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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い
12/33

12.副官アンリ・バーノン


「遅いな」

 言って、アンリは古い柱時計に目をやった。

 コルトと名乗った家主は、突然の来訪者に首を傾げていた。村の人間が用事で来たのだとすれば、この状況で約束もなしに長居などしないだろう。そういう意味で、応対に出た家主はそろそろ戻ってきても良い頃合いだった。

「見に行きましょうか」

 副官であるアンリ以外で唯一目を覚ましていたノルズが声を上げた。

「……」

 最年少の部下の申し出を沈黙で保留しつつ、アンリは部屋の中を見渡した。

 朝の光がこの広い居室に豊かに差し込む。

 分隊長であるフレイは未だ目覚めていなかった。当たり前だ、とアンリは思う。分隊と部下を護る為、最後まで戦ったのが彼だ。一命は取り留めたものの、あの重傷で生きていることが奇跡に近い。あれはおそらく、かつてベイゼル戦線で負った傷よりも深いだろう。

「――いい。俺が様子を見てくる」

「しかし副官も歩ける状態では」

「ノルズ、お前が無傷なら勿論頼む。この任務の重要性をお前は理解していると、俺は当然疑っていない。だが勝手の分からん土地だ。信頼性の問題だということは解るな?」

「……はい」

「いい子だ」

 言い含め、アンリは立ち上がった。が、途端に胸に鋭い痛みが走る。

「っつ、」

「副官!」

「大丈夫だ」

 支えに入ろうとした部下を手で制し、出来る限りゆっくりとした動作でアンリは玄関へと向かった。

 

 

「一体どなたからの言付けなのか、それだけでも」

「ただの親切です、捨て置き下さい。もう行かねば」

 アンリが玄関手前の角でそっと窺うと、家主の不安げな声と若く落ち着いた声が問答していた。

「どうかしましたか」

 あまり大きくはないが通る声で、アンリは家主の背後から声をかけた。

 小さな背が振り返る。

「なんと驚いた。まだ休んでいなければいけませんよ。なに、心配するようなことはありません。届け物をしてくれただけですから」

 穏やかな声を聞きながら、不自然にならない程度にアンリは戸口を窺った。


 長身。

 平民の、特に変わった服装ではない。だが、――


 アンリが怪訝に思った瞬間、その来訪者と視線がぶつかった。素知らぬ振りをしていた相手も気付いたのか、僅かに眉間に力が篭った。

「失礼、客人がいたとは知らず長居をし過ぎたようです。私はこれで」

「あっ、お待ちを」

 引き留めようとした家主の肩に、アンリはそっと手を置いた。

「どなたですか?」

 アンリの問いには困惑した顔が返ってきた。

「分からないのです。ただ、アリシアの荷を運んできてくれて……ここに来るには骨が折れるはずなのですが」

 家主は相手の消えた玄関の扉に、ゆるりと視線を投げて呟いた。

「……」

 そして彼は深く考え込む。

 分からない、という言葉とは裏腹に、相手の素性にどこかしら心当たりがありそうな空気だったが、アンリは敢えてそれに触れることを避けた。

「そういえば、部下が一人目を覚ましまして。申し訳ないのですが、なにか飲み物を頂けるとありがたいのですが」

「おお、そうですか、それは良かった。すぐに用意しましょう」

 この空気を区切る理由になっただろうか。

 不可解な来訪者についてはそれ以上言及せず、年老いた家主はいそいそと台所へと歩きだした。その姿が完全に奥へ消えたのを確認して、アンリは音を立てないよう注意を払いながら、玄関のドアに手をかけた。

