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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い
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02.白い嘘に隠されてきたもの


 空を飛ぶベルスが傍に降り立つ前だった。

「出たぞ!」

 鋭いデールの声が飛ぶ。アリシアの肩が揺れた。

 藪のざわめき、咆哮、明け方の風が鳴る。

「アリシア、そいつをやれ!」

 背中に指示を受けながら、アリシアは手にした槍を構えた。

「二頭いる、気をつけろ!」

「分かっ、てるっ!」

 応えながら、渾身の力で槍を投げる。ギ、という短い悲鳴、地面に転がる音が続く。もんどり打って倒れた魔獣の下敷きとなり、槍の柄が折れた。

「ギイッ!」

「!?」

 鋭い鳴き声が響く。デールが先の一頭と睨み合う横から、さらに二頭がデールの背に向かって躍りかかっていた。

守りの爪(ネイヒ・ディフェンダ)!」

 アリシアは咄嗟に叫んだ。

 空気の密度が変わる。デールの周囲に赤い風が流れ、透き通る赤い壁が出現する。迫る魔獣の牙は、硬質な音と共に弾き返された。

「――すまん!」

 体勢を立て直したデールが一太刀で魔獣を切り倒し、残る二頭に対峙する。ほっとしたのも束の間、アリシアの視界の端で黒い影が動いた。

 目で追う。

 同時に腰に差していた剣を抜く。残る一頭がアリシア目掛けて大きく跳んだ。

「こ、のっ」

 上段から斜め下、風を切って剣を振り下ろす。硬い手応え、断末魔。衝撃に、柄を握っていた手が痺れた。

 アリシアが息を整えながら視線をやると、地面には頭がざくろのように割れたもう一頭の魔獣が痙攣しながら横たわっていた。

 赤い血がどろりと流れ出る。

 見覚えのあるこの魔獣は、以前集落を襲った奴に違いない。その時にアリシアが仕留め損ねた傷が、背中に残っていた。

「怪我はなかったか」

 背後から声がかかる。振り返ると、肩で息をするデールがいた。その左頬に赤い傷が走っている。どうにか始末したものの、三頭相手だとやはり少し分が悪かったらしい。

「大丈夫。デールおじさんこそ」

「かすり傷だ、心配ない」

「治してあげる」

 アリシアが手を差し出すと、デールが頭を掻きながら屈んだ。

 傷に直接触れないよう、そっと右手をかざす。

翼の加護(フェリガ・グラティア)

 今はもう使われていない古い言葉を呟くと、じわりとアリシアの掌が熱を持ち、淡い赤の光が柔らかく舞う。それを吸い込んだ細い傷は、やがて薄赤い線となり塞がった。

 デールが目元を緩めて笑う。

「ありがとうな」

「ううん。これくらいしかできなくてごめんなさい」

「謝るやつがあるか。二頭倒しただけでも凄いことだ。その上で傷も治せるんだから、」

「怪我なんて、本当はしない方がいいに決まってる」

 アリシアは養父の言葉を遮った。続けられるであろう先は、今は聞きたくなかった。


 癒やしの力と守りの力。


 ささやかではあるが不思議なその力は、生まれつきのものだった。だがそれがなぜなのか、これもまたアリシアは知らないのだ。おそらく血筋のせいだろうと薄く気付いてはいるが、それ以上先に踏み込んだことはない。

 実の両親の死因と同じだ。

 自身のことであるにもかかわらず、他人以上に距離を取っている。それは育ての親であるデールが隠したがっていると気付いているからだった。


 三十に届く前に両親は病死したという、白い嘘。


 最初はそれでいいと思っていた。どうあれ亡くなっているという事実は変わらないのだ、真偽など別に構いやしなかった。だが今は違う。この数年で状況が劇的に変わった。

 魔獣の数が増えている。

 これこそ、アリシアとデールが村の外周を毎朝巡回している理由でもある。ここは元より自然豊かな大陸で、アリシアたちが隠れ住む大陸南部の大森林帯に魔獣は数多く生息していた。が、それを差し引いてもこの増え方は尋常ではない。活性化する魔獣のせいで、かつて大森林を貫いていた交易路も封鎖され、人の往来は絶えて久しい。結果、大森林帯とその周辺に点在していた集落は次々に捨てられた。

