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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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異世界でも、戦場は俺を離さない ~元傭兵のおっさん、魔法の狙撃手になる~

作者: Uアルジュナ
掲載日:2026/10/17

 死ぬ直前に聞いたのは、羽虫に似た音だった。

 佐伯修司は崩れた壁の陰で顔を上げた。曇った空。折れたアンテナ。

 その向こうに、小さな黒いものが浮いている。

 ああ、来たか。

 隣の若い兵士を突き飛ばしたところで、記憶は終わった。

     *

 次に目を開けると、馬に顔を舐められていた。

「……よせ」

 手を上げる。指が五本ある。左手の薬指も、小指も。

 左脇腹に手を入れた。古い手術痕だけがあった。

 銃がない。無線もない。防弾装備もない。

 着ているのは見覚えのない麻の服で、足元には革靴が揃えてあった。

「死んでるかと思った」

 馬の向こうから娘が顔を出した。栗色の髪。そばかす。

 背中には弓ではなく、短い杖を負っている。

「ここは」

「トルカ村の東。道の真ん中で寝てたんだよ、おじさん」

 知らない言葉だった。

 それなのに意味が分かった。自分の口から出た問いも、日本語には聞こえなかった。

 佐伯はしばらく娘を見た。

「鏡はあるか」

「顔が気になるなら、生きてるね」

 差し出された水筒の金属蓋に、四十八歳の男が映った。白髪交じりの短髪。

 右眉の傷。見慣れた、愛想のない顔だった。

 娘の肩越しに、空が見えた。

 昼間の青空に、月が二つあった。

     *

 村に居ついて十二日目、佐伯は薪を割っていた。

 薪は逃げない。撃ち返してこない。ただし、節のあるやつは厄介だった。

「また曲がった」

 井戸端で洗濯をしていたミラが言った。道で拾ってくれた娘である。十九歳。

 村の治療師の手伝いと、馬の世話と、暇なときには他人への口出しをして暮らしている。

「見れば分かる」

「おじさん、何ならできるの」

 佐伯は斧を持ち直した。

 陸上自衛隊にいた。辞めて、フランス外国人部隊に入った。

 契約を終えてからも、金をもらって他人の戦争に出入りした。

 最後はウクライナだった。

 長い経歴だったが、薪の割り方を教えてくれる者はいなかった。

「見張り」

「それ、昨日も聞いた。夜は寝てよ。宿のおかみさんが心配してた」

「寝ている」

「椅子で?」

 答えず、斧を振った。

 今度は割れた。ミラが大げさに拍手をした。

 この世界には魔法があった。

 火を起こし、水を温め、傷の治りを助ける。

 最初に見せられたとき、佐伯は驚くより先に、燃料は何だと尋ねた。

 ミラは腹を抱えて笑った。

 彼女に教わった魔法は二つだけだった。

 指先に灯りをともすものと、魔力を矢にして飛ばすもの。

 後者を試したとき、ミラは少し困った顔をした。

「細いね」

 佐伯の指先には、縫い針のような光が浮いていた。

 ミラの矢は杭ほどの太さがあり、薪を一つ砕いた。

 佐伯のものは樹皮に穴をあけて消えた。

「まあ、鳥くらいなら。魔力は少ないみたいだけど、形はきれいだよ」

 褒め方まで若い兵士に似ていた。

 それでも、暇を見つけては練習した。

 力の使い道があると、落ち着いた。

     *

 昼の鐘が鳴る前に、村長が死んだ。

 通りの真ん中で膝をつき、そのまま横倒しになった。

 手に持っていた帳面だけが開き、風にめくられた。

 佐伯は斧を捨て、隣にいた少年の襟をつかんだ。家の陰へ投げ込む。

 悲鳴が上がった。

「伏せろ!」

 二人目が倒れた。

 村長に駆け寄ろうとした男だった。

 音はなかった。胸に、焼けた小さな穴があった。

 佐伯の頭の中で、さっきまで気になっていた薪の節が消えた。

 窓。屋根。通り。人の位置。

 それらが、使い慣れた順序に並び直された。

「窓から離れろ。外を見るな」

 ミラが這ってきた。唇から血が出ていた。転んだときに噛んだらしい。

「北の丘。古い見張り塔……光った」

「兵は」

「昨日、西の砦で戦があったって。うち、負けたんだ」

 通りの北端で、青い光が膨らんだ。

 人の背丈ほどの紋章が浮かび、その下から声が響いた。

『この村は侯爵領軍の管理下に入る。隠匿している敗残兵を引き渡せ。日没までに従わぬ場合、家屋を順に焼く』

 宿の裏には、昨夜運び込まれた負傷兵が三人いた。

 佐伯は知っていた。朝、水を運んだからだ。

「渡しても、終わらんな」

 言うと、ミラがこちらを見た。

「なんで分かるの」

 村長は、まだ帳面を持っていた。