 後ろ手に扉を閉め、ゆっくりと長く息を吐く。たかがそれだけの動作で身体中が軋むように悲鳴を上げた。平気な顔を保つことさえ神経がすり減る。

 足元に続く小道。

 その両端には花壇があり、すぐ傍には可憐な薄桃色の花が咲いていた。

 ゆっくりと外へと続く石畳を歩く。その距離が果てしなく遠く感じられたが、どうにか古い門へと辿り着く。そっと掛け金に手をかけると、錆びた金属が小さく鳴いた。

 朝早いこの時間にまだ村人の姿は見えない。

 が、アンリが少し周囲を見渡すと、予想した通り一人の男が道端にそっと佇んでいた。彼もまた、アンリが追ってくることを知っていたような目をしている。


 互いの存在を認識し合う。


 少しばかりの沈黙の後、先に口を開いたのは相手の方だった。

「随分と酷い怪我をされているようですね」

 あまり他意は見えない見舞いの言葉。

 しかし、次の一言には明確な意図が込められていた。

「昨日の今日で、これほど様変わりするものですか? ゴルガソス国軍第三竜騎兵連隊長フレイ・トール大佐の分隊長、アンリ・バーノン副官……と、お見受けしておりますが」

 淀みない。この相手も正体を隠してしらばくれるつもりはないようだった。

 それならばと、アンリも口を開く。

「見舞いの言葉、痛み入ります。時間外でも警備に余念がないとは、大変御苦労なことと存じます」

 アンリの放った牽制に、相手は小首を傾げてみせた。

 否定をしない。

 ということは、目の前の男はやはり間違いなくウォーレン・ハーズ少佐なのだと知れた。

 首都レベノスの会議で、三日間見続けた顔だ。

 そもそも互いに分からないはずがなかった。

 制服を纏っていなくとも、鎧を身につけていなくとも、互いのことなど少なくとも表面上は十二分に知っている。

 探りを入れるつもりでアンリは二の句を継ごうとした。しかしそれは相手の掌の動きで遮られた。

「やめましょう。ここで争っても得をすることなどなにも無い」

「ハーズ少佐?」

「どうやら、互いに非公式の任務のようですから」

 先に矛を収めたのは、来訪者側――ハーズ少佐だった。

 階級だけを見れば、ファティマス国軍の中でもそこまで重鎮というわけではない。しかし彼がいずれファティマス国軍の中枢を担うべき人物であるのは知れたことだった。

 曲がりなりにも世界一の軍事国家である、ゴルガソス帝国。

 その国使との会議ともなれば、内容もさることながら外交上大変に重要な意味を持つ。彼はその場に常に控えていた。それがなにより、ファティマス国軍上層部からの彼に対する信頼と期待を表している。

「非公式などと。貴方ともあろう人が、なぜ口に出したのですか」

 驚きを隠さずアンリは言った。

「本来、私は貴方から糾弾されるべき状況にあります。まさに今、レイノア王家の許可もなしに、未だファティマス国内をうろついているのですから」

 民間人ならばいざ知らず、国使という公的な立場のそれも軍人だ。その一挙手一投足が深い楔になり得る。

 それをなぜ、責めはおろか容認するような発言をするのか。

 アンリはこの若き少佐の意を図りかねた。

「さあ、私にも詳細は教えられていないのですが」

 言葉を選ぶようにハーズ少佐が首を捻った。

「竜の一族を研究していることで、貴方達ゴルガソス帝国は大変に名高い。おそらく本来の目的はレベノスでの会議よりも、今ここにいることの方が重要なのでしょう」

「……その割には、特段気にされていない気が致しますが」

 言い当てられたことに、アンリは内心動揺する。が、焦りは見せずに丹念に相手の真意を探る。

 このハーズ少佐がなにを考えているのか分からない。

 だが少なくとも現時点で敵意は見出せないのだ。それがどうにも不可解である。

「そうですね。バーノン副官、貴方のご指摘通りです。私は貴方がここにいることを問題視していません」

「なぜです?」

 アンリは一歩踏み込んだ。

「これでは会議の時と正反対ではないですか」

「あれは公式の場ですから。いくら友好国とはいえ、少なくとも対外的に世界一の軍事国家を警戒しない理由はありませんし」

「つくづく読めない人ですね」

「貴方も。それだけの怪我を負いながら、まるで会議の続きをしているように錯覚します。敬意を持って表すべき精神力と忠誠心です」

 核心の周囲を、互いに様子見しながらうろついている。そんな会話だった。

 が、終止符を打ったのはまたしてもハーズ少佐だった。

「私は貴方がファティマス国内でなにをしているのかを訊きません。正しもしない。ですが私の問いに、もし答える気があればですが、答えてください」

「……当然、内容によります。それで良ければ伺いましょう」

「沈黙もまた一つの回答です。貴方は顔色を変えないのが殊の外得手のようですから、私はきっと表情の変化を読み取れないでしょうし」

 ハーズ少佐はさらりと言った。

 本当に、なにを考えている。アンリが怪訝に思ったと同時に、ハーズ少佐の柔らかい声が続いた。

「貴方がここにいるのは偶然ですか、必然ですか」

「ここに?」

「そう、まさにこの場所。この家と言った方がより正確ですね」

 この人は知っている。直感でアンリはそれを悟った。

 ファティマス国軍少佐、ウォーレン・ハーズ。彼はここに竜の末裔がいることを知っている。それを理解したアンリは、更に不可解さを抱いた。


 なぜ、捕らえようとしない。


 二十年ほど前に世界中で吹き荒れた末裔狩りの嵐。

 ファティマス大陸と言えば、それを最も執拗に、かつ激しく行ったことで有名だった。当時世間を騒がせたゴルガソス文書とヴェルド神託がそれをさせたと誰もが理解しているが、それにしても残虐の限りを尽くしたと伝えられている。言い逃れのできない公式の記録、つまり国史も存在している。

 結果、この南の大陸から竜の一族はいなくなった。竜の一族に関して最も古い起源を持つ大陸が、最初に過去の全てを棄てたのだった。

「ハーズ少佐」

「はい」

「沈黙さえも是とする貴方ならば、私が答える前に質問をしても、おそらくは返してくれるのでしょう」

「ええ、おそらくは」

 ハーズ少佐が穏やかに笑みを浮かべた。

 当たり前のように返された相槌にまた少し戸惑いながらも、アンリは続けた。

「警備と認めながら武装をしていないということは、この家の――いや、村全体に、危害を加えるつもりはない。それは今も、そして今後も。そう理解して間違いありませんか」

「……」

「この短剣。できれば使いたくありません」

 言って、アンリは左腰に手を添えた。硬い感触を確かめた後、相手の目を見る。一歩も退くつもりはなかった。

 ハーズ少佐は暫時口をつぐんだ。腕組みをして、家の外塀にゆっくりともたれかかる。考え事をするように地面に落とされた視線と、静かな横顔。まるで一枚の絵画のようにアンリには見えた。

