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SHIBUYA

SHIBUYA・Origin

作者: 藤風大地
掲載日:2026/03/19

無音。

それが、今の俺の世界の基本原則だった。

漆黒の虚空に、仄青い光のラインが幾何学的なグリッドを描いてどこまでも伸びている。物理法則も、空気の抵抗も、温度すら存在しない純粋なデータと演算の海。

かつて都市のすべてを支配していた『ミラ=コア』の中枢ネットワークの残骸であり、今はAIユニット・ナンバー001となった俺、ハヤミ・トオルの居場所だ。

カツッ、カツッ、カツッ……。

静寂の世界に、硬質な足音が響く。

電子体となった今の俺に、肉体はない。歩く必要もなければ、足音を鳴らす空気の振動も存在しない。ただの演算処理のプロセスでしかない移動を、俺はあえて「歩行」という形にコンパイルし、脳内に残る足音の記憶を音声データとして再生させていた。

俺が、かつて人間であったというちっぽけな証明。そして、今も地上で泥臭く生きている彼女――アオイと、同じ感覚を共有していたいという未練のようなものだった。

光のグリッドを歩き続けると、やがて空間の中心に巨大なモノリスのような電子モニターが浮かび上がった。

俺は歩みを止め、見上げる。

旧ミラ=コアの深層データベース。ゼウス・ヴェールが崩壊した今も、厳重な暗号化の奥底でひっそりと眠り続ける『世界の記憶アーカイブ』だ。

俺は右手を持ち上げ、虚空に触れた。

指先の座標情報にリンクして、青白い光を放つタッチパネルと、旧式の物理キーボードのホログラムが展開される。思考するだけでデータにダイブすることは可能だが、俺はあえて十本の指をキーボードに添えた。

カタッ、ターン。

タタタタタタタタッ、ターン。

無機質な空間に、キーを叩く乾いた音と、コンソールが返す「ピッ」という電子音だけが規則的に響き渡る。

検索クエリに打ち込んだのは、約一世紀前。

この『シブヤ』という街が、いや、ミラ=コアという一介の企業が、いかにしてこの狂った世界を創り上げたのかという、原初の記録オリジン・ログへのアクセスコード。

アオイは今、地上で必死にこの街を再建しようとしている。

なら、俺は知らなければならない。

あの神を気取った企業が、最初から狂っていたのか。それとも、狂わざるを得なかったのか。歴史の過ちを知らなければ、本当の意味でこの街を救う盾にはなれない気がしたからだ。

『パスワード・アクセプテッド』

『アーカイブ【GENESIS:The Great Calamity】のロックを解除します』

無機質なシステム音声と共に、巨大なモニターにノイズが走り、色褪せた映像が浮かび上がる。

それは、世界が焼け落ちた日の記憶だった。

キーを叩く俺の指が、ピタリと止まる。

モニターの光が、電子体である俺の瞳を青く照らしていた。

――そこにあったのは、純粋な地獄だった。

空を覆い尽くす無数の光条。流星群のように降り注ぐそれは、星の瞬きなどではなく、大陸間弾道ミサイルの軌跡だった。

地表で次々と咲き誇る、不気味なほど巨大なきのこ雲。核の炎が都市を舐め尽くし、コンクリートの摩天楼がまるで飴細工のように溶け落ちていく。

音声記録はない。ただ無音のまま、世界が物理的に破壊されていく映像が淡々と再生され続ける。その無機質さが、かえって事の異常性を浮き彫りにしていた。

記録のタイムスタンプが少しだけ進む。

核の熱波が去った後、今度は静かなる死が世界を覆い始めていた。

空は分厚い灰の雲に閉ざされ、そこから降り注ぐのは放射能を帯びた黒い雨だけではない。各国の軍が報復として散布した、致死性の生物兵器だった。

緑の霧が街を這うように広がり、吸い込んだ者たちは肺を焼かれ、血を吐いて路上に倒れ伏していく。皮膚が爛れ、眼球が濁り、人間としての原型を失っていく様が、容赦のない高画質で記録されていた。

