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海淵の瞳と目覚め

―翠、どうしてですか?―

―もう私はどうしたら良いか分かりません―

―どうか、どうか貴方は、貴方だけは―


ハッと目を覚ました。時間を確認すれば午前5時半。掛けていたアラームの30分前だが、二度寝出来る時間でも無いのでカーテンを開けて朝日を見ながら大きく伸びをした。

自分以外の住民のいない一軒家のリビングで朝食を食べながらニュースサイトを眺める。そこはとある豪華客船の話題で持ち切りだった。


『3月30日午後10時、海上の麗しき瞳を頂きに参上致します。

                      怪盗アルセーヌ』


予告日に出航する豪華客船には“海淵(かいえん)の瞳”と呼ばれるアクアマリンのネックレスが展示される。五日前に怪盗アルセーヌはそれを狙うと予告したのだ。そして、今日がその客船の出航日。3月30日の午前10時に出港し、翌日の午前9時に帰港する。その内、清水財閥のご令嬢_清水 亜紀(しみず あき)が主催する海上パーティーは3月30日の午後8時から午後10時まで、彼女はパーティーが終わるまで海神の瞳を身に着けていてその後はパーティー会場の展示ケースに展示するという流れとなっている。

盗み出すなら展示ケースに移す時が絶好のタイミングだろう。そう当たりを付けて予告を出したのだ。

乗務員に扮して裏口から潜入するプランの為、ゲストの乗船時間より早く着いている必要がある。幾度も反芻した船内図と逃走経路は脳に焼き付いている。

身なりを整え、コンタクトレンズを着け、必要な道具を持って自宅を出たのは7時前。実に予定通りである。

(さて、博士と合流して車を回して貰って潜入する訳だけど…あっ来た。)

近付いて来た白いミニバンに安堵した。

博士こと、本名伯ヶ部 博(はかべ ひろし)は怪盗アルセーヌとして活動する翠の手助けをしてくれる心強い味方だ。主に犯行に使う道具の制作をしている発明家である。が、偶に発明家故に熱中するあまり夜更かしをしている為、この時間帯に起きてくれるかは少し心配だったのだ。

「お早う、博士。車サンキューな!」

「お早う。ささ、早く乗りなさい。」

件の港までは車で30分程。

港に着いてからは人目に入らないように船に乗り込んだ。人がまばらで全く居ない訳でもなかったからか紛れるのは容易かった。

潜入は順調。変装用マスクで別人になりすまし、搭乗員として真面目に仕事をしておく。

暫く清掃員として三階デッキを掃除していると、ドレス姿の清水令嬢と坂口警部率いる警備隊が乗船している姿が見えた。どうやら今回は小林探偵は来ていないらしい。清水令嬢の胸元には輝くアクアマリン。情報通り、肌身離さず身に着けている様だ。

遠目に様子を伺っていると不意に宝石が妖しく光った。

「…っ!」

ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。何だか見てはならない何かを見てしまった様な気がして思わず目を逸らした。周りを見回しても他の誰一人として動揺する様子がみられなかったため、それを悟られぬようポーカーフェイスで覆い隠して仕事に戻った。


◇◆


午後8時。三階のホールにて、パーティーが開始された。

清掃員のままでは会場に入れない為、ドレスコードに着替え変装マスクも変えてゲストを装う。ひざ丈のフレアドレスにショールを肩に羽織り、ふんわりとしたセミロングの髪をハーフアップにした若い女性。それが今の自分だ。元々小柄で線も細いとよく言われるこの体なら違和感は無いだろう。

態々女装したのは“怪盗アルセーヌは男である”と言う先入観を利用する為。お陰で怪しまれず会場に入る事が出来た。

ホール内には料理が乗ったカートが並んでいてビュッフェ形式で食事をしながらのパーティーとなっている様だ。大理石の床に煌びやかなシャンデリア。流石は豪華客船と言ったところか。