 まだ冷たさの残る風が一筋流れる。

 塀の上から枝をのぞかせる木々が、優しくさざめいた。

「そんな身体になっても、まだ戦うのですか」

 ふとハーズ少佐が柔和に頬を緩めた。

「痛みも傷も問題になりません」

「思った通り、貴方は竜騎士の鑑だ。やはり私の返答次第ということですね。答えましょう。なにも隠すことなどない。貴方の鋭さに感服します」

 絵画の中の人物に、ふと命が吹き込まれたようだった。

「私に与えられた任務は、とある人物の動向を見守ることです。期限はこの半月だけ。攻撃対象などでは当然ありませんね」

「動向を見守る?」

「そう。彼女自身に気付かれることなく、彼女がこの国から無事に脱出するまで。それまでの露払いというか……まあ、不都合があれば全て極秘裏に排除はしますが」

「……なぜ」

 純粋にその目的が分からず、アンリは問うた。

「十九年前を忘れたのか。そう言いたげですね、バーノン副官」

「……」

「実のところ私も詳細は聞いていませんから、問われたとしてもここは答えられないのですが」

「詳細を聞いていないのに?」

「軍人に必要なのは理由ではなく、命令でしょう。それはファティマスでもゴルガソスでも、国軍とあらば同じでは?」

 至極真っ当なハーズ少佐の言葉だった。不思議な雰囲気に、ついその本分を忘れてしまいそうだったアンリはそこではっとした。

 知ってか知らずか、ハーズ少佐が更に続ける。

「細かく言えば、上官がどんな意図を持ってこの任務に私を指名したのかは知りません。ただ彼女に関しては、いずれ分かることだからと言って隠しませんでしたね。とはいえ、極秘任務なので私以外に他言はされていないのも確かです」

「上官はもしや、」

「それは明かせません。さあ、私の言うべきことはそろそろ終わりです。バーノン副官の答えを」

 アンリの頭に一人の男の顔がよぎったが、ハーズ少佐はそれをぴしゃりと遮った。

 随分と色々なことを教えてくれたが、これ以上は話すつもりはないらしい。穏やかさの中にも明確な線引き、規律といったようなものが見える人だと、その時初めてアンリは認識した。会議の場では口数の少ない寡黙な印象ばかりが際立っていたが、どうやらそれは表面上のことらしい。

 未だその意図は分からない。

 無事に国を脱出するまでという、その言葉さえも不可解だ。

 ただ最初に感じた通り、敵意はやはりないのだということだけは信ずるに値すると考え、アンリは口を開いた。

「ハーズ少佐は私がここにいる理由を問いましたね。偶然なのか、必然なのかと」

「ええ」

「ここに来たのは偶然でした。ご覧の通り、我々自身予想だにしない状況に巻きこまれましたし」

「察するに、そのようですね」

「彼女と出逢ったのも偶然です。むしろ我々は半信半疑……いや、信じてなどいなかった」

「竜の末裔が、このファティマス大陸にまだいたことをですか」

「……そう。そうです」

 今回の任務の、本当の目的。

 アンリ自身はたった今口に出した通り、まるで信じていなかった。


 ヴェルド神託の信憑性と竜の末裔との相関。


 神域であるヴェルド列島から届いた親書さえも真偽の程は分からず、上層部が部隊派遣を決定したと聞いた時、なにを馬鹿なと思ったくらいだ。それほどまでに、竜の一族やその末裔、そしてヴェルド神託など寝物語の伝説で、既に終わった話でしかないとさえ思っていた。

 それが今や歴史の具現に触れているなど、今もって到底信じがたい。だからこそ言えるのは、一つだけだった。

「全ては偶然の結果に過ぎません」

「分かりました」

 一つ頷いて、ハーズ少佐は踵を返そうとした。

 静かな朝だ。

 誰も引き留める者などなく、ただ春の空が薄青く伸びやかに広がっている。

「……ハーズ少佐!」

 思わずアンリは声を張った。胸が痛むが構わない。

 立ち去りかけた人が、ゆっくりと振り返る。

「なにか?」

「彼女が無事に国を脱出するまでとおっしゃいましたね」

「ええ」

「我々がその担保になるかもしれません」

 いえ、なるでしょう。

 アンリが言い直すと、ここに来て初めてハーズ少佐が驚いたような顔をして見せた。しかし彼はその表情をすぐに収め、先程までの余裕の表情に戻した。

「それは心強い。私の任務は半分以上終わりかもしれませんね」

 少しだけ笑いながら、ハーズ少佐は今度こそ振り返らずこの小さな村から立ち去った。


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