寝惚眼
生まれた頃から奴隷として虐げられて生きてきた。
育ての親とも言いたくない、雇い主とすらも言いたくないその男の言葉によると、その日は自分の十二歳の誕生日だったらしい。
その日、生まれつき異常だと言われていた自分の魔力が、生まれつき自分の行動を縛っていた服従の呪いという枷の強度を上回った。
自分の異常な魔力に耐えきれずに呪いは解けた、解けた瞬間に目についたもの全てを殺し、破壊した。
それだけでは足りなかった、その程度で怒りも憎悪もおさまらなかった。
この世界に存在する人間全てを殺して、この世界そのものを壊してしまおうと思った、そこまでやっても自分の気がおさまることはないだろうとも。
手始めに、このあたりで一番力を持つ奴をぶち殺すことにした。
そいつを殺して、このあたりにいる全てを殺して、『皆殺し』の範囲を広げていこう。
最初に一番強い奴を殺せば、他の有象無象はより深い恐怖と絶望に堕ちるはずだと、そう思った。
だからその強い奴がいる屋敷に向かった、最初に殺したあの男が伯爵と呼んでいた男を殺すために。
伯爵の屋敷は広くて、綺麗だった。
そこに足を踏み入れた直後、屋敷内でバタバタと人が倒れていくのがわかった。
どうも、生まれた頃から異常だと言われ続けた自分の魔力は、ただ軽く放出するだけで自分以外の弱っちい人間を気絶させる程度のものらしい。
こんなものかと思いつつ大きな屋敷の中に足を踏み入れる、あちこちで使用人らしき奴らが泡をふいて気絶していた。
そのまま屋敷の中を歩く、時折自分の魔力に耐え切ったのか意識が残っていたものも何人かいたが、そのほとんどがただ自分と目を合わせただけで顔を恐怖で大きく歪ませて気を失った。
このあたりでいちばん強いやつがいるという屋敷ですらこうなのだ、これなら世界なんてあっという間に滅ぼせるのかもしれない。
そのまま屋敷内を歩き回った、一番強いといえるような気配は感じられなかったので、ひとまずあちこちを見て回った。
そうしているうちに、どうやら迷ってしまったらしい。
完全に生き物の気配を感じ取れない場所に辿り着いてしまった。
しかし、もしも一番強い奴が気配を隠すことに長けているのであれば、案外このあたりに潜んでいるのかもしれない。
そう思いながら足を進めていると、少し先の方で大きな音が聞こえてきた。
生き物の気配はなかった、それなのに、先の方にある扉が重苦しい音を立てながら開いた。
一体何が出てくるのかと軽く身構える。
重々しい扉を開いたそいつは、女の子だった。
自分とそう背丈が変わらない女の子、年齢もおそらく同じくらい。
重さで勝手に扉が閉まる、開かれた時よりも大きな音が響いた。
出てきた少女はこちらに気付かず大きな欠伸をした。
「……ねむ」
大欠伸のあとそう呟いて、ふと何かに気付いたような顔でこちらを見た。
その少女を真正面から目視して、意味がわからなかった。
なんの魔力も感じなかった、その少女には魔力というものがどうやら一切存在していないらしい。
本当にそんなものが存在しているのか、自分は幻覚でも見ているのではないかと、自分の脳を疑った。
少女が自分の顔を見る、その顔は若干気まずげな表情を浮かべていた。
「……どちら様でしょうか?」
気まずげな顔のまま少女はそう問いかけてきた。
その顔に怯えや恐怖は一切ない、おそらく大欠伸を目撃されたからだろう、ただ気まずげなだけだった。
あとなんかやたらと眠そうだった、眠そうというかこの顔は多分、寝惚けている。
目が若干うつろというか、焦点があってなさそうというか。
何故、恐れない、そもそも何でこんな弱っちそうなやつが、気を失っていないんだ。
この屋敷にいる人間は今、ほとんどが気を失っている。
