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~グルメ猫・その1~

◆一日目・昼。



『ずっと、疑ってたんだ……?』

『いや、それはその……』

『分かった! もうイイッ!』

『ちょっ、待てよっ!』


「――博美っ!」


 叫んだ自分の声に驚き、目が覚めた。

 次の瞬間、頬に横殴りのパンチが浴びせられ、俺は我にかえる。

 ここは自宅リビングのソファだ。転寝していた俺の目の前にはゴローが居て、何度もしつこくパンチを食らわせてくる。俺の鼻先を狙い、時には爪を立てる……一匹の子猫が。

「ニャァー」

「夢だったのか……いや、夢じゃないよな……」

「ニャウァーー」

「ああ、分かったよ。ご飯だろっ?」

「フニャーッ!」

 普段は名前を呼んだところで無視するゴローが、『ご飯』の一言に反応し、リビング隅の餌タッパーへすっ飛んで行った。寝ぼけ眼をこすり、ついでに口の端から垂れていたヨダレを拭いながら、俺は興奮して細長い尻尾をくねくねさせるゴローに近づいていく。タッパーを開け、取り皿へ一食分をザラリと入れるそのスプーンを押し退けるように、ゴローが鼻面を突っ込んできた。

 リビングの柱時計を見上げると、もうとっくに昼を過ぎていた。ゴローが腹を空かせるわけだ。

 若干一才三ヶ月にして『ご飯』という言葉を覚えたゴローは、かなりグルメな子猫だ。得意技は『猫またぎ』……猫もまたいで通り過ぎるくらい不味い食べ物ということわざだが、激安カリカリと高級カリカリの味の差を瞬時に察知し、安い餌はニオイも嗅がずにスルーする。

 その一方で、美味しいご飯をくれる人物も記憶できるらしく、たまに高級ネコ缶を手土産にうちを訪れる博美には「ミャァー」と甘えた声で鳴いて擦り寄る、見事な猫かぶり技術。

 しかし、彼女がこの部屋を訪れなくなって早三日……ゴローのピンポン玉サイズな脳ミソからは、既に博美の存在は消えてしまったかもしれない。

 俺の心からも、いっそ消えてくれたら楽になれるのに。

「ゴロー、俺の恋人はお前だけだよ……男同士だし、種族も違うけどいいよな?」

「フシャーッ!」

 俺が抱き上げようとすると、ゴローは身をよじって俺の手を振り解いた。尻尾をパンパンに膨らませて俺を見上げると、フンッと鼻を鳴らし再びカリカリの残りへと向かう。

 俺の愛は、カリカリに到底及ばないらしい。



 美味そうに舌なめずりするゴローを見ていて、少し食欲が湧いてきた俺は、冷蔵庫や食器棚を漁りレトルトカレーを発掘。既に賞味期限は切れていたが、買い物に出かける意欲もないのでそれを食べることにした。片手鍋に湯を沸かしカレーを温める間に、冷凍してあった一食分の米をレンジにかける。

「しかし、今日も暑いなー」

 ガスコンロ奥の窓を開けてみるものの、体感温度は一切は変わらず、むしろ蝉の声が暑苦しい。

 俺が住むこの家は一応実家なのだが、現在父親は九州へ単身赴任中。母親はそっちに入りびたりで年末くらいしか戻ってこない。年の離れた姉はとっくに嫁いでしまった。よって俺は、古い一戸建てに一人暮らしだ。

 博美は「このレトロ感が落ち着くよ」と褒めてくれたが、俺は今時クーラーも無いこの家に不満たっぷりだ。しかし、そろそろ築四十年を迎える、スカスカで密閉性の低すぎるこの家にそんなものをつけるのは『猫に小判』という母の主張も、確かに的を射ている。

 とはいえ、暑いものは暑い。「自分は親父のマンションで快適な生活をしているくせに……」と、先日電話で嫌味を言ってみたところ、「欲しいなら、あんたのバイト代で買いなさい」と切り返されてしまった。

