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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い

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21.死をも恐れぬ勇敢さの前に


 見慣れた朝がまた来た。

 ベルスの背に跨ったまま、アリシアは遠く朝陽を眺めていた。空の中、高度は低いとはいえ夜明けの風はまだ冷たい。それでも、飛んでいる時にはベルスの体温が伝わってきて温かかった。

 昨晩はほとんど眠れず、意識は僅かにぼんやりとしている。

 気付いているのかいないのか、ベルスは緩やかに飛翔する。船に揺られているようだ。手綱を力なく握ったまま、気付けばいつもの見張り場所にアリシアは辿りついていた。

 もうすぐ出て行こうとしているのに、身体に沁みついてしまった習慣に思わず笑う。

 もうなにもかも、やめてしまえと。

 そう胸の内で言い捨てる自分がいる。だが同時に、ここに留まっている間だけはと思う自分がいるのもまた事実だった。

「――どこに行くつもりなの」

 敢えて口に出して、自問自答する。昨晩交わした言葉がずっと頭から離れない。


 自分は一体、どちらなのだろうか。


 一族の過去と存在そのものに対して突き付けられた否。だから世界は末裔狩りに突入した。要らなくなってしまったはずの古い血はしかし、今になって必要だと手を伸ばされた。

 知らなかったことが多すぎて、この世界に自分が必要なのかそうでないのか、一晩考えても答えは出なかった。

 そんな自分を認めて、アリシアからは知らず苦笑が零れ落ちる。

 昨日の今日で彼らにどんな顔を向ければ良いか、なにを言えば良いか、そんな些細なことさえ迷って結局家を抜け出してきた。

 逃げたも同然だ。

 ぶつかり合った後の歩み寄り方も思い浮かばない、そんな不出来な自分になにができるのだろう。この不完全さで成せることなどあるわけがない。

 ただせめて、暴言を吐いたことだけはコルトにも、青年たちにも謝らなければとは思っている。それを考えるとまた先と同じ問いにはまり込む。相応しい表情と言葉を選べない自分がいるのだ。

 物思いに沈んでいると、横にいたベルスが頬を寄せてきた。

「……分かる?」

 大きな頬を撫でてアリシアは苦笑した。

 言葉が通じない相手でさえこうしてそれと分かる気遣いを見せてくれるのに、翻って自分ときたらどうだ。

 それが情けなくて恥ずかしくて、アリシアは唇を噛み締めた。

「ごめんね。もう帰ろう」

 アリシアの声に、ベルスが大きな翼を広げた。

 

 

 その最年少の青年と鉢合わせたのは、中庭に降り立ってすぐのことだった。彼はアリシアを見るなり、なぜかほっとしたように頬を緩めた。

「おかえりなさい」

「あなたは……」

「あ、すみません、不躾でした。僕、ノルズ・ヘイスターヴィアといいます」

 名乗りながらも目が合ったのは最初だけで、彼はすぐにアリシアから視線を外した。

 気まずそうな面持ちだが、偶然ここに居合わせた風ではなかった。

 ノルズと名乗った彼の左肩は包帯で固定されている。彼の上官ほどではないにしろ、安静が必要な立場であることに変わりはない。

 怪我を押して、こんなところでなにをしているというのだろう。

「戻って休んだ方がいいと思うけど」

「あ、はい。お気遣いありがとうございます。でも、もう少しだけここにいます」

「どうして?」

「少し心配なんです。僕にできることはどうせないんですけど」

 その言葉にアリシアは首を捻った。

「心配って、なにが?」

「トール隊長とバーノン副官が、」

 そこまで言って、ノルズがしまったという顔で急に口を噤んだ。

 彼が出したのは昨晩アリシアの部屋を訪れた二人の名だ。彼らがどうしたのだろう。訝って眉根を寄せたアリシアに、しかしノルズは曖昧に笑うだけで続きを言わなかった。

 やはり目は合わないままだ。

 彼の上官は真っ直ぐに相手を見つめる人だった。年次の違いもあるのかもしれないが、それにしても対比が鮮やかすぎる。単純な人見知りというよりは、自信のなさ、後ろめたさ、そういった後ろ向きの感情が見え隠れしている。