 人の世界は今、大陸北部に限定されている。

 南部に取り残されたアリシアの村には、戦える人間がほとんどいない。辺境の小さな集落は今にも大自然に飲み込まれそうだ。手遅れになる前に決断すべきで、アリシアが強くそう思うのは、最後の花嫁が近く式を挙げると決まったからだった。

 アリシアと同い年の親友だ。

 彼女はたった一人残った適齢期の女性で、八歳年上の青年に嫁ぐ。二人は仲睦まじいが、彼らに選択肢はなかった。他に若い人間がいないのだ。極小の集落が遺す最後の未来だが、この地に生きる限り、彼ら自身の未来はない。

 だからずっと考えている。

 この集落はアリシアを匿う為に存在している。その過去と出自を隠さねばならない――より厳密に言えば、生きていることそのものを外界に気取られてはいけない存在であるアリシアは、ここに来て村の人間の大きな枷となってしまっている。アリシアさえいなければ、皆が自由になれる。

 その為に、本当の理由、過去になにがあったのかを訊きたいと思っている。

 アリシアはもう守られるだけの幼子ではない。全てを聞いた後――その内容がどうであれ――、この暮らしを終わりにするつもりだった。

「後先なんて関係ないさ。つくづく凄い力だ。随分と成長したな」

 考え事をしているアリシアの横で、嬉しそうにデールが笑った。日に焼けた肌に、白い歯が爽快だ。

「……そう?」

 避けようとした言葉は結局、贈られてしまった。僅かに頬を緩めて応えたが、アリシアの胃が落ち込んだ。


 褒められて嬉しかったことなど一度もない。


 普通が良かった。凡庸な女の子らしく、ただ天気や好きな人の話をしていたかった。本を読んで縫物をして、いつか袖を通すであろう花嫁衣装に憧れて。そういう穏やかに流れる日々が、喉から手が出るほど欲しかった。

 現実は真逆だった。

 幼い頃から護身の術を叩きこまれ、教えられるほどに非凡な才能が目立つことになった。戦うこと、誰かを傷付けること、そんなことばかり得手になって、今の自分がいる。それが苦痛でしかなかった。

「それより、最近特に多くなってない?」

 思考に区切りをつけたアリシアは、直面している危機に話題を変えた。

「うん……そうだな」

 デールは思案顔を見せつつ、歯切れが悪い。養父は大森林とその奥に連なる山脈を遠く眺めていた。

「去年の山の実りが悪かったのもあるだろうな。どうにか冬を越えてようやく迎えた春だ。奴らにとって俺たちが御馳走に見えても仕方ない」

「どうするの、これから」

「見回りを増やすしかない。当面は」

「当面っていつまで? このままじゃ、いずれ防ぎきれなくなる。デールおじさんと私しか戦えないこんな状況じゃ」

 焦燥がアリシアの語気を強めた。

 先ほどの五頭相手の戦闘を振り返る。無傷で退けたわけではない。あれで精一杯だ、数が増えたらどうなるかは火を見るより明らかだ。

 最後になるであろう婚礼。ずっと寄り添ってきてくれた親友の晴れの日だ。これを無事に迎えるより大切なことなど、今のアリシアにはない。だから、どうしても気持ちが急く。

「……村を」

 ほとんど無意識に出た言葉に、アリシアははっとした。慌てて口を噤んだが遅かった。

 デールの眉間に皺が寄る。どうやらしっかりと聞こえていたらしい。間の悪さに舌打ちしそうになるが、出した言葉を今更飲み込むことはできない。

「村を? 今、なにを言おうとした?」

 追及の視線に耐えかね、アリシアは目を逸らした。

「なんでもない」

「そんなわけあるか。お前はいつもそうだ。嘘をつけないし、隠しごともできない子だ」

「やめて、そんな風に言うの」

「アリシア。お前は今、村を捨てたいと思わなかったか。今にも森に呑まれそうなこんなちっぽけな集落が、これ以上なんの為に存在する必要があるのか。なくなればいい、皆レベノスに行って暮らせばいい、そんな風に思わなかったか」