 大学生は立派な大人だという母のポリシーにより、俺は仕送りをもらっていない。時給九百円のカラオケボックスでバイトをし、生活をやりくりしている。食費や光熱費はもちろん、学校で必要な教材、サークルの活動費、ケータイ代、猫の餌、なにより博美とのデート代……試験が終わった日、“自分へのご褒美”に一枚千円の古着Tシャツを買ったのがささやかな贅沢だった。

「博美は、俺のこと考えてくれてたのにな……」

 良く手料理を作ってくれたのは、俺の家計と栄養状態を心配したからだ。博美の作ってくれるカレーは、本当に美味かった。

 俺は、具の見えない安物レトルトカレーを皿に盛り付けながら、ため息をついた。


 大学に入学してすぐ、適当に選んだイベントサークル。そこに博美が居た。

「あのう……猫って、お好きですか?」

 名前も名乗らず放たれた第一声に、俺は何だコイツと思いつつも「好きだけど?」と返事をした。

 すると博美は「実家ですか?」「ご家族は?」「家にペットは?」と矢継ぎ早に質問を重ね、最後は「これはもう、一匹飼うしかないですね! イイ子がいるんですよー」と飲み屋街のポン引きのようにニヤリと笑った。

 つまりゴローは、もともと博美の家の猫だった。飼っていたメス猫に子どもが生まれたため、引き取り手を捜していたのだ。

 猫は好きだし、母親も「世話ができるならいいわよ」と言ってくれたので、人助け感覚で譲り受けたのが去年の春。子猫の中で一番貧弱だったゴローを心配して、博美は良くうちに遊びに来るようになった。最初はサークル仲間で誘い合わせていたのが、夏休みに入る直前に「ねえ、今度は一人で遊びに行っていい?」とほんのり赤い顔で囁かれたとき、俺は両思いを確信した。

 博美の家は大学から遠く、この家に入り浸るのにそう時間はかからなかった。

 まだ手乗りのチビ猫だったゴローが足元にじゃれつくのを、キッチンに立った博美があしらいながら、「もー、ゴロちゃんあっち行ってなさいっ! 今包丁使ってるんですからねっ」と真剣に話しかける横顔が可愛かった。もし博美と結婚して子どもが出来たら……なんて甘い妄想を抱きながら、俺はエプロン姿の博美の後姿を見つめていた。

 一年ほど、周囲が羨むのを通り越して呆れるほど順調な交際が続いていたのに……。

 ちょうど三日前に、初めてのケンカをした。

 軽く意固地になった俺は、電話もメールもシャットアウト。バイト先にも「夏風邪をこじらせたのでしばらく休みます」と嘘を告げ、その後家から一歩も出ず、抜け殻のように過ごしている。


「はぁー……博美、今頃何してんだろーな……」

 開いた窓の向こうに目をやれば、もさもさと生い茂る雑草の緑。

 猫の額ほどの庭は、現在荒れ放題で目も当てられない。博美は「夏休み入ったらお庭掃除して、バーベキューしようね」と言っていた。夜は外の方が涼しいし、それもいいなと俺は頷いた。それなのに。

 料理も掃除も、一人じゃ何にもやる気が起きない。

「ニャアー」

 ご飯を食べ終えたゴローがキッチンに駆け込み、俺のふくらはぎに体を擦り付けて来た。もっと寄越せという合図だ。

 涙ぐんだ俺が、温もりを求めて抱き上げようとすると、「フーッ!」と叫んで爪を立てる。

「あっそ。そういう生意気な態度取るなら、お代わりなんてやらねーよっ」

 子どものように拗ねた俺は、カレー皿を持ってリビングのテーブルについた。ずいぶん体も大きくなったゴローは、テーブルの上へ軽やかに飛び乗ると、フンフンと鼻を鳴らしながらカレーに近づいてくる。