あまり目立たない様、ホールの隅で周囲の様子を伺う。予告状を出している事もあってそこら中に警備員が配置されていて厳重な警備体制になっている。

そんな会場に入って来るゲスト達はその権威を示す様に高級品を身に着けている者が多い。

しかし未だ、主催の姿が見えない。時刻を確認すれば8時半を過ぎていた。何かあったのだろうかと周囲がざわつき始めたところでマイク越しに女性の声が響いた。

「皆様、今宵は私の為のパーティーにご参加頂き有難う御座います。」

夢の中にでも誘う様な妖艶な声。自然と全員が発生源に注目する。

会場の入り口。

そこには真っ赤なドレスに身を包んみ妖しげに微笑む清水令嬢の姿があった。その笑みが恍惚に歪み…

「それでは皆様、どうぞお楽しみ下さい。」

そう言った彼女が指をならすと、しんと静まり返った会場にはいやに大きく響いた。

次の瞬間、空気が変わる。

重く、甘く、何かに絡めとられる様な…そんな錯覚に陥る。

体の芯から凍り付く様な感覚、止まらない悪寒、本能的な恐怖。朝、あの宝石を見た時と同種のそれより遥かに酷い症状。

次第に力が入らなくなり、思わず座り込んだ。

霞む視界に映ったのはバタバタと気を失い倒れる人々。

何が起きているのかを理解する前に視界は暗転した。

 

◇◆


「…………うぅ…ん…?」

ふと意識が浮上する。数度瞬きをすれば視界がクリアになる。

悪寒は止まっていないが先程の様に力が抜ける感覚は無く、体を起こす事は出来た。立ち上がって周囲を見回せば場所は変わらず気を失ったパーティー会場の様だが、照明は点いているにも関わらずどこか薄暗い。

そして、清水 亜紀の姿は無かった。

こうなった原因は十中八九彼女の持つ“海淵の瞳”だろう。手掛かりはそれしか無い為、彼女を探す他無いのだが…

「…何処へ行ってしまったのでしょう。」

会場内に居ない事は確認できている。何時までも此処に居ても意味は無いだろうと判断して開いたままの扉から外へ出るとふと視線を感じた。

全身を嘗め回す様な、値踏みする様な、気色悪い視線。見回しても誰も居ない。窓から見える空も暗く曇っており、一層不安感を煽る。

立ち止まっているわけにもいかず清水令嬢の捜索をしているとやがて気が付く。それが特定の場所からではなく空間全体からのものであると。


―空間に見られている。


奇妙な感覚だが、そうとしか言いようがない感覚に寒気を覚えた。

(普通ではない、言うなれば悪夢でも見ている様な…)

そうとしか思えなかった。

じわじわと湧いてくる恐怖心を誤魔化し落ち着く為に、数度深呼吸をして改めて捜索を再開した。

三階を探し終え、会場前まで戻って来てしまったところで、視界の端に動く影が映った。会場内、警備隊の近くにいるスーツの男。

「……坂口警部…?」

小さな呟きだったが、どうやら聞こえたらしくバッと勢いよく此方を振り向いた。

「…お嬢さん。何故私の名前を…いや、そんな事より何が起こったか分かるかい?」

「いえ、私もよく分かってはいないのですが…ただ、清水様がいらっしゃらないのが気懸かりです。」

あくまで何処かの令嬢と言う体裁で話を続ける。警察と行動するのは抵抗があるが、状況が状況だ。一人で行動するよりはマシかもしれない。

「警部さん、一緒に彼女を探しに行きませんか?三階は探したんですが…」


ドシンッ!


「…っと。」

「うわっ」

言葉を遮る様に上階から大きな物が叩きつけられるような音が聞こえた。それと同時に船全体が揺れる。堪らず膝をつき揺れが治まるまで待った。

「これは…」

「上に行くしかありませんね。」

行きましょう、と彼を促して先行する。方向的にはデッキから、直上の階ではなさそうだと判断して四階を無視して階段を上ろうとすると、後ろから声が掛かった。

「待った、場所が分かるのか?」

「ええ、恐らく五階のデッキです。直上の階では無いと思いますので。」

有無を言わさぬよう背を向けて階段を上った。背後から制止の声と走る足音が聞こえたが、気にせずフロアを掛け抜ける。追って来ているのなら結果は変わらないのだから。

デッキへの扉を勢いのまま押し開けると其処には

「あっはははははは!!」

目を見開き狂った様に甲高い声を上げて笑う清水 亜紀。そして…

爛々と輝く海色の大きな瞳とぬらぬらとした灰緑色の皮膚を持つ、人間の二倍程の巨大なタコの様な生物。名状しがたき悪夢の主が其処にはいた。伸縮しうねる触手はソレがまだ成長途中である事を示しているのだろう。

足が竦み、全身が震えあがる程の恐怖が圧し掛かる。

だが、呑まれるわけにはいかない。吞まれてしまえば取り返しのつかない事になる。

笑え。

恐怖を呑み込み、余裕を繕え。

観客は少なくとも…


ここは私のステージだ!


ショールを広げて翻すと瞬時に変装を解く。

黒いシルクハットに燕尾服、目元には仮面、口元には不敵な笑みを。

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