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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い

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05.不穏な噂


 遥か遠くの眼下にきらびやかな光が見えてきた。東西南北に大きく広がり、まるで天空から中身の沢山つまった宝石箱を引っくり返したようだ。

 青、赤、黄、白。

 とりどりに輝く光の街の名は、首都レベノス。日は完全に落ちているが、巨大な街はまだ眠らない。

「ありがとう。さ、行って」

 街道の外れ、夜陰に紛れてアリシアはベルスの背から降りた。

 そしてすぐにベルスを急かす。

 彼は僅かに翼を仰いだ後、漆黒の夜空へと飛び立った。その背が闇夜に溶けるまで見送る。やがて星だけになった空を仰ぎながら、アリシアはほっと息を吐いた。

 この瞬間だけは、どうしても緊張する。

 年に数回目撃される一部の野生を除き、飛竜は今や国軍でしか見ることのできない貴重な生き物となった。そんな飛竜を国軍でもない人間が使っているところを見られれば、間違いなく騒ぎになってしまうからだ。

 周囲に誰もいないことを確認してから、外していたローブのフードを深く被る。

 そのままアリシアは街道へと入り、夜の雑踏に溶け込むように街へと足を踏み入れた。石畳で舗装された道が靴底と当たり、硬質な音が響いた。

 


 翌朝の早い時間にアリシアは出かけた。

 今日は暖かいが、昨日と同じようにローブを纏い、フードを目深に被る。フードは端にうすぎぬを縫い付けた特製で、景色を透かして見ることができる上に、外からはアリシアの目の色が分からなくなる。

 レベノスを歩く時にはもう習慣になった格好だった。

 南のファーマほどではないが、大陸北端のレベノスにも春の気配はそこかしこに感じられる。穏やかな陽気を楽しむようにゆっくり歩きながら、アリシアはふと幼い頃を思い返していた。


 村の人間以外には、瞳を決して見せてはいけない。


 物心ついた時からコルトを始め、周囲から何度も忠告されてきたことだ。

 外の世界を知らなかった頃のアリシアはそれが不思議でならなかった。折に触れコルトからは「神様から祝福を受けた目、太陽の瞳だ」と言われていて、なのになぜ、と思っていた。

 その意味を理解したのはいつだったか。

 取り留めもなく過去を思い返しながら、多くの露店を通り過ぎた。さすが新年祭初日だ。街の中心に近付くにつれ、徐々に喧騒が大きくなる。最初はまばらだった人がどんどん増え、朝早くにもかかわらず街の大通りは活気に満ち溢れていた。

 そんな中、アリシアが向かったのは武器屋だった。

 今までにも何度か通りすがりに看板を目にしたことがある。だから訪れたことはなくとも迷わない。剣と斧が交差した大きな木の看板が目に入る。注意深く見ると随分年季が入っていて、深い色に所々ひびが入っていた。

 カラン。

 重い木の扉とは対照的に、軽く乾いたベルの音が店内に響く。客はまだ一人もいなかった。

 そこは街で一番の大店ということもあり、一瞥しただけで様々な武器が置いてある様子が分かる。壁の高い位置にある東の窓から静かに朝陽が入り込み、数多く陳列されている刃を照らしている。光は乱反射されながら、柔らかく店内に広がっていた。

 長剣。短剣。優美な装飾のものもあれば、機能だけを重視したような簡素なものもあった。続き大剣、曲刀、小刀などが並ぶ。目に鋭い刀身を横目で見ながら、奥に足を進める。歩く度、古い木の床がぎしりと鳴った。

 チェインフレイル。杖。鞭に斧。使い手の限られる希少な武器も並ぶが、それらを求めて来たわけではない。

「あ」

 店の最奥、陳列棚の終わりにそれは横たわっていた。

 刃が青く輝く。

 槍だ。叩き切るもしくは殴り倒すことを主眼に置いている剣と違い、対象を貫くことが主の槍は剣とは異なる特殊な材質を使う。世界的に見ても産出量の少ないたった一種の貴重な鉱石――飛竜銀鉱石を精錬して造られる為、すぐにそれと分かるのだ。

 他と同じようにこの薄青い刀身も光に輝いている。まるで魅入られたようにアリシアは目を逸らせなかった。

 どれくらい見惚れていただろうか。

 唐突に、背後でコツ、と音がした。振り返って足元を見ると、うすぎぬの向こうにくたびれた古い靴が目に入った。

「槍をお求めですか?」

 一般の需要が無くなって久しいせいだろう。店の主人と思われる初老の男性は声に怪訝さを滲ませつつ、他の武器を求める他の客にするのと多分同じようにアリシアに声を掛けてきた。

