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~グルメ猫・その7~

7.五日目・昼。/五日目・夜。/翌日。(最終話)


 猫生活、最後の朝がやってきた。

 柔らかなベッドの上で、クカァッと大口を開けて欠伸。再びシャッターを下ろそうとする瞼を必死で持ち上げ、俺はぷるぷると首を横に振った。今日はさすがに朝寝坊などしていられない。

 四本足をバネのように弾ませて机に飛び乗り、カーテンの裾を咥え勢い良く引っ張る。窓から差し込む真夏の光を全身に浴び、体内時計をリセット。眠気覚ましにと、寝室を何往復かダッシュする。

 俺の足音に気付いて、ゴローがやってきた。今日も朝から家事をしていたのか、Tシャツの上にエプロンをつけている。

「おはよう、ヒデキ君。今日は珍しく早起きだね」

「ああ、今日くらいはなっ」

 威勢良い俺の返答に、ゴローはクスッと笑って言った。

「ボクの人間修行も今日でおしまい。早かったなぁ。最後は“旨味”だけど……なんかお勧めの食べ物ってある?」

「ちょっとその前に、質問していいか?」

 俺は右手を上げてちょいちょいと動かす、招き猫のポーズでゴローを呼ぶ。昨日博美の店で、老若男女を骨抜きにしたしぐさだ。

「なんだい? ヒデキ君」

「なあ、俺たちこの先どうなるんだ? 身体は元通りになるとして……記憶の方は。この五日間のこと忘れちまうのか?」

「んー、それはボクにも分からないよ。なんせ初めての経験だからさ。ただ、覚えていたいとは思うけどね」

 その返答を聞きしばし迷った末に、俺は昨日の出来事をゴローに伝えることにした。

 床からベッド、机と三段跳びでジャンプし、猫背をなるべくピンと伸ばした姿勢で、俺はゴローを見つめる。ヒゲを剃ったばかりのこざっぱりした俺の顔が、不思議そうにコクンと横に傾く。

「どうしたの? 何だかかしこまっちゃって」

「あのさ、ゴロー。落ち着いて聞いて欲しいんだ。実は俺が昨日、博美の家に連れていかれたのは……」

「うん、分かってるよ」

 驚いて猫目を丸くする俺に、ゴローは両手を伸ばした。俺がしがみつくパターンじゃなく、初めてのゴローからの抱擁だった。

 ふわりと高く持ち上げられても、馴染みのある感覚のせいか怖くない。案外逞しいその腕に身を任せながら、俺は昨日のゴローの様子を思い出す。

 俺がどんなに止めても、ゴローは酒を飲みたがった。博美の家から帰ったときもぼんやりテレビを見ながら、眠たげに目を何度も擦っていた。あの赤い目は……。

「ヒデキ君、ママのこと見送ってくれて、ありがとう」

「――っ!」

 反射的に、俺はゴローを見上げた。

 敏感な猫耳が、ゴローの声だけでなくその意志までもをキャッチする。それは昨夜電車の中で聞いた、博美の決意と同じものだ。辛い現実を受け入れて、乗り越えた者の声。

 俺はゴローの頭を撫でてやりたかった。けれど、残念ながら今の俺では『招き猫』のポーズが限界。かろうじて届いた頬のあたりを、肉球でぷにぷにと押してやる。ゴローは気持ちよさげに目を細める。

「なあ、ゴロー……タマはお前に『立派な猫又になれ』って言ってたよ」

「全くママは心配性なんだから。ボクはもう小さな子どもじゃないのに……」

 間髪おかずに返ってくる憎まれ口が、やけに心強く感じる。俺はよしよしとうなずいた。

 ゴローは、大丈夫だ。

「あとさ、ゴロー。俺、博美の家族にも遺言頼まれたんだよ。『この家に飼われて幸せだった』って。それは絶対忘れたくないんだ。だから今のうちに紙に書いといてくれないか? 今日博美も来るっていうけど、できれば俺の口から上手く伝えたい」

