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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い
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06.騒動


 アリシアが全ての買出しを終えたのは夕方だった。最後に買ったヴェールを宿に置き、一息ついた後、夕方もう一度アリシアは街に出た。

 人の流れは増える一方だ。

 今日は、というよりこの一週間はレベノス新年祭で、毎夜様々な催しが街中で行われるからだ。大小様々、色とりどりの出店が所狭しと並んでいる。まだ日が落ちる前だというのに、この首都に名高い祭りには全土から人が集まっているようだった。

 その中で、一際人だかりの大きい一角がアリシアの目に留まる。

「……祈りの石」

 掲げられた看板の文字を思わず声に出して読む。

 熱心に石を選ぶ者、装飾の注文をする者。さざめきあい、喧騒が膨らんでいる。

「赤のカルネリアにして。あなたの気持ちを、ずっと私にちょうだい」

「しょうがない奴だな」

 若く身なりの良い男女が甘い会話を交わす。

 すぐ横では体格の良い騎士然とした男が、店主に声をかける。

「その上から二つ目のマリナタイトを」

「おやお客さん目が高い。忠誠の青、さて誰に誓うのやら」

 折り重なる願いは途切れることがない。

「装飾は銀でお願い。家紋は、」

 口々に。

 通りすがりに少し耳を傾けるだけで、それぞれが自分たちの願いを口にする。

 祈りの石。

 ファティマス北部の一部の鉱山でしか産出されない、世界的にも大変希少価値の高い貴石のことを指す。古くから王族や貴族、神官が身に着けたと言われるそれは、持つ者の祈りに応える力があるとされてきた。

 流通は完全に国に管理されており市場に出ることはほぼなく、庶民にはとても手の出る代物ではない。しかし年に一度のレベノス新年祭でだけ、こうして公に店が開かれる。

「欲しいけど、無理ね」

 手に入れるには莫大な金がいる。まして石自体の数が少ない。今からこの人だかりに分け入ったとして、店主の顔を見る頃には貴石は全て誰かの手元に渡っているだろう。

 これもまた、自分には一生縁がないものの一つだ。

 そっと心で呟いて、アリシアは「祈り」という文字から目を逸らす。それは今の自分から最も遠いものの一つだ。歩きながら、アリシアは朝に考えていた続きを思い出した。


 自分の瞳。

 琥珀のような薄い金のような。それだけならそう珍しくもないが、アリシアの虹彩は鮮やかな赤で縁取られている。コルトの言う「太陽の瞳」とは確かに色合いだけ見れば当てはまるが、普通ではない。異端の瞳だ。

 認識したのは初めてレベノスに来た時だ。あれはそう、十六の頃だった。

 アリシアの頭が少しだけ痛む。

 前後の記憶はぼやけている。水に滲むインクのようだと言えば、それが適した説明かもしれない。ただ、ところどころがまるで絵のように鮮明に焼きついている。思い出すことなどほとんどないが、思い出した時にはあまりの鮮やかさに瞬きを忘れる。

 手。

 手を怖いと思う。

 悪意のない差し伸べられた手すら怖ろしいのは、あまりにも克明にあの日を思い出せるからか。

 耳に残っている細切れの単語――末裔、まさか、偶然だろう、どうあれ関係ない、いっそ都合が良い――身勝手な言葉の羅列は、アリシアを人間として認めていなかった。


 そこまで考えた時、衝撃に身体が大きく傾いだ。

 腰になにかが当たった。

 思いがけない衝撃にたたらを踏むも、堪えきれずアリシアは転んでしまった。

「いたた……」

 咄嗟に石畳についた右肘をさすりながら顔を上げる。すぐ傍で小さな男の子が転んでいた。考え事のせいで、その存在に気付かなかったらしい。

 今にも泣き出しそうな男の子を見て、アリシアは慌てて起き上がりその子を抱き起こした。

「ごめんね、大丈夫?」

 謝りながら手を差し出す。最初はそれに応えて手を取ろうとした男の子が、しかし、突然その小さな手を引っ込めた。

 急な行動に困惑する。

 アリシアが出した手をそのままにしていると、その子がすごい勢いで手を払った。払ったというよりは、殴った、に近かった。

「え、」

 痛みに手がじわりと痺れる。

 思考がついていかずアリシアが固まっていると、男の子が叫んだ。

「寄るな疫病神!」

 不意にぶつけられた剥きだしの言葉に息が詰まる。

 彼は真っ直ぐにアリシアを睨みつけていた。

「そうやって優しいふりして沢山殺しちゃうんだろ! 僕は知ってるぞ!」

 アリシアは無意識に首元に手をやっていた。

 涼しい。そして視界も開けている。隠していたはずのアリシアの目は、白日の下に晒されていた。

 目の前の子、歳の頃は九歳か十歳だろう。年端もいかぬ少年がこの一瞬でこうまで嫌悪を見せるなど、尋常ではない。

「お前がいなきゃ、父ちゃんが死ぬこともなかったんだ! なんで、なんでお前たちが生きてるんだよ。お前たちなんか皆死んじゃえばいいんだ!」

 幼い声があらん限りに絞り出される。その目には涙が盛り上がっていた。

 周囲に視線を走らせると、自分たちを中心に遠巻きに人だかりができていた。突然始まった諍いに好奇の目が寄せられている。群衆は事の全容を把握できておらずざわついているが、一番手前にいる大人たちの顔色が徐々に変わっていく。

