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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い

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23.残された痕跡


 苔に厚く覆われた柔らかい大地を踏みしめ間近に神殿を見上げると、迫るように大きな威容が感じられた。

 この神殿が生きていた頃は壁があったのかもしれない。しかし遺跡の上部はそのほとんどが崩れ、大きく太い柱が何本か残っているだけだった。

 太陽の光が幾筋も差し下りてくる。

 元は純白に近かったと思しき石組は今や色褪せ、大地と同じように苔生すもの、蔦の這うもの、いずれも静かに横たわっている。神殿の心臓部へと昇る簡素な階段に辿りつくと、すぐ横にある基部の石に、円を基調とした紋章が彫り込まれていた。

「……太陽の神殿、か」

 読み上げたフレイに、アリシアは純粋に驚いた。

「読めるの?」

 紋章の中心が明らかに竜を象っていることは分かる。

 だがその周囲を取り囲む文字は世界主要四大陸のどの言語でもない。古語だ。アリシアの持っている形見のペンダントに彫られている文字と同じ規則性を見出せるが、アリシアはその全てを読めるわけではない。ペンダントに掘られた言葉だけ、かつてコルトに教えられて覚えた程度だ。

 隣でアンリが羊皮紙に何事かを書きつけている。

 報告書だろうか。紋章を見ては手元に視線を落とし、ペンを走らせている。顔色一つ変えず書き取る速さを見るに、彼もまたこの言語に慣れ親しんでいる風だ。

「ゴルガソスの竜騎士にはそれが義務付けられている。まあ、一定の階級以上に限られるが」

「学者とか、研究者みたいな人はいないということ?」

 当たり前のようにフレイは話すが、アリシアの疑問は深まった。

 竜騎士といえば戦いの最前線に駆り出されるのもさることながら、要人の護衛に就くことも主要な任務の一つのはずだ。文字や遺跡を調査するのは学者で、彼らを護るのが竜騎士の本分であるように思える。

 が、フレイの返事はそんな予想を覆すものだった。

「勿論本国にはいる。ただ彼らは一次調査には参加しない。まずは竜騎士が危険調査を兼ねて派遣されて、その遺跡が重要だと判断された場合に限って、初めて学者を含めた本格的な二次調査が展開されるんだ」

「随分と慎重なのね」

「竜の一族に詳しい学者や研究者は少ない。この前の俺たちみたいな目にいきなり遭って、調査もできずに貴重な学者が死んでしまうと、ゴルガソスにとっての損失が大きすぎるんだよ」

 一見すると筋が通っていそうな説明に、アリシアは僅かに違和感を覚えた。

 学者は大切にするが竜騎士はまるで使い捨てにしても良い。そんな風に聞こえたのは、穿った見方をしすぎだろうか。

「あなたたち竜騎士だって貴重なのに?」

 すんなりとは納得できない気持ちが、その問いに滲んだ。

 フレイは簡単に言うが、竜騎士もなりたくてなれるものではない。それはアリシアでさえ知っている事実だ。

 各国が抱える国軍の内、竜騎士部隊は花形中の花形であって、真に優秀な者のみに開かれる道だと聞く。国の象徴である彼らではあるが、その人数は限られている。誰もがその存在を知りかつ市井の憧れの的でありながら、滅多にお目にかかれる相手ではないのだ。

 ふと冷静になってみれば、この数日でファティマスとゴルガソス二つの国軍の竜騎士と出逢い言葉を交わしたことは、偶然とはいえ稀有な経験だろう。自分が普通の街娘で普通に友達がいたとしたなら、一生の思い出として自慢するに違いない。

 それほどに、彼らは本来であれば遠い世界に住んでいる雲の上の存在だ。

「どうかな。俺の替わりは幾らでも控えているが……でも、ありがとう」

「別に、お礼なんて」

「気遣ってくれただろう」

 真っ直ぐに明かされた気持ちに、アリシアは戸惑いを隠せなかった。

 昨日も今日も、彼は直球しか投げてこない。その度にどんな言葉を返せばいいのか迷う自分がいる。

「だから、ありがとう。大丈夫、自分が好きでやっていることだ」

 躊躇いなく言い切るフレイが眩しかった。

 アリシアはそれ以上続けられず、口を噤んで二人の動きを目に映す。彼らは目の前にある紋章とその周囲に刻まれた古語を手でなぞりながら、建造年代についてなどを話していた。

