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無題

作者: 姫魚
掲載日:2025/11/01

丑三つ時。

辺りは山と田んぼと畦道。

浪人は街道で眠っている。

そこに温かい風を目元で感じ、覚ます。

外は冷たい。

擦り、視界を綺麗にする。

目の前におでん屋があった。

こんな場所で開いても客は少ない。

それでも浪人、まだ眠い体で暖簾をくぐる。

「…大根とちくわ、それと、こんにゃく。カラシつけて。あと、熱燗。」

「へい。」

恵比寿とか大黒天のような中年の店主は、慣れた手つきで品を皿に盛る。

喋らない。話すこともない。

「お待ち。」

浪人の前に皿が置かれた。

寝起き数分では、特段美味しそうとも思わなかった。

とりあえず大根を半分に割り、中身の汁と合わせる。その間に辛子を溶かす。

「お侍、何者だい?」

いきなり店主が発した。

「…」

無視して食べる。

大根の細かな繊維に汁が浸透している。

「あんた、どこのもんだい?」

店主がまた聞いてきた。

「…忘れた。」

浪人が初めて話した。

「そうかい。」

店主が返事をすると、数分の沈黙になった。


「あんた、暇かい?」

浪人がちくわの半分まで食べた時、店主が呟いた。

「…」

何も、言わなかった。

「そうかい…。」

店主も続きを言う気はなかった。


食べ終わった浪人は、金を出した。

店主はそれを受けとる。

「では。」

浪人は暖簾から出ようとする。

「待ってくれ。」

店主は言った。

「あんた、俺と一緒に来る気はないかい?」

それを聞いた浪人は振り返る。

「出せるもんは少ないけど、生活は今より楽にしてやるから。」

「…」

浪人は少し考えた後、また席に着いた。



「どこまでだ?」浪人が聞くと、

「宝の山まで。」と店主返した。

浪人はそれで納得した。

宝の山とは俗称であり、本来は薬草に使われる数多の植物の自生地だ。

そこを殿様が観光地として仕立てた。だから麓では屋台で溢れているらしい。

あと少しすれば稼ぎ時だ。

この店主もそれを狙っているのだろう。

ここからならそう遠くない。

それまで用心棒として、浪人は前払いを手にした。


まだ太陽は昇らない。

2人は関所に着いた。

「まだ時間ではない。それまで待機するように。」

門前で、屋台は止まった。

「あんた、おでん屋なんだろ?一杯いいだろ?」

待機していたな役人達がそそくさと座った。

「卵とがんも!」

「白滝、はんぺん。あと餅巾着ある?」

「練り物全部一種ずつ。」

「もちろん酒は全員分ね。」

「はいはい。」

店主はニコニコしている。

その裏で浪人は、門番に捕まっていた。

「手形は?」

持っているのかと2回聞いているのに、返事をしない。

「なぜ黙る?さぁ出せ。」

それでも黙っている。

「いつまでお前は笠を被っているのだ。」

浪人はこれまで笠をつけて行動していた。

「外せ。」

これも無視する。

怒りが募った門番は強引に笠をとる。

寝ていた。浪人は眠っていたのだ。

「!!」

驚きの方が勝っていた。

浪人のことを知っていたのだ。

とりあえず門番は、今目にしたこと、記憶を確認する。

彼の懐に手形はあった。

それで、よしとした。


「おやじ、最近心中があったの知ってる?」

「ああ、そんなのもあったな。」

「藩の御家騒動に巻き込まれて、家財もろとも外に出して、払うもんなくなってそのままドボンってか?」

「そういうゴタゴタってのはかなり金も人もかかるって言うもんな。」

「その点、ウチの殿様は若い後継ぎがいるからまだマシだな。」

「そうじゃなくて。そこで本当に死んだのは女の方だけだって言うんだ。」

「ああそう。じゃあ亭主は今頃どうしてんだろうね。」

「俺の処に入って来たくはねぇな。」

「あのな、生き残りの侍は貧乏神じゃねぇんだから。」

「貧乏神の方がいいよ。ありゃ死神だ。」


日が昇り、門は開く。

「ちょっと!そんな赤い顔を奥さんに見せたら、引っ張たかれますよ!」

夜勤の男達は見事に酔い潰れ、交代の新人達に引き摺り下ろされる形で席を離れた。

「んじゃ、行きますか。」

おやじは浪人に目を合わせ、一緒に屋台を引っ張ってる。

「道中、お気をつけて。」

普段から偉そうな門番が、浪人の顔を見たせいで畏まっている。

「…」

浪人は特段、気にしてもいなかった。


門を抜ければ一本道。なのだが、

「ちょいと通りたいとこがあるんでぇ。」

親父はそう言って、山近くの港に着いた。

「練物を補充しときたくてね。」

そう言いながら、親父は屋台を開いた。

「ここの練物オヤジとは仲が良いんだよ。」

開けたというのに、浪人に屋台を任せ、親父のとこに行ってしまった。

その間、浪人が仕切ることになった。

幸い、御客が少なかったので、焦らずに提供することができた。


「ごめんくださーい!オヤジさーん!」

練物屋の長屋の戸を引く。

「ありゃあ、文夫さん!」

中にいたのはオヤジさんの奥様だった。

そして奥様は、おでん屋の親父の本名、

松野屋文夫

を知っている。

「あれ?オヤジは?」

中には奥様しかいない。

「…あぁ」

今まで愉快な顔ばかり見せていた奥様の顔が、暗い顔をしている。

「…そうかい。」

それだけで理解できた。

「すまんね、焼香1つもやれないで。」

親父の声色が小さくなった。

「…いいんですよ。あの人が決めたことなんですから。」

奥様の声は低いが、落胆しているという訳ではない声だ。

「でも練物はあの人と一緒に作ってきましたか

ら。」

「…じゃあ、ちくわとかまぼこ、つみれと。」

