清森の憧憬と星辰の少女
五月中旬のとある深夜。私は【卯の花】へふらつく体を支えながら訪れていた。犯行後の目立たない格好で戸を叩けば、中からどうぞと声がしたので遠慮なく上がらせて貰う。此方としては大変助かるのだが、少々不用心なのではないかと思ってしまう。
「夜分遅くに失礼致します。少々手に余る品を手に入れてしまいまして。」
この手の悪寒と疲労に慣れるには時間が掛かる様で、表情を取り繕うのもやっとの状態だ。
アーティファクトと呼ばれる、所謂魔法のような力を持つ品物は少なからず存在しているらしい。更に言ってしまえばそれらの大半はその危険性に気付かれずに様々な人の手に渡ってしまっていて、表に出にくいだけで度々問題を起こしているのだとか。恐らく、私の求める“アルカナ”も伝承を信じるのなら、このアーティファクトの一種なのだろう。
そしてそれら力を事前に感知出来るものはごく僅か。私もその僅かの内に入るらしい。アルカナを見分ける基準が出来たのは良いが、それが悪寒や疲労として表れるのは頂けない。余りに酷いと犯行に支障が出てしまうから。
と、此処までが海淵の瞳の事件の際に分かった事。
そしてその際に宇津木女史に頼まれたのが、アーティファクトと分かる物を手に入れた場合は【卯の花】へ持ってきて欲しいと言う事。
曰く、魔法の効果を完全に無力化出来るのは宇津木女史くらいしかいないらしく、その“処理”をした後なら本人にも返却しても問題ないと言う。確かに、彼女が“処理”した後の海淵の瞳を見ても、触れても何も感じなかったため事実なのだろう。
事前にあのような事態を防ぐ事が出来るのなら安いものかと納得してそれを引き受けたのだ。
「いらっしゃい。疲れてはるやろ?其処座って、品物出しや。」
「…ええ、お願いします。」
“清森の憧憬”を彼女に渡して、カウンター前に用意されていた椅子に腰かけた。すると、奥の襖が開き、星野女史がマグカップとティーポットをお盆に乗せて持って来る。
「…貴女、どうしてこんな時間まで…」
「予告状を見たから。それを盗んでくれたのは助かったわ。」
相変わらず此方を見向きもせずマグカップにミルクティーを注ぐ彼女からの返答は意外なものだった。まるで予めこの宝石が危険なアーティファクトであると知っていた様な口振りだ。どういう事なのかと宇津木女史に視線を送れば彼女はあっさりと答えた。
「アーティファクトん中でも特に危険で有名な物が四つ有ってな。その内の一つなんよ。後はこの前の“海淵の瞳”と行方の分かってへん二つ。“清森の憧憬”は持ち主が中々手放してくれへんくてどないしようか悩んでたんよ。」
「因みに私があの時港付近にいたのは“海淵の瞳”を回収する為。」
そう補足しながら星野はマグカップを配る。出逢って日の浅い相手が淹れた物に口を付けられる程迂闊でも気楽でも無いのだが…
「早いとこ人から離しとかんとあの時みたく邪神が顕現しかけてまうから。これも結構危なかったんよ。」
「…邪神…」
そう形容する事に違和感は無かった。人の理解が及ばない何かである事は確かだし、ある意味での神の様なものと言われれば納得がいく。
「もしや、行方の分かっていない二つも邪神と関係が?」
「そう。“迅嵐の黄僮”と呼ばれるトパーズと“焔心の鐘声”と呼ばれるルビー。これら合わせて四つは人の魔力や精神力なんかを糧にして邪神を顕現させるアーティファクトなんよ。他はまあええとして、この四つだけは何としても回収せなあかん。せやから君にはほんまに感謝しとるんよ。有難う。」
柔らかく微笑まれてしまえば嘘偽りを疑う訳にもいかなくなってくる。
「力になれたのなら良かったです。」
それでも、油断する訳にはいかなくて笑顔を張り付けた。
「…心配しなくても何も入って無い。今此処に貴方を害して得をする人は居ないから。」
「せやねぇ、もうちょい力抜いてくれてもええんよ。」
一切紅茶に手を付ける様子が無い事に気が付いたのかそう指摘される。流石に露骨だったか。口を付けるフリでもするべきだった。
普段ならこんなヘマはしない筈なのに…
ここまで言われて飲まないのは失礼に値するかと思いカップを手に取った。まだ少し温かいミルクティーを口に含む。香りや味に違和感が無い事を確認して呑み込んだ。体が温まる感覚と香りから生姜と蜂蜜が含まれている事が分かる。私の症状として悪寒が酷いと分かってのセレクトだろう。
完全に善意だ。疑った事が申し訳なくなるくらいの。
「…有難う御座います。」
「気にしなくて良い。少し休んでて。」
「せや、うちはこれの処理して来るさかいゆっくりしといてや。」
「……はい。」
清森の憧憬を持って奥の襖に入って行く宇津木女史を見送り、ミルクティーを堪能した。
その間、星野女史から話を聞いていた。と言うのも硬い話ではなく、このミルクティーをどう淹れたかや好きな茶葉はあるか等の紅茶にまつわる話だったが。分かったのは彼女が随分な紅茶好きである事くらいだ。
コップが空になる頃、宇津木女史が戻って来て清森の憧憬を渡して来た。それを手に取ると、もう悪寒は感じなかった。
「お世話になりました。」
挨拶をして席を立つと、確りと立つ事が出来た。十分休憩になったのだろう。これなら途中で倒れる事は無さそうだ。手を振る二人に見送られながら店を出て帰路に就いた。
◇◆
清森の憧憬を坂口警部宛に送付し、登校すると自分の席の前に待ち構える少女の姿が有った。青い髪を二つに結った黄金の瞳を持つ_星野 瑠璃だ。
一体何用なのか。まさか、正体がバレたのか…?
焦りを微塵も見せぬよう自然に話し掛ける。
「よお、星野。なんか用か?」
「…これ。どうするかは貴方次第だけど、渡しておくわ。」
そう言って渡されたのは古風にも封蝋の施された封筒。触った感触からして中にはメッセージカードと何らかの金属製のアクセサリーが入っている様だ。渡し終えた彼女はと言うと、用は済んだとばかりにさっさと教室を出て行ってしまった。
「…え?何…?」
何の説明も無く取り残されて思わず立ち尽くしてしまった。
時を同じくして廊下では、登校して来た家達も立ち尽くしていた。先程教室から出て来た星野に半強制的に封筒を押し付けられたのだ。そして彼女はそのまま涼しい顔で教室に戻ってしまった。在瀬と異なり一切話したことの無いクラスメイトの唐突な行動に思考が追い付かない。
「…何だったんだ…?」
結局はその一言に尽きた。
◇◆
三月某日。郊外に有る洋館。その地下室は巨大な天球儀とプラネタリウムが広がる空間となっている。
そこでは一人の少女が映し出される星空を見つめ、佇んでいた。彼女は星空に未来を映し見る事を生業とする占星術師である。幾つもの未来を予知出来る彼女だが、映し出されるそれらに首を傾げていた。
同じ日時に幾つもの未来が見える。それ自体は問題無いのだ。未来は無限に分岐すると言っても過言では無いから。しかし、それは可能性が有るだけで、確定は出来ない。理想とする未来を掴むのなら自分も動かなければならないのだ。
…しかし、今見えているこれは違う。同じ日時の未来が確定している。これではまるで…
一体何が起こっているのだろうか。徹底的に調べなければならない。
師匠からの課題の為にも。