~グルメ猫・その4~
4.二日目。
翌朝目が覚めると、俺はまだ猫ボディの中だった。
「おはよう、寝坊助なヒデキ君。もうお昼だよ。今日も良い天気だねっ」
「……なんで、俺はまだ猫なんだ?」
寝惚けまなこを肉球でこする俺に、ヒト型の俺……ゴローが声をかけてくる。
「いやだなあ、昨日説明したでしょ。さすが猫の脳みそはピンポン玉サイズ。すぐ忘れちゃうんだから。ヒデキ君が猫生活を楽しめるのは、四泊五日。あと四日だよ」
と、柱時計の下に貼ったカレンダーを指差すゴロー。タイミング良く『ボイーン……』と鳴ったその音色が、俺の記憶を呼び覚ます。
昨日の衝撃的な猫ライフで精神的ダメージを受けた俺は、現実逃避と眠さのダブルパンチにより、リビングのソファの上で意識を失うように眠り込んだのだ。
「そうか、あと四日か……意外と長ぇな」
「たぶんあっという間だよ。さて今日は二日目だから、目標は『酸味』だねっ。ヒデキ君が寝てる間に、テレビを見てたんだ。食べたい物を見つけたから、今からコンビニに行ってくるよ。大人しくお留守番しててね」
「ああ、わかった。余計なモン買うんじゃねーぞ?」
「余計なモノって? 例えばヒデキ君のベッドに置いてあった雑誌……」
「――いいからとっとと行って来い!」
ゴローは声を立てて笑うと、俺の頭を一撫でし出かけていった。俺は慌てて寝室へ駆け込む。枕元に置いてあった雑誌(大人用)を咥え、ずりずり引きずってベッドの下へ移動させた。ついでにサイドテーブルに置いたノートパソコンを起動し、中にある恥ずかしいリンク集も消去……はできず、奥の奥へ移動させる。
当然、猫の手で行うものだから悪戦苦闘。両手でマウスを動かして、肉球で上手にクリック。もしもビデオカメラがあったなら、可愛い子猫ちゃんがエ○サイトを見ているという、オモシロ投稿ビデオが撮れたに違いない。
思いつく限りの証拠隠滅を終えた俺は、精神的疲労のせいか空腹に見舞われた。リビングに戻り、ツンツンと生える猫草を食べてみた。体内の毛玉を排出するための草だけに、味はしないもののそれなりに良い香りがする。
しかし、あと四日のうちに万が一アイツがこの手のことに興味を持ったら……もしくは俺に発情期が到来したら……いや、考えないでおこう。恐ろし過ぎる。
「ただいまー」
「おっ、おう、おかえり」
「少しゆっくりしてきてあげたよ。ちゃんと恥ずかしいモノは隠しておいた?」
全てお見通しのゴローに「ニャフン!」と言わされた俺は、フンフンと鼻を鳴らしながら、いつものカリカリを食べた。
ゴローはといえば、昼飯に冷やし中華と、なぜかレモンを一つ買ってきた。まずは、嬉々として冷やし中華を平らげる。
「酸味……これはまた、珍妙な……しかし涼やかで後味の良い、素晴らしい味わいだ!」
「いいなぁ、俺冷やし中華大好物なんだよ。一口食べさせてくれよ」
「えー、これを? やめた方がいいと思うなぁ」
「いいからよこせって」
ゴローの忠告も蹴飛ばし、俺は前回のパン&アイスと同じように、猫の舌でその冷やし中華を一口味わった。
「オエー……」
さっき食べたばかりの美味いドライフードが、胃からゴボゴボと上ってきそうな程の不味さだ。まるで腐ったものを食べさせられたかのような……。
「ははっ。ヒデキ君は本当にチャレンジャーだね。猫は酸っぱいモノが一番苦手なんだよ。ニオイ嗅いだら分かるでしょ?」
「ううっ……ぎぼぢわるいっ」
「ついでに、柑橘系のフルーツもダメなんだけどね。今からレモネード作るから、遠くに行ってた方がいいよ」
どうやら午前中の奥様番組でレシピを覚えたらしく、ゴローはハイカラな飲み物をつくり、思う存分酸味を堪能した。絞られるレモンの凄まじい悪臭にやられぐったりした俺に、ゴローはお詫びと称して“またたび”を与え……俺は夢の世界へ旅立った。
夜になると、ゴローは相当気に入ったのか昼と同じ冷やし中華と、デザートに酸っぱい味付けのポテトチップを買ってきた。俺は夢うつつのままカリカリを食べ、ムリムリッとアレを出して、寝た。
三日目。
ベッドの上で丸くなり眠っていた俺の猫耳に『ゴウンゴウン』という、馴染みの機械音が聞こてきた。
慌てて飛び起きると、昨日と同じく時間はもうお昼近く。隣で寝ていたはずのゴローはもぬけのカラだ。ふらふらとリビングへ向かった俺は、洗面所にエプロン姿のゴローを発見した。