その中には屈強そうな、おそらく護衛などの役割を果たしていそうな者たちもいた。
それなのになんの魔力も感じ取れない、見るからに弱そうな女の子だけが平然と立っている、平然どころか寝惚眼で自分と対峙している。
今すぐ殺すべきかと警戒心をあらわにすると、少女は何かを考え込むような素振りを見せた。
「ええと……あー、そういえば今週、にぃ姉様の婚約者様がいらっしゃるんでしたっけ?」
的外れな予想をする少女の顔を見る、怯えや恐怖は微塵もない。
その顔のまま少女はあたりを見渡して、そして何か合点がいったのか、ぽんと手のひらを軽く合わせた。
「なるほど、迷ってしまったのですね。トイレはあっちですよ」
そう言って、少女は自分の後ろの方を指差した。
「このまま真っ直ぐ引き返して、右に曲がったところにあります」
しばらく、何を言われたのか理解できなかった。
今週やってくる予定であるらしいにぃ姉様とやらの婚約者だと思い込まれた挙句、トイレを探して迷った奴だというとんでもない勘違いをされたらしいと理解が追いついたのは、少女が「では失礼します」とこちらに背を向けて、数歩進んだ後の話だった。
去っていく小さな背をただ呆然と見送ることしかできなかった。
………………………………どうしよう。
なんだか、やる気というものが一気に削がれてしまった。
トイレはあっちってなんなんだよ、この状況でトイレって。
あちこちでバタバタ人が倒れてる状態で、なんでトイレ、何で婚約者?
確かに目視できる範囲内に倒れている人間は一人もいない、それでもなんの異常事態にも気付いていないってどういうことなんだよ、あの寝惚眼。
寝惚けているからなのか、だからなんもわかってないのか?
遠ざかる背はまだ見えている、寝惚けているからだろう、その足取りは少しふらついている。
気がついたら、引き寄せられるようにその背を追っていた。
少女はこちらに気付く様子を一切見せず、少し進んだところにある扉を開いて中に入った。
少女に続いて部屋の中に入る、自分は何故こんなことをしているのだろうと思ったが、それでも。
少女はこちらに一切気付かず、部屋の中にあったベッドに半ば飛び込むような形で倒れ込んだ。
すぐに健やかとしか言いようのない寝息が聞こえてくる。
ベッドの中を覗き込んでみた、少女は普通に寝ていた。
寝てる。
こんな状況で、いつ殺されてもおかしくないような状況で。
呑気に寝息を立てて、すやすやと、普通に寝てる。
その頬に触れていた、柔らかくて温かかった。
顔全体を眺めた、どれだけ寝ていなかったのか、穏やかだがクマの酷い顔だった。
全身から力が抜けた、立っているのも億劫で膝をついた。
顔に触れられても目を覚さない少女の顔を見る。
いきなり、何もかもが全て馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
少女の頬を軽くつねる、少女は起きない、身じろぎひとつしない。
「……おきない」
普通なら飛び起きるだろうに。
何故こんな無防備なのか、何でこんな生き物が今までずっと生きていられたのか。
日をまともに浴びていないのであろう白い喉に手を伸ばして、掴んだ。
それでも少女は目を覚さない。
このまま少しだけこの手に力を入れれば、この少女は呆気なく死ぬだろう。
ひょっとしたら死んだことにすら気付かないかもしれない。
殺してしまおうかと思った。
けれど同じくらい、殺せないとも思った。
そう思ってしまった。
これを、この生きていること自体が奇跡みたいな生き物を、殺したくない、と。
自分の中にあるそんな感情を理解した直後、急に疲れを感じた。
目の前には生まれてから今まで触れたことすらない高そうな寝具一式と、そこで呑気に寝息を立てるぬるくて柔らかいの。