「あの、……はい」

 ためらいながらも頷くと、店主が破顔した。

「良い目をお持ちでいらっしゃる。そちらはこの店で一番の業物わざものですよ。まあ今となっては買ってくれるお客様は滅多にいませんがねえ」

 そう言って笑う彼は言葉とは裏腹に、その今や誰も求めない槍を買おうとしているアリシアの存在に少しも疑問を持っていないようだった。

 アリシアは戸惑った。

 一番良いと言われても、そうと知って眺めていたわけではない。何となく自然に目が行っただけだ。それを口に出して良いかが分からない。他愛無い雑談でさえうまく返せず、フードの中で目を伏せる。

 店主は一しきり笑った後で、更に続けた。

「どうぞお手に取ってご覧下さい。きっとお気に召します」

「え?」

「その槍がお客様を選んだようですから」

「……選ぶ?」

「これは失礼、分かりづらかったですね。人と武器が出会う中には相性というものがありましてね。武器が主を決めると不思議とその手に良く馴染んで、切れ味が増したり刃こぼれがしなくなったりするんです」

 他にも取り回しが軽くなったり、失くしても手元に戻ってきたりと、不思議なことが起こると言う。

「とはいえ、武器たちが自分の主を選び取ることは滅多にありません。こと槍に至ってはそうですね。この仕事に就いてもう五十年程になりますが、今までそれを見たのはお一人だけでした」

「一人、ですか」

「懐かしいですなあ。あの頃が」

 話が止まらない。遠くを見ながらどこか嬉しそうな顔をして話す店主に、どう切り出したものかとアリシアは迷った。

 正直な所、こんな立派な槍などとても買えない。

 最初に目に飛び込んできたのは事実だ。店主の言う通り、ひょっとしたら本当に自分がこの槍に選ばれたのではないかと思えるほど、持つと手に馴染む。しかし自分の小遣い、まして預かってきた全財産をはたいても、まだ値の半分にも届かない。

 それだけ武器というものは高価なのだ。少なくとも軍人ではない者たちにとって。

 持っていた槍は昨日の戦闘で使い物にならなくなってしまった。その代わりを求めていただけで、一番ランクの低いもので良い。村を狙う魔獣を追い返すことができれば充分なのだ。

「すみません、私は」

 口を開きかけるが、同時に店主から思いもよらない言葉がかけられた。

「いや、さすが国軍所属の竜騎士様。良いものを見させて頂きました。お代は結構です。是非、末永くお使い下さいませ」

「それは申し訳なさすぎます。ええと」

 国軍の竜騎士など勘違いも甚だしい。

 妙なことになりかけて、慌ててアリシアは背中の棚に目を走らせる。

「これ。これがいいです、この一番安いやつを下さい。代金もお支払いします」

「いえいえ、遠慮なさらず。良いんですよ、このあたりは完全に私の道楽でやっているようなものですから」

 店主の手が槍の陳列してある棚を大きく示す。

 道楽でやっているから代金が要らないとは、本当にとんだ道楽だ。しかしなぜか勢いのある店主にそれ以上は物申せず、そうこうしている内に彼は最初の槍を抱えてカウンターへと戻ってしまった。

 二の句を告げず、遅れてアリシアも後に続くと、既に彼は手際よく包装用の皮をカウンター上に広げていた。もはやどうにもできない状態である。

「それにしても竜騎士ってのも大変ですね。近頃じゃ、あちこちの街を巡回してらっしゃるんでしょう?」

 手を動かしながら話し始めた店主、手元を見つめる視線は優しかった。

 ちなみに世間話を持ちかけられるのはいいが、竜騎士でもなく国軍に所属すらしていないアリシアは、曖昧に誤魔化すしかできない。白とも黒とも言わない相槌を、作業の片手間のお陰で店主が流してくれたのだけが幸いだった。

 合いの手の少なさに気を悪くするでもなく、店主は続けた。

 まず、今年に入ってからレベノスとその周辺都市の警備が厳しくなったこと。

 常に国軍の兵士がレベノスとその周辺都市に配備されるようになったという。そしてこちらは不定期ではあるが、かなり頻繁に竜騎士も巡回しているらしい。それだけなら騒ぎ立てる程でもないのだが、兵士も竜騎士も武装して、後者に至っては飛竜を使っている場面が散見されるそうだ。

