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~グルメ猫・その6~

6.四日目・夜。


 博美は気丈だった。泣き崩れた母親の肩を抱きながら、精一杯の泣き笑いで励まし、その後店のエプロンを手にして一階へ。

 俺は博美が心配だったけれど、タマの傍からどうしても離れられなかった。穏やかに眠るタマの横顔を見ていると、一つまた一つとゴローの記憶が鮮明に蘇ってくる。生まれたての身体を舐めてくれた大きく温かい舌。甘いミルクの香り。初めて目が開いたときに見えた、タマの笑顔。兄弟の中で一番貧弱だったゴローが一番早くしゃべり始めたときは、ずいぶん驚いていたっけ。

 それからタマは、たくさんのことを教えてくれた。猫社会や人間との付き合い方、そして何より『猫又になる』という夢を与えてくれた。眠る前は必ずその話をせがむ俺に、呆れたように笑いながら何度も語りかけてくれた。

 俺は願った。今俺が目にしている安らかな寝顔も、しっかり記憶に焼きつくようにと。明日身体が元に戻ったとき、ゴローがこの記憶を引き出してくれればいい。もしかしたらタマは『恥ずかしいよ』って言うかもしれないけれど。

 そんなことを考えながらタマの傍に寄り添っていると、ようやく立ち直った博美の母親が「さ、ゴロちゃんお別れは済んだ? あんまり悲しんでると、タマが安心して天国行けなくなっちゃうからね」と言い、タマの遺骸を毛布にくるんでどこかへ運んで行った。

 母親と入れ替わりで、博美がリビングへやってきた。一人部屋に取り残された俺の様子を見るだけのつもりが、抱き上げた腕に俺が必死でしがみついたものだから、眉をふにゃんと下げて苦笑い。

「しょうがないなぁ。一緒にお店来る? ……うん、ナイスアイデアかも。お客さん皆タマちゃんのファンだったから、きっと喜ぶもんね」

 博美の腕の中で揺られながらトントンと階段を降り、裏口から店の厨房へ。狭いながらも小奇麗なそのスペースでは、ヒゲもじゃの大男が豪快にフライパンを振るっている。博美の父親は……なんだか怖そうだ。

「お父さん、ゴロちゃんお店に出していい? 怖がったら引っ込めるから」

「ああ、任せる」

 生返事をしながら、厚切りの肉にワインを振りかけ火をくべる。ゴウッと高く立ち上る炎に、俺は首をすくめた。喫茶店という看板だが、どうやらしっかりした洋食屋のようだ。

「今日は週末だし、本当言うと猫の手も借りたいくらい忙しいの。だから、大人しくしててね?」

「にゃあ(分かった)」

「うん、良い子ね。でも一応、首輪とリードつけるからちょっと我慢してね?」

「にゃ?(首輪?)」

 初めての首輪プ……首輪タイムは、なかなかに屈辱的だった。店の片隅で『一日看板猫』になった俺は、常連客に「へぇー、タマちゃんの子どもかぁ」と、かわるがわる抱っこされ、ぐりぐりと頭を撫でまわされた。最初は『立派な招き猫にならねば』と頑張って愛想を振り撒いていたものの、最後は幼稚園児のガキンチョに追い回され……俺は尻尾を丸めてホールから逃げだした。紐の届く限界まで。

 ああ、俺は『猫カフェ』じゃ働けない……そんなショボイ記憶もゴローへの手土産となった。



「ゴロちゃん、ゴメンね。すっかり遅くなっちゃったね」

 夜の昇り電車はことさら人気が少なく、乗り下りする客も無いまま幾度もドアが開閉する。今夜は少し冷え込むようで、車内は冷房がキツイ。ドアが開くたびに、生温い熱気が入り込んでくるのが心地良い。