急速に考える力が失われていく、何も考えずにベッドの中に潜り込んで、柔らかくて温かいのを抱え込んで、目を閉じた。
それからしばらくして、このあたりで一番強いという伯爵様とやらが帰ってきた。
どうやら、普通に外出中だったらしい。
伯爵様とやらは魔力の痕跡を追ってすぐに自分達のところに駆け込んできた。
そして、自分と、自分の腕の中ですやすや眠る少女を見て絶句し、顔を真っ白にさせた。
感じ取った魔力から、確かに強そうな男だと思った。
それでも、自分と比べると圧倒的に弱かった。
きっと大した労力も必要とせずに殺せるだろう。
向こうもそれを感じ取ったのか、白い顔のままこちらをただ見つめる。
そのまましばらく硬直していたが、何か決意を固めたような顔つきになった男が口を開いた。
「娘を、放せ」
どうやら少女はこの男の娘であるらしい、伯爵令嬢、という奴なのだろう。
男は真っ直ぐ自分の顔を見ている、自分の娘を人質にでも取られたと思っているのだろう。
ニヤリと笑って少女の頭に片手を添える、そうする気は一切なかったが、やろうと思えばこんな脆い少女の頭、簡単に潰せる。
男の顔が歪む、デカい男の顔が自分のせいで苦痛に歪むのは面白いと思った。
「嫌だ、といったら?」
笑いながらそう問いかけると、男は覚悟が決まった顔になった。
「なら、力尽くで……!!」
馬鹿な奴、無理だってわかってるくせに。
男の片腕を落とす気で風魔法を発動させる、呆気なく血飛沫が舞うかと思いきや、ギリギリで避けられた。
思いの外反射神経がよかったらしい、避けられるだなんて思ってもいなかったので驚いた。
「避けるんだ。意外。……でもどれだけ力を尽くしても無駄。だってあんたは弱い」
せせら笑ってやると男はこちらの顔を強く睨みつけてきた。
気絶するどころか怯えもしないその姿勢に少しだけ感心する、けれどそれだけだ。
「……何が、一体何が目的だ!! 娘に、いやこの地に何を」
怒鳴るように男が叫んだその時、少女が小さく身じろいだ。
あんな大声をあげられたら誰だって目が覚めるだろう、当然だ。
少女が動きをみせたので男が黙りこむ、自分も少女に視線をやった。
「……うる、さい」
少女は寝言のようにか細い声でそう呟いて、それ以上何の反応も見せなかった。
つまり、寝ていた、起きてなかった。
思わず笑ってしまった、作り笑い以外で自分が笑えるのか、と思った。
「うるさい、だって。静かにして」
そう言うと男は顔を真っ赤にした。
怒鳴られる前に殺して黙らせるのは簡単だった、けれど今、生き物を殺す気は起きない。
けれど、うるさくすると言うのなら羽虫のように潰してやる。
こちらの思惑を察したのか、男はしばらく黙り込んだ後、ようやく落ち着いたのか静かな声色で再び問いかけてきた。
「目的は?」
目的は、と問われて考えてみた。
元々は、人間皆殺しの第一歩のために、一番強い奴がいるというこの場にやってきた。
今は、なんだかそんな気が失せてしまったが。
なので特に目的とかそういうのはない。
だから、この後どうしたいかを考えてみた。
腕の中には柔くてぬるい塊、ひとまず、これを簡単に手放すつもりはない。
なら、それを目的に。
そして、その目的を容易に達成するために、どうすればいいのか。
男の顔を見上げる、自分なんかよりもずっとずっと弱い、それでも壊す以外の才能なら一つか二つくらいは自分を超えてそうな大人の顔を。
にたり、と笑みを作った。
「皆殺し。世界中にいる人間を、全部殺す」
とっくにやる気のなくなった目標を告げると、男は顔をこわばらせた。
「まず、このあたりで一番強いっていうあんたと、ついでにこの辺りの人間全部。その後は世界中」
続けて言うと男は信じられないような目で自分の顔を見下ろした。
