【第一章】入学と親友と再開
季節は春。
月で言うと四月。
中学時代の必死の受験勉強により試験に合格した俺は、真新しい制服を身に着け、今日から母校となる高校へ向けてやや急な坂を下っていた。
遠くに見える海から運ばれた潮風が前髪を攫い、瞑ったままの右瞼をくすぐる。
周りには何人か同じ高校に向かっているであろう生徒の姿が見える。
制服が同じだから一緒だろう。
といっても男子の制服は学ランなので別の学校でもわからないとは思うけれど。
でもこの辺りの地元の人たちは大体が同じ学校なので間違いないと思う。
別の学校に行くとなると駅で電車に乗らないといけないので、遅刻の生徒以外同じ時間に鉢合わせる事はないらしい。
その辺、地元の学校だと登校に余裕が持ててありがたいと思う。
家からだと少しばかり距離があるが、優雅に歩いて登校できるのは大きなメリットだろう。
「ユウ」
坂を下りきった所でよく聞きなれた声に呼び止められた。
声のした方を向くと、中学一年以来の親友がいつものすまし顔で近づいてくる。
「よう弘一、おはよう」
「あぁ、おはよう」
木下弘一。比較的少ない俺の友人の中でも親友と言える存在。
出会ったのは中学の時の入学式だった気がするが、どうだったかな。
「うん、今日も晴れてよかった」
「そうだな」
何気ない俺の一言に短く返しながら、弘一は俺の右隣りに並び歩き始める。
俺と歩く時弘一はいつも右側。
コイツは本当にそういった細かい所に気を配る事ができる。
弘一が俺の右に並ぶ理由は、別に弘一が右側大好き人間だというわけではない。
俺は右目が見えない。
比喩表現ではなく実際に見えないのだ。
昔、といってもホンの1・2年前の事だけど、俺は右目を失明した。
原因は交通事故。
信号無視した自動車が突っ込んでくるという、何とも笑えないようなお約束的事故で俺は大きな怪我をしてしまったわけだ。
当時は凄まじかった。
右腕も骨折やら筋肉断裂やらで酷かったけれど、それ以上に右目が見えなくなったことはショックが大きかった。
実は当時、事故が起きるまでは俺はボクシングの選手だったりした。
自慢じゃないけれど、実力はあった方。
小さい頃に親戚のプロボクサーの人に教えてもらってからずっと、それこそ俺の人生の全てを捧げてもいいなんて勢いで練習してた。
周りからも将来プロ確定だとか、中学にボクシング部があれば学生チャンピオンだったとか、今思えばそんな評価を受けて若干舞い上がっていたかもしれない。
当然高校もスポーツ推薦でボクシングの名門校に行く予定だった訳だが・・・。
そんな事を思っていた中学二年の頃、事故にあった訳で。
右目も見えないし、右腕も無理な動きはできなくなった訳で。
当然医者からはもうボクシングは続けられないと言われてしまった訳で。
その時、プロになるのが自分の夢だったと自覚して、時間も忘れるくらい泣いて暴れて騒いだ気がする。
後になって知ったんだが、その時色々な処のボクシングジムや格闘技の道場で『天才事故に散る』なんて噂が流れたと聞いて本気で驚いた。
でまあ、弘一はその時ろくに動けない俺の世話とかもしてくれた。
何故弘一が?っていうのもあるが、片親で親父もいつも忙しい俺にとっては非常に助かった。
まぁ、あの時はかなり荒れていたから迷惑の掛けっぷりも半端ではなかったと思うのだが。
で、リハビリも終わって無事退院してからも、さりげなく見えない右側に立ってくれたりと気配りしてくれるわけだ。
そりゃ親友とも呼びたくなるね。
因みに親族やボクシング関係以外で右目が見えないのを知っているのは弘一と学校の先生達だけだ。
「同じクラスだといいな」
「そうだな」
俺の言葉に、やはり短く返事をする。
いつも冷静で周りの状況をしっかりと見極められる。
勉強も運動もできて、しかもそれを鼻にかけたりしない。
そして細かな気配り。
偶に、何でこんな完璧な奴が俺の親友でいてくれるのか疑問に思う。
本人曰く『俺は完璧なんかじゃない』だそうだが、どうだか。
因みに背は178cmと高いし顔も悪くない。
やっぱり完璧じゃねぇか、と何度呟いた事か。
「高校デビューねぇ・・・」
「実感が湧かないか?」
「そりゃあ、まぁ、制服も変わらず学ランだし?」
「確かにな」
親友となんて事の無い会話をしながら通学路を歩く。
こんな時間が、今は何より気分が良かった。
「弘一、何組だった?」
「ユウも俺も、同じ3組だ」
クラス訳の名簿を見に行っていた弘一が戻ってきたので、結果を聞いてみた。
運よく同じクラスみたいだ。
「って事は、少なくとも後一年は同じクラスって訳だ」
「そうなるな」
思えば中学の時から数えて4年目だ。
コレって結構凄い事じゃないかな?