「……これが、始まりか」

俺は思わず呟いた。

電子の身体であるはずなのに、背筋に冷たいものが走るような錯覚を覚える。

世界大戦。人類が自らの手で、この星を住めない場所に変えた日。空気が猛毒に変わり、水が腐り、大地が死んだ。

生き物として生存できる限界をとうに超えた混沌の時代。

だが、モニターの映像が切り替わり、日本の『シブヤ』周辺の空撮映像が映し出されたとき、俺はわずかに目を細めた。

周囲の関東一帯が焦土と化し、緑の毒霧に沈んでいる中、シブヤのその一画だけが、まるで目に見えないドームに守られているかのように被害を免れていたのだ。

『ミラ=コア社、生存空間シェルタープロジェクト稼働率99%』

『第一期避難対象者の受け入れを開始』

テロップと共に映し出されたのは、のちの「ネオン・レイヤー・タワー」の基盤となる、巨大で堅牢な地下・地上複合型要塞――シェルターの入り口だった。

重厚な防護壁の前に、黒塗りの装甲車や専用のヘリコプターが次々と到着する。降りてくるのは、仕立ての良い防護服に身を包んだ各国の政府高官、政治家、そして多国籍企業のトップたちだった。

彼らは怯えた顔で、しかしどこか特権階級としての安堵を浮かべながら、巨大なゲートの中へと吸い込まれていく。

そのすぐ外側、防護壁の向こうでは、汚染された空気にむせ返り、皮膚を爛れさせた一般の市民たちが「中に入れろ」「助けてくれ」と暴動を起こしていた。

だが、ミラ=コアの私兵部隊は彼らを無感情に銃撃し、あるいは火炎放射で焼き払っていく。

表向きは「人類を救済する最後の楽園」。

だがその裏事情は、想像以上に醜悪だった。

ミラ=コアは、この世界大戦の勃発をあらかじめ予測していた。あるいは、生存空間の価値を高めるために、裏で戦争の引き金を引くよう誘導すらしていたのかもしれない。

彼らが用意した箱舟の乗船チケットは、「金」だった。

莫大な資産、あるいは企業にとって利用価値のある技術。それらを対価として差し出した者だけが、この狂った世界で「生き残る権利」を与えられたのだ。

映像の中で、ミラ=コアのロゴが入った白衣を着た男たちが、ゲートを通過する権力者たちに冷ややかな視線を向けていた。

あの時、逃げ込んだ政治家たちは気づいていなかったのだろう。

金を積んで楽園の切符を買ったつもりが、自分たちはすでに「命の綱」を一つの企業に握られた、ただの哀れな人質に成り下がっていたということに。

映像のタイムスタンプが数年飛んだ。

モニターに映し出されたのは、シェルター内部に作られた豪奢な円卓会議室だった。

そこに集まっていたのは、各国の生き残りの首脳陣たち。彼らは熱弁を振るい、新しい世界のルール作りについて議論を交わしていた。「人類復興のための新政府設立」「各国の権利の再分配」。

表向きは、多様な人種と権力が入り混じった新しい平和の構築だった。だが、彼らが口にしていた『平和』とやらが、いかに薄っぺらなものだったかは、続く数分の映像で残酷なまでに証明される。

「――お遊戯はそこまでにしていただこうか」

会議室の扉が開き、一人の男が入ってきた。ミラ=コアの当時の最高責任者だ。

彼は円卓の中心にホログラムを投影した。そこに表示されたのは、シェルターのエネルギー残量、水質浄化システムの負荷、そして疑似食料プラントの稼働限界を示す赤いグラフだった。

資源の枯渇。

外の世界が死に絶えた以上、この箱舟の中の資源もまた、有限でしかなかった。

「お前たちの持つ旧世界の貨幣も、金塊も、国家の威信とやらも、今この空間では何一つ価値を持たない。……水一滴すら生み出せないのだからな」

「なんだと……! 我々を誰だと思っている!」

「ただの『消費者』だ。我々ミラ=コアのインフラがなければ、一時間と生きられない脆弱な肉塊に過ぎない」

激昂する政治家たちを前に、ミラ=コアの代表は冷酷に言い放った。

反抗しようとした一人の大統領らしき男が、突如として喉を掻き毟り、その場に倒れ伏した。彼が身につけていた生命維持用のバイタルチョーカーのロックを、ミラ=コア側が遠隔で締めたのだ。

静まり返る会議室。

彼らは理解した。生きるための空気も、水も、光も、すべてはこの企業に握られている。逆らえば死ぬ。国家という巨大な権力が、一介の企業に完全に呑み込まれた瞬間だった。

これこそが、絶対的統治国家『ミラ=コア』の誕生。

彼らは世界のリーダーたちを飼い慣らし、自らが新たな神となる準備を終えたのだ。

だが、神と崇められるには、畏怖だけでなく『救済』が必要だった。

箱舟の資源が枯渇していく中、ミラ=コアは「外部」の汚染領域を利用する必要に迫られた。新たな資源の採掘、危険な毒霧の中でのプラント建設。それを行うための『使い捨ての駒』が必要だった。

