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~グルメ猫・その2~

2.一日目・昼。(後編)


 目の前には、パンツ一丁の俺……の姿をしたゴローが居る。

 俺はといえば、濡れネズミならぬ濡れネコとなって、相変わらずブルブル震えていた。

 なんという恐怖体験……風呂とは、あれほどまでに恐ろしい場所だったとは!

「あー、お風呂ってあんなに気持ちいいものだったんだねっ」

 満足気に目を細めるゴローを、俺は唸り声とともに睨みつけた。

 常に動じない……悪く言えばオッサン臭いと周囲から評される俺にしても、この状況はショッキング過ぎる。気を抜くと、また漏らしてしまいそうだ。

 ピンポン玉サイズに変わった脳ミソを必死でフル稼働させ、俺は一つの結論を導き出した。

 ――そう、きっとこれは夢なのだ。

 リアル世界の俺は、カピカピに乾いたカレー皿の脇に突っ伏し、テーブルに涎を垂らしながら転寝しているはずだ。最近眠りが浅かったから、疲れが出たに違いない。

 しかし夢の中で猫になるなんて、俺の脳ミソにも案外ファンタジックな妄想が詰まっていたものだ。

「まあ、ヒデキ君がどう理解しようと勝手だけどさー」

 猫っ毛でもつれやすい俺の髪をわしわしとバスタオルでこすったゴローは、そのタオルで猫の俺を包み、同じように乱暴に擦りあげる。

「おいっ、ゴロー、痛いって! もっと優しくっ! あ、ヒゲがもげたっ!」

「キミがいつもボクにしてくる時はもっと乱暴だよ。はい、おしまい。あとは毛づくろいで乾かして」

 ゴローは二人分の水滴を吸ったバスタオルを軽くはたくと、ソファの背もたれに広げてかけた。飛び散った猫毛は粘着コロコロで掃除し始める。俺には無い、まさに猫らしい几帳面さだ。

 俺はといえば、“毛づくろい”という言葉を聞いて、ぷくっと尻尾を太くし固まっていた。

 実はさっきから、ある欲求に苛まれていたのだ。

 この、濡れた体が気持ち悪い。ざっくりタオルで拭いてもらっただけでは、物足りない。

 舐めたい……。

 舐め……。

「くそう、俺は人間だっ! なめんなよっ!」

 俺はソファの上から華麗に飛び去り、猫パンチで扇風機の角度を下向きに変えた。一度ソファに戻ると、口にバスタオルを咥えて風の当たる場所へ行き、床に置いたバスタオルの上を転げまわりながら、自分の体を少しずつ乾かしていく。

 そんな俺の行動を見て、ゴローは鼻で笑った。

「ははっ、ヒデキ君はバカだなあ。舌で己の体を舐める気持ちよさを否定するなんて。そう、それはキミが毎晩布団の中で行ってい」

「――それ以上言うな!」

 俺は羞恥心で真っ赤に……なる代わりに、グーの形に固定された手で顔を何度もこすった。

 ヤバイと思ったときは、もう遅かった。動揺のあまり、自動的にチラリと舌が出てしまった。

 しっとり濡れた自分の腕に、ざらつくサンドペーパーのような舌が触れたとき……。

「――にゃはぅっ!」

 ピリビリと、自分の体に電気が走る。

 なんということでしょう……。

 自分の中の、まだ押されていない快楽のツボをグリッとされたような……。

「ほらほら、遠慮しないでもっと舐めていいんだよ?」

 ゴローのドS風味なからかいも俺の猫耳には入らず、夢中で何度も舌を出し続けた俺は、完璧な舐め猫になっていた。



 夕方になり、辺りが薄暗くなってくると、俺の体をしたゴローはそわそわし始めた。

「ねえ、ヒデキ君。だんだん目が見えなくなってきたんだけど……」

「当たり前だろ。暗いんだったら電気つけろよ」

「あ、そっか。人間は行灯あんどんの代わりに電気を使うようになったんだっけ」

「行灯って……良くそんな言葉知ってるなぁ」

 俺のツッコミに「良くぞ聞いてくれました!」と膝を打ち、ゴローは立ち上がった。

「実はボクの家系って、いわゆる“猫又”の血筋なんだよね」

「猫又って、古典なんかに出てくる、あの?」

「そう、二十年生きた猫だけがなれるという、伝説の勇者……」

 俺の頭脳を使っているせいか、ところどころ語彙がおかしくなりつつ、ゴローは語った。

「ボクはまだ子どもだけど、将来は立派な猫又になりたいと思ってるんだ。今はその修行中」

「へえ、そりゃ大変だ」

 どうせ夢の中の出来事だからと生返事をする俺に、ゴローが不機嫌そうに眉根を寄せる。自分の姿を見て思うのも微妙だが、こういう不遜な表情がなんとも憎たらしい……。

 貧弱な体とメンタルのくせに、俺はこうしてすぐ虚勢を張るのだ。だから、博美にもすぐ謝れなかった……。

 ふにゃーとため息を漏らした俺に、若干口調をやわらげたゴローが話しかけてくる。

「まあ、ヒデキ君には信じられないかもしれないけど、これは本当の話だよ。猫又になるための試練の一つが“人間と入れ替わる”ことなんだ。ここで挫折する猫は多いし、この若さで成功したボクは優秀なんだよ」