 基部の調査は程なくして終わる。

 ここは充分だと言いながら、フレイが階段の脇を指差した。

「それじゃあ、下は頼む」

 フレイの依頼に一つ頷いたアンリは、挨拶代わりに片手を挙げてすぐに行ってしまった。

 彼を見送った後、フレイの先導でアリシアは階段を昇った。三階分くらいはあるだろうか。軽く息が弾み始めた頃合いに、かつての本殿に辿りついた。

 天井はなく、午後の光が木漏れ日となりそこかしこに差し込んでいる。

 長い間風雨に晒されていたにもかかわらず、静謐な空間だ。しかし最初に見かけた紋章以外は文字らしい文字はなにも残されておらず、この遺跡が価値あるものかどうか、アリシアには量りかねた。

 辺りを見回しながら、フレイがゆっくりと歩を進める。

 後についていくと、本殿最奥の床に入り口らしきものがあった。

 床は同じ大きさに切り出された石材が敷き詰められているが、その一枚だけがかなり大きい。そして階段下で見たものと同じ紋章が彫られている。

 フレイがしゃがみこみ、その紋章を丁寧に指でなぞった。

「これ……地下室かなにか、あるのかしら」

「ありそうではあるな。だが」

 思案顔を見せつつ、フレイが立ち上がる。

「資格がないと入れない造り……に、見える」

「資格?」

「目に見える範囲で俗に言う錠の類、鍵はなさそうだ。ということは、おそらくこの小さな彫り込みを掴んでこの一枚石を引き上げるんだろうが、――」

 言葉通り、フレイが指をかけて引き上げようと試みる。が、その石は爪の先ほども動く素振りを見せなかった。

 ややあって、フレイが息を吐く。

「見ての通り、俺一人では無理だ」

「じゃあ二人なら?」

「無理だろうな。そもそも彫り込みは一つしかない」

「竜騎士で駄目なら、これを一人で持ち上げられる人なんて」

「いるさ。君の一族ならできる」

 さも当たり前のようにフレイが言う。耳を疑ったのはアリシアだ。

「でも私、」

 戸惑いがそのまま声に出た。

 埋め込まれている石材はかなり大きい。両開きの扉と同じか、それ以上だ。アリシアより力があるフレイで微動だにしないのなら、アリシアが試したとて結果は火を見るより明らかだ。

 とはいえ、駄目元でも挑戦するのが良いのか。

 複雑なアリシアの心境を読み取ったか、フレイが苦笑した。

「すまん。やれとは言わないよ」

 目を瞬いたアリシアに、フレイが向き直る。

「より正確に言えば、君の一族の男ならばできる、ということだ。竜の一族というのは比類なき力を誇る。男は常人を遥かに凌ぐ頑強な肉体と力を、女は君のように不思議な奇跡を呼び起こす力を授かって、旧世界を統治していた」