 眉を潜めて周囲と囁きあう者。

 目配せをしてそそくさと立ち去る者。

 興奮も露わに連れに大声で呼びかける者。

 ただの喧噪に、やがて明確な疑心と嫌悪が広がり始める。異形の魔獣を見る以上に醜悪なものを認めたような、冷ややかな空気が蔓延する。アリシアが視線を向けるだけで、人々は慄き後ずさった。

「なにしてるの!」

 金切り声が空気を裂いた。

 人ごみからまろび出るように、女性が男の子に走り寄る。どうやら母親らしい。咄嗟にアリシアは彼女の腕を掴んだ。ただもう夢中だった。

「ひっ! は、離して!」

 心底怯えている彼女に向かってアリシアは問うた。

「どうしてこの子のお父さんは亡くなったの」

「そ、そんなの決まってるじゃない! あんたたちが悪いの、なにもかも全部竜の末裔のせいよ!」

「だからどうして」

 しつこく食い下がるアリシアに、彼女は手短に言った。

 

 竜の末裔がいるから国が荒れる。

 末裔のせいで男は軍役に服さなければならない。

 末裔のせいで起こる無意味な戦争で、一体何人が死んだ。

 飛竜ですら末裔のせいで無残に殺された。

 死ななくていい者たちが死んでいくのは、全て末裔が存在しているからだ。


 母親は少年に良く似ていた。茶色の瞳に感情が暗く宿っている。射貫かれて、アリシアの手から力が抜けた。

 理屈ではないのだ、と思い知る。

 かつて竜の一族が大戦を引き起こし、世界を壊滅させたというのは歴史の事実だ。千年前、当時の戦争では兵役もあっただろう。しかし目の前の少年の父親が亡くなった理由と一族は、時間軸を考えると直接的な関係はないと言っていい。

 そして最後の末裔狩りは十九年前に終わっている。

 アリシアは隠されて生き延びた最後の一人で、公には知られていない。十九年前を境に、本来であれば竜の末裔が理由になることはないのだ。

 にもかかわらず、強い怨嗟が続いている。

 全身全霊でぶつけられたそれを、アリシアはどうすることもできなかった。

 彼女が息子を連れて走り去っていく。周囲はまだ自分に注目している。それなのに、アリシアが視線を向けると誰もが目を逸らす。囁き、耳打ちし合うざわめきだけが大きくなる。

 助けが来ることはなく、下を向くしかなかった。

 正体が露見した以上、ここには留まれない。分かっている。それは経験から確かなことだ。間もなくレベノス警備隊か、悪くすれば国軍が出てくるだろう。捕らえられる前に逃げねばならない。

 自分の存在を全否定される場所に、人は存在することなどできないのだ。

 立ち上がろうとした時、額に鈍い音と共になにか固いものが当たった。石が地面に転がる。けれど不思議と痛みは感じなかった。

 逃げるようにその場を走り去る自分が、ただどうしようもなく惨めだった。

 

*     *     *     *


 その瞬間、通りがざわついたのがルークにも分かった。隣を歩く部下を見れば、彼も気付いたらしく首を僅かに捻って見せた。

「何事だ?」

「さあ……いくら一の夜といっても、まだ時間は早いんですがね」

 いちのや。

 部下の言ったそれは、このレベノスで開かれる新年祭の始まりを祝う幕開けの夜を指す。一の夜、二の夜と数えていき、最後の七日目まで冬を越え春が来たことを祝う祭りがあり、今日は丁度その初日だった。

 一の夜は殊のほか盛大に祝うのが習わしとなっている。

 このレベノスの中心にある大路の他にもあちこちに露店が開き大道芸が闊歩し、大変賑やかな様相を呈す。レベノスの春の風物詩だが、しかし盛り上がるのは日が落ちてからだ。闇夜に煌めく数々の光が幾千もの宝石のようだと形容されるほど、各地に名高い祭りである。