「うん、分かった」

 ゴローは俺を机に降ろし、ふせんメモを一枚めくった。机に向かい、俺が言った通りの言葉を書き記し始める。

「もし記憶が消えてても、変なイタズラだと思って捨てないでね?」

「さすがに自分の筆跡なら大丈夫だろ。あ、そこの上に『博美の家族へ タマの遺言』って入れといてくれ」

 紙の上で、ヘタクソなミミズ文字がするすると綴られ……不意にストップ。

「ゴメン、ヒデキ君。キミのとろけるプリン並な脳ミソには、ゆいごんって漢字が登録されてないみたい」

「……じゃあ“伝言”で」



 完成したシンプルな遺言メモ。無くさないように机の上のノートパソコンに挟み、念のため同じことをパソコンデータでも入力。

 作業が終わると同時に俺とゴローは脱力し、ベッドの上に座り込んだ。珍しく神妙な面持ちで、ゴローが話しかけてくる。

「ヒデキ君……ボクからも“伝言”があるんだ」

「どーした?」

 肉付きの悪い太ももの上に飛び乗り、俺は真上にあるゴローの顔を見つめた。何か大事なことを言おうとしている気がして。

「ボクたち猫は人間より少しだけ寿命が短いけど、その分精一杯、悔いが無いように生きてる。だから万が一……ボクに何かあっても、あんまり悲しまないでね」

「おいおい、縁起悪りぃこと言うなよっ」

「ふふっ、そうだね。ゴメン」

 そう言って、ゴローはでかくてゴツゴツした手で俺の頭を撫でてきた。博美の柔らかい手も好きだけれど、このちょっと乱暴な手も悪くない。耳から背中へと何度も毛を梳くように動かされるうちに、自然と喉がゴロゴロ鳴り始める。

「もちろんボクは絶対猫又になって、誰よりも長く生きるつもりだよ。そして母さんのことも、ボクを育ててくれた人たちのことも、一生忘れない。孫子の代まで守ってやるんだ」

 力強い眼差しで断言するゴローを見上げながら、俺は思った。

 ゴローと入れ替わるまでの三日間、俺は嫌な事から目を伏せ耳を塞いで……生きながら死んでいた。

 そんな中、俺の知らないところで必死に生き抜こうとする命があった。消えゆく命を繋ごうと努力する人たちがいた。その事実を、俺は朝日の中で噛み締める。

「しかし、猫ってスゴイよな……」

 人生八十年といわれる中、ハタチの俺はまだ親の脛をかじる子どもでしかない。それに比べて、猫は生まれてすぐに自立し、たった一年で大人になる。もう十年も経てば、ゴローも立派な還暦のじーさんだ。

 コイツがいつ猫又に変身するのかは分からないけれど……。

「俺も、出来る限り見守っててやるよ。お前が立派な猫又になるところをさ」

「ボクが猫又になるなんて、そんなの……当たり前田のクラッカー?」

「ハハッ、なんだその古いギャグは」

「これはヒデキ君の脳ミソから拾ったんだよ? いつも言いたくて言えない、恥ずかしい親父ギャグコーナーから。漢字は覚えないのに、こういうことは覚えてるんだよね」

 ゴローの皮肉にカチンと来た俺は、ふざけ半分で爪を立て飛び掛る。ゴローも狐の形を作った手で応戦する。素早いカウンター猫パンチをスイッと避けるこしゃくな狐。俺が「フシャーッ!」と叫んで、狐の喉元に甘噛みをしかけたとき。


『ピーンポーン』


 俺とゴローは顔を見合わせた。

「おい、ゴロー。大事なこと言うの忘れてた。お前、博美と会ったら真っ先に謝れよ? 『疑ってゴメン』って」

「えー、ボク何にも悪いことしてないのに……」

「いいからっ! そしたら明日、最高級レトルト猫餌買ってやるっ!」

「ホント? 何日分っ?」

「……分かった。俺の小遣い残り全部つぎ込んでやるから」

 こそこそと密約を交わした後、ゴローは玄関のドアを開けた。そこには、少し腫れぼったい目をした博美が、昨日とは違う本来の笑顔で立っていた。俺とゴローは、その眩しい笑顔に一瞬目を奪われる。