「はいはい、ちょっと待ってください…ええと、

なんでしたっけ?」

奥様は急いで台紙の側に向かい、商品の名前と数を確認した。

「出来立てが一番でしょ?」

それに返事をする親父。

「…ええ、もちろん。」

こんな会話をオヤジと何度もやってきた。


「奥様。あの人の最期はどんなだったい?」

「…綺麗な死に方でした。」

「綺麗な?…てことは旦那、切腹かい?」

「ええ、そうですよ。」

「…そうかい。」

親父が耐えていた涙がさらりと流れる。

「すまねぇな、俺のせいで。」

「ああ、あなた様は悪くないんです。」

「そんなわけがねぇ。あの人は俺が殺したと言っていいんだ。」

「やめてください。不味くなります。」

そう言うと、親父は話さなくなった。


「これで腹いっぱいになってくださいね。」

奥様は頼まれた練物を親父に渡した。

「ありがとね、とねさん。」

親父ははじめて奥様の名前を言った。

「こちらこそ、ありがとうございました。」

とても深い礼で奥様は返してくれた。

振り返るのが心苦しかった。それでも、浪人と屋台を放り出したくはなかった。

一息で振り返れば、一目散に戻っていった。

「悪いね、あんた。」

「…蒲鉾とごぼ天が切れた。」

それを言われて親父は、頼んだ練物をつゆのなかに入れていった。


「じゃあ行こうか。宝の山へ。」

結局、屋台が閉まったのは夜になった。

そこから道を通ること数時間、浪人と親父は宝の山の麓まで来た。

噂通り屋台が立ち並んでいたものの、今のような日が変わる頃合いでは、閉まっている数の方が多い。


「…では。」

「まだだよ。」

親父は浪人が去ろうとするのを止めた。

「ここからだよ。」

「?」

「登るんだよ。」


宝の山の麓には開閉の管理がない。

したがって、登りたい時はいつでも登れる。

その名前の通り、少し登っただけで薬草や高山の花であふれている。

中身は空だ。そもそもおでん屋台は山登りに向いてない。

浪人は後ろから押し出すように登っている。

「ここから斜面が緩くなるからな。そろそろこっちに来てくれないかな?」

浪人は親父の隣についた。

「…お主、なぜおでん屋を?」

ここにきて、浪人は初めて親父に質問をした。

「…やっとそれを聞く気になったかい?」

「?」

浪人は寒気がした。まるで親父が自分との出会いを待っていたようだ。


「お前さん、あの御家騒動あったとこの侍だろ?」

「…」

次に出る言葉が、浪人に見つからなかった。

「事の発端は藩主が溺愛していた後継者が死んだとこからだ。藩主の子供達は娘しかおらず、よそからの養子を後継者とするしか存続の道はなかった。

「…ああ。」

浪人は事実確認として、親父の話を聞いている。

「そんな後継者が、病にかかって死んだ。それは事実だ。だがな、あれは治せたんだ。」

「!?」

浪人が今まで知られなかったことだ。

「薬が出来てたんだ。だが、それを藩まで運ぶ途中、何処かに忘れてしまったのだ。」

「…忘れた?」

浪人も気が動転している。

「探したさ。何日もかけて。やっと見つけて、藩に来た時には…」

「…。」

「そして、その後継者の世話をしていた女がいたな。」

「?!」

浪人は核心をつかれた顔をした。

「その女も後継者を愛していた。たしか、その前年に自分の子供を流産したんだっけな。」

「…!」

浪人の心の中で、熱いものが溢れてくる。

手に入れられたはずのもの、続くことが出来たもの。戻れない無力感、それゆえの憤り。

浪人は親父に顔を合わせる。

「あんた、初めて俺と顔が合ったな。」

浪人は自覚していた。

その事件以来、人との関係というものに面倒になっていた。

だから目を合わせることで、その人との物語が展開されることに怯えていた。自分が不幸になりたくないがために。


それでも言葉が繋がることはなかった。

自分の藩の後継者を実質的に殺した男と共に、宝の山を登っているという不気味さが優っている。

「…なんでおでん屋を始めた?」

浪人が口を開いた。すると親父も語る。

「俺は昔から料理に自信があってな。何かと腹が減ったらすぐに振る舞っていたのさ。

そんときの後継者と女中が一番気に入ってたのが、おでんだったのさ。」

「…なぜ宝の山へ?」

「俺はこの藩の医者の家だ。ここは幼い頃から色んな薬の勉強になった。そして、俺の一番綺麗だと思う景色だ。」


頂上についた。

浪人と親父が出会ったのもこの時間帯だった。

「お前さん、腹減ってるかい?」

親父が浪人に訪ねる。

浪人はそのまま席についていった。

「待ってろ。火を着けるから。」

2人はそのまま食べ始めた。

客がくることを想定していない。

2人はただ、あったかいおでんと酒を飲むことで、何かを清算した気でいた。

平らげるのは早かった。

それくらい腹を減らしていた。


「さて、と。」

親父は屋台から少し離れ、近くに石に座った。

「ここから見える風景が、この世界で一番綺麗なんだ。」

その後ろで、浪人が立った。

「…楽しかったか?」

「あぁ。」

「…もう後悔はないな?」

「ここまで来たんだ。朝焼けなんていらないや。」

そう言って親父はスッと首をあげる。

その間を見逃さなかった浪人は、一息に抜刀した。

さらりと落ちた親父の首は、満面の笑顔だった。

浪人は刀をしまう。

少しだけ心が軽くなったのが分かった。

そのまま夜明けを迎えることなく、浪人は常に服用していた睡眠薬を全て飲み込み、目を閉じた。
















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