 しかし部下の指摘するとおり、日は傾いているがまだ夜ではない。

「今年は気の早い踊り子でも出たか」

「そうならそうで良いんですが。一応街頭警備という名目で抜けてきた以上、確認だけしましょうか」

「……そう言えばそうだったな」

「三日間も缶詰で息が詰まったと言ったのはあなたでしょう。あなたにしか決裁できない公務はまだ山二つ残っていたのに、こんな下っ端がやるべき街頭警備なんぞを入れ込むのにどれだけ私が調整したか。わざわざ一般兵に紛れる為に鎧まで調達して」

「ああもう分かった、行くからそう怒るな」

 延々と続きそうな小言を遮り、ルークは腹心の部下――ラッセル・ブライアースを小突いた。

「最初から素直にそう言えばいいんです」

 横腹に入った拳などまったく意に介さない様子のラッセルを見て、ルークは肩を竦めた。これではどちらが上なのか傍目にはまったく分からない。

 ただし、部下と言いつつもそれは便宜上だけであって、無二の親友との間に上も下もないというのがルークの考えではある。気持ちの上ではそうであっても、しかし便宜上という言葉がこの仕事をしている限り常に付きまとってくるのは致し方ないところだ。

 そんな相方から有難い小言を食らって再び歩き始めたものの、ただでさえ多い人波の中で現場がどのあたりなのかが分かりづらい。

「馬に乗ってくるべきだったな」

 そうすれば高い視点から容易に騒ぎの起点が分かるとルークは踏んだのだが、

「今以上の人数に揉みくちゃにされたかったんですか」

 にべもなく部下はそれを撥ねつける。

「お前、昔はもう少し遠慮があったし優しかった気がするんだが」

「気のせいです。私は昔からこうでしたよ」

 更にあっさりと言い放つラッセルは、率先してすいすいと人ごみを縫うように闊歩する。

「大体あなたにはね、自覚というものが足りないんですよ」

「何だそれは」

「少将であるということの」

 そこで珍しくこの気心知れた部下が、若干とはいえ滅多に見せない不満顔をしていることにルークは気付いた。

 大股で迷いもなく進んでいく背中を見ながら、ルークははて、と首を傾げた。しかしそれ以上言葉は紡がれない。そのまま大きな家屋を三軒ほど通り過ぎた時、ルークはラッセルを路地に引きこんだ。

「ちょっと、何をするんですか」

「何を不機嫌になっているんだ?」

「別にそんなことはありませんよ。それよりほら、早く行かないと」

「嘘をつけ。ここは事務所じゃないんだ、言ってみろ」

 腕組みをして、強めの口調で。

 そうすればこの部下が折れることをルークはよく分かっていた。今や互いに重すぎる公的な肩書きを背負ってはいるが、伊達に三十年を一緒に過ごしていない。

「あんな何を考えているか知れない軍事大国に、なぜあなたが三日間も対応する必要があったのかと」

 存外にあっさり、しかし目を逸らすことなくラッセルが明かした。

「ゴルガソスの使者のことか?」

「そうです」

「なるほどな」

 生真面目なラッセルの考えそうなことだった。

 三日前、東の大国ゴルガソスより正式な使者がこのファティマス大陸へ訪れた。目的は平和外交についての意見交換で、今後の両国の在り方について協議がなされた。

 使者を寄こしてくるということは当然、敵意がないことの表れとなる。この不安定なご時世にまったく相応しい内容で、これまで通り両国の友好な関係を希望するという総意に至った。

 そうして表向きは特に問題もなく会議を終え、今日の昼に使者を送り出したばかりだ。

「胡散臭いんですよ。内戦を抱えている世界一の軍事国家が、こんな小国に構っている暇があるのか」

「まあお前の言うことも分からんでもないがなあ」

 それを今ここで持ち出してもどうしようもないのだ。

 既に会議は終わっているし、ルーク自身対応もしてしまった。ただしそれはラッセルも良く分かっているはずで、だからここでこんなことを言い出すのは多分に愚痴の意味合いが大きいのだろう。

 大きいのだが。

「気になるのか」

「杞憂であればいいんですけどね。この二十年ほどが、あまりにも平和すぎたせいかもしれません」

 多少は鬱憤も溜まっているようです。

 そう言って、同じく三日間の会議に缶詰だったラッセルが苦笑した。

「会議も終わったし、忘れましょう。ほら」

 歩きだそうとしたラッセルを見て、ルークはひらりと手を振った。

「やはりいい。お前一人で行ってくれ」

「は?」

「俺は王宮へ戻る。少し考え事だ」

「……まあ、構いませんが。ですが本当にいいんですか、一の夜は? あなたが言いだしっぺなのに」

 非常に魅力的な提案だったが、ルークは後ろ髪を引かれつつも辞退した。

 ラッセルにそんな意図があったわけではないとは承知している。が、やはり気になると言われれば気になる。それはルークも同じだった。

 もう一度、最近のゴルガソスについて調べ直す必要がある。

 そんなことを考えながら、ルークは王宮内の事務所へ戻る為、近道である路地を歩き始めた。

 

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