 竜騎士なのに、と。

 この世界では威風堂々、誰からも憧れとして見られる彼らは皆一様に彼の上官――フレイ・トールのように雄々しく胸を張っているものだと思っていた。あるいはその副官であるアンリ・バーノンのように、寡黙であったとしてもその存在感は際立つものだと。

 ところが彼はそうではなかった。

 どことなく所在なさげだ。なにかを憂えているような面差しでいる。

「まさか容体が悪いの?」

 思わずアリシアは訊いていた。

 二人とも涼しい顔をしていたが、実際は重傷の怪我人なのだ。昨日の無理が祟ったとしたら、すぐに医師に診てもらわねばならない。

 しかしアリシアの想像とは裏腹に、ノルズは首を横に振った。

「それは心配ないよ。大丈夫、ありがとう」

「じゃああなたはなにを心配しているの」

 重ねて問うと、若い竜騎士は言葉に詰まった。

 しばらくを待ってみる。だが待てども言葉は一つも出てこない。

 つまり彼は説明に苦慮しているわけではなく、言うつもりがないらしいとアリシアは悟った。

「……口止めされているのね」

 アリシアの指摘に、ノルズがはっとした。

「そういうわけじゃ」

「いい、直接訊いてみる」

 問答を切り上げアリシアが家に入ると、ノルズが追ってきた。

 彼は遠慮がちだが、力ずくでアリシアを引き留めようとはしない。構わずにアリシアはまず最もいる確率が高いであろう居室を覗いたが、部屋にいたのは彼らの部下五人だけだった。

 四人は軒並み横になり休んでいる。起きていたのは一人だけで、綺麗な長い銀髪が印象的な竜騎士だ。彼は戸口から窺うアリシアに気付き、声を出さずに目礼をしてみせた。休んでいる者たちを気遣っての所作だろう。アリシアも小さく笑って会釈を返し、そっと扉を閉めた。

 休むべき部屋にいないのであれば、いそうな場所は台所か。予想を立ててアリシアは廊下を歩いたが、次の目的地にも人っ子一人いなかった。

 そして家中全ての部屋を検めたが、二人の姿は忽然と消えていた。

「どこにもいない……?」

 二階にある最後の客間を確かめた後、思わずアリシアは呟いていた。振り返ると、それまで黙ってついて歩いてきたノルズの顔が曇っている。

「どういうこと?」

 問いかけに対し、一瞬ノルズはアリシアを見た。が、すぐにまた目を逸らす。明らかに隠し事のある雰囲気だ。

 こうまでして言わない、言えない理由。

 アリシアの心臓が嫌な音を立てた。彼らを助けたのはやはり間違いだったのか。目の奥が、頬が、頭が熱くなる。

「やっぱり私のこと、ファティマス国軍に」

「違う!」

 否定は思いの外激しかった。それまでの気弱さが嘘のようだ。

「そんなこと、絶対にするもんか!」

「じゃあどうして言えないのよ!?」

 アリシアの疑いに対し思いがけず強い否定を重ねたノルズに、アリシアも思わず詰め寄っていた。

 善人の顔で背中になにを隠している。

 互いにほとんど素性を知らない相手だ、騙すのはさほど難しい話ではないだろう。昨夜のやり取りは、アリシアをここに留め置く単なる時間稼ぎなのかもしれない。ファティマス国軍が、大挙して雪崩れ込んでくるまでの。

 悪い想像はどこまでも広がりを見せる。疑い始めるときりがなかった。

「どうしたのかね」

 と、穏やかな声が割り込んできた。

 部屋の真ん中で言い争っていたアリシアとノルズは、弾かれたように声を辿る。部屋の入り口に佇んでいたのはコルトだった。その後ろには、先程の長い銀髪の竜騎士も控えている。

