β版の資料
真夜中。人気の無い空き地で揺らめく炎に消える資料を見つめながら考える。
本来なら、あの館の隅々まで調べる心算だったのに…まさかあんな事になるだなんて。しかも見つけた資料は僅かで、きっと何処かにあの大本が有る筈なのだ。佳澄に怪我を負わせずに済んだのは幸いだったが、それにしても骨折り損も良いところだった。
灰と化す紙束。
あの館ごとこの紙束の様に灰に…駄目だ。それは怪盗アルセーヌのやる事ではない。
ならばもう一度忍び込むか。予告状さえ出さなければ一切バレる事無く事を済ませる事だって可能な筈。
ゆらりと大きく炎が揺れる。
しかし、果たしてそれは今やるべき事なのだろうか?
万が一あれが誰かの手に渡ったとして、直ちに影響が出るとは限らない。資料が残されているとしても謂わばベータ版。それに専門用語が多く、ある程度の知識が無ければ読み解けないだろう。それこそ研究者でもなければ…
「…あっ、消さないと。」
焚火を消火し、何事も無かったかの様に後片づけを済ませ家路に就いた。
◇◆
「あの資料、分かった事が有るって本当ですか!」
「ああ、来たか。その話はドクターに聞いてくれ。」
とある日の放課後、伊狩に呼び出された家達は彼等の住む家にやって来ていた。通されたリビングには既に尊音が座っており、飲み物まで用意されていた。そしてテーブルには印刷された資料が置かれている。如何やら説明する準備は万端らしい。
「いらっしゃい、家達君。どうぞ座って。」
相変わらずニコニコと愛嬌のある笑顔で対応する尊音。伊狩と家達が椅子に腰かけた事を確認した彼女は笑顔のまま
「早速だけど本題に入るわね。」
と続けた。家達はコクリと頷き続きを促した。
「先ず、この資料はベータ版よ。それに少し欠けているみたい。だからこれだけで全てが解る訳では無い事は覚えておいて。」
「分かりました。」
「これは“永遠”を求める研究資料。賢者の石って知ってる?アニメやゲームなんかで偶に出て来ると思うんだけれど。」
「まあ、一応。不老不死がどうとかって聞いた事は有りますけど…」
「そう、正にそれよ。彼等、天羽一族が求めていたのは永遠の命だったみたいね。天羽 鶴寿はそれを錬金術で実現しようとした。そして、その資料を基に別の人間が別の方法で“永遠”を手にしようと研究したのがこの資料なのよ。」
「そんな御伽噺を本気で?」
家達は怪訝な顔で訊く。対する尊音は至って真剣な目で告げる。
「信じられないかもしれないけれど、本気よ。」
「否、信じますよ。少し前なら笑い飛ばしてましたけど。」
苦笑しながらそう言った家達に、尊音は目を零れんばかりに見開いた。伊狩の方も意外そうな表情をしている。
「確かに俺は目に見えないものは信じない主義です。けど…ついこの間魔法の様なものを見てしまいましたからね。その手の事を信じない訳にはいかなくなってしまいました。」
家達が思い返したのは数日前、市民体育館前での事。掌から放たれた炎、無音の銃撃に血を流さず気を失った人。あれらの現象に名前を付けるとしたら、“魔法”の一言に尽きるだろう。言葉通り信じざるを得ない状況になり、割り切るのに丸二日を要したのは記憶に新しい。
「巻き込まれたのか?」
「まあ、そんなところです。」
「それは災難だったな。」
短く答えた家達に伊狩は僅かながらに同情の視線を送った。
「なら、もう隠す必要は無さそうね。私達が相手にするのはそういう物を扱う人達よ。そして、この世には決して表に出ない怪物や怪現象が存在するの。天羽家は人に害をなすそれらを人知れず処理する一族でもあったのね。でも何時からか欲に溺れる様になってしまったの。そうして生まれたのがC.C.。
この資料から解るのは、私達が捜しているユークロニア研究所の遺物を作り上げた人物は…天羽 鶴寿の子孫、天羽 杜希である事。そして、」
尊音は真剣に述べながら資料の家系図の“杜希”を指差す。そして、その指を移動させ“翡翠”を指す。
「鍵はこの翡翠という子。きっと適正が有ったのがこの子だけだったのね。」
「じゃあやっぱりこの資料って…」
無意識に眉間に皺が寄る。
「そう、人体実験の資料よ。…とは言えこれは参考資料。ここに載っている人物が被検体とは限らないわ。」
「だがドクター、この子を探さないと言う訳にはいかないだろう。」
「…そうね。幸い両親の下の名前は分かっているから、探しやすいかしら。」
「そうですね。琴莉さんと水行さん…名前からして琴莉さんが女性でしょうし、苗字は変わってるかもしれませんね。」
家達は家系図の線を辿りながらそう言った。そして、彼はふと気になって視線を尊音に向けた。
「あの…尊音さんはユークロニア研究所の研究内容を知っているんですよね?お訊きしても?」
口振りからしてそうとしか考えられなかったのだ。
それに対して伊狩と尊音はアイコンタクトを取ると、尊音は頷いた。
「良いわ。あまり気分の良い話では無いけれど、触りだけなら教えてあげる。
目的はさっきも言った通り“永遠”。それを“時間”という概念そのものを掌握する事で叶えようとしたのがユークロニア研究所よ。簡単に言えば、自分達に都合の良い神様を作ろうとしたのね。行った実験はとても非道いものだった。子供を改造して、無理矢理神様の枠に押し込めたの。到底普通の子が耐えられるものでは無いから、亡くなってしまう子が大勢居たみたいね。」
尊音は悲痛な面持ちで語る。まるでその場に居たかの様に。
「でも、成功してしまったの。それが“Clavis”。けれど、度重なる実験に人体は耐えられなかった。だから彼女、杜希は魂を人体から切り離し別人に移植したようね。それがユークロニア研究所の遺物と言われているものの正体よ。」
爪が食い込んでしまう程に拳を握り込み歯を食いしばる。
概要を聞いただけでも人権を軽視し過ぎている倫理観の無い実験は誰もが許し難いものだろう。自然と重苦しい沈黙が下りた。
それを破ったのは尊音だった。
「私は彼女を保護したいの。その為に祐丞さんと協力しているわ。そして貴方とも。重要な事を話せなくてごめんなさい。知ってしまった以上、これまで以上に危険も付き纏うわ。引き続き捜索をお願いしたいのだけど…良いかしら?」
信用を無くしてしまったかもしれないと言う不安と、引き受けて欲しいと言う希望が綯交ぜになった目。その希望に応えない家達ではなかった。寧ろここまで来て捜索を止めろと言う方が無理だ。
「勿論です。危険は承知の上でしたから。」
家達は力強く頷いた。




