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賢者の血晶 黄化

「この時計…止まってねえか?」

客室の探索を行っていた家達探偵は壁掛け時計と自分のスマホを見比べて違和感に気が付くと、すぐさま時計を取り外した。すると、その裏側には小さなボタンが付いていた。他の部屋は壁掛けではなく卓上型のデジタル時計が置かれていたからおかしいと思っての行動だったが正解だったらしい。

ボタンを押すとクローゼットが横にスライドして扉が現れた。流石は絡繰り館と言ったところか。

扉を開けて見れば小さな書斎となっていた。照明は無く、客室から漏れる灯りでしか中の様子は見えない。よく見る為にスマホでライトを点けて中に入った。

(こんな風に隠してんだし、何か有るんだろうけど…)

そう期待して調べてみる。棚に並ぶ本はスピリチュアル…と言うか最早魔術だとか錬金術だとかそう言う類の物から医学や薬学を中心とした化学系の物まである。その中に古いリングノートを見つけた。厚紙で出来た表紙には何も書かれておらず内容を知るには中を読む他無い。分厚いノートを読むのには時間が掛かりそうだ。本来ならアルセーヌを追わなければならないのだが…気になる。

ついページを捲って中身を読み始めてしまった。専門的で難解な物で殆ど理解できないが、図式やグラフ、表から何かの研究資料らしい事は解った。「時間遡行」「Clavis」「Porta」の文字が多く見られる。まさか時間を自由自在に操る為の道具でも造ろうとでもしているのだろうか。更に気になるのは研究結果の様に記される家系図。天羽 鶴寿を頂点として下に広がる名前には殆どバツが付けられており、唯一丸が付けられているのは一番下の翡翠と言う名前。

(…もしかして、人体実験でもしてんのか…?)

それならば大問題だ。そう思って読み進めようとした時。

「ダメじゃないか。こんな所で人の物を勝手に見ちゃ。」

突如聞こえた声に驚いて振り返ると其処には、

「…!あ、秋津さん…」

目が覚めるような美形が立っていた。彼が近付いて来ている事に全く気が付かなかった。夢中になっていたとは言え良くない事をしている自覚はあったのだ。物音に反応出来る様に聞き耳は立てていた筈だが。

そう驚いている隙にノートを取られてしまった。

「あっ!」

「さて、アルセーヌを探しに行こうか。」


◇◆


地下で退路を断たれた二人は背後を振り返って顔を青褪めさせた。

なんと、通路の殆どを埋める程の大きさの金属球が迫って来ていたのだ。怪盗は咄嗟に佳澄の手を取り、脚の怪我も気にせずに走り出した。

「えぇっ!!あ、アルセーヌ!あれ!」

「今はどうか手を離さないで下さい。必ず無事に帰しますから。」

怪盗は急激な生命の危機に半ばパニックになりかける佳澄を宥め、走りながら罠の無い場所を瞬時に選択して行く。しかし、彼は避けられても佳澄はそうとは限らない。だから怪盗は何度か踏まれてしまった罠を手を引く、或いは押し退ける事で彼女が怪我をしない様に回避させていた。

そうして僅かな光の先、右手に曲がり角が見えて来た時だった。

ガコッ

「…あっ!」

「え?」

佳澄が罠を踏んだと同時に躓いた。後ろから引っ張られる感覚と共に、怪盗もバランスを崩した。

二人して転んだお陰で飛んできた刃物は空を切ったが、安心している場合ではない。金属球は迫って来ているのだから直ぐに立ち上がって逃げなければ。佳澄はそう思って立ち上がるが、怪盗はそうではなかった。尻もちをついた体勢のまま負傷した太腿を手で押えている。下手に抜けば失血死も有るのでは、と怖くて抜けなかったナイフが、無理に走った上に転んだ衝撃で更に傷を抉ったのだろう。シルクハットに隠れて顔は見えないが、僅かに震える息遣いは確かに佳澄の耳に届いていた。

「…っ、お、お嬢さん、君だけでも、逃げ」

「ダメ!ほら、肩貸すから逃げるよ!元々私のせいなんだから、置いて逃げれる訳ないでしょ!!」

「…す、すみません…」

頑なな態度をとる彼女に折れたのは怪盗の方。彼は彼女の性格をよく理解していた為、こういう時に譲らない事を知っていた。断り続けて共倒れなんてそれこそ元も子もないと判断したのだ。彼は肩を借り、轢かれる寸前で曲がり角の先に辿り着いた。

「はあ…し、死ぬかと思った…」

「…っ…御見苦しいところを御見せしてしまいましたね…もう、平気ですので。」

「全っ然大丈夫じゃないでしょ!扉ももうすぐそこだし、次の部屋で休めそうなら休もう。」

この期に及んで未だに強がりを言う怪盗に佳澄は顔を顰めて苦言を呈した。そして、佳澄は怪盗に肩を貸したままゆっくりと通路を進む。暗く、何処に罠が有るのか分からない様な場所では腰を落ち着けられないと思ったのだ。しかし意外にも此処には罠が無く無事に扉まで辿り着く事が出来た。

