チェリー・ブロッサムとディテクティブ
『4月26日午後8時、夢見の華を頂きに参上致します。
怪盗アルセーヌ』
清水財閥の保有する清水大博物館にて、4月22日から4月29日までの間に開催される宝石展。その目玉となるのが“夢見の華”と呼ばれるモルガナイトだ。
清水財閥と聞くと約一ヶ月前に起こった豪華客船での事件が思い出されるだろう。あれ以降、盗まれた宝石は返却されているにも拘わらず何故か清水 亜紀氏は怪盗アルセーヌにご執心らしく、財力とコネを活かして新聞越しに挑戦状を叩き付けたのだ。それに対して彼の怪盗は律儀にも予告状で返答を出したのだった。
そして彼女は小林探偵事務所にも自ら依頼を出している。
「と言う訳で、怪盗アルセーヌを捕まえるよ!二人共!」
朝一の教室で腕を組みながら宣言したのは佳澄だ。
「佳澄~、おじさんに許可取ったのかよ?」
「勿論!家達君も一緒だって言ったら喜んでオーケーしてくれたよ。今回は時間も遅くないしね。」
「おいおい良いのかよ、元警部さん。」
「まあとっとと捕まえてやろうぜ?」
そして家達は随分とやる気に満ち溢れている。これは不味い。
(困ったな…今予告出したらこうなるのは分かってたけど、売られた喧嘩を買わずに逃げたとなったら“怪盗アルセーヌ”に泥を塗る事になるから予告しちまった…まだギプスも取れてねーし…)
「てか怪我人に手伝わせる気かよ…」
呆れた様にそう言うと二人は目を合わせた。
「「確かに。」」
流石に怪我人を労わる良心は有るらしい二人は俺が行けない事には納得してくれた。まあ、当の俺自身は怪我人の身で盗みに行く訳だが。
(これで俺に犯行は出来ないって印象付けられれば良いんだけど…)
◇◆
作戦会議をするという二人と別れて帰路につくフリをして訪れたのは博士の経営する喫茶店アディントン。モノトーンで統一された落ち着きのある店内に入ると、博士が出迎えてくれた。
「翠、本気で今日行く気か?まだ治っておらんじゃろう?」
「だーいじょうぶだって!ちょっとは動かさないと鈍っちまいそうだし。その為に此処に来たんだし。」
「全く…仕方ないのう。終わったら必ず連絡するんじゃぞ、一旦此処に戻って検査するから。」
「はーい。」
博士にギプスを切って貰い、軽く動かしてから準備を始めた。
◇◆
時刻は午後7時。小林親子のお陰で現場に入る事が出来た俺は設備と警備体制を確認していた。フロントの警備は勿論の事、地下には幾つものレーザーセンサが取り付けられていると言う。
しかし、アルセーヌの予告時間が開館時間内な事もあってか来場者が多い。この調子では来場客に紛れている可能性が高いだろうか。そうなってしまえば誰一人として素顔を知らない彼の怪盗を事前に捕まえる事は不可能だ。やはり狙い目は逃走時か。
「家達君!どう?アルセーヌ捕まえれそう?」
「ああ、今逃走経路を潰しているところだよ。」
思考に耽っていたところ、小林さんが顔を覗き込む様にして聞いて来た。実際、外に仕掛けてあった幾つかの仕掛けは潰しておいたから間違った事は言っていない。ただ、館内にどれだけ仕掛けが有るかは把握出来ていないし、外にも見付けられていないものが有るかもしれない。
「あら、心強い探偵さんがお二人もいらっしゃるのね。」
そう言って歩み寄って来たのは清水 亜紀氏だった。
「ああ、清水殿。ご依頼頂き有難う御座います。」
「そちらは高校生探偵の家達 律槿さんだったかしら。期待していますわよ。」
「あはは、過分なお言葉有難う御座います。ご期待に沿えられれば良いのですが…」
小林探偵が対応するのに続いて謙虚に挨拶しておく。煌びやかで尊大な女性に内心うんざりするがそれを表に出す程子供ではない。
そうしている間にもアルセーヌの予告時間は刻一刻と迫っていた。
そして、時計の短針が8を指した時。
「きゃあ!」
「なんだ?」
来場客が騒然とした。
無理もない。突然桜色の紙吹雪が展示場内に舞い出したのだから。それは天井の通気口から降っている様だ。何時の間にこんな仕掛けを施していたのか…
「Ladies and gentleman‼今宵は私のショーにお集まり頂き有難う御座います。“夢見の華”の名の通り、桜吹雪を用意してみました。お楽しみ頂ければ幸いです。」
何処からともなくターゲットのケース上に姿を現した怪盗は優雅に恭しくお辞儀をすると、左手を上げた。
「three…two…one!」
パチン!