彼らの矛先は、シェルターの外で死にかけていた者たち――下層の貧民たちへと向けられた。

映像が切り替わり、防護壁の外側、酸の雨が降るバラック街が映し出された。

泥と吐瀉物にまみれ、病に苦しむ人々の前に、ミラ=コアの巨大な輸送ドローンが降り立つ。中から運び出されたのは、食料、抗生物質、そして――無骨な金属の腕や脚、人工肺などの『機械化サイボーグパーツ』だった。

『生き残りたいか』

無機質なスピーカーからの問いかけに、這いつくばった人々は涙を流してすがりついた。

本来は軍事転用されるはずだった、痛みを伴う強引な義体化手術。生身の臓器を捨て、神経を機械に繋ぐというおぞましい行為。

だが、毒霧の中で呼吸ができず、飢えに苦しむ彼らにとって、それは狂気ではなく『唯一の光』に見えたのだ。

麻酔も不十分なまま、路上で機械の腕を取り付けられた男が、血まみれの顔で笑っていた。

汚染された空気を人工肺で濾過し、数日ぶりに深く息を吸い込んだ少女が、ミラ=コアのロゴが刻まれたドローンに向かって祈るように両手を合わせていた。

機械化すれば、過酷な外の環境でも生きられる。

身を粉にしてミラ=コアのために働けば、わずかな食料とエネルギーが配給される。

人間としての尊厳を捨て、肉体を機械に明け渡した彼らは、その事実を『救済』だと信じ込んだ。自らを搾取する絶対者を、命を繋いでくれる『神』だと崇め始めたのだ。

そして、その噂は絶望の淵にいる生存者たちの間で瞬く間に広がっていった。

『ミラ=コアの洗礼を受ければ、生き残れる』

魅入られた者は神を崇めて過酷な労働の中で死んでいき、あるいは神を崇めて生きながらえていく。

こうして、下層に蠢くサイボーグたちの群れと、上層で彼らを支配する神の街『ネオン・レイヤー』の基礎が完成した。

「……狂ってる」

俺はキーボードから手を離し、暗い目でモニターを睨みつけた。

これが、シブヤの歴史。

平和など最初からなかった。あるのは、人間の生存本能に付け込んだ悪魔の契約だけだ。

俺は再びキーボードに指を這わせる。

乾いた打鍵音とともに、システムにひとつのコマンドを打ち込んだ。

『アーカイブ・デリート』

この忌まわしい記録は、これ以上誰の目にも触れさせるべきではない。過去の亡霊が、これから新しい街を創ろうとしている彼女たちの足枷になることだけは避けたかった。

ピィッ、と警告音が一度だけ鳴り、モニターに映っていた色褪せた地獄の映像が砂嵐に飲み込まれて消滅する。

俺は静かにその場から背を向けた。

靴音が再び、無音の空間に虚しく響き始める。カツッ、カツッ……。

ミラ=コアは、生き残るためという大義名分を掲げて人々を支配し、そして狂っていった。

だが、今のシブヤにはアオイがいる。

彼女は支配者ではなく、人々と共に歩む道を選んだ。あの日、俺を地獄から救い出してくれたように、今度はこの街全体を救おうとしている。

なら、俺がすべきことは一つだ。

二度と、あんな悲劇は繰り返させない。ミラ=コアの二の舞には絶対にさせない。俺が、彼女を……このシブヤのたったひとつの希望を、最期まで守り抜く盾になる。

その決意を胸に、果てのない光のグリッドを歩き続けようとしたその時だった。

『――トオル? ねぇ、トオル?』

虚空に、不意に声が響いた。

それは無機質なシステムのアナウンスでも、過去の亡霊の囁きでもない。外部と接続された通信デバイスから届いた、俺が世界で一番よく知っている声だった。

張り詰めていた電子の心臓が、ホッと温度を取り戻すのを感じた。自然と肩の力が抜けていく。

「ああ。聞こえてるよ」

俺は立ち止まり、暗闇の先――彼女がいるであろう地上の空を見上げて、ふっと笑みをこぼした。

「どうした、アオイ」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


本作は、拙作『SHIBUYA・Reboot』の前日譚として執筆いたしました。

なぜ世界があの形を選んだのか、ハヤミ・トオルという一人の男が何を見ていたのか。その「始まり」の断片を感じていただけていれば幸いです。


最後までお読みいただきありがとうございます!

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