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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い
11/33

11.その理由は問えぬまま


 息が上がる。頭が痛む。呼吸が追いつかない。

 あの高度から降下したのは初めてだった。急激な上昇下降のせいで、心臓が破れそうになる。

 苦しい息の下、アリシアは首の落ちたこの森の主を見た。

 間近で見るとやはり大きい。首と切り離された胴からは夥しい量の血が流れ、古い緑の地面を侵食するようにじわじわと広がっていた。

 骸には一瞥をくれるに留め、アリシアは唯一意識のある男に歩み寄った。意識があるとはいえ木に背を預けてなんとか座っている状態だ。そんな彼が、アリシアより先に口を開いた。

「すま、ん。恩に、きる。必ず……かえ、す、から」

 一言の代償が重い。

 声を絞り出す度に、口から血を吐く。そんな男を見てアリシアの胸が僅かに痛んだ。最初が謝罪だとは思ってもいなくて、そんな人間であるはずがないと端から決めつけてかかっていた自分が後ろめたかった。

「喋らないで」

 複雑な感情が綯交ぜとなって、ついアリシアの言葉はきつくなる。

 気まずさを隠すように、アリシアは目の前の現実に集中した。

 火急に迫っていた危険は排除された。今は手当てが最優先だ。一目見る限り全員が瀕死の重傷、このまま放っておけば確実に死んでしまう。

「兜と鎧、脱げる?」

「ああ」

 アリシアの問いかけに、男は小さく呟いて肯定した。そしてそれを証明しようと腕を動かす。

 が、

「くっ……」

「もういいわ。動かないで」

 自力で兜を外せないほど男は弱っていた。

 当たり前といえば当たり前で、普通なら全員が既に死んでいて不思議ではない。あれほど怒り狂ったベヒモスを相手にして、瀕死の重傷とはいえ全員生きていることが奇跡に近い。

 彼らの素性がふと気になる。

 竜騎士とはかくも力を持つのか。これほど優秀な竜騎士が国軍にいるのなら、十九年前に両親が死んだことも頷ける。こんな化け物じみた相手、逃げられるわけがない。昨夜ルークの言った「他大陸に逃げろ」という忠告が俄かに現実味を帯びていることに、ここに来てアリシアは思い至った。

「少しだけ我慢して」

 足の速さである機動力を活かす為、竜騎士の装備は通常の兵士の鎧よりも軽く、また全身を完全に覆っているわけではない。女であっても外すことはできる。慎重に男の兜と上半身の鎧を外し、彼の負った傷を見た瞬間、アリシアは眉を顰めた。

 予想以上に傷が深い。

 右の腹部をあの巨大で鋭利な爪で貫かれたらしい。傷は背中まで達していた。これでは止血をしても気休めにさえならないだろう。

 傷を見て口を噤んだアリシアに対し、男が言った。

「もう、助からないだろう。竜、騎士だってのに、このザマ、だ」

「喋らないで。体力を消耗してしまうから」

「はは……今さら消耗もクソもない」

 自嘲気味に男がそう笑った時、初めてアリシアは男の顔をじっくりと見た。

 存外に若かった。

 おそらく三十前後。だが普段は精悍な顔つきであろう男の顔は、今は苦痛に歪んでいた。

「本当に、すまない」

「……なにが? 助けたことへの礼は要らないわ」

「ああ」

 男が苦しげに、しかし微かに笑った。

「そうではなくて」

 喋る度に顎を血が伝う。

 逡巡がアリシアの頭を駆けた。このまま最後まで助けるのか。この期に及んでまだ躊躇う自分がいる。脈を取る為に握った男の手首は冷たかった。

 弱い鼓動が指先を叩く。まだ生きていると伝えてくる。

「君を、送ることができなさそうだ、から」

 場違いな言葉は突然だった。

「送る?」

「家へ。もしくは、安全な場所まで」

「なにを言っているの?」

 気が触れたか。

 アリシアの眉間が寄る。男は受け流すように口の端を緩めた。

「……弱いものを護る為に、竜騎士になったんだ」

 なのに、今この時にそれがままならない。不甲斐なさを許せ、竜騎士なのにと、男は重ねて呟いた。

 助かりたくて吐く言葉か。

 疑ってかかるが、そうとは思えなかった。昨日のルークといい目の前にいる男といい、竜騎士というものが分からなくなる。自分の両親を殺したのと同じ職業の人間とは思えなかった。

