできない冴子にとっては、 とても大切な儀式だった。そして、良彦が本当に愛するべき人は、彼の妻だということに気づくべき、大切な儀式の一つなのだ。


 良彦は何回も何回も加奈子の体を貪り、愛撫し、キスをし、抱きしめた。こんなセックスはお互いに初めてだった。こんな運命的な出会いがあったら、たとえ結ばれない男女でも過ちを犯すことがあっても仕方がないかもしれない。(そういうことだったの?お義兄さん・・・でも、許せない。姉は・・しーちゃんは・・死んでしまったのよ・・・)冴子は良彦の腕の中で、悲しい涙を一筋流した。

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