「――ヒデちゃん、ゴロちゃん、おはよっ! 今日はカレー作ってあげるね!」

 博美は、真っ先に「ゴメン」と言うのかと思った。

 先にその言葉を言わせたくなかった。

 でも……博美の笑顔でようやく気付いた。言葉なんて必要ないんだって。もうとっくに、俺たちは仲直りしてたんだから。

 博美の生足に頬ずりしながら二人の絆の強さを噛みしめる俺に、ふっと影が差した。いつの間にかゴローが、博美に接近していた。

「おはよう、博美」

 ゴローは低く通る声でそう囁くと、大きなビニール袋をぶら下げた博美に手を伸ばし、軽々とそれを取り上げる。横で見ている俺にも信じられないくらい優しげな笑みを浮かべて。博美は顔をぽわんと赤くしてゴローを見つめている。

 そして……猫にしては賢すぎるゴローは、俺の想像を超える台詞を言った。

「俺も手伝うよ。あとケーキも用意してあるから……今日は俺たちの“一周年”記念日だもんな」

 俺はリビングに駆け戻り、柱時計の下にぶら下げたカレンダーを見上げた。

 博美が「今度一人で遊びに行っていい?」の言葉を実行した、その日が来ていたのだ。



 ゴローにとっても記念すべき、人間生活最終日。

 旨味を求めていたゴローは、博美の親父さん直伝『ふるさと欧風カレー』に舌鼓を打った。何杯もお代わりしては「美味い」を連発し、博美を無駄に喜ばせる横で……俺は一人カリカリをむさぼった。

 ゆっくりめの昼飯が終わった後、博美は勝手知ったる様子で湯を沸かして紅茶を作り、ゴローはその隣で、今朝こっそり仕込んだというデザートのレアチーズケーキを切り分けた。

 立ち上る紅茶の湯気とチーズの香りに包まれながら、タマの思い出話を幸せそうに語る博美。

 柔らかな微笑みを浮かべながら、静かに聴いているゴロー。

 扇風機の風を受けながら、ソファの上に寝そべり少しだけまどろむ俺。

 そんな穏やかな時間は、唐突に終わった。

「ヒデちゃん? どしたの……?」

 柱時計がニ時の鐘を鳴らす。足元ではゴローがニャアと鳴く。

 俺は大きく深呼吸しながら、静かに目を開けた。最初に見えたのは、空っぽのケーキ皿と冷めた紅茶。チェックのランチョンマットを辿った先には、もう一対の食器。その向こうには……。

「……ああ、博美」

 俺は椅子から立ち上がり……博美を力いっぱい抱きしめた。



五日目・夜。


 博美は、久しぶりにうちへ泊まっていった。

 手を繋いでスーパーへ買い物に出かけ、夕飯も二人で手料理を食べた。そして仲直りのニャンニャン……の後、俺は博美に「疑ってゴメン」としっかり言葉で謝った。

 小さなシングルベッドに寄り添い、博美の艶やかな髪を撫でながら、俺は話してきかせた。『猫又は本当に居るんだ』って、嘘みたいなホントの話を。さすがにありのままを話すのは突拍子も無さ過ぎるから、『ゴローと入れ替わったのではなく、ゴローのテレパシーを受けただけ』という、半分フィクションの設定にしておいた。

 博美は最初「嘘だぁ」と笑い飛ばしたから、俺はいたずらっ子のようにフフンと鼻で笑ってみせた。

「証拠もしっかりあるんだ。そこのノートパソコン開けてみな?」

 当然、出てきたメモの内容に驚く博美。

「もうっ、ヒデちゃんのいじわる。私のこと騙そうとしてっ。これ、私がおトイレ行ってる間にこっそり書いたんじゃないの?」

「ったく、疑い深いなぁ。だったらノーパソの電源も入れてみろよ」

 ノロノロと起動するパソコンを、頬を膨らませながら睨む博美。俺が密かに「恥ずかしいデータを隠しておいて良かったー」と胸を撫で下ろしていることにも気付かず、博美は例の遺言データを開き……その作成日時を見てポッカリと口を開けた。