 助けるのか。竜騎士を。

 この手を振り払えば、彼らのことは誰も知らない。やがて森が全てを覆い隠してしまうだろう。

「――もういい、喋らないで」

 会話をそこで遮断する。男の肩を支えながら、横に寝かせた。

 揺らぐ自分に動揺する。それでも今すぐに答えは出ない。だから昨日受けた借りをここで返すと思えば簡単なことだ。

 精神を集中し、手を男の傷口にかざす。今、自分の持てる全ての力を彼らに。初めて祈る。村人以外の、外界の人間に対して初めて、その命が助かるようにとただ祈る。

「翼の加護フェリガ・グラティア

 アリシアがそう呟くと同時に、鮮やかな赤い光が腹部を中心に男の全身を包みこむ。


 光は静かにうねる。

 祈りに揺れて、安らぎを運ぶ。


 徐々に血の流れは止まり、その他の小さな傷は完全に塞がった。光が全て傷口に吸い込まれていったのを見て、アリシアは大きく息を吐いた。

 途端に身体に倦怠感が襲ってくる。代償を払わなければ、この力は使えない。まして無尽蔵でもない。

「な、」

 男が信じられないという顔をして上半身を起こす。しかし腹部の傷は血が止まっただけで完全には塞げなかった。未だ血は滲むはずだし、痛みは確実に残っているはずだ。しかし男は腹を押さえながら顔を顰めたものの、表情は驚きのまま固まっていた。

 なにかを言いたげな男を制すように、アリシアは自分のマントを裂いた。止血と固定の包帯代わりに、切れ端で男の胴を縛りあげる。

「話は後で。他の人も危ないから。兜と上の鎧を外してあげて。あなたもまだかなり辛いだろうけど、他の人たちはもっと辛いはずだから」

 とにかく全員に祈りを与えなければ安心できない。他の七人の意識を戻さなければ、このまま命を落としてしまう。

 男と二人掛かりで残る七人の兜と鎧を外し、アリシアは順に祈りを以って彼らに呼びかける。彼らの負った傷は軒並み完治には程遠い程度、大きな出血をかろうじて止めるくらいにしか回復できなかったが、なんとか全員の意識は戻った。

 予断は許さないが、これでひとまず安心だろう。

 それにしても誰もが酷い怪我だ。

 皆どこかしらの骨は折れていたし、肩を脱臼している者、背中を爪で抉られた者もいた。全員に共通してあるのは、爪でやられたにしては大きすぎる裂傷と、噛み付かれて肉が切り裂かれている傷だった。

 それだけでも目を背けたくなるが、最も酷いのが最後まで立っていた、腹部を貫かれた男だった。

 それこそ普通の人間ならば死んでいる。

 次に、仲間を庇って吹っ飛ばされた男だ。彼の上半身は、胸も背中も真っ青になっていた。おそらく骨の折れた数は彼が一番だろう。更に折れた肋骨が肺に刺さっているようで、彼は今でも呼吸に苦しんでいる。しかしこれはアリシアではどうにもしてやれない。

 彼らの意識が戻った代わりにアリシアの疲労は激しかった。大量の汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。それでも身体を引きずるようにしながら、アリシアは呆然としている彼らに歩み寄る。そして最も重傷の男の目の前に膝をついた。

