第1話 出会い
初めて会ったのは、とある駅ビルの中のスターバックスだった。
「はじめまして。よろしく。」
「こちらこそ。」
彼は秋沢良彦と名乗った。本名らしい。携帯のメールアドレスに「AKIZAWA」の文字を使っている。彼は何の警戒心もなくそのアドレスを冴子に教えた。最初から本名を言ってしまうなんて、冴子には考えられないことだった。
「加奈子さんって、想像以上の女性です。素敵な女性ですね。」
「ありがとう、でもそんなことないですよ、私は。単なる普通の女です。」
別の女性の名前を呼ばれて、何だか変な気分だった。でも、どこまで『加奈子』で通せるか。これは単なるゲームなんかじゃない。冴子にとっては大切な事なのだ。
「そうそう、持って来ましたよ。」
「まあ、ありがとう。」
良彦は、目の前に数枚の写真を並べた。フィレンツェの写真だった。
「これがあのドゥオモね。」
「そうですね、これがドゥオモ。」
「きれいですね、とっても。」
ドゥオモの写真が見たいと冴子が言ったので、良彦は探して持ってきてくれたのだった。毎日のメールのやり取りで、そんな話になったのだった。メール交換は、もう3ヶ月ほど続いていた。でも、こうして出会ったのは今日が初めてだった。
注文したコーヒーが運ばれてきた。冴子はいつものスターバックス・ラテにした。良彦は何にするか決めかねていたが、結局冴子と同じものを注文した。
「初めてなんです、こういうところにくるの。」
「そうなんですか。」
スターバックスに初めて来たのだという彼に、やっぱり逢うのをやめればよかったかな、と、ちょっぴり後悔した。どこからどう見てもまじめな人だった。(こんなまじめな人が、浮気をしてはいけないでしょう。いえ、まじめでなくても浮気はダメでしょう。)これが冴子の考えだった。
「あの、加奈子さん・・」
「なんですか?」
「今度僕とデートしてくれませんか?」
冴子は、やさしく微笑んだ。それが返事だった。ルックスは悪くない。性格も悪くなさそうだ。(私はこの人をこんな風に品定めをしている。嫌な女。でもね、それは、お互い様でしょう。)冴子はそんなことにもとても嫌悪する。
「もうそろそろ帰らなくちゃ。」
「そうですね。」
「ではまたね。」
そういうと、冴子はスターバックスを出て駅に向かう。振り返ってみると、ずっと遠くに冴子を見送っている彼の姿が小さく見える。
程なく携帯にメールが届いた。
「加奈子さんがとても素敵だったので、もう嬉しくってたまりません。」
冴子はそんなメールを読んで、ため息をついた。(こんな褒め言葉を、一度でもいいから奥さんにしてあげたらいいのに。)
「私のほうこそ、秋沢さんが素敵だったので嬉しかったです。またぜひ逢ってくださいね。」冴子は、心にもないことをメールで伝える。どうしてこんなにも嘘がつけるのだろうか。自分でもびっくりしている。(このメールを読んで、きっと良彦は『脈あり』と判断しているのだろう。ああ、嫌だ、本当に嫌だ。)