 最後は観念したのか「信じられないけど、それが本当だとしたら、すっごく素敵!」と顔をくしゃくしゃにして笑った。



翌日。


 博美は明け方にそっと帰り、二度寝した俺は昼過ぎに目覚めた。

 いつも通り……ゴローの強力な猫パンチで。

 とりあえずシャワーを浴びてさっぱりし、パンツいっちょでリビングへ。ニャアニャアと足元にまとわりつく茶色い子猫をひょいっと抱き上げ、俺はそのふわふわな頬にキスをした。

「ゴロー、恋人は博美だけど、お前のことも愛してるぜっ!」

「フニャーッ!」

「……はいはい。“ご飯”だろ? お待たせしましたっと」

 相変わらずつれないリアクションに苦笑しつつ、俺は昨夜買った“まっしぐら”な餌を小皿に盛り付ける。俺の手を押しのけるように鼻面を割り込ませ、息もつかずに夢中でがっつくゴロー。

「おいおい、そんなに慌てて食べて、後で吐くなよー」

 上機嫌で一声かけ、俺はワクワクしながらキッチンへ。

 昨日の昼に博美が作ってくれたカレーの残りは、一晩冷蔵庫で寝かせてちょうど食べごろだ。レンジで冷凍ご飯を温め、冷蔵庫から取り出したカレー入りの片手鍋を火にかけた。

 リンゴとはちみつを隠し味にした博美のカレーは、まさに芳醇な香り。鍋の上で鼻の穴をめいっぱい広げ、その芳香を堪能しながら、俺は明け方に聞いた「夏休みは毎日来るね。ていうか、ここにしばらく住んじゃダメかな?」の台詞を思い出し、ニヤついていた。

「昨日は食べ損ねちまったからなぁ……まぁ、またいつでも作ってもらえるけどなっ」

 熱々の具だくさんカレーを皿に盛り、テーブルに移動。満を持して、湯気の立つこってりしたカレーを一すくい……。

「――うっ、美味いっ!」

 あまりの美味さに感動した俺は、固い繊維質の何かを舌でキャッチしたものの、そのままゴクンと飲み込んでしまった。

 その瞬間……木目のテーブルも、白いカレー皿も、銀のスプーンも、視界から消えた。

 唖然とする俺の耳に、聞き慣れた『俺の声』が届く。


「おめでとう! 猫ヒゲ一本で、なんと四泊五日の猫体験ツアーにご招待!」

「――アホかっ! 早すぎるわっ!」

「さて、今度は何を食べようかなー。よし、とりあえず一晩寝かせて美味しくなったこのカレーを食べよっと」

「それは俺のだっ! この泥棒猫っ!」

「まあまあ、また一口おすそ分けしてあげるから、ね?」

「うわぁぁんっ! ゴローのバカァァッ……」



(おしまい?)


↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。













 ということで、お約束なアホアホ最終回でしたっ。ご満足いただけましたでしょうか? ドキドキ。途中まではかなりシリアスで、最後は人生のこと語っちゃったりとイイハナシーサー的になったり、その後博美を抱きしめたところで終わっておけば、それなりに素敵なラブストーリーに……しかし、そうは問屋が卸しません。最後は『ゴロー賢い&ヒデキアホ』なオチで終わらせたくて。結局ヒデキ、カレー(バ○モントぢゃないよ)一口しか食べられず。でもニャンニャン(これは全年齢イケるよね?)なんてイイ思いしてムカツクので良いのです。さてこの話にはいろいろ隠れ課題がありましたが、一つは『猫にまつわる言葉・慣用句』をいくつ盛り込めるか? ということでした。また、オチへの伏線もいくつ仕込めるかなとチャレンジ。最後の猫ヒゲについては、一日目のお風呂直後に。入浴後にヒゲがもげて(といっても、抜けかけだったヤツですよー。タオルで擦ったくらいじゃもげません)、それをコロコロで回収。手料理を覚えたのも、クリームチーズを買い込んだのも……それ以前にタマの死も予期してたり、仲直りも察して一周年記念日まで……こんな賢い弟系キャラ(一人称はボク)が好きだー。猫又ラブ! と、この話はひとまずここでオシマイですが、いずれ続編書きたいです。入れ替わる二人と協力者博美の御三家で、何か事件解決していく感じの……なんて絶賛妄想中。


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