 アリシアもノルズもすぐには話せなかった。

 ただならぬ空気を察したか、コルトと竜騎士が部屋に入ってくる。

「おかえり、アリシア」

 昨日までと変わらぬ柔らかい声に、アリシアは思わずコルトを真っ直ぐに見つめた。

「無事で良かった。心配したよ」

 あんなに詰ったのにどうして変わらずにいられるの、とは言えなかった。

 傷付けた自覚はある。

 切りつけた側であるアリシア自身にこれほどに迷いがあるにもかかわらず、痛かったはずのコルトは責める素振りも見せない。その事実に、昂っていた気持ちが落ち着いていくのが分かった。

「……勝手に留守にしてごめんなさい」

 それは素直な気持ちだった。

 客間の壁時計を見遣ると、既に正午近い。朝の暗い内からこんな時間まで、誰にもなにも伝えずにいなくなれば心配もされるだろう。

 コルトは黙って首を横に振るだけだった。

 気にしてない、と。ただ何事もなく良かった、そんな育ての親の気持ちが真っ直ぐに伝わってきた。わだかまる気持ちはアリシアの中にまだ残るが、それでも向けられた気遣いの気持ちを叩き落とすような真似はできなかった。

「それで?」

 こんな状況になっている理由を再びコルトに問われ、アリシアはもう一度だけノルズに顔を向けた。

 やはり視線は交わらない。あまり気が強そうには見えないが、中々どうして強情だ。

 ここでもう一度問い詰めても結果は同じだろう。すぐに諦めて、アリシアはコルトに向き直った。

「あの二人……フレイさんと、アンリさん? が、いないの。知ってる?」

 すると、コルトは若い竜騎士を気遣わしげに見た。なにかを知っている顔だ。受けたノルズの方も、唇を引き結んでいる。

 二人の間に流れる微妙な空気を読み取り、アリシアは困惑した。

 急に居心地が悪くなって、まだ一度も声を発していないもう一人、銀髪の竜騎士に目を向ける。すると彼はまたも声を出さず、代わりのように小さく笑みを寄越すばかりだ。

「早晩知れることだった。いいかね?」

 諭すようにコルトが口を開く。

 あまり納得はしてなさそうながらも、ノルズは頷いた。それを受けてコルトがアリシアに向き直る。

「彼らは外出しているよ」

「外出? あんな怪我で一体どこへ」

「竜の一族が残した遺跡に。お前も見ているはずだ」

 見ているはずと促され、まだ一週間と経っていない記憶がアリシアに蘇った。

 大森林の中で、彼らがベヒモス相手に死闘を繰り広げていた場所だ。確かに、鬱蒼と茂る木々の中、見知らぬ建築物が見え隠れしていた。

 一族の遺跡と言ったか。

 コルトの言葉に驚きを隠せない。本当に自分はなにも知らずに今まで生きてきたのだ。

「――どうして隠したの? あなたの上官は、私に遺跡調査をすることを話してくれていたわ」

 そもそもそれを聞いて、なぜファティマスなのかとアリシアが尋ねたのだ。結果として昨晩の流れになったのであって、遺跡調査それ自体を今になって隠し立てするのは不自然だ。