 これはただ事ではない。

 とかく最近はどこに行っても物々しい雰囲気である、そう店主は顔を曇らせた。

 比例してなのかは定かでないが、国軍の採用者数も増えたという。店主としては売り上げが増えるのでそれは嬉しいことではあるが、やはり不安でもあると零す。

 確かに戦争など始まってしまえば、売り上げはともかく諸手を挙げては喜べないだろう。

「そう言えば、三日前にゴルガソスからの使者が着いたんでしょう? 一体なんなんでしょうねぇ。こんな南の果ての大陸にはなにもないだろうに」

 もう一つ、東のゴルガソス帝国が最近なにやら活発に動いているらしい。世界最強の軍事国家が各大陸に使者を送り、なにかを調査させているとまことしやかに囁かれている。

 が、詳細は当たり前だが庶民には分かるはずもなく、興味津々ではあるが店主の話は噂の域を出なかった。

「まあアスガルド王ならきっと大丈夫なんでしょうが。先日の生誕祝賀、去年よりもまた参列者増えてましたねえ。お陰で商売繁盛でありがたい限りです」

 出てきたのは、現王の名前だった。

 アスガルド・レイノア――首都レベノスに居城を構え、このファティマス大陸を最も公の意味で統治している人間だ。

 元々レイノア家はファティマス大陸を代々治めてきた家ではない。二十年前までは、ヴァン王家によってファティマス全土は統治されていた。しかし二十年前に当時の国王が度重なる末裔狩りを行い、最後の末裔狩りと言われた戦いで彼が命を落とした為、子のいなかったヴァン王家の歴史と統治はそこで終わりを告げた。その後、代々家系から国の重要職につく人物を輩出してきたレイノア家が国民により祀り上げられ、十九年前に新王家樹立となった。

 好戦的だった前王と違い、アスガルド王は温厚な性格であると知られている。彼はレイノア朝初代国王になって以来一度も戦争の為に国軍を使うことはなく、名君と誉れ高い王だった。

 アスガルド王は、基本的にどの国に対しても友好的政策をとっている。

 彼はファティマス大陸を守る為、他国と摩擦を生まないよう尽力してきた。他国の使者を迎える時は常に最高の礼を取り、金で解決できることにはそれを惜しまなかった。しかしそれでも不安定な世界情勢下、他国との間には未だ少なからず緊張が残っている。

 東が不穏な動きを見せたとなれば、いくら温厚なアスガルド王とはいえやはり警戒せざるを得ないのだろう。市民が噂をするということは、それだけ注目を浴びているのだ。今の所、北と西の大陸は目立った反応は見せてはいないというが、果てして先がどうなるかは分からない。


 世界の情勢、国軍、竜騎士。


 考えてはみたものの、アリシアにとっては遠い世界の話でしかなかった。

 そんなことよりも日々侵入してくる魔獣退治の方が余程重大だ。が、続いた彼の話は、少しだけその人物に会ってみたいとアリシアに思わせた。

「どうして私が道楽をやってるのかと言いますとね」

 手元で皮紐を締めながら店主が笑う。

「今から二十年も前の話になります。ご存知でしょうが、今では国軍所属の兵士には直接軍、つまり国から武器が支給されていますよね。昔はそうではなかったんです。兵士はそれぞれが思いのままに、好きなところで好きな武器を調達するのが当時の国軍の習慣でした。私の店も、こう見えてそれなりに繁盛していたんですよ。いえ、今でも贔屓にしてくれるお客様がいるので、なんとかやらせてもらってるんですが。

 それはそうと、ある日の朝のことでした。

 良く晴れた日で……今のあなたと同じように、一人の若い男のお客様が静かにあの棚の前に佇んでいたんです。丁度その前の晩に入荷した、新しい槍を手にとって眺めながら。

 聞けば、やっとの思いで国軍に入隊したばかりだったらしくて。年齢も二十歳から三十歳までしか採用されなくて、当時の国軍の採用試験は今よりずっと厳しかったんですよ。あ、いえいえ、あなたが楽をして国軍に入ったという意味ではありませんよ。ただの昔話なんですけどね。

 いつか竜騎士になる。

 はっきりと彼は宣言されました。その心構えの為に槍がいる、と。ルーク・フォルセティ。彼をご存知ですか?」

 レベノスから遠い辺境に住むアリシアですら、その名には聞き覚えがあった。ルーク・フォルセティ。確かファティマス国軍の数少ない少将の一人だ。

 基本的に軍隊において、大陸は違えどどの国軍もほぼ同じ階級制をとっている。

 上から主に大将、中将、少将の将官がきて、更にその下に大佐、中佐、少佐の佐官と続く。その下に大尉から始まる尉官などがあるのだが、大抵の国で佐官以上は竜騎士であることが求められている。

 実質上の軍のトップといえば、大将であるというのが常識だ。しかし、大将は戦時下でなければ通常一人しか置かれない。その下にいる中将、少将も、人数は片手で数えるほどしかいない。

 そんな少将の中でも最も優秀と誉れ高い竜騎士が彼、ルーク・フォルセティだった。まだ歳若い彼がいずれは大将の任につくというのは知れたことだった。

「確かあの時、彼は二十歳だったはずです。あれからたった二十年で、もう少将になられて……本当に夢を叶えられていたんですねえ」

 そんなことがあったから、どうにもやめられないのだと店主は熱っぽく語った。


 どうして竜騎士になりたいと思ったのか。その理由をアリシアは彼に訊いてみたいと思った。

 竜騎士は国軍の主力だ。飛竜を駆りその絶大な機動力をもってして、戦局に大いなる貢献をする航空兵力である。そんな竜騎士は、かつての末裔狩りで重要な役割を担ったことは想像に難くない。


 なぜ、国軍に。


 顔も知らない相手だが、聞けるものなら聞いてみたかった。


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