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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い
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09.邂逅


 首都レベノスからかなり離れ、ファティマス山脈北部の森に差し掛かった頃、太陽は既に中天を過ぎていた。ベルスの飛行は極めて順調であり、日没までに山脈を越えることができそうだ。山脈さえ越えて南ファティマスに入れば、ファーマまではもう一息である。

 手綱を握りながら、アリシアは胸の内で色々なことを考えた。

 デールが言いかけた本当の両親の話。聞きたいが、聞くのが怖い。ただの思い出ならきっととうの昔に話されていただろう。

 襟を正し機会を正し、そこまでしなければならない程の一体どんな過去が自分の両親にあったのだろうか。両親が病没したというのは育ての親たちの白い嘘だ。想像に難くない。年端もいかぬ子に末裔狩りという最期をありのまま説明するのは、当然に憚られただろう。

 気掛かりなのは、ルークと名乗ったあの竜騎士の言だ。

 近い内におよそ二十年ぶりの末裔狩りが始まるが故、国外に脱出すべきだと彼は忠告してきた。両親の死後、二十年近く隠れ生き延びたアリシアに対し、それでも彼はそう警鐘を鳴らしたのだ。

 それほどまでに苛烈なのか。

 竜の末裔を捜す――末裔狩りは。

 額の傷が鈍く痛む。本当にあの竜騎士は親切心だけで言ったのだろうか。彼はなにかを知っているのだろうか。約束の証にしては高価すぎる祈りの石にさえ、疑問が残る。

 


 考えながらも目前に迫ったファティマス山脈を越える為、徐々に飛行高度を上げる。と、アリシアの耳に突然聞き慣れない音が飛び込んできた。

 一瞬だ。

 だが確かに聞こえた。なにか爆発音のような音と、微かに人の声らしきもの。

 不審に思ったアリシアは手綱を引く。一度空中で停止し、注意深く耳を澄ます。しかし不審な音は続かず、森はいつものように平静を保っているように見えた。時たま鳥達の甲高い鳴き声が聞こえてくるばかりで、森は深く青く繁っている。

 爆発音に聞こえたのは魔獣同士の争う音だったのかもしれないし、人の声に聞こえたのはただの空耳だったのかもしれない。この辺り一帯は最も古い森だ。交易路が潰れてから久しく、飛竜がいるならまだしも今現在人間が足を踏み入れているはずがない。

 自問自答して、アリシアの答えは出た。気のせいだ。

 引いていた手綱を緩めて再び進もうとした時、しかし今度こそはっきりとなにかが崩れる音が聞こえた。無視するにはあまりにも大きすぎる。

「どこ?」

 無意識に音の出所を探して、眼下の森に視線を走らせる。濃い緑が一面広がる中、目に映ったのは森の狭間から舞い上がる膨大な砂埃だった。次いで巨大な咆哮が轟く。

 不吉なそれに、背筋が粟立つ。

「確か、この辺りって」

 記憶を辿り戦慄が走った。

 間違いない。この古い森はベヒモスたちの縄張りだ。巨大獣に分類される魔獣の中でも最大の身体と力、それはもう尋常でない怪力と断じていいレベルの力を誇る危険な魔獣である。

 上空の安全圏にいても恐怖に手が強張る。

 彼らが棲みつき、かつここ数年で爆発的に増殖したが為に、付近の交易路は真っ先に寸断されたも同然だった。

「どうしてこんなに攻撃衝動が」

 ベヒモスは同族同士では激しく争わない。知能が高く、歴然とした階級社会を形成する魔獣だ。ましてファティマスの生態系頂点に君臨する魔獣に挑む獣などいない。

 不可解だ。

 無意識に上空から様子を窺っていると、しばらくして目を疑う光景が飛び込んできた。

 森が消えている。

 先ほど舞い上がっていた砂埃の場所だ。二日前に通った時には木々が鬱蒼と生い茂っていたはずだ。それが今は、風に流れかけている砂煙を中心に一帯が薙ぎ倒されている。古い森とはいえ無残な姿だ。

 更に驚くべきことに、開けた森に、巨大な神殿らしきものが見える。

 びっしりと苔に覆われているが、間違いなく石造りの人工建造物だ。ベヒモス急増が原因で、捨てざるを得なかった集落はこのあたりに幾つかある。しかし捨てられた集落の一部にしては、眼下の神殿には最近まで人が使っていた痕跡は見えない。その建築様式も随分と古そうであることが見て取れる。

