大人の飲み物
「うわっ! やっちゃったよ……」
「一姉どうしたの」
「見てよ、これ」
一愛はラベルの右端になかなかの存在感で配置されている2文字を指差した。
「無糖?」
「そう! 無糖!」
「ダイエット?」
「違うよ! 間違えて買っちゃったの!」
「でも炭酸なんでしょ?いいじゃん」
「どこが?!」
一愛は炭酸飲料をこよなく愛する一方、十佳は全く良さを理解していない。
飲み始めたきっかけは母親が好きでよく買ってきてくれていたためだが、小さい頃の十佳が一愛に釣られて炭酸を飲んだ時、何か口内がぱちぱちと攻撃されているように感じ、またそれが不快な感覚と結びついたらしく、以降飲むことはなかった。
「炭酸はシュワシュワーってのがいいんじゃないの? 私にはよく分かんないけど」
「あー分かってない。全然分かってない! サイダーとかはさ、あまーいのとシュワシュワーッ、ってのがダブルパンチで来るからこそいいんだよ。お子様の十佳には分かんないか!」
「カフェオレも飲めない一姉には言われたくない」
「飲めないんじゃなくて好きじゃないの!だってあれ納豆の匂い?味?するじゃん」
「えぇ? カフェオレが?」
「そうそう」
「それはもう納豆食べたことないじゃん」
「よく朝ごはんに食べるの見てるでしょバカ舌だって言いたいの?!」
一愛はコーヒー豆と大豆を同じものだと勘違いしている。そのため発酵させてるという部分が共通しているということから、納豆の匂いがするものだとプラシーボ的に思い込んでいる。しかしコーヒー豆はコーヒーノキの種子であり、そもそも豆ではない。根本から違っている。
ただしコーヒー豆は焙煎する途中で、納豆と同じ臭気成分が生成されるので一愛の嗅覚もあながち間違っているわけではないのである。
「感じたことないけどなぁ……」
「それ味わってないからじゃない? 妙に大人ぶっちゃってさ」
「ちゃんと味わってるし!」
「じゃあミルクも入れないで飲みなよ」
「ミルク入れた方が美味しいの」
「そういえばあたしさ、プリンのカラメルってずっとコーヒーだと思ってたんだよね」
「どういうこと?」
「色が黒じゃん」
「それだけ?」
「それだけ」
十佳は言葉が出なかった。その沈黙は呆れも含まれていたが、思い返してみれば自分も子供の頃に色々と変な勘違いをしていたというのもあり、それは多くの人が通る道だと納得した結果だった。
「言われてみれば、確かにずっとカラメルだけ残してたね。嫌いなのかなって特に気にしてなかったけど。ていうか、あれ? 中学生くらいまで──」
「うるさいなぁ! いいじゃん! 今はもう大人になったんだよ!」
「残されたのをいつも百祢が喜んで飲んでたよ」
「そうだったの?! いつも気づいたらなくなってると思ってたけど……でもプリンをプッチンしてお皿に置いた時は? カラメルが上に乗っかっちゃってるから回収できなくない? 毎回目を離した隙にあたしのカラメルだけなくなってるから不思議だったんだけど……」
「あれは……百祢が掬い取ってたんだっけなぁ。いや、違う。舐めてたんだ」
「そこまでするのか……」
「でも一姉はカラメルを食べることなく済んだからよかったじゃん」
「よ、よかったのかなぁ……というかそんな百祢が意地張って食べてたなら今まで食べてなくてもったいない気がしてきたよ」
「……それで炭酸の話は?」
「そうだったそうだった!」
一愛は手に持っていたペットボトルを十佳が勉強のために居座っていたテーブルに置くと、単身で台所に向かっていった。
「やっぱり炭酸って甘くないと美味しくないわけ」
「やっぱり一姉の方が子供じゃ……」
「もうその話はいいから!」
「……というか何するつもり?」
その答えは一愛が台所から持ってきたものに備わっていた。
「……塩?」
「この流れで塩なわけないでしょ」
持ってきたそれをスプーンで掬ってペットボトルに流し込んだ。
「これレモンの味がついた炭酸水じゃん?だから砂糖さえ入ればレモネードソーダになるでしょ!あたしって天才かも!」
そうして一愛は砂糖を入れたペットボトルを何の躊躇いもなく振り始めた。
「ちょちょ! 何してんの!」
「見てわかるでしょ!砂糖を混ぜてんの!」
「いやそうじゃなくて……」
「よし、できた! いただきま──」
プシュっと軽快な音が鳴り響いた瞬間、まるで開かれてしまったパンドラの箱から災厄たちが飛び出していくように、辺りにレモンの香る水飛沫が広がり、机に流れたものが滴り落ちる。
もちろんテーブルに広げられていた十佳の参考書もその餌食となった。




