【第一章】グループの違い
新学期独特の緊張感や若干の高揚感があった時期もすでに過ぎ、入学から一ヶ月も経てば流石に新しい環境にも慣れるというもので。
周りのみんなもいくつかのグループに分かれて話したり勉強したりしていた。
一方の俺は、まぁいつも通り弘一と二人で昼休みを過ごしている訳だが。
うちの学校は購買部はあるが学食が無い。
従って中学の時に夢想していた学生食堂のある高校生活は入学と同時に消えた訳で。
購買で適当に買ったパンと紙パックのコーヒーをおとなしく教室で食べているという現状。
因みに屋上は生徒進入禁止なので、ドラマや小説などのような屋上での青春的昼食を送ることなどできない。
まぁ、できたとしてもやらんのだが。
別に教室の隅での昼食だとしても俺も弘一も特に気にはしない。
お互い静かな方が好きみたいだしね。
そんな俺たちのクラスでの評価……、というか立ち位置は、まぁ良くもなく悪くもなく。
特別仲の良いという訳ではないが普通に話せるような友達が数人。そんな感じ。
他の人から見たら『生徒A・B』みたいな、そんな存在じゃないかな?
クラスではいくつかのグループができている中、俺と弘一は何処にも所属していないで二人でいる。とはいっても別に仲間外れにされているとかじゃない。
さて、実はクラスのグループに入っていないのは俺たちの他にもう一人いる。
それが今俺の視界の隅で一人弁当箱を突いている女子、志野一香だ。
彼女は入学式の時以来、他人とどこか距離を置いた…、というよりも突き放した感じの態度をとっている。
そんな彼女の態度が気に入らないのだろう、志野さんはどこのグループにも入らず一ヶ月たった今でも一人でいた。
まぁ、彼女自身が誰とも拘ろうとしないから構わないのかも知らないが。
さっき志野さんが誰とも拘ろうとしない、と言ったと思うけれど、それは少し間違いだった。
さて、今俺には一つの問題、というか頭を抱えたくなることがあるのだが。
「ねぇ、夕姫」
それがこれだ。
目の前にいる彼女、志野一香女子は特に特別な感情を浮かべるでもなく俺の名前を呼んだ。
問題とはこれ。今現在俺を『夕姫』と呼ぶのは親父と志野さんしかいない。
因みに俺は下の名前で呼ばれるのは好きじゃない。何かに因まなくても好きじゃない。
だからぜひとも直して頂きたいのだが。
「あのさ志野さん、俺の名前…」
「今話しかけたのは私よ」
「……ごめんなさい」
ちくしょう。
そもそも普段誰とも接点を持とうとしない彼女が何故俺にだけ話しかけてくるのかわからない。
少し他の人より早く出会っただけで特別何かがあった訳でもない。
何より彼女はやたらと上から目線だ。俺が何をしたと……。
「夕姫」
「…なにさ」
色々言いたい事はあるが言ったところで一切聞く耳持たれないのはわかりきっているので、相手の出方を待つしかない。
「あなたは今楽しい?」
「…また脈絡のない質問だなぁ」
彼女はよくこんな質問をしてくる。
そんな時の俺の答えも決まって
「まぁ、普通じゃない?」
これだ。
そう答えると志野さんは「そう…」とか言って離れて行った。
俺には彼女が何を考えているかはわからないけれど、別にわかろうともしていないし別に気にする事は無いと思っていた。
目下の問題はどうやって志野さんに夕姫と呼ばせないようにするかだ。
地味に真剣に悩みながら弘一が教室に戻ってくるのを待った。
とっておきの場所。
俺がそう呼んでいる海岸の岩と岩に囲まれたスペース。
そこの中央にあるテーブル岩に腰かけ俺は何を考えるでもなく海を眺めていた。
今日は日曜日。家にいてもやることがなく、とはいえずっと寝ているのも良くないと思い外に出て、今此処にいる訳だが。
此処にいてもやはりやることなんかない。
ただ離れた所から聞こえてくる波の音を聞きながら海辺特有の強めの風を体全体で浴びるだけ。
瞑っている右目に合わせて左目も閉じる。
聞こえてくる波の音、風の音、砂の流れる音。
それを感じ、暗闇の中で自分の居る場所を確認する。
しばらくそうしていると、今まで聞いていた音の中に何かが砂を蹴る音が混じった。
その音を確かめるために閉じていた左瞼を開ける。
「あ…」
「あ…」
声が被った。
そこに居た彼女、志野さんは久しぶりに見た驚いた時の表情でこちらを見ていた。
此処に人が来るのは珍しいが、今思えば彼女と初めて会ったのもこの場所な訳で、そう思うと彼女が此処を知っていても何一つおかしくないというね。
「今日は俺の方が先だったみたいだね」
「……」
少しおどけた感じで話しかけてみたが、志野さんはいつもの冷静そうな、冷めた様な表情のまま俺の言葉を受け流す。
俺には彼女がわからない。
何故クラスで俺に話しかけるのか、何故他の人とは拘ろうとしないのか、何故この場所に来たのか。
やっぱり俺には彼女がわからない。
だから、聞いてみることにした。
「あのさ、志野さん」
「……何」
何か不機嫌そうだけど、良く考えたらいつも不機嫌そうなので気にしないことにする。
「何で学校では俺にだけ話しかけるの、他の人とは拘らないじゃん?」
「……」
少し直球過ぎた気もしたがそれでもいいだろう。
俺はただ聞きたい事を聞いただけなんだから。
「あなたは前…」
「ん?」
「夢を諦めた事があると、言ったわね?」
それは俺と彼女が初めて会った時の言葉。
『あなたは、夢を諦めたことがある?』
その問いに俺は、ハッキリとでは無いけれどあると答えた。