 そうアリシアが指摘すると、観念したようにノルズが顔を上げた。

「迷惑はかけられないから」

 ノルズがきっぱりと言った。その瞬間、初めて彼が竜騎士らしく見えた。

 迷惑という言葉。彼らなりの気遣いであることは分かったが、逆にアリシアの頭に血が上った。

 事態は一刻を争う。

「いつ!?」

 アリシアの剣幕に気圧されたか、ノルズが僅か仰け反った。

 相手の狼狽には構わず、アリシアは逞しいその腕を揺さぶった。

「いつ出たの!?」

「今朝早くだけど、」

「飛竜はいないんでしょう? この村には馬もいない、それでどうやって行ったの」

「歩きだよ、それ以外に方法はないから」

「……馬鹿!」

 事の重大さを未だ理解しないノルズに言い捨てて、アリシアは彼の固い胸を叩いた。

 すぐさま身を翻して走り出そうとしたが、不意に左手が捕まった。振り返るとノルズの焦る顔が飛び込んできた。

「待って、どこに行くつもりだい?」

「遺跡に決まってるでしょ!? 飛竜も馬もない、それも怪我人がベヒモスの縄張りに入るなんて、死にに行くようなものよ!」

 皆まで言わずとも、身を以って体験したのは他でもない自分たちだろう。なぜ分からないのかと怒鳴りたかったが、今はその時間さえ惜しい。

 アリシアは振りほどこうと左手に力を入れるが、それは叶わなかった。

 決して好戦的な顔つきではないのに、その力の強さは際立っている。やはり彼は本物の竜騎士なのだと思い知らされた。

 ノルズが真剣な面持ちで「危険だよ」と言う。

「最初から分かってるんだ」

「分かってるなら、」

「だから君を行かせるわけにはいかない」

 なにを言っているのだろう。その意図が見えず、アリシアは息を飲んでノルズの顔を覗き込んだ。

 薄い灰色、僅かに緑がかった不思議な瞳だ。

 逸らされがちだった彼の双眸は、正面から見ると美しかった。

「トール隊長も副官も強い。足手纏いの僕らがいなければ、滅多なことはないんだ」

「それは自分たちだけでベヒモスを仕留めてから言える台詞ね」

「あの時は、ありがとう。でも殉職を怖れていては任務が遂行できないから」

 考えるより先にアリシアの手が出た。

 乾いた音、次に右手に痺れた痛みが広がる。不意の衝撃に驚いたか、ノルズの手が緩みアリシアの左手は解放された。

 

「殉職なんて、……死んでもいいなんて、簡単に言わないでよ」

 

 アリシアの目の前が滲んだ。

 知ってはいた。両親がファティマス国軍の手にかかって死んだことを、誰に言われるわけでもなく肌で感じていた。昨日の夜、それが現実だったことを知ったばかりだ。


 聞きたくない。

 死をも恐れぬ勇敢さなど、聞きたくもない。少年も少女も憧れるその勇猛さに肉親を失った自分は、一体どんな顔をすればいいのか分からなくなるからだ。


 それと同時に、勝手にしてしまえと切り捨てる気にもなれない。彼らが傷付きもしものことがあれば、悲しむ人がいるはずなのだ。

 末裔狩りから十九年。

 身近でコルトやデールを見てきたから、残された側の気持ちは充分過ぎる程知っている。彼らは多分、アリシアの両親を一日たりとも忘れてはいなかった。

 そんな寂しい思いをする人間は、できれば少ない方がいいに決まっている。

「大じじ様。私、行ってきます」

 言いながらアリシアが一瞥すると、最年少の竜騎士は床を見つめていた。

 ふと別の方向から視線を感じる。辿ると、銀髪の竜騎士がアリシアを見ていた。彼は困ったように笑って、小さく頭を下げた。強情を張る子供の代わりに謝る、さながら親のようだった。

 当のノルズはと言えば、口を引き結んだまま押し黙っている。どう見ても不満気で、納得していない感がありありと見て取れた。

 この期に及んでまだ渋るのか。

 心配だと言ったのは嘘か。

 感情のままの詰問が喉元にせり上がるが、かろうじてアリシアは飲み下した。その代わり、

「馬鹿!」

 剥き身の激情をもう一度ノルズに叩きつけて、アリシアは部屋を飛び出した。二度目の罵倒に彼がどんな反応を見せたのかは知らない。振り返りもしなかった。


 ぶつかってばかりだ。

 昨日も、今日も。


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