 森全体に響き渡るような咆哮が上がる。

 神殿から目を離すと、今度は影が木立を縫うように動くのが見えた。

 速い。

 目を凝らす。立っているのが五人、倒れているのは三人。全員が竜騎士の装備を纏っているが、象徴であるはずの飛竜は付近に一頭も見当たらない。

 飛竜が先に倒れ、やむなく彼らは自身の手で戦っているのか。

 そうだとしても、そこに至るまでの経緯があるはずだ。見るからに深い、ましてベヒモスが棲みつく森に敢えて踏み込んだ理由が気になる。普通に考えれば自殺行為だ。

 樹齢七、八百年は悠に超えようかという巨大な木々がいとも簡単に倒されていく。空から見ても判るほど、倒れている三人の傷は深い。暴れる魔獣の血もあれど、辺りに飛び散っている血の大部分が彼らのものだろう。飛竜という、竜騎士が誇る最大の利点である機動力が奪われては、ベヒモス相手にいかな竜騎士といえども五分の勝負は厳しいと見えた。

 アリシアは迷った。

 昨日のレベノスでの出来事が脳裏をよぎる。

 額の傷は生々しく残っている。自分がなにをしても、むしろなにもしなくても、結局自分の存在は人々にとっては疎ましいものであるのは確かだ。それを額の傷は淡々と語りかけてくる。

 まして竜騎士ならば国軍所属の人間としか考えられない。両親の敵だ。それを承知の上で尚、助ける必要があるのか。

 国軍は、両親を助けてはくれなかった。

 

 躊躇う理由はもう一つある。彼らがベヒモスと戦っているという事実そのものが解せないのだ。

 動物と違い、魔獣にはどこにいても自らの縄張り内の様子を把握する能力がある。例えば下級魔獣の縄張りに侵入した場合、主はすぐさまその場にやってきて侵入者を排除しようとする。

 しかし、この森の生態系の頂点に君臨するベヒモスは、通常人間を襲わない。

 ファティマス大陸固有種である彼らは、各々が広大な縄張りを持っている。仮に侵入者がいたとしても、彼らはその侵入者が自らの縄張りを立ち去るのを待つ。

 だが縄張りを荒らす、森を傷つけるような行為が為された場合、それと分かる警告をする。そこで立ち去らない者に対し、初めて彼ら自身の爪と牙による制裁が加えられるが、彼らの姿を見て尚、彼らの警告に従わない者はファティマスにはいない。

 上級魔獣。

 姿形の違いは様々にあれどそう呼ばれるものたちに共通しているのは、人間に匹敵するとも言われるその知能の高さだった。

 アリシアの知る限り、数少ない上級魔獣であるベヒモスが怒り狂うのは、警告を無視した侵入者に対してと、彼ら自身に直接危害が加えられた場合だけだ。本来は寛容である森の主が一度怒りの咆哮を上げると、彼らの逆鱗に触れた者には必ず死の鉄槌が下される。

 互いに傷付けずに済むなら、そうする方法があるのなら、無理に戦わずとも良い。

 魔獣より人間の方が恐ろしくなる。無用な争いを避ける魔獣と、悪と決めれば躊躇なく相手を傷付ける人間と、どちらがより優れているだろう。

 どちらにせよ下の様子を見る限り、竜騎士たちが二つの禁を破ったのは明白だった。

 本来は避けられた争い。この古い森において無知は言い訳にはならない。そう、この場合は人間の方が殺されても文句を言えない状況だ。

 自業自得、竜騎士たちが悪い。

 そう結論づけてやはり立ち去ろうとした時、悲鳴と鈍い音が聞こえた。

 アリシアは唇を噛みしめた。なぜ。なぜ、行こうとすると追いすがるように、生きている音が耳に届く。

 振り返る。

 どうやら戦っていた一人が負傷者を庇ったらしい。強烈な一撃を受けた男は森の奥まで吹っ飛んでいた。普通の人間なら即死だ。

 視線を戻すといつの間にか立っているのは一人だけで、その一人も防戦一方で動きも鈍くなっている。彼の腹部からは大量に血が溢れ出ていた。

 

 助ける必要はない。


 過失がどちらにあるか目に見えているのに。

 過失がなくても、自分は迫害されてきたのに。

 

 が、額の傷はそこでもう一つの事実を叫ぶ。この手当をしてくれたのもまた、竜騎士だったと。

 一瞬目を閉じた後、アリシアは背の槍を抜いた。



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