 薄手の半袖セーター姿の博美は、俺を入れた籐カゴを膝の上に乗せ、誰も居ないボックス席で吐息を漏らした。肌寒いのか、両腕で自分の身体を抱きしめるようにしながら。

 何駅か過ぎたあたりで、博美は通路の方へ目を向けた。周囲に他の客が居ないのを確認すると、震える小さな声で話し始めた。俺に聞かせるフリをした、独り言を。

「ねぇ、ゴロちゃん聞いて。タマはね、乳がんだったんだ……まだ若かったから、進行が早くて……」

「そっか……」

「タマは、私が中学生の時に拾ってきたの。ずっと一緒だったのに、病気になってたこと、気付いてあげられなかった……でも、気付いたときはもう遅くて、手術も無理だって」

 もっと抱っこしてあげれば胸のシコリを発見できたかもしれない、食べさせた餌が悪かったんじゃないか、そもそも家の中で飼っていれば、避妊させていれば……博美の懺悔はループしていつまでも繰り返される。俺はにゃあと微かな鳴き声をあげ、籐カゴを内側から引っかいたけれど、博美の耳には届かない。

「最近、急に具合が悪くなったの。お父さんたちは仕事があるし、私が毎日病院連れて行って、点滴してもらって……最期くらい、面倒みてあげたいと思ったんだ。この一年ほったらかしてきちゃったから」

「博美……」

「私は、ヒデちゃんとゴロちゃんに、逃げ場を求めてたのかも。タマが苦しいのに何もしてあげられない分、二人に何かしてあげることで、罪滅ぼしになると思ったんだ。現実逃避ってヤツ。そんなことしても何も変わらないのに、バカだよね……でも、大好きなご飯も残すようになって、どんどん痩せてくタマを、見てられな……っく……」

 カゴの網目から、博美の顔が見える。いつもの笑顔は消え、大きな瞳からはぽたぽたと透明な涙が零れていた。初めて見る博美の涙に、俺の胸はズキンと痛む。

「泣くなよ。博美のせいじゃない……」

「それにしても、さっきのヒデちゃん冷たかったな……一応今日も何回か電話したんだけど、出てくれなかったし……私、もう嫌われちゃったかも……」

 ――俺のせいかっ?

 目の前には、しゃくりあげるのを必死で堪える博美。俺はヒゲをぴくぴく引きつらせながら叫んだ。

「嫌ってなんかいないよっ、それは酔っ払ってただけで……っていうか、アイツはゴロー! 俺はここにいるよ!」

「ゴロちゃん、シィーッ!」

 はい、スミマセン……。

 シュンとうなだれる俺に気付いた博美は、「良い子良い子」と囁いて優しく笑みを漏らす。泣かれるより、そっちの方がずっといい。

「あーあ。ヒデちゃんにも最初から、タマのこと相談しておけば良かった。一回ね、言おうと思ったんだよ。でもヒデちゃん、試験のことで落ち込んでたでしょ? ヒデちゃんの前では元気な自分を見せていたくて、つい見栄張っちゃったんだよね。一回言いそびれたら、なんだかどんどん言えなくなって、結局無理してるのバレちゃって……でもまさか、浮気だなんて……」

 再び声を詰まらせる博美。自分のバカさかげんが情けなくて、俺は涙が出そうだった。

 博美と初めてケンカしたとき、俺は珍しくストレスが溜まっていた。自分の苛立ちを吐き出したかった。そのために、博美を利用してしまった。

 博美の様子が急におかしくなったこと……特に、家に泊まっていく日が減ったことを訝しんで、つい「浮気してるんじゃないか?」なんて口走ってしまったんだ。

 博美が、辛い時も気丈に振る舞う女の子だってことは、誰よりも良く知っていたのに。

 どうしてもっと、博美のことを見てあげなかったんだろう?