「まぁ、改めてよろしくな」
「あぁ」
なんとなくそんな気分になったので弘一に握手を求めると、直ぐに返してくれた。
その後二人して教室に向かう。
お世辞にも新しいとは言えない、でも古めかしいとも言えないような、なんとも中途半端な貫禄を漂わせている校舎。
今日から俺たちが通うことになった学校、市立町枝高等学校。
町枝っていうのは特に特別な意味があるとかじゃなくて、単に此処の市の名前が町枝市ってだけな訳で。
町枝市は海と灯台が象徴的な田舎町だ。
ちなみに町枝の海は遊泳禁止、波が荒いのだ。
そんな処に建てられているこの学校は地元暮らしの生徒が多い。
つまり中学の時の同級生が多いのだ。
教室を見つけ中に入る。
席は決まっていないようなので、適当な場所に座って待機。
中学時代のクラスメイトと挨拶したりして時間を潰していた。
高校生になったものの、特にやりたい事も目指す目標もない。
というよりも、何かをする意欲がない。
まぁ、適当に平和な日常を謳歌できればいいかな、と楽観している訳だが。
やることもないのでボーっと窓の外を眺めていると、教卓側のドアが開く音がした。
先生が来たかと思い顔を上げると、そこにはどこかで見たことがあるような女子がいた。
長い髪、整った顔立ち、見覚えがあるのだが…、はて、何だっけ?
じっと見ていると向こうと目が合った。
「あっ…」
「?」
女の子の方は俺を見ると小さく声を上げた。
何だろうあの表情。
俺の顔に何か付いているのだろうか。
彼女は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに何事もなかったかのように近くの席に座った。
そのあとも、あの驚いた表情が気になって自分の顔を触りまっくっている内に先生が来てホームルームになった。
先生の指示に従い体育館へ移動、入学式が始まる。
校長や教育委員会の人のありがたいお話を聞き流している内に気づけば式は終了。
教室に戻ってまたもホームルーム。
ここで全員の自己紹介となった。
俺も適当に無難な挨拶をすまして他の奴らの紹介を聞く。
そして次はあの見覚えのある女の子の番だった。
「志野一香です、東京の方から町枝に引っ越して来ました」
これは驚いた。
町枝は東京に比べたら田舎町もいいところ。
そんな処に引っ越してくる人がいたとは思わなかった。
「志野さん、趣味とか特技とか何かないかな?」
紹介があまりにも簡単すぎたからだろうか、先生が問いかける。
だが、その志野さんは
「特にありません。興味のあるものもないです」
バッサリと切り捨ててくれた。
「あなた」
「ん?」
ホームルームも終わり、またもボーっとしていたら急に話しかけられた。
誰にって?あの見覚え少女、志野一香さんにだよ。
「あなたも同じ学校だったのね。しかも学年やクラスまで」
「…おう?」
どうやら俺と志野さんは顔見知りらしい。
しかしいつ、何処で会ったんだっけ?