 話をしに出たのだろう。兵士でもない相手を、警告なしに殺していた。

「あいつは、従わせ方を知っている」

     *

 見張り塔までは、ミラの言い方で四百歩余り。

 塔は丘の上にあり、村から出る道と橋を見下ろしていた。

 逃げる者を追う必要はない。そこで待てばいい。

「村の衛兵は?」

「砦に行った。戻ってない」

「魔法を使える者は」

「私と先生。先生は膝が悪いし、治療しかできない」

 佐伯は頷いた。

 上官はいない。支援もない。撤退する部隊もない。

 それでも仕事だけはあった。

「修司」

 初めて名前で呼ばれた。

「あの塔にいるの、たぶん軍の射手だよ。普通の魔法使いじゃない」

「そうか」

「そうか、って……」

 佐伯は床に落ちていたパンを拾った。埃を払い、一口かじる。

 口の中が乾いて、なかなか飲み込めなかった。

「矢の魔法について、教えてくれ」

「今?」

「今だ」

 ミラは一度だけ目を閉じた。それから、震える手を膝の下に挟んだ。

「何が知りたい」

「遠くへ飛ばすと、何が起こる」

「形が崩れる。だから魔力を足す。強い矢ほど遠くまで届く」

「形を保てれば?」

「……届く。でも、それが難しいの。飛ばしてる間、ずっと矢を感じてなきゃいけない」

 佐伯は十二日間、夜更けの宿で針を浮かべていた。

 窓から見える鐘楼。その欠けた石。

 ほかに考えることがないよう、そこだけを見ていた。

「向こうは、こちらの魔法を察知するか」

「大きな魔力なら。軍の射手は、その訓練もするって」

 自分の針を見て、佐伯は頷いた。

「役に立つな」

「どれが?」

「細いところだ」

     *

 宿の裏から水路へ下りた。

 ミラが先を行った。泥に膝をつき、低い石橋の下へ潜る。

「昔、ここで魚を捕ってた。先生に見つかって怒られた」

「なぜ」

「薬草を洗う水路だから」

「それは怒る」

 小さく笑ったあと、彼女の息が詰まった。

 頭上で石が砕けた。

 遅れて、破片が水に落ちてきた。

 佐伯はミラの後頭部を押さえ、橋脚に寄せた。

 待った。

 次の一撃は来なかった。

 敵は姿を見たのではない。水路に入った気配を探っている。

「戻れ」

 囁くと、ミラは首を振った。

「この先、道が二つある。片方は行き止まり」

「説明しろ」

「水門、動かせないでしょ。留め具が壊れてる」

 佐伯は彼女を見た。

 村の娘だった。自分にはない知識を持っていた。

「分かった。先へ」

 ミラが頷いた。

 水門の奥は古い染物小屋に続いていた。

 屋根は半分落ち、石造りの壁に染料の青が残っている。

 そこから、塔の上階が見えた。

 窓は二つ。暗く、動くものはない。

 佐伯は壁の裂け目に顔を近づけた。

 風が草を揺らしていた。鳥が一羽、塔を避けて飛んだ。

「見える?」

「見えない」

「私、灯りを飛ばせる。窓に入れれば」

「やめろ」

 強い声になった。

 ミラの肩が跳ねた。

 佐伯は息を吐いた。

「すまん。あいつは、それを待っている」

 敵は村人を撃った。助けに出た者も撃った。

 同じことを、まだ続けている。

 魔法を使える者が動けば、そこを撃つ。

 窓の奥で、一瞬だけ何かが光った。

 佐伯は動かなかった。

 光は、同じ場所でもう一度またたいた。

「あそこ」

 ミラが囁いた。

「違う」

 窓辺に置かれた金属片だ。射手が顔を出すには、都合がよすぎる位置だった。

 佐伯は、もう一つの窓を見続けた。

     *

 待つことには慣れていた。

 寒さにも、空腹にも。何も起こらない時間に、自分で意味を足さないことにも。

 ただ、隣の人間の呼吸を聞くのは久しぶりだった。

 ミラは音を立てまいとして、時々息を止めた。

「普通に吸え」

「できない」

「なら、ゆっくりでいい」

「怖くないの」

「怖い」

「そうは見えない」

 返事をする前に、通りから声がした。

 泣き声だった。

 宿の陰にいた少年が、這って出ていた。昼に佐伯が投げ込んだ子だ。

 少し先に、倒れたままの男がいる。

「父さん」

 小さな声が、水路を伝ってきた。

 ミラが立ち上がりかけた。佐伯が腕をつかむ。

「離して」

「待て」

 少年が男の足に触れた。

 塔の暗がりで、何かが動いた。

 左の窓ではない。

 右。奥。

 灰色の袖と、頬の一部が見えた。

 佐伯の指先に、細い光が生まれた。

 小さい。頼りない。村の娘に気を遣わせた、鳥を撃つ程度の魔法。

 向こうの窓に、青い輪が浮いた。

 ミラの手が、佐伯の腕を握った。

「障壁。矢じゃ抜けない」

 佐伯は針を放たなかった。

 青い輪の向こうで、人影が杖を持ち上げる。

 その先が、ゆっくりと下を向いた。

 少年へ。

「撃つときも、張れるのか」