「へえ、そりゃ良かったな」

「なんかバカにしてるっぽいけど、けっこう大変だったんだよ? この一年キミに……ううん、なんでもない」

 言いかけて止められると、非常に気持ちが悪い。

 俺は、好奇心にかられて尋ねた。

「なんだよ、俺に何かしたってのか?」

「うーん、聞かない方がいいかもよ」

「どうせ夢なんだ。かまいやしねーよ」

「じゃあ言うけど……人間と入れ替わるためには“ボクの体の一部”を一定量食べて、同化してもらわなきゃいけないんだよね」

「体の一部……?」

 俺は思わず、自分が寝そべっているバスタオルを見つめた。散々転げ回ったせいで大量の抜け毛がくっついている。首振りする扇風機の風が吹き付けるたびに、何本かが綿帽子のようにふわりと浮かんで飛んでいく。

「……そーいやお前、俺が飯食ってるときに限ってテーブル乗って、体掻いてやがったなあ」

「あ、気付いてたんだ。さすがヒデキ君」

 青黒い無精ひげをザリザリとさすりながら、ゴローは俺に得意げな笑みを向けてきた。

「猫と人間が入れ替わる条件は、お互いの相性もあるんだけど、基本は“ヒゲなら一本、毛なら五百本”なんだ。今日はちょうど記念すべき五百本目。おめでとうっ」

 どこかで聞いたようなフレーズに、俺は子どもの頃良く食べたチョコ菓子を思い浮かべる。

 いや、問題はそこじゃない……。

「俺は、お前の毛を五百本も食べたってことか!」

「うん。一日三本ペースで、一年弱。早かったねえ。さすがヒデキ君。前のターゲッ……ご主人様だったヒロミの家では、ボクも小さかったし、なによりしつけが厳しくて人間の食べ物には近寄らせてもらえなかった。その点ヒデキ君はおおらかで助かったよ」

 明らかに褒め殺しと分かる台詞に、俺はイライラが募り、耳の後ろをカカカと掻いた。

 その間も、ゴローは夢見るようにぼんやりと俺を見つめながら語り続ける。

「ボクは猫年齢で一才三ヶ月だけど、人間に換算するとちょうどヒデキ君と同い年くらいかな。ママはボクの体を心配してたけど、だいぶ足腰もしっかりしてきたし、今のところ健康優良児。これも全部ヒデキ君のおかげだし、こうして猫又修行にも協力してくれて感謝してるよ。まあ、ヒデキ君はその体で猫の生活を楽しんでよ。あ、試練の日程は四泊五日だからよろしく!」

 なんともリアルな話っぷりに、俺は自分の体を見つめなおした。

 茶色に白地が混じる、雑種猫にありがちな体毛。やけに敏感な耳と、複雑な家のニオイを察知する鼻、そして床を押すとぷにぷに弾力のある肉球。

「おい、これは夢なんだろ……?」

「五日経ったらボクたちは元通りになる。ちょっと長めの夢だと思ってくれたらいいよ」

 ゴローは、猫のように目を細めて笑った。

「今すぐ、戻すことはできないのか?」

「まあ、できなくも無いけど……失敗すると大変かも」

「一応聞かせろよ」

「ボクが今の体で、キミのヒゲか毛を飲んで条件クリアすれば、もう一回入れ替われると思う。でもママに聞いた話だと、失敗したらこんな風に心が入れ替わるだけじゃなくて、体も混ざっちゃうらしい。特に端っこにある部分……耳と尻尾が危ないって」

 チラリ、と俺は俺の姿を見上げる。不細工ではないが決して可愛くは無い……むしろ小汚い、仏頂面の男がいた。

 そこに、猫耳としっぽをつけた姿をイメージしてみると……。

 ――キモイ! キモ過ぎる!

 そんな姿になったら、もう秋葉原でしか生きて行けない!


 その後、俺はゴローが「ハゲちゃうから勘弁してっ!」と泣きを入れるまで、耳の裏を掻いた。


↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。













 猫生活最初のトライは、お風呂でございました。まだ序盤だというのに、既にヘンタイ風が爽やかに吹き始めております。ヒデキ君が布団の中で何をしているかといえば、いわゆるオ……ゲフンゲフン。分からない方は、ちょっと年上のお兄さんに訪ねてみましょうね。(この話は全年齢向けです。自重自重)さて、今回は猫又変身の条件について、アバウトな解説編でした。もちろんフィクションです。猫飼いさんたちは、猫毛をそれくらい食べるかもしれないってのはノンフィクションですが。猫毛を一日三本程度飲みこんだところで、人間のお腹にヘアボールなどはできませんのでご安心を。食物繊維と同じく、消化されずにあそこから出て行くそうです。舐め猫は、知らない人居ないよね? あれ最強に可愛いですよねっ! うちにグッズが一個だけ残ってて、ときどき眺めてニヤニヤしてます。なめんなよ生徒手帳。はぁはぁ。

 次回は、ヒデキ君の猫生活一日目の夜。ついにタイトルの通り『グルメ』の話に入っていきます。腹ペコなヒデキ君の目の前に、キャットフードが差し出されて……こうご期待。

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