 そして目が合う。

「君は、一体」

 男が呟いた時、アリシアは右手を振り抜いた。パン、と乾いた音が響いた。

「あなたたちは、殺されても文句を言えない状況だった」

 問答無用でアリシアは言葉を投げつけた。

 頬を打たれた男は、それでもアリシアから目を逸らさなかった。真っ直ぐに見つめてくる。驚きを滲ませつつ、とても真摯な瞳だ。

「竜騎士かどうかなんて関係ない。命があるだけでも信じられない。本当は避けられたはずの戦いなのに、どうしてむやみに……あなたたちが強いのは分かったけど」

 うまく言葉にできない。アリシアは唇を噛み締める。

 目の前に対峙する男はなにも言わず、その後ろにいる者たちも吐息一つ、呻き声一つ漏らさずただアリシアを見つめていた。

「それともあなたたちは強いから、こんなに簡単に戦うの」

 その先にあるのが、どちらかの死であったとしても。

 強さがあるから。だから簡単に人を殺せるのか。軍人だから、戦うことを躊躇わないのか。傷付けることを厭わないのか。

 続きはとうとう言えなかった。

 噛み締めすぎた唇が切れる。舌で舐めとると血錆の味がして、アリシアは口を真一文字に引き結んだ。

「……すまなかった」

 静寂を取り戻した森の中、あまりにも潔く、男が言った。

 

*     *     *     *

 

 気付けば日がかなり傾いていて、空気が冷え始めていた。

 とにかくここを離れて、早急に彼らを運ばなければならない。気を取り直して、アリシアは指揮官らしい男に向き直った。

「ねえ、ここまでどうやって来たの?」

「徒歩だ。昨日から森に入った」

 アリシアの問いに男が簡潔に答える。

 折り目の正しさ、回答の正確さに、重傷を負っているとは既に思えなかった。

「飛竜は?」

 竜騎士は飛竜に乗るからそう呼ばれている。しかし男は黙って首を横に振った。

「死んだの?」

 ちらとベヒモスの死骸を見ながらアリシアは続ける。

 すると男が「いや、最初から乗ってきていない」と答えた。「そう」と頷きながら、アリシアは帰る為の算段を頭でつける。が、それはあまり芳しくないものだった。

「……一度に全員は運べないわ。一番近い村でも、往復していたら夜になる」

「若い奴から先に頼めるか。私は最後でいい」

 男が指したのは、確かにそれと分かる幼さを残した竜騎士だ。

 先程からこの男以外は誰も口を開かない。上位者により下された決定には従う、軍人らしい統率だった。これならば、誰が先かで悶着することはなさそうだ。

「分かった。じゃああなた以外で、まず三人を選んで」

「ノルズ。グレン。それと、セス」

 即座に男が名前を呼ぶ。彼は若い者からと言ったが、下から順に呼んだのだろうか。呼ばれた三人は、覚束なさも見せずに立ち上がった。

「――いいのね?」

「ああ、頼む」

 誰より自身が重傷であっても、男の決心は揺るがないようだった。

「日没までには一度戻れると思うから、ここから離れず待っていて。他のベヒモスは、――多分まだ、来ないはず」

「有難い情報だ」

「でも絶対に無理はしないで、横になっていてね。それじゃ、行きましょう」

 出立の為に踵を返すが、そこでアリシアの足が止まった。

 ベルスの姿が忽然と消えている。

 先程まで傍にいたはずだ。不思議に思い、指笛を鳴らしてベルスを呼ぶ。いつもはすぐに来るのに、今日、今に限ってなぜかベルスは来なかった。内心動揺する。もう一度指笛を鳴らしてベルスに呼びかけるが、やはり来る気配がない。