「それもゴルガソスの学者さんが調べたこと?」

「……ああ」

 一瞬だけ開いた間に、なにを思ったのか。

 気にはなったが言葉を斟酌しているうちに機を逸してしまい、アリシアはそれ以上は訊かなかった。

「ふむ。どうやら確実に竜の一族に関する遺跡のようだ。紋章だけでは確信できなかったが、この入り口があるならば間違いないだろう」

 フレイの断定に対し、浮かんだ疑問をアリシアは口に出した。

「報告書みたいなのは書かないの?」

 アンリは最初から目にしたものを書き留めていた。

 調査に来ているのだから、フレイもその必要があるのではないか。アリシアの問いに、フレイは頬を緩める。

「勿論書くが、もう一つ気になる箇所があって」

 そこを確認してからだ、と続けながら、彼は数歩先でもう一度しゃがみ込んだ。

 横顔は真剣そのものだ。

 なにかを捜すように、彼は手でつぶさに石を検めている。アリシアが傍に寄ると、フレイの手がとある箇所を指し示した。

「ここ。見えるか?」

 基部となる床石と、入り口となる石の境目部分が不自然に欠けていた。言われなければ気付かないくらい限定された範囲だが、長い年月に浸食された風ではない。

「突破を試みようとした跡がある。竜の一族ではない誰かが入りこもうとしたらしいな」

「こんな頑丈そうな石材をわざわざ壊してまで? ……中に、金銀財宝とか?」

「どうとも言い難い。紋章と太陽の神殿という言葉以外、なんの情報も見当たらない。この労力に見合う対価があるはずという確信があったか、或いは余程食い詰めていたか」

 難しい顔でフレイが首を横に振った時だった。

「フレイ」

 背中から声がかかった。振り返ると、アンリが戻ってきていた。

「随分早いな。なにも無かったか?」

「逆だ。本殿側に急ぎがなければ、一緒に来てくれ」

 アンリの表情は硬い。只事ではない雰囲気に、思わずフレイとアリシアは顔を見合わせた。

 急ぎ。

 その言葉が示すところは、調査の上で重要と見做される発見のことだろう。

「分かった、行こう」

 細かい疑問は差し挟まず、フレイが立ち上がった。

 

*     *     *     *

 

「これは……」

 案内されたものを見て、フレイが目を瞠った。二の句は続かない。

 三人は神殿の基部に下りていた。本殿へ昇る階段側を正面として、ここは丁度その裏側にあたる部分だ。当然階段などは設えられておらず、神殿を支える石組が整然と積み上げられている、はずだった。

 アリシアもその光景に息を呑む。

 乱雑に基部の一部が崩れている。人が通れる程度で収まっているが、穴が開けられているのだ。扉は見当たらない。明らかにこちら側――つまり外界から破壊された跡だ。

 覗き込んでみても、内部は暗闇に沈んでいる。常設の灯りはないらしく、外から窺い知れるのは日が差し込む僅かな範囲までだ。

 崩れた石をアンリが指でなぞる。そして、その手をフレイの目の前に差し出した。

「どう思う?」

 尋ねるアンリの表情は硬い。

 なにごとか。アリシアも横から覗き込むが、アンリの指先が煤けて汚れているだけで、彼の手の中にはなにもない。ところがそれを見たフレイの眉間には皺が寄った。

 無言のままフレイは崩れた入り口に近寄る。やがてアンリと同じように、彼もまた黒く変色した部分の石に触れた。

「……真新しくはないようだな」

 同意を示すように、アンリが無言で頷く。

「他に経路はありそうか」

「ここだけだ。そう分散もできないだろう」

「まあ、……そうだろうな。要塞というわけでもなさそうだ、侵入には一箇所で充分と見たか」

 フレイが基部から目を離し、辺りを見回した。

「ねえ。それ、なに?」

 何かしらの予測を立てていそうな二人の様子に、思わずアリシアは尋ねた。

 二人は同時にアリシアに視線を寄越してくる。だがどちらも口を開かない。ややあって、彼らは意味深に顔を見合わせた。

「なに……?」

 神殿がどうこうというより、二度目の呟きは彼らの態度に対する疑問の方が大きかった。

 言い辛そうというか、難しい顔というか。

 困惑が見え隠れしていると言えば、より正確かもしれない。

 確かに無理矢理こじ開けられた入り口となれば、物騒な話ではある。だが盗掘自体はそこまで驚く話でもないはずだ。古い遺跡、或いは価値ある貴金属などが隠されているかもしれないと考える不逞の輩がいるだろうことは想像に難くない。

 世情に疎いアリシアでさえ理解できる話を、調査慣れしている、まして軍人の彼らが分かっていないはずがない。

 それなのに難しい顔をするその理由が、アリシアには皆目見当もつかなかった。

「あ、いや。今はまだなんとも言い難い。中を見てみないことには」

 フレイが曖昧に濁す。

 釈然としない態度ではあるが、それを追求する程の知識をアリシアは持ち合わせていない。首を傾げつつも、そういうものかと頷くだけだ。

「アンリ。灯り、あるか」

「あるにはあるが……入るのか?」

 言外に、危険を懸念している空気を漂わせる。しかしフレイは簡素に一つ頷いた。

「ここまで来たら、最後まで確かめよう」

 魔獣が棲みついていないことを祈るばかりだが、と続け、フレイは苦笑した。


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