いかん、思い出せない。
「……もしかして覚えていないの?」
「……申し訳ない」
「はぁ…」
呆れられた。
いや待てよ、このなんだかよく分からない上から目線的な話し方。
どこかで……。
「…あぁ!テーブル岩のエスパー少女か!」
「…何、その覚え方」
第一印象で覚えていたら怒られた。
しかし一度思い出せばはっきり分かる。
入学前に一度だけであった見知らぬ少女。
それが志野さんだったんだな。
「あなた、さっきの自己紹介で何かをするやる気がないって言っていたけど」
「え、あぁ、言ったね」
確かそんな感じのことを言った気がする。
事実だし無難だろう?
「何かあったの?」
「……何かって?」
何故彼女はそんな事を聞くのだろうか。
問いかける志野さんの顔は、何か悩むような、やり切れないような表情をしている。
「…いえ、何もないなら別にいいの」
「……」
何もない、と言ったらまぁ嘘になるのかもしれない。
事故でボクシングを失ってからは何に対しても必死になれなかったし、試しにやってみても長続きなんかしなかった。
だから彼女の問いに対する答は持っているわけだけど。
だからと言って右目の事を話す気にはなれない。
そりゃそうだろう。初対面ではないにしろ弘一のように仲の良い友達というわけではないのだから。
「志野さん」
「何?」
だからこの話はこれで終わりだ。
うだうだ悩むのはもう嫌だし、何より周りに迷惑をかける。
だったら新しい学校での生活を気楽なままに過ごしていこう。
「これからよろしく」
「え、あぁ、うん」
いきなり言われたからだろうか、少し詰まった返事。
だがすぐに気を取り直すと、志野さんは改めて俺に向き直った。
「……」
「…、何?」
「あなた、名前は?」
「さっきの自己紹介聞いてたんじゃないの!?」
内容は覚えているのに名前を覚えていない、というよりも聞いていないとは…。
いやまぁ、俺も人の名前とか覚えるのは苦手だけれども。
「大津だよ」
「大津……、下の名前は」
聞くんだ。
あまり言いたくないからあえて言わなかったのに…。聞くんだ。
いやまぁ、いいんだけれどさ。
でもさっきの自己紹介の時だって初対面の人みんながするいつも通りな反応をたくさんもらった訳で。
要はあまり言いたくない訳で。
「…?どうしたの?」
「えぇ、いやぁ、まぁ」
志野さんは何を言い渋っているのかわからない様子。
というか本当に聞いていなかったんだね。
「…夕姫」
「え?」
「…大津夕姫が俺の名前だよ」
「夕姫…」
名前を聞いた志野さんは少し考えている様な間の後
「女の子みたいな名前ね」
一番気にしている部分に遠慮なしで突っ込んできた。
泣きたい。
そうさ、そうさ、そうですよ!女の子みたいな名前だから言いたくなかったんですよ!
姫だよ姫!?いやホント名前見ただけで俺を男と思った人にいまだに会った事がございません!
これが今の俺が一番気にしている切実な問題かもしれない。
だから俺の事を呼ぶ時は『ユウ』って呼ばれるか『大津』って呼ばれるかなんだ。
それなのに……。
「じゃあ、またね夕姫」
今日俺は初めてクラスメイトにファーストネームで呼ばれました。
志野さんは別れを告げるとそのまま振り返る事なく帰って行った。
今日一日、というか今話しただけでだけど。
絶対に志野さんは性格悪いと思う。
だって夕姫って呼んだ時若干笑ってたし。
「帰るか…、どうしたユウ?」
「……弘一」
やって来た弘一に話しかける。
「……何で姫なんだろうな」
「……」
俺の問いに弘一は、軽く肩を叩くだけで答えを返してはくれなかった。
初日から今後の高校生活に不安を感じる一日になってしまったかもしれない。
各キャラクターの名前といくつかの設定が出てきました。
実力不足でうまく表現できてないかもですね…。
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