それでも、その目には意外なことに怯えや恐怖はほとんど見られなかった。
男がギロリと自分を睨みつける。
すごいな、と思った。
無駄であることも無理であることも理解しているのだろう、けれども男は怖気付かなかった。
多分、こちらを止める気だ。そういう目をしている。
何もかも無駄でも、確実に死ぬとしても、可能性がどれほど低くても刺し違えてでもこちらをどうにかしてやるという強い意志が見て取れた。
静かに、それでも力強く魔力を練り始めた男に「けど」と言ってやった。
「けど、気が変わった。これをくれたらやめてもいいよ」
ぽんぽん、と抱えたままの少女の頭を叩く。
その直後に自分めがけていかずちが飛んできた。
防御魔法でそのいかずちを防ぐ、大した威力ではなかったのでたとえ自分に直撃しても問題なかったが、腕の中の少女が死ぬ可能性が高かったので。
防御魔法の外側で男が何かを怒鳴り散らしているが、うるさくしないように音も防いでしまったので、何も聞こえない。
世界を人質にこの少女をよこせという自分の脅迫はどうやら失敗してしまったらしい。
どうしてだろうか、素直にこちらのいうことを聞いてくれれば何もしないと言っているのに。
言ってもわからないのなら、わからせるしかない。
そういうわけで、おしおきの時間だ。
死なない程度に男を甚振った後、話をするために防御魔法を解いた。
「気は変わった?」
問いかけてみるとズタボロ状態で膝をついた男に睨まれた。
「何故歯向かう? これをくれたら何もしない。何もしないどころかあんたの力になってやってもいい。俺は有能だから、役立つと思う」
「娘を……我が子をお前のような悪魔に渡せるか!!」
「悪魔、か。一応人間だけど」
「比喩だクソガキ!! とにかく、どこの誰とも知れぬ得体の知れない輩に自分の娘を簡単に渡すような親がいるものか!!」
いると思う、自分の実の両親とか。
そう思ったが、わざわざ口にはしなかった。
「じゃあ、皆殺しで」
そう言うと男の表情が少しだけ変わる。
迷いが見えた、自分の娘と世界を天秤に乗せているような、そういう迷いが。
「もう一回だけ聞く。これを俺に寄越すか、寄越さず惨めに死ぬか。選べ。よく考えろ、お前の返答次第で皆殺しだ」
男は少しだけ黙ったが、すぐにこんなことを聞いてきた。
「その皆殺しに、我が娘も含まれるのか?」
「含むわけがない」
何を馬鹿なことを聞いてくるんだろうか、頭が悪いのだろうか。
これが欲しいからもうすでにほとんどやる気のない人間皆殺しだなんて言う脅し文句を使っているのに。
「あんたは、馬鹿なのか」
思わず言うつもりのなかった言葉を言うと、男は一瞬だけ顔を真っ赤にした。
「どっち? 寄越さないって言うんだったら殺す。寄越すって言うのなら殺さない。弱いあんたじゃ俺のことをどうにもできないのはもうわかっているはずだ」
せせら笑ってやると男はぐっと拳を握りしめた、どうにもできないというのはついさっき分からせたばかりだ。
けど、このままだと意地で『寄越さない』を選ばれるような気もした、それは面倒だ、とも思った。
「どうする? 俺はどっちでもいいよ。……けど、今俺をどうにもできなくとも、いつかはどうにかできるかもしれないな。今はひとまずおとなしくこっちの言うことを聞いてその機会を狙い続けるか、今すぐ死んでその機会すら永遠に失うか……どっちがいい?」
そう提案してやると、男は大きく目を見開いた。
長い沈黙の後、男はこちらの要望をのんだ。
よし、勝った。
そう思いつつニヤニヤと笑いながらこう言ってやる。
「ケンメイなご判断ありがとう。これからよろしく、伯爵サマ」
そう言ってやると、男は心底悔しげな顔でこちらを睨み上げた。
そして、話の最中どころか話が終わった後も、少女は目を覚さなかった。