「やめて!」 

 悲鳴のようにアリシアは叫んだ。

 この育ての親に、なにもかもを見透かされていそうで怖かった。

「そんなこと言ってないでしょ!? 見回りが嫌だとも言ってないし、村をどうしたいとも言ってないじゃない!」

「……お前が分かっているならいいが」

 ため息を吐いたデールに対し、アリシアの神経が逆撫でされた。

 なぜそれを今ここで口に出す。

 一度は飲み込んだ言葉がせり上がる。今度はアリシアが噛みつく番だった。

「ため息なんて吐かないでよ。どうしてそんな、……分かってるならってどういうこと? 私がなにを分かってればいいの?」

 デールが虚を突かれた顔になる。予想だにしていなかったとでも言いたげなその視線を目の当たりにして、アリシアの喉奥が熱くなった。

 傷付けまいとして言葉を選び続けてきた問いなのに、と。

 抑えようとしていたのに、歯止めが効かない。どうしても心がささくれ立って仕方がない。

「この集落が……ファーマがあるのは私の為だってこと? こんな辺鄙な、なにもない場所にしがみつかなきゃならないのは、私がいるからだってこと?」

「アリシア、」

「それとも、両親を亡くした哀れな竜の末裔を、優しい皆が顔にも出さずに仕方なく匿ってるってこと? それは哀れな死に方をした両親が残した可哀想な子だったからってこと?」

「なんてことを言うんだ!」

 養父の大きな手がアリシアの両肩を揺さぶった。

 デールは見たことがないほど険しい顔をしている。しかしそれさえも今はアリシアの癇に障った。

「全部分かってる! 全部、本当のことでしょう!」

「違う!」

「なにがどう違うの!? 生きていくのにさえ、こんなに大変で……ううん、もう終わりが見えてるこんな状態で、こんな生き方を一体いつまで続けるつもりなの!? 匿われているのは私なのに、その私がこの村の生命線だなんてどうかしてる! もうなにもかもやめてしまえばいいのよ!」

「……いい加減にしろ!」

 朝焼けの中、乾いた音が響いた。

 頬を張られた。

 理解してからすぐ、痛みがじわりと沁みた。だがアリシアの喉まで出かかっていた言葉は止まらなかった。それはこれまで知らない振りをしてきた、この村の禁忌。

 

「とっくに知ってるわ! 本当はお父さんもお母さんも病気なんかじゃなくて、国軍に殺されたんでしょ!?」

 

 声の限り叫んだアリシアに、デールはただ目を見開いた。そしてアリシアより尚、強く殴られたような顔をする。傷付いたその表情は、アリシアが吐いた言葉の意味を正しく読み取ったからだろう。

 もう既に、アリシアはなにもかも知っている。

 この限界の生活に終止符を打つには、それが充分過ぎる理由になるはずだ。

「そんな顔しないでよ。私だっていつまでも子供じゃない。育ててくれたことは感謝してるわ、でも」

 続けようとして、しかし最後に残っていた理性のかけらがアリシアに言葉を飲み込ませた。

 幸せではない。

 そう続けることがこの養父をどれだけ傷付けるだろうか。なにより最低な言葉をどうにか寸でのところで飲み下して、代わりにアリシアは別の言葉を繋げた。

「……どうしてこんなに恨まれなければならないの」

 竜の一族、その末裔として生まれたからといって、ただそれだけの理由で。

 ファーマの、あの村の者たちは皆が優しい。彼らは無条件にアリシアの為にと笑ってくれさえする。その事実は同時に、外界にアリシアが受け入れられないことも示している。

 そうでなければ成り立たないほど、彼らの献身は篤い。

 アリシアが二十歳になるまでにどれほどのことを我慢して、耐えて、忍んできただろう。無事に生き延びる、ただそれだけに心血を注いできた。普通の幸せなど何一つとしてなかった。そしておそらく死ぬまで、この生き方は続くのだ。

 気が遠くなる。

 村人たちの生き様が重く、また自身が彼らを縛りつける現実に。

「理由があったから、末裔狩りがあったんでしょう? 私さえいなければファーマの皆は自由に暮らせる」

「どこで聞いた」

「別にどこだって関係ない。末裔狩りの話なんて、そこらじゅうに転がってるもの」

「……村の誰かから聞いたわけじゃないんだな」

 そんなことを確かめて今更どうする。

 心の中で悪態をつく。返事もしないままアリシアはデールに背を向け、その場を走り去った。


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