1. 何でお前がここで出る?
初めまして。
BLでK-POPものです。
よろしくお願いいたします。
『協定国に限り、一定期間滞在し、就学や就労が認められる制度』
そんなワーキングホリデーを準備していた中で、何より驚いたのは、意外にもホームシックで途中帰国する人が多いという事実だった。
その数、なんと全体の3割。
数字が突きつける残酷な現実に、「とにかく日本から遠くへ行きたい」なんて思ってた気持ちはあっさりと吹き飛び、「海外で生活できるなら、まあどこでもいいか」なんて甘っちょろい考えが芽生えて──
結果、俺のワーホリ最終目的地は、お隣の国・韓国になった。
もちろん、そんなこと口に出した周りの視線が一気に冷えるので、外では「昔から韓国に興味があって」なんてそれっぽい理由を言い繕ってる。
それもまあ、半分くらいは本当だ。
そうしてワーホリを決めてからは、貯金に励み、韓国語の勉強にも本腰を入れた。
韓国語能力試験も受けたし、ドラマもいくつかシリーズを観た。お気に入りの映画だってできた。
そんな万全の準備を経て、韓国にやって来たのが、先月のこと。
1年間の住まいは語学学校の紹介で、ポップアップストアで有名なソウルの街から地下鉄でたった2駅離れた場所に決定。
一生を静岡で過ごしてきた俺にとって、ソウルの地下鉄の路線図はちょっとした恐怖だったけど……「でも東京よりマシか!」って自分に言い聞かせて、なんとか気持ちを落ち着けた。
がらんとした狭いワンルームの床に寝転がっていると、ようやく、「俺本当に韓国に来たんだな」って実感が湧いてきた。
ドラマやメディアで見たような華やかな韓国じゃなくて、素朴な景色と、あたたかい人の情が感じられる場所。
開けっぱなしの窓から流れてくるサムギョプサルの匂いも、なんだかんだで嫌いじゃない。
「明日は家具買いに行って、あ、ダイ○ーも寄らなきゃ。それから、教材を買って……」
一人で明日の予定をぶつぶつ整理していると、ふと、独り言が口をついて出た。
「……あいつも、今、韓国にいるのかな」
あいつ。
もし誰かに、「韓国行きを決めた一番の理由って何?」って聞かれたら、
「あいつのせいです」って、うっかり言ってしまいそうになるのを、ぎゅっと堪えるだろう。
あいつは、俺にとって“韓国”という国の存在を初めて教えてくれた、幼なじみだった。
「いつか韓国で成功してやる」なんて、まだ小学生だったくせに、すでに海外事業部の芽があったヤツ。
あいつが聞かせてくれた音楽とか、そういうのは正直、俺の趣味じゃなかったけど─それでも、あいつはすごいと思った。
そして、羨ましかった。
何かを夢中で好きになれるってことが。
「やりたいことがある」ってことが。
いろんなことがありすぎて、まるで宇宙に放り出されたみたいな気分になる時があるから。
そういうのって、たぶん、祝福なんだと思う。
だから、俺が韓国行きを決めたのは、韓国でなら、俺も何かに夢中になれるかもしれないっていう、勝手な希望からかもしれない。
そして、もしかしたら──
小3のときに転校して以来、連絡が途切れたあいつと、どこかですれ違えるかもしれない。
そんな夢みたいな期待も、ほんのちょっと、あるんだ。
*
大学で3年間、韓国語を勉強してきたとはいえ、まだ完璧とは言い難い。
語順が似ていて、発音も近い単語が多いとはいえ、やっぱり外国語は外国語だ。
だから、バイト探しも一筋縄ではいかなかった。
「貯金もあるし、半年くらいはゆっくりしようかな」なんて思ったこともあったけど、語学学校が終わってから狭い部屋にひとりでこもっていると、余計な妄想にとりつかれて苦しくなった。
たとえば、「ここでの1年が、何も得られずにただ過ぎていってしまったらどうしよう」─そんな不安がじわじわと心を締めつける。
就職活動にまっすぐ向き合っている友人たちとは違って、俺ひとりだけが現実から逃げているような気がして、焦りが募った。
だからせめて、バイトだけは絶対にやろうと決めた。
韓国語が完璧じゃない日本人に、選べる仕事はあまり多くなかった。
いくつかの面接を経て、俺は週3回、ランチタイムから約5時間、弘大にある日本の家庭料理店で働くことになった。
日本にいた頃は、なんとなく「外国人が好きな日本食といえば、たこ焼きとかでしょ」って思ってたけど──違った。
日本人からすれば素朴で家庭的に感じる料理が、韓国人には整っていて爽やかで、もてなされているようなごちそうに映るらしい。
たまに得意げになって料理の説明までしたくなる衝動をぐっとこらえて、俺はひたすら料理を運んだ。
今年の最低時給で換算すれば、韓国の時給はおよそ1,000円程度。
幸いにも、1年分の家賃はすでに払い終えていたから、それくらいのバイト代でも充分なお小遣いになった。
