第9章「拡がる影」
八月の終わりの蒸し暑さが、街にじっとりとまとわりついていた。
夏休みも終わりが近づき、私立星泉高校の生徒たちも宿題や新学期の準備に追われていた。
だが、その空気は再び重苦しい不安に染められることになる。
八月二十五日、横浜市内で同様の傷害事件が立て続けに発生した。
最初に被害に遭ったのは、地元でも有名な進学校に通う三年生の男子生徒だった。進学実績で何度も新聞に名前が載り、地域でも“エリート高校生”として知られていた。
深夜の帰宅途中、背後から襲われ、意識を失ったまま倒れていたところを発見された。
さらに三日後、今度は同じ地域で女子生徒が襲われた。
こちらも有名な新体操クラブに所属し、全国大会でメディアにも取り上げられた存在だった。
犯行の手口、狙われた人物、そして襲撃のタイミング――
そのどれもが、東京で続いていた一連の事件と酷似していた。
「……模倣犯かもしれない」
警視庁の特捜班の一室で、夏目が低く呟いた。
テーブルに並べられた事件資料に、天久が険しい顔を向ける。
「同じ犯人だとすれば、行動範囲が広すぎる。逆に模倣犯なら、こっちを撹乱するために動いてる可能性も高い」
「どっちにしろ、あの連中とやり方が同じだ。次のターゲットがまた“目立つ奴”なら……」
夏目は拳を握り締めた。
連続傷害事件の可能性は極めて高い。だが神奈川県警も独自に捜査本部を立ち上げており、情報共有の在り方をめぐって話は一筋縄ではいかなかった。
「合同捜査にするか、東京の事件だけを徹底して追うか……」
決断が遅れれば、次の犠牲者が出る。
わかっていながらも、各所の事情とプライドが絡まり合い、捜査方針は決めきれないままだった。
神奈川県警本部でも、同様に刑事たちが苛立ちを募らせていた。
「そっちの事件の尻拭いじゃないのか?」
「模倣犯だとしたら、ここまでそっくりにやる理由がわからない」
「いや、最初から“広域”で狙ってたんじゃないか」
憶測と疑念が飛び交い、捜査は一向にかみ合わなかった。
――その頃。
星泉高校でも、勇輝たち十二人はそれぞれの気持ちを抱えながら、新学期を目前に控えていた。
事件のことを考えない日は一日もなかった。
放課後の教室に集まった顔ぶれは、どこか不安を隠しきれずにいた。
「横浜でも……。これ、もう東京だけの問題じゃなくなったよ」
梨華の声は、かすかに震えていた。
徳川が腕を組んだまま、うつむいた。
「犯人が模倣犯だろうが何だろうが、また狙われるのはきっと“目立ってる奴ら”だ。……そう思うと、何もできないのが歯がゆい」
「警察も、協力は許してくれたけど……俺たちは現場に入ることはできないし」
真希が苦い顔をして言う。
勇輝は窓の外に視線を投げた。
沈む夕日が、どこか不吉に見えた。
「……でも、何かきっとできるはずだ。情報を集めて、警察に渡す。それしかない」
「うん。それしかないけど……次、どこで起きるかなんてわからないよ」
真里の言葉に、誰も返す言葉を持たなかった。
あの落書きの文字――
「お前たちは目立ちすぎた。後悔する」
「君たちはずっと見られている」
あのときの不気味な宣告が、まだ耳の奥で響いている。
夏が終わろうとしているのに、熱気は去らず、胸の奥を焦がし続けていた。
次の犠牲者が出る前に――
誰かが、この連鎖を止めなければならない。