 考え込んだアリシアに、男が話しかけてくる。

「あれは君の飛竜なのか」

「ええ。ごめんなさい、少し待てば来ると思うんだけど」

「こちらが乗せてもらう立場だ。いくらでも待とう。それより随分大きいんだな」

 軍用の飛竜はせいぜい二人乗りがいいところだ、と男が続ける。

 ベルスは窮屈なりとも四人は乗れる大きさで、同じ飛竜でも違いは顕著だ。

「驚いたよ。国軍以外で飛竜に乗っているなんて。野生か?」

「分からないの。生まれた時から一緒だったけど」

 ベルスが何歳になるのか、なぜ傍にいてくれるのかも分からない。

 アリシアが知っていることはただ、

「母の形見とだけしか」

「……すまない」

「謝ってばかりね」

 頬を緩めた時、男がアリシアの背後を見て目を見開いた。向き合っていたアリシアはそれを見て、後ろを向く。男が驚いた光景に、アリシアもまた驚いた。

 ベルスが戻ってきた。大きな翼でゆっくりと降下するのは見慣れた光景だ。

 その後ろに三頭の飛竜がいる。小柄ながら締まった体躯を見るに、野生であることは間違いない。アリシアたち人間を恐れる素振りも見せずにそこにいる。

 考えられない光景だった。

 かつて「末裔狩り」の煽りを食って、乱獲の為に激減した種だ。先に男が話したとおり、今では軍用に繁殖されている飛竜が大半で、野生で見かけること自体が非常に珍しい。

「どうして……」

 茫然と呟いてアリシアは野生の飛竜に近づいた。

 逃げない。威嚇もされない。目の前に手を差し出して尚、牙も剥かずに黙って見つめてくる。

 馬より大きな頬は痩せている。そっと手を添えると、くすんだ蒼い鱗が温かかった。

「助けてくれるの? いいの? どうして?」

 聞いても答えが返ってくることはない。ベルスと同じように、野生の飛竜たちもまた言葉を語らない。

 こんなにも世界から疎まれる自分に、どうして彼らだけは優しいのだろう。

 ふと唇に小さな笑みが乗る。向けられる優しさの、その理由が分からずとも。それでも無言で差し伸べられるその手に涙が出る。同じはずの人間が驚くほど冷たい一方で、違う種族のこの敵意のなさ。


 一体世界は何で計れるだろうか。どんな目線で、どんな立場で、なにをどうしたらこの世界の真実が見えるだろう。

 真実とはなんなのだろう。

 優しさと敵意の狭間にあるものは、いや、なにが両者を分けるのだろう。


 首都レベノス。

 煌びやかすぎたあの都が、突き刺さる人々の視線が、記憶の端で笑っている。同時に、昨日の竜騎士と今ここにいる竜騎士たちが優しいことに戸惑ってもいる。

「驚かされてばかりだ。これも君の力か」

 背中から嘆息した男の声がかけられる。だがアリシアは頷かなかった。

「私にそんな力なんてない。でも」

 これで全員を一度に運ぶことができる。 

 振り返ったアリシアに、男もまた安堵の顔で頷いた。

「そうと決まればすぐに発ちましょう。空乗り、できる?」

 野生の飛竜には当然手綱も鞍もない。そのまま背に乗るしかないが、一般人ならいざ知らず、軍人である彼らは訓練されているはずだ。

 当然だと男が即答した。

「じゃあ二人ずつ。あ、あなたはベルスに」

 踵を返そうとした男をアリシアは呼び止める。

「私はこちらで大丈夫だ」

 男が野生の飛竜を指差す。それに対し、アリシアは首を横に振った。

「一度に行けるのなら、一番重傷の人が鞍を使うべきだわ」

 装具、いわゆる手綱と鞍無しの「空乗り」は訓練次第で技術的に不可能ではない。しかし、そもそも装具があっても飛竜は馬以上に乗りこなすのが難しい。五体満足であっても困難なことを、怪我をした状態であればどれだけの負荷がかかることか。

 彼はそれを分かっていて、進んで負担のかかる方を選ぼうとした。

 見上げた精神だ。

 が、この状態で無理は良くない。応急処置しかしていない彼の腹は、いつ破れてもおかしくなかった。

「この人と一緒に」

 アリシアはもう一人、仲間を庇った男の肩を支える。肺を損傷しているであろう彼だ。彼は一人では歩けない。立ち上がり一瞬ふらつきかけたところを、男が慌てて支えに入った。

「大丈夫かアンリ」

「ああ」

 即答するが、アンリと呼ばれた男は苦しそうだ。

 支えられたまま四苦八苦の末アンリは鞍に跨り、そのまま彼は男の手を掴んで言った。

「フレイ、四の五の言うな。厚意は有難く受けておけ」

「……分かったよ」

 それまでの硬さが嘘のように、隊長であるはずの男――フレイと呼ばれた――は、アンリの言葉に大人しく従った。

 

 そして一行は同時に空へと舞い上がる。

 小一時間も飛べばファーマに着くだろう。ベルスを先頭に、飛竜たちは素晴らしいスピードで空を駆けた。

 ファティマス山脈を超え、南ファティマスに入った頃、世界は黄金色に輝いていた。遥か遠く、アリシアたちの右手の方向に、その姿を徐々に隠してゆく太陽があった。

 そうしてその姿が完全に隠れるか否かという時に、ようやく遥か前方にファーマが見えた。



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