お店のオーナーである日本人夫婦が、まかないで余った料理をくれたり、忙しいランチタイムに一緒に働く韓国人大学生「チョン・スア」が、流行りのお菓子を分けてくれたりして、食べ物には全く困らなかった。
「藍、今日お店にユーチューバーがモッパン配信に来るって」
「モッパン……ですか?」
エプロンを結びながら、俺は小首をかしげて尋ねた。
先に言っておくと、「モッパン」が何か分からなかったから聞き返したわけじゃない。
分からないわけがない。
だって、俺が韓国コンテンツの中で一番好きなのが、まさにその“モッパン”なのだから。
食べる様子を撮って配信するモッパンは、俺の周りでも普通に人気があるジャンルだった。
「美味しいものをあんなにたくさん食べられるのが羨ましい」なんて言いながら。
俺はただ、なんだか不思議で、美味しそうな料理を見てるのが好きなだけなんだけど。
「誰が来るんですか?」
「キングクラブって知っ……てるね。うん。顔からわかるよ。あの人のチャンネルのなんか特集らしくて、アイドルとのコラボ配信だって」
モッパンにもアイドルにもまったく興味のないスアは、無関心そうに椅子を片付けはじめた。
驚いたことに、一番好きなモッパンユーチューバーに会えるかもしれないチャンスなのに、俺もなぜか少し冷静だった。
現実感がないからだろうか。
もしかしたら、韓国に来てからあまりモッパンを見ていなかったせいかもしれない。
……とはいえ、サインくらいはもらえるかもしれない。
日本にいた頃だったら、きっとナンリ・ブルスだったはずなのに、外国で一人暮らししてると、こんなふうに落ち着くこともあるんだな、と思った。
ちなみに、“ナンリ・ブルス”というのは、あまりに興奮して騒ぎ立てる様子を意味する表現らしい。
そしてもう一つ、何だったっけ…
昨日の語学学校で習った韓国語を復習しながら、俺はモップを手に取った。
午後3時。ブレイクタイムが近づいた頃、数人のグループがどやどやと店内に入ってきた。
俺はすぐにそれがキングクラブ一味だと気づいて、客席を片付けにかかった。
バイトの親切にいちいち感謝している暇なんてないらしく、関係者たちはあっという間に機材のセッティングを始めた。
部外者が入り込めるような空気ではまったくない。
ここで「サインください」なんて言おうものなら、白い目を向けられるのは確実だった。
俺はとりあえず物陰に隠れて、撮影が始まって少し余裕ができたら、こっそり覗き見しようという作戦を立てた。
万が一のトラブルに備えて警戒していたけれど、幸いにも撮影準備は滞りなく進んだ。
メインカメラがスムーズに設置され、スタッフたちが台本をチェックしていたその時──また店のドアが開いた。
「こんにちは。BLEETZです!」
「本日よろしくお願いします!」
勢いよく現れたのは、長身の男の子が二人。
深くお辞儀をしながら入ってきて、関係者一人一人と目を合わせて、再び礼をしていく。
流れ的に、この二人が今日キングクラブとモッパンコラボをするという例のアイドルだろう。
こんな派手な髪色で、信じられないくらいスタイリッシュな人たちが、一般人のはずがない。
確かに、日本でも韓国でも、アイドルとか歌手にはまったく興味がないし、そもそも“基準”なんて俺には存在しない。
でも、分かった。
どんな基準でも軽々と超えてしまうくらい─彼らは、文句なしのイケメンだった。
「よろしくお願いします」
しかも、性格まで良い。
ただのバイトである俺たちにまで、腰を深く折って丁寧に挨拶してくれるなんて……!
ぐんぐん近づいてくる、二人のうちの一人。
この人たちと同じフレームに映らなきゃいけないなんて……絶対いやだ……と、心の中でひそかに絶望していたその時だった。
「……あ?」
綿菓子みたいな薄い色の髪をした男の子が、驚いたように声を上げて、俺の目の前でぴたりと足を止めた。
突然の出来事に、「えっ俺なにかやらかした…?」と背中に冷や汗が走る。
けど、何も思い当たらない。
だって、今会ったばかりだから。
今まで俺はただ、ここにある椅子みたいに立っていただけだから。
──椅子だったことを謝るべき?
……と、謎のタイミングで反省モードに入りかけていた、まさにその時。
「……藍?」
彼の口から自分の名前が出た瞬間──
まるで滝の水が頭上から一気に降り注いできたように、どしゃぶりのような量の過去の記憶が押し寄せてきた。
そして、同時に思い出した。
その滝のような記憶の中にあった──
小学三年生のときに突然転校して、そのまま連絡が途切れた、あいつの顔と名前を。
「裕悟?お前、瀬名裕悟か?」
K-POPにご興味のある方にも、そうでない方にも、お楽しみいただけましたら幸いです。