賢者の血晶 白化
「では、行きましょうか。小林探偵のお嬢さん。」
「う、うん。」
床は1m四方のタイルが敷き詰められており、壁の一角がタイル一枚分だけ内側に出っ張っている。出っ張っている箇所の一面をよく見てみれば少しだけ浮いている。もしやと思い軽く押してみれば壁がスライドして行き、壁に埋め込まれた白い鍵と扉が現れた。そして、扉には「再結晶」と書かれている。
「再結晶?何の事だろ。」
「さあ、未だ何とも言えませんね。兎も角、開けて見ましょうか。」
白い鍵を使って扉を開くと先程よりは狭い部屋に出た。
先程とは打って変わって黄色の壁のその部屋には扉は無く、奥の壁には何かの仕掛けが有る。四角い金属ブロックが横一列に七つ嵌め込まれており、それぞれ左から順に「Au」「Sb」「Cu」「Pb」「Sn」「Hg」「Fe」と彫り込まれていて文字通りの金属の色をしている。そして、上にはプレートが貼られており「正しき順に惑星を並べ替えよ」と書かれていた。
それを見た佳澄は困惑の表情を浮かべる。
「なにこれ、謎解き?でも惑星なんて何処にも…」
「…錬金術、でしょうね。これらの金属は惑星記号で表す事が出来るものですから。」
「そうなの?」
「ええ。Auは太陽、Sbは地球、Cuは金星、Pbは土星、Snは木星、Hgは水星、そしてFeは火星となります。後は“正しき順”と言うのが太陽からの距離であれば…」
そう言いながらブロックを抜き取り、嵌め直していく。
「それなら私も分かるよ。水金地火木土天海って習ったし。」
「そう、その通りです。」
最後にPbのブロックを嵌め込めば、ガコンッと何処かから何かの仕掛けが作動する音が響いた。
「えっ!なになに!?」
驚く佳澄をよそに警戒しつつ周囲を見渡せば文字の書かれたプレートが外れ、更に横の壁の一部が動き扉が出現した。プレートの奥には小さな空間が空いており、中には黄色の鍵と丸い銀色のプレート。プレートには「Ag」の文字。
そして扉には「黄金」の文字が書かれている。それは黄色の鍵で開いた。
扉の先はとても暗い部屋だった。四方を黒で固められている上、照明も心許ない。これは流石にライトが必要だろうと思い、二つ懐中電灯を取り出して片方で先を照らした。そしてもう片方を佳澄に差し出す。
「どうぞ。足元、お気を付け下さいね。」
「い、要らないわよ!スマホ有るもん!」
「でしたらあまり不用意に歩き回らない様に。絡繰り館と言うに相応しい仕掛けがあるのは先程ご覧になった通りですから、どんな罠が有るか…」
如何やら怪盗からの施しは極力受けたくないらしい彼女は自分のスマホを取り出してライトを点けて中に入ってしまった。そんな彼女を追い掛け、忠告をしたのも束の間。
ガコン
彼女の足元から嫌な音がした。はっと目を遣れば右足が踏んでいるタイルが沈んでいる。何かのスイッチが押される様に。
すぐさま周囲を見回せばキラリと光を反射するものを捉えた。
「危ない!」
「…えっ!」
咄嗟に彼女を押し退け庇った私は、左大腿に突き刺さる痛みに思わず息を詰めた。じわじわと血が滲むそこを見ればナイフが深く刺さっている。この館を造った人間はこんな物騒な仕掛けを作って、何を守ろうと言うのだろうか。
それでも不敵な笑みを崩さないのは最早怪盗としての意地と矜持だ。エンターテイナーは舞台に立っている間は魅せるべき自分を演出し続けなければならない。
それに、彼女に心配されるのは本当に苦手だから。だから、油断すれば震えてしまう声を何とか抑えて再度忠告をした。
「…お嬢さん、あまり不用意に動かない様に。良いですね?」
「う、うん…」
素直に答えた彼女はそのまま視線を下げた。そうすれば自然とナイフに目がいってしまう。不味いと思ったがこれは誤魔化しようが無い。
「そ、それ…今の!?」
「ええ。ですが、御心配には及びませんよ。それより…」
「ダメ!ちゃんと手当しなきゃ!」
「否、大丈夫ですって…っ…」
「良いから座って!流石にここで抜いたり出来ないから縛って固定するくらいだけどちょっとはマシでしょ。ほら!」
「…わ、分かりました。」
一歩も譲る様子の無い彼女に根負けして腰を下ろした。勿論、罠が無い事を確認して。
自分のハンカチを取り出そうとする彼女を制止て懐から包帯を取り出す。彼女の私物を汚すのは忍びない上、痕跡を残す訳にもいかないからだ。
「なんだ、ちゃんとそう言う物持ってるんじゃない。だったらちゃんと手当しなさいよ。もう!」
「あはは、御尤も。」