と指が鳴る。その瞬間、桜吹雪は量を増し一気に視界が奪われる。晴れた頃にはそこに怪盗の姿は無かった。
しかし、焦る事は無い。彼の逃走経路は予測済みだ。
美術館二階、人気の無い廊下の窓の前。そこには予想通り燕尾服の男が佇んでいた。
「よお、怪盗アルセーヌ。そこの仕掛けは回収しておいたぜ?」
「それは困りましたねぇ。」
そう言う彼は余裕の表情を崩さない。そのまま優雅な仕草で変わった形の拳銃を取り出し、こちらに構える。それも左手だ。メディアに露出している彼の映像を見る限りでは射撃は基本右手で行っていた筈。怪我でもしているのだろうか。
「おや、流石は家達探偵と言ったところでしょうか。拳銃を突き付けられても狼狽えないとは。」
「お前が人を傷付けないってのは有名な話だぜ?それで何しようってんだ。」
「勿論…撃つしかないでしょう?」
ポフン!
撃鉄にしては軽くコミカルな音を奏でて飛び出したのは大量の“桜吹雪”。文字通り目の前が桜色に染まり、その隙に彼は窓枠の外に移動していた。
「待て!」
「それではまた、次のショーで御会い致しましょう。」
そう言い残し、彼の体は地面へ向けて落下して行った。慌てて窓から乗り出して下を見ればどうやらダミーだったらしく、どういう仕掛けかその体は桜吹雪へと変化して舞い落ちて行った。ならば上かと目線を移せば、右手に持ったワイヤーガンで屋上に向けて跳んでいる様子が遠目に見えた。ここからではもう間に合わないだろう。
(やられた!一瞬でも右手に何も持てない可能性を考えちまった。フェイクかっ!)
確かめたい事も確かめられなかった。
次こそは絶対に捕まえてやる。
そう心に決めたのだった。
◇◆
翌日。教室に入れば、未だに左腕を三角巾で吊っている在瀬とその横には小林さんの姿が有った。
「はよー、昨日は残念だったな。」
「おう。逃走経路は突き止めたんだがな…次は逃がさねえ。」
在瀬がニヤニヤと揶揄う様な笑みを向けてくるのはムカつくが、まんまと逃げられたのは事実だ。
「家達君凄かったよ?一人でアルセーヌの逃走経路まで行ってるんだもん。」
「でもやっぱり手品には手品だな…まんまと思考誘導されたし。あっ、そういや俺、在瀬のマジックまだ見てねえや。去年とかやってたろ?」
そう言って彼を見遣れば、彼はあからさまに顔を顰めて左腕を指した。
「だって年度初めからこれだぜ?しゃーねえだろ。まあ治ったら見せてやんよ。どうせならクラスの前で盛大にやろっかな~♪」
「先生達に迷惑かけちゃダメだからね!」
小林さんが釘を刺しているが、きっと意味をなさないのだろう。そう予想できるくらいにはこの約一ヶ月で彼等とは仲良くなれた気がする。
◇◆
ゴールデンウイーク明けのお昼休み。皆が各々好きなように昼食を食べている教室で、教卓の前に立った在瀬は左腕を吊っていた三角巾を勢いよく解くとよく通る声で宣言した。
「在瀬 翠、完全復活!良かったら弁当食べながらでも見てってくれ!」
それを聞いた皆は彼に注目した。彼も期待に応える様に口角を上げた。そして、三角巾を翻すと一瞬にして飾り気の無いシルクハットを出現させた。
歓声が上がる中、彼は観客にシルクハットの中を見せる。何も入っていない。しかし、彼はその中からスティックを取り出したのだ。更に、シルクハットをひっくり返して上部をスティックで叩くと、トランプが舞い落ちる。シルクハットを被り、スティックをくるくると回る様に投げると、キャッチした時には一輪の赤いバラに変化していた。それを近くの女子に手渡し、ハットを脱いで深々と一礼。
小さなマジックショーは終幕。
「みんなー!今年もよろしくー!」
彼が顔を上げ大輪の花が綻ぶ様な満面の笑みでそう言うと、再び歓声が上がった。短いながらに見事なショーだった。種も分からないし、雰囲気に引き込むのが上手いのか思わず見惚れてしまっていた。
だから、ただ一人を除いて誰も気が付かなかったのだ。真顔で頬杖を突きながら見ていた少女の小さな呟きなど。
「…空元気。」