「おいおい、これはお前の飯じゃねーぞ?」

「ンナァー」

 分かってると言いたげに一鳴きし、ゴローはその場に尻餅をつくと、後ろ足で耳の裏を掻きむしった。

『――カッカッカッカッカッ!』

「うわっ、バカヤロ!」

 扇風機の風に乗り、抜けた毛束がふわりとカレーへ移る。

 慌てて皿を持ち上げ避難させた俺は、なんら悪びれずにテーブルへ寝そべる茶色い塊を睨みつけた。

「てめー……後で風呂に入れてやるっ」

 ゴローは『ご飯』以外の言葉は分からないため、俺の脅しにもひるまず、ふてぶてしく尻尾をパタパタと振っている。

 猫の毛が春から夏にかけて抜けやすくなることも、風呂が大嫌いなことも、噛み付かれると案外痛いことも、全部博美が教えてくれた。こうして尻尾をパタパタせわしなく動かすのは「バトルモードだね。猫じゃらしで遊んであげると喜ぶよ」と言っていたっけ……。

「あーもう、俺は女々しすぎるっ! さっきから博美のことばっか考えて……ちくしょー」

 食い終わったらめいっぱい遊んでやろうと思いながら、俺は猫毛を適当に取り除いたカレーをかき込んだ。少し温くなってしまったから、その分一気に食べることができた。

 普通に、美味かった。

 普通……のはずだった。

 それなのに、食べ終えた俺の頭はぼんやりし、皿の上にスプーンを落としていた。

『ボイーン……ボイーン……』

 柱時計がのんびりとニつ鐘を打ち鳴らす。その音が、なぜか耳の奥で何重にも反復して聞こえる。

 視界も一気に変わる。見えていたはずの木目のテーブル、白いカレー皿、銀のスプーン、その脇に寝そべるゴロー。全てが消え失せ、代わりに見えたのは……。

「床……」

 俺は、確かに椅子の上に居る。

 なのに、見えているのは『テーブルの下の世界』だった。

「なっ……なんじゃこりゃ!」

 俺の脳裏に、有名な漫画がいくつも思い浮かぶ。

 黒ずくめの悪者に妙な薬を飲まされ、子どもになってしまった自称探偵の高校生。赤いキャンディーや青いキャンディーを飲み分けることで、伸縮自在になる女の子。恋人が突然手のひらサイズになってしまうという、悲しきラブストーリー。

 俺の体は、縮んでいた。

 しかし、体に痛みなどはない。視界はクリアだし、耳から聴こえる音も鮮明過ぎるほどだ。ただ、耳の裏が異常にかゆい。俺はそのかゆみに耐えられず、思い切り掻きむしった。

『――カッカッカッカッカッ!』

 どこかで聴いた音がする。

 どこかで見たふわふわしたモノが目の前を飛んでいく。

 俺は安っぽいテーブルの天板裏面を見上げた。

 見たくない。自分の姿は見たくないっ……。

「ふーん。人間の体って面白いね」

 聴こえたのは、俺の声じゃない。だって俺は口を開いていないから。でもここには、俺以外の人間は居ないはず……。

 ガクガク震える俺は、神の手ならぬ俺の手でひょいっと持ち上げられた。慌てて目の前の古着Tシャツにしがみつくと、俺の指から鋭い爪がニョキッと伸び、自動的に布地へ食い込んだ。

「ヒデキ君、キミはこのTシャツを気に入ってたんじゃないの? そんな風に爪を立てたら、穴が開いちゃうよ?」

 俺の頭の上から話しかけてきたのは、確かに俺だった。

 俺はそのときようやく、自分にピッタリのファンタジー作品を思い出していた。

「俺がゴローで、ゴローが俺で……」

 震えながら、俺は……失禁した。


↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。













この話は個人的お気に入り作なのですが、何がイイって、猫ですよ! 猫は正義! 「あまりにも猫キャラが強烈で、ストーリーが霞む」なんてご評価をいただくくらい猫フルな話です。もちろん、猫を飼っていない方にもハウツー的に楽しめる内容になっていると思います。今回の見どころは、ズバリ『柱時計の音』でしょう。ボイーン×2って……というのはさておき、超ベタベタ王道な入れ替わりですね。ここで「うへー、ベタ過ぎる」と思ってバックしてしまう方がいるのではと心配になるくらいベタ。でもこの先に数々のシモギャグトラップと、さらに先にはちょっぴり感動な展開が待っていますので、どうぞお楽しみに。

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