頬を膨らませつつ応急処置を手伝ってくれる彼女に苦笑するしかなかった。貴女に弱味を見せたくなかった、だなんて口が裂けても言えない。
しかし、彼女は怪盗アルセーヌを毛嫌いしている筈だ。なのに何故、此方の身を案ずる様に眉を下げるのか。私には解らなかった。
「立てる?」
「ええ、もう大丈夫ですよ。有難う御座います。」
互いに立ち上がると、再度周囲を見渡す。注意深く、不自然な箇所を見逃さない様に。細かいタイル張りの床の殆どはタイル同士の間がきっちり埋められているが、スイッチになっているタイルはその限りではない様だ。深い隙間が見える。壁も同様。この部屋の罠はよく見れば避けられる。
佳澄に注意を促しつつ無事に扉の前までやって来ると、今までの扉とは違い引き戸になっていた。そして「冥王星」「月」と書かれており、その下には丸い何かを嵌め込める窪みが有った。
「…成程、先程の続きですね。お嬢さん、危ないかもしれませんので少し下がって下さい。」
佳澄を下がらせた後、迷い無く「月」の下の窪みに「Ag」のプレートを嵌め込んだ。カチっと言う音に警戒して周囲を見たが引き戸が動いて通路が現れた以外に変化は無かった。罠の類は作動しなかったらしい。
しかし通路の方はこの部屋と同じタイルの壁と床、そしてライトの光を僅かに反射する細い糸が見える。如何やらこの部屋以上の罠の巣窟と化している様だ。これは潜り抜けるのに苦労しそうだ。
◇◆
館の一階、展示場であるエントランスから最も離れた客室に家達はやって来ていた。赤いカーペットに部屋の大きさに合ったシャンデリア、セミダブルのベッドに机や椅子、クローゼットとホテル顔負けの内装だ。これが数部屋有ると言うのだから恐ろしい。
部屋全体を見渡して気が付く。狭くないか、と。
否、廊下の向かい側の部屋とは変わらない広さだ。しかし、此方はエントランス側に位置しており、奥行きはエントランスと同じくらい無いとスペースが余る筈。にも拘わらず、明らかにエントランスより狭いのだ。廊下は真直ぐ突き当りまで伸びていて目立って幅が変わってはいないし、館の外観も窪んでいる場所は無かった。つまり、空間が空いている事になる。
「…隠し部屋か。」
自然と口角が上がる。探偵にとってこういう謎は大好物なのだ。
◇◆
「其処のタイルは踏まないように。後、此処に糸が張られているので切らないように気を付けて下さい。」
「う、うん。」
アルセーヌは罠を作動させない様に細心の注意を払い、左脚を庇いながら通路を進む。佳澄も素直に指示に従っていた。一度罠を踏んでしまった事を気にしているのだろうか。それとも自分には罠を見抜けないと判断したのだろうか。実際はその両方で、彼が居なければ幾つ命が有っても足りなかっただろうと、張り巡らされた罠の数々に佳澄は身震いする思いだったのだ。
彼の怪盗アルセーヌの実力を持ってしても全てを避ける事は出来なかったらしく、幾つかは作動させてしまっている。それは決まって佳澄には被害の及ばない位置での事だったが、見る限りでも鋭い矢や刀が飛んできていたり槍が降って来ていたりと殺す様な勢いの罠ばかりだったのだから。
それでも弱音を吐かないのは相手が怪盗だからだろう。しかし怯えているのは事実で、顔色は若干悪かった。そんな彼女の様子に、怪盗は気が付いていた。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ!貴方こそ脚、大丈夫なの?」
「平気ですよ。御心配痛み入ります。」
分かり易く強がる佳澄とは反対に怪盗は涼しい顔で返した。何度死んでいても可笑しくない状況だったのに彼は作動した罠の全てを軽々と避けていた。
そうして真直ぐな一本道を進んでいると行き止まりに辿り着いてしまった。
「うっそぉ!行き止まり!?」
「いえ、何処かに隠し扉でも有るのでしょう。恐らくは何処かにスイッチが…」
そう言って周囲を見渡す怪盗の言葉に佳澄は顔を引き攣らせる。
「…この罠の、どれかって事…?」
「御安心を、お嬢さん。左程難しい事ではありません。先程の部屋との繋がりを考えれば鍵となるのは銀や月。それらしいスイッチは全て押して来ましたから。後は……嗚呼、これでしょうか。」
怪盗が他と異なり金属光沢のある銀色のタイルを押し込むと、ゴトゴトと音を立てて目の前の壁がせり上がり通路が現れた。しかしそれと同時に背後の壁もせり上がり、来た道は上から落ちて来た鉄格子で塞がれてしまった。