 自分の気持ちしか見えていなかった俺は、本当に子どもだった。

 ようやく気付いたのに、今の俺は謝ることも彼女を抱きしめることもできない、ただの子猫でしかない……。

「でも、もういいや。私、ふっきれたよ」

「ひ、博美……?」

 さっきまで沈んでいたのが嘘のように、妙に明るい声色。怯える俺の尻尾がぷうっと太くなる。

 この展開……まさか、まさか別れを……。

「人間だって、いつまで生きてられるか分かんないんだもん。後悔するようなことしちゃダメだって、タマちゃんに教わった気がする。だから……今さら遅いかもしれないけど、私ヒデちゃんに全部話すよ。やっぱり、ヒデちゃんのこと大好きだから」

「――博美ぃっ! 俺もお前のこと大好きだー!」

「ゴロちゃん、シィーッ!」

「あ、はい……」

「でも、聞いてくれてありがと」

 博美は一瞬カゴの蓋を開き、俺の頭を撫でた。涙でぐしょぐしょな、痛々しい笑顔で。

 濡れたその頬へ手を伸ばしかけたとき、パタンと閉じられた蓋。それから博美は何も言わず、窓枠に肘をついて外の景色を眺め始めた。

 ガタンゴトンと心地よい揺れが続く電車の中で、睡魔にとらわれた俺はいつしか眠り込んでいた。



 目を覚ますと、俺はまだ籐カゴの中に居た。

「あっ、起きた? ヒデキ君」

「ゴロー……」

 どこまでが夢なのか良く分からないまま、蓋を開けられ外に飛び出した俺は、尻尾をツンと立てて大きな欠伸をした。顔を何度かこすると、ようやく目が覚めてくる。

「あれ、博美は?」

「キミを置いてすぐ帰ったよ。明日また来るってさ」

「何か言ってた?」

「うん、何か言いたそうにしてたけど、もう遅いからって帰らせたんだ」

「そっか……」

 柱時計を見上げると、時間は深夜一時だった。ゴローは昼間酔っ払って寝たせいか、まだテレビをつけている。欠伸を噛み殺しているところを見ると、もしかしたら俺が起きるのを待っていたのかもしれない。

「ゴローあのさ、今日博美の家で俺……」

「そうだ、お腹減ったろ? ヒロミがキミにってお土産をくれたよ。最高級の“ご飯”だって」

「うにゃっ?」

 こんなのボクも食べたことないのにとぶつぶつ言いつつも、ゴローが小さなアルミパッケージを摘んで引き裂く。袋が開けられた瞬間……俺の心を覆っていたセンチメンタルな想いは吹っ飛んだ。

「――うにゃにゃーっ!」

「うわー、さすがだねえ。CMの通り“猫まっしぐら”だ」

 むちゃむちゃと音を立て、肉汁の滴り落ちる最高級レトルト猫餌を食べながら、俺はいろいろな悩みが全て消え去っていくのを感じていた。

 そうだ、俺はこうして生きている。五体満足で、美味いものを食べて、好きなだけ寝て……それが最高に幸せってことなんだ。

 この幸せをくれた、全ての存在に……なにより、この“ご飯”を開発してくれた人に感謝を!


↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。













 前回のシリアスモードを少し引きずりつつも、立派に立ち直った二人(一人&一匹?)でした。やっぱり身近な人やペットの死って、大きいです。そのままの自分じゃいられないって気持ちにさせられます。なーんて……この話、いったいどこのカテゴリなんでしょう。一応ファンタジーだし、コメディはコメディなんだけど、ラブ要素は薄めだからラブコメじゃないし、ちょっと成長=青春要素もあるような気が。何にせよ、ちょっとイイハナシを書きたかったのですが、読者の皆様にとってはいかがでしょう……びくびく。薄っぺら過ぎて感情移入できなかったらスミマセン。今回の作者イチオシポイントは、博美父です。大好きなヒゲの大男キャラを出してしまいましたっ。ああ、フランベされたい……(ヘンタイ)。あとは、猫カフェ。皆さん行ったことありますか? 自分は一回だけあります。休日の夕方だったせいか、猫ちゃんたち皆ぐったりしてました。見たこともないような、超ゴージャスーゥー(by杉本彩)な猫じゃらしにも見向きもせず……うう。行くなら開店直後が狙い目でやんす。

 次回は最終日。お約束通り、御三家メンバーが揃っての大団円です。ここ二回影が薄かったゴローのリベンジにご注目を!

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