「それがどうしたのさ?」
「…私もね、諦めた事はあるわ」
胸の奥の何かが痛んだ。
不意に湧いてきた違和感に首を傾げたくなる。
「音楽、やっていたの。ずっと小さいときから」
「…そう」
語る彼女の表情は何の感情も浮かばない、冷静なソレそのもの。
その表情が何故か俺の心を苛立たせる。
「あの時は音楽で生活していくのが夢だったわ」
「……今は?」
追い込まれていく感じがした。
気付かない内に両手をキツく握りしめているほどに。
「さぁ、もう諦めたもの」
「…ッ!?」
ギュッと。
痛みが胸を締め付けた。
つい表情に出そうになるのを必死で抑え込む。
「…自分で?」
「えぇ、だから、似てると思ったの」
「…何が?」
「……あなたの夢も諦められる程度だったのでしょう?」
一瞬。
本気で頭がどうにかなりそうになった。
事故に会う前も、目が見えなくなった後も感じた事のなかった衝撃。
初めて感じる抑えきれないような感情。
それだけの何かが今の一言にはあったようだ。
風が流れる音がする。
吹き付ける風が次第に上った血を冷まさせて、冷静さを取り戻してくれる。
そうさ。
俺だってそうじゃないか、もう諦めたのだから。
彼女の言っている事に間違いがあるかと言ったら、まぁ、無いだろう。
「……そう、だね」
「…ふぅん」
いつまでも何も言わないのも悪いと思って答えたのだが、その答えに対して彼女はなんともつまらなそうな声で返してきた。
もう何が何だかわからない。
「同意するんだ」
「…は?」
「私の言った事、何とも思わないんだ」
思ったさ、色々と。
それこそ初めて感じた感情を抑えるのに必死で、問いに対する返事さえ曖昧なモノになってしまうくらい。
だが志野さんは酷くつまらなそうな顔をしていて。
「そうやっていつも他人の意見に従っているだけで、自分で何か決めようとしない」
「……何だよ」
確かに俺はあまり意見は言わない方だ。
それは目立ちたくないってのもあるし、あまり自分の意見に自信がないってのもある。
話す志野さんの表情はやはり感情を映しださない。
若干つまらなそうな、何か失望したような、そんな表情。
何故そんな顔をしているかはわからないが、彼女はそんな『嫌な感じの』表情で淡々と言い放った。
「ねぇ、夕姫」
「…何?」
「そんな風にいつまでも中途半端な顔をしているのだから」
顔?
今の俺は、どんな表情をしているのだろう。
「だから私は、あなたが嫌いよ」
知らぬ間に爪の食い込んでいた拳は、血が滲んでいた。
風呂場の鏡で自分の顔を覗いてみる。
別に自分をカッコイイだなんて思ってはいない。そんなナルシスト野郎はまず嫌われるだろう。
ただ、昼間に会った志野さんの言葉が若干引っかかっただけ。
『そんな風にいつまでも中途半端な顔をしているのだから』
中途半端な顔、というのはどういう事だろう。
捉え方次第によってはとても失礼な事ではあるがあの志野さんが、しかもあの空気でそういった意味合いで言ったという事はないだろう。
たぶん。
いやでも彼女は俺の事が嫌いって言っていたし。
そもそも『中途半端な顔だから嫌い』って実はかなり失礼な事なんじゃないだろうか。
たぶんそれだけでも怒っていい要素はあるよね。
まぁ、そんな気にはなれないんだけれど。
ただ、自分が中途半端というのはわかる。
ボクシングができなくなってからは何をしても真剣にできず途中放棄。そんな事ばかりだったから。
そんな俺だからこそクラスでも目立たないように、他の人の意見に便乗するような生活を送っていた訳だけど。
それは、いけない事なんだろうか?
誰もがみんなの前に立てるようなカリスマ?のようなものを持っている訳でもない。
俺みたいに今まで持っていた目標をなくしてしまった人だっている。
そんな集団生活の中で全員にそれを求めるのは酷な事じゃないか。
いや、今の俺の心情で重要なのはそんな事じゃないんだ。
志野さん。
彼女の話していた『夢を諦めた』といういう事、問題はそこだ。
俺だって諦めたかった訳じゃない。できればずっと続けていたかった。
だからこそ夢だったし、夢で終わってしまったんじゃないだろうか。
そこまで考えて気がついた。
なんだ、そういうことか。だからあの時の感情を抑えきれなかったんだ。
俺の場合は『諦めた』んじゃない。『諦めるしかない』だったんだ。
そして志野さんの場合は『諦めた』。
何より彼女は俺と自分が同じだと言った。
彼女に何が会って、何を思い諦めたのかは知らないけれど、それでも自分で諦めたって事だ。
自分から諦めたか、諦める以外の道が無かったか。
同じ諦めるでも、かなり大きな違い。
だからこそ俺はあの時『憤慨』していたんだ。
今思えば、あそこまで何かに怒りの感情を示したのは初めてだ。
事故の時だって怒りよりも絶望の方が大きかったし。
だがこれでわかった。
志野さんのあの表情も、俺にだけ話してくるのも。
だから……。
「俺も、志野さんは嫌いだ」
うん、嫌いだ。
でも俺は、誰かを嫌いなまま一年間を過ごすのは嫌だ。
だから、多少の無茶をしてでもこちらから動くしかない訳で。
まぁ…、そういった訳で。
明日からはしばらく平穏な学生生活はできない気がした。
課題をやりながらチマチマと書いてました…。
少し急ぎ足かもしれないですがこんな感じで行きたいと思います。
何か感想・意見がございましたらお願いします。歓迎です。
もっと文才がほしい……。
誤字があったので修正しました。(6/21/22:22)