「ううん。でも――」

「それでいい」

 敵の顔が見えた。

 男だった。佐伯より若い。苛立った顔をしていた。

 魔法使いでも、同じ顔をするのだと思った。

 青い輪が薄くなった。

 佐伯は針を放った。

 飛んでいる。

 遠いところで、自分の指が伸びているような感覚がした。

 細い形を保つ。崩れかけた輪郭を戻す。

 窓の男が眉を動かした。

 気づいた。

 杖が少年から外れ、こちらへ向いた。

 小屋の中が青く染まった。

 佐伯は針を感じていた。

 まだ、そこにある。

 耳元で石が割れた。

     *

 目を開けると、土の中にいた。

 違う。土の壁だった。

 ミラが両手をついている。爪が割れ、鼻から血を流していた。

 目の前に盛り上がった土が、ぼろぼろと崩れていく。

「……使えるのは、二つじゃなかったか」

「教えたのが、二つ」

 息を切らしながら、彼女が言った。

「薪、砕いたでしょ。あれ、土の魔法の応用」

 佐伯は身体を起こした。右耳が聞こえにくい。頬から血が流れていた。

 塔を見る。

 窓には誰もいない。

 待った。

 一分。二分。

 村の少年が、誰かに家の陰へ引きずり込まれた。

 それでも、矢は飛んでこなかった。

 佐伯は指を開いた。

 針の感触は、もうなかった。

     *

 日が傾いてから、塔へ入った。

 ミラは入口で待たせた。

 上階に男が倒れていた。灰色の軍服。胸に銀の徽章。杖は握ったままだった。

 傷は小さかった。

 佐伯は男の息を確かめ、杖を離させた。

 部屋の隅には毛布と、干した肉と、木製の小さな櫛があった。

 櫛には赤い糸が結ばれていた。

 それらには触らなかった。

 窓から村を見た。

 倒れていた二人は運ばれ、通りには濡れた跡が残っていた。

 宿の煙突から煙が上がり始めていた。

「終わった?」

 下からミラの声がした。

 佐伯は一度、目を閉じた。

「ここはな」

     *

 夕食は豆の煮込みだった。

 宿のおかみは佐伯を見ると、何も言わずに器を置いた。パンはいつもの倍あった。

 入口と窓の見える席に座った。

 向かいにミラが来た。両手に包帯を巻いている。

「村長さんの息子が、明日、お礼に来るって」

「礼を言われる仕事はしていない」

「じゃあ、私がもらっとく」

「そうしろ」

 彼女はパンをちぎろうとして顔をしかめた。

 佐伯は黙って自分のパンを割り、半分を彼女の皿に置いた。

「それくらい、できる」

「知っている」

 しばらく、二人で食べた。

「おじさん、兵士だったんだね」

「ああ」

「帰るところ、ないの」

 匙が止まった。

 日本に住所はあった。長く開けていない部屋もあった。

 郵便受けに、何かが溜まっているはずだった。

 それを帰るところと呼ぶのか、佐伯には分からなかった。

「遠い」

 結局、そう答えた。

 ミラはそれ以上聞かなかった。

「じゃあ、明日も薪割りね」

「俺より、ほかの者のほうがうまい」

「やらないと、うまくならないでしょ」

 まともな理屈だった。

 佐伯は煮込みを口に運んだ。

 温かかった。

 豆の皮が少し硬い。塩が足りない。肉はほとんど入っていない。

 そういうことに、今さら気がついた。

     *

 夜半、宿の戸が叩かれた。

 佐伯は椅子から立った。寝台はまだ使っていなかった。

 階下に降りると、泥まみれの伝令がいた。

「この村に、侯爵軍の射手を倒した者がいると聞いた」

 背後で、階段が軋んだ。

 ミラだった。

 佐伯は伝令の服を見た。袖の血。乾いた唇。腰の剣は、鞘に収まっていなかった。

「何人だ」

 伝令が顔を上げた。

「東の峠に、三人。避難民の列が止められている」

 佐伯は黙っていた。

 台所の隅に、明日使う斧が立てかけてあった。

 窓の外には、割り残した薪が積んである。

「行くの」

 ミラが言った。

「話を聞く」

「兵士って、そう言うんだ」

 言い返せなかった。

 娘は台所に入り、布を一枚取った。残っていたパンと、硬いチーズを包む。

「持っていって。朝の分」

 差し出された包みを、佐伯は受け取った。

「……明日の薪は」

「置いとく」

 ミラが言った。

「帰ってきたら、やって」

 佐伯は包みを上着の内側へ入れた。

 扉を開けると、夜気が頬の傷に沁みた。伝令が馬のところへ走っていく。

 いつもなら、その背中だけを見て歩き出していた。

 今夜は一度、振り返った。

 ミラが戸口に立っていた。

「行ってくる」

 口にしてから、ずいぶん長く使っていなかった言葉だと思った。

 彼女は頷いた。

「うん。行ってらっしゃい」

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