ゴローの手には濡らした雑巾がある。どうやら今日は、掃除と洗濯をしていたようだ。博美とケンカしてからというもの、掃除どころか洗濯物も溜め放題だったことを、はるか遠い日の出来事のように感じる。
今の俺には、もうあの頃のことなんて考えられない……。
「おはよー、ゴロー。腹減ったー」
一にご飯、二に睡眠。三四が無くて、五にう○こ。これが猫頭で考えることのほとんどだ。
「あ、ようやく起きたんだね。おはよう……って、もうお昼か。それにしても、人間の一日は早いなぁ」
「早くメシー」
「すぐ買い物行ってくるから少し待ってて。家族なんだから、ご飯くらい一緒に食べなきゃね」
ゴローは俺の口癖を真似すると、エプロンを外していつものコンビニへ買い物へ出かけた。
数分後に帰ってきたゴローは、なぜかやけに興奮していた。
「今日は『塩味』の日だから……ボク、大冒険をしてみたいと思いまっす!」
清水の舞台から飛び降りるつもりで、と小難しい単語を駆使しつつ、ゴローは電気ポットのボタンを長押した。じょろじょろと流れ出る熱湯を受け止めるのは、一つの器だ。『塩バターコーン、ボリュームニ倍』とパッケージに書かれている。
「本日の課題は、猫舌克服であります! しかもっ!」
ゴローは、冷凍庫から俺がストックしている野菜のタッパーを取り出した。
「ネギ! これは猫にとって禁忌と言っても過言ではない、一口食べれば死に至る悪魔の食料……ふふっ」
猫の生活にだいぶ慣れてきた俺は、カリカリを堪能した後テーブルに飛び乗った。
今回も試しにラーメンスープ(ネギ投入前)を一口もらい、舐めてみた。湯気のモクモク立つスープは猫ボディがどうしても拒絶するため断念し、小皿で冷ましてもらった。
味としては……正直まったく感じなかったが、昨日の酸味が強烈過ぎたせいかそれなりに美味く感じる。何より、魚介ダシとバターの香りが好ましい。猫は味そのものよりニオイ優先……だからこそカリカリもチーズも魅力的に感じるのだと俺は悟った。
ラーメンは二個買ってあった。どうやらゴローは『買いだめ』というスキルをマスターしたらしい。しかも夜はしょうゆ味で、『ミックス野菜』というもやし中心の野菜パックを炒めて加えていた。
「ヒデキ君っ、ついにボクは火を使いこなせるようになったよっ!」
コンロの前から鼻息を荒くして報告するゴロー。壁際に寝返り打って背中を向け「勝手にしやがれ」と呟いた俺は、パシパシと瞬きを繰り返す。昨日一昨日とまたたびを食らって興奮状態が続いたせいか、今日は眠くて仕方ない。
「それは“ネコが寝込んだ”というギャグだね?」という、くだらないゴローのボケをスルーしつつ、俺は眠り猫となった。
猫になって分かったことが一つ。猫は寝てばかりいるから羨ましいと思ったけれど、本当は眠くて何もできないのが正解なんだ。
真夜中に、ゴローがいびきをかきはじめたり、でかいオナラをしたり、唐突に『ママー』と寝言を言ったり……敏感過ぎる耳が、そんなささいな音にピクッと反応してしまう。
眠りが浅く断続的になってしまうのは苦しいけれど、一日寝ていても怒られない猫はやはり気楽な稼業だと、夜の闇に目を光らせながら俺は思った。
↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
予告通り、あまりお下品では無いあっさり目の二日間でした。一部お見苦しい個所がございましたが……ゴホン。主人公は健全な男子なのでご容赦を。(ちなみに猫ゴローが発情期だった場合、恐ろしいことになったと思います。R指定必至……でもちょっと書きたいかも。女を落としまくるジゴロなゴロー。苦笑)さてストーリー的には、淡々と過ぎた感じです。猫ヒデキは食べて寝てるだけ、一方人間ゴローは人としての生活を楽しんでいるようです。猫の舌感覚については、猫本で調べた結果なので間違いないと思います。くれぐれもお猫サマに酸っぱいものは食べさせないように……といっても近寄って来ないと思いますが。ネギ系の野菜もNGです。あと昭和ネタの補足を少し。とりあえずこの話に出てくる『ヒデキ・ゴロー・ヒロミ』といえば昭和御三家。しかし作者がもっとも好きなのは、ジュリーなのです! 特に『勝手にしやがれ』は名曲ですね。ということで、猫が寝込む際に小ネタ挿入させていただきました。意味は特にありません。
次回ですが、のほほんとした二人の生活に転機が起こります。今まで陰の薄かったあの人が登場です。