扉には「腐敗」の文字。壁から突き出したフックには黒い鍵が掛かっている。佳澄はそれを使って扉を開けた。


その先は赤い壁の明るい部屋。そして、その壁に四つの鍵穴が有る金庫扉が有るのみで他に変わった所は無い。鍵穴にはそれぞれ白、黄、黒、赤の色が付いたパネルが下に割り当てられており、鍵穴の上には「Magnum opusを完成させよ」の文字が記されている。

特に罠の様な物が見られない事を確認して、怪盗は壁に背を預ける様にして腰を下ろした。

「まぐ…なに?これ何語なの?」

「マグヌム・オプスですよ。ラテン語です。一般的には芸術作品の大作や傑作を表す言葉ですが、この場では恐らく錬金術の“大いなる業”を指しているのでしょう。」

「もー!分かんないよ。絶対知識無きゃ来れないじゃんこんなとこ。何のために作ったんだろう。」

「態とそう言う設計にしているのでしょう。ですが必要な知識は少し調べれば出て来る様な基礎的なもの。少しでも錬金術を学ぶ気が有れば通れる筈ですよ。」

「じゃあ、此処を造った人は弟子でも欲しかったのかな?」

「…かもしれませんねぇ。」

そんな優しい理由ならあの黒い通路の異様な罠の数々は何だったのかと言いたいところだが、館の由縁など左程興味が無い怪盗はその言葉を呑み込んだ。そんな事より脱出する手立ての方を優先すべきである。幸いにも先程自分でも言った通り、必要な知識は触り程度で十分のようだ。その証拠に怪盗は既に金庫扉の謎も解けているのだ。失血と痛み止めの効きが遅いせいで少々休養を必要としているだけで、先に進めない訳ではない。彼が佳澄の雑談に付き合っているのはその為だ。

「…ねえ、何で怪盗なんてやってるの?」

「……御答え出来兼ねます。少なくとも私には答えられません。」

急に変わった話題。佳澄はこんな機会でもないと訊けないだろうと思い、恐る恐る訊いたが良い返事は無かった。しかし何故だかそれは誤魔化し、煙に巻く為の返答には聞こえなかったのだ。本当に、自分が答えるべきではないと唯それだけを伝える様な響きだった。

(自分の事なのに、変なの…)

そう佳澄が思っていると、不意に怪盗は立ち上がった。体感時間としては5分程度の休憩だった。

「もう良いの?」

「ええ。」

そう答えた怪盗は怪我など感じさせない様に金庫扉に向かう。そして此処に来るまでに手に入れた鍵をそれぞれの色に、黒、白、黄の順で挿し回していく。

大いなる業には段階がある。順に黒化(ニグレド)白化(アルベド)黄化(シトリニタス)、そして赤化(ルベド)。それをなぞれと言う事だろう。

怪盗の読み通り赤色のパネル部分が飛び出し、中から赤色の鍵が出て来た。それを残りの鍵穴に挿して回せばガチャンと一際大きな音と共に開錠した。

赤い鍵だけは回収出来たので怪盗がそれだけ持って中を覗けば下へ続く螺旋階段になっていた。下まで降りると一つの扉が有る。


「賢者の石」と書かれた扉を赤い鍵で開くと中は研究室の様だった。壁際には棚が並び、中央のデスクにはフラスコや試験管が置かれている。埃の積もり具合から長らく使われていなかった事がよく分かる。それを見てか怪盗はシルクハットのつばをグッと下げた。

「うわ…凄い埃っぽい……ケホッケホッ…」

「まあ、少なくとも数十年は使われていませんからね…辛かったら出ていても良いですよ。」

「だ、大丈夫よ。」

二人は酷い埃に口許を押えながら探索を開始した。

四つの棚の内一つは硝子戸の付いた器具用の物、残りは本棚だ。この狭い部屋なら手分けしても問題無いだろうと判断し、入口から見て手前の器具棚と本棚、デスクを怪盗、奥の本棚二つを佳澄が調べる事になった。本棚に並ぶのは「不老不死」「賢者の石」「遺伝子」「時間」「神話」などに言及したものが多く、佳澄には理解しかねるものばかりだった。怪盗も書籍の内容には興味を持たず、背表紙だけ流し見してデスクの方を調べ始める。

怪盗はデスクに置かれた数枚の資料を流し読みした後、鍵の掛かった引き出しをピッキングで開いた。中には雫型の赤い鉱石が入っていた。そして、彼がそれを手に取ると僅かに悪寒が走る。

(若しやこれが本物の賢者の血晶…?しかもアーティファクトですか。)

そう判断した彼は佳澄に見られない様にさっとそれらを懐に仕舞った。丁度そのタイミングでゴゴゴゴゴと言う音と「わあ!」と言う佳澄の声と共に彼女が動かしたのであろう仕掛けが作動した。怪盗が其方を振り返ると、移動した本棚の先に上に向かう階段が見えた。

「御手柄ですね。お嬢さん。」

「う、うん。なんか一冊だけ逆様の本が有ったから引っ張ってみただけなんだけど…これで上に戻れるかな?」

「行ってみましょうか。」

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