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「これはまた凄いですね。でもどうして僕のところに?」
本来、学園のトップに君臨する者が一人の――それも十五歳未満の生徒に肩入れして良いはずがない。
ここに来てこの書物を見せてきたということは、何かしらの意図があるのだろう。
例えばラパンボーマの復活とか。
これは全然有り得る。
元々研究の末に産まれた突然変異体とされているから、可能か不可能かでいったら可能だろうし。
できるのか?と聞かれたら、当然できないと応えるけど。
いくら天才が集う学園に入っているとはいえ、僕の専門分野はあくまでも天からの恩恵であって、魔獣の繁殖やら生成やらではない。
もっとも、エナジーが絡んでいるとなれば放置するわけにもいかないだろうが。
「私はね、これでも君の能力を買っているんだよ」
ロウランスはその声色に似つかわしくない――煽てるようにそう言うと、モノクルを光らせ見据ていた。
「学園長は信じて下さるのですか!?」
僕は思わず身を乗り出し、食い気味に聞き返す。
「信じるも何も、私はこう見えても学園長だ。
経験上、見識だけは広いと自負しているし、そもそも生徒を信じる事は教育者として当然の行いである」
学園長の言葉にまんまと乗せられた僕――とはいえ、それにも理由があった。
学園内でのエナジーの存在は未だに認められておらず、僕の入学を裏口だと疑う者も少なくなかった現状。
寧ろ、受け入れてくれる人の方が少数なくらいだった。
お世辞でも認められていると取れるその言葉は僕の承認欲求を満たしていたのだ。
いつの間にか感じていた孤独という空いた感情に、聖水が溜まっていくのを感じる。
ただ認められただけならば、ここまでの幸福は得られなかっただろう。
やはり『学園長』という箔の付く者だからだろうか、その言葉はそれ相応に重みがあった。
「ありがとうございます……!!光栄です!!」
ちなみにエナジーを信じてもらえたのは、マキバ以外では初めてになる。
信じてもらえた二人目が学園長であったのだ――僕の心を満たすには十分な理由となるわけだ。
「ハッハッハ。
――さて、本題だが『どうして』と聞いたな?」
微笑から一変、真剣な面持ちに豹変する。
だがその声音は、その表情でこそ真価を発揮していた。
まるで自身の内側に巨大な壁を張っているが如くの誰にも真意を読み取らせない表情。
心做しか恐怖すら感じられる。
「はい。
学園長の立場を考えても、僕みたいな者の所に来る理由がありませんから」
紛れもない異例の事態に、僕は無意識に身体を硬直させていた。
――教授側は本来、この学園の方針として十五歳未満の生徒に干渉する事は、基本的には無いとされている。
とはいっても、これは別に差別的な意味合いがあるというわけではなく、理論に基づいた結果にすぎない。
十五未満の生徒達にはのびのびと自由に育てさせる事で視野を広げ、固定観念に囚われまいとする意図があるそう。
だからといって、干渉した時に罰則があるというわけでもない。
暗黙の了解というやつである。
「そうだな、本来ならばそうだ。
私は誰も贔屓するつもりは無い。だが、今回は特例だ。
君の力を見込んでの願いだ。頼まれてくれるかね?」
まるで苦虫を噛み潰したとでも言おうか――一貫して真剣な表情ではあるのだが、何処か発言をするのに抵抗があるようにも感じ取れた。
――やけに勿体ぶるけど、そんなになのか?
「まぁ、内容にもよりますけど……」
恐る恐る聞き返せば、ロウランスは黙り込んだ。
真剣な表情は崩壊し、次第に苦悶な面様へと変化させるが、本人はそれに気付いていないだろう。
そして――、
「――君にはアリバへ潜入スカウトに赴いてもらいたい」
顔を顰めながら放たれた一言。
その表情からは、彼なりの葛藤があったことが見て取れる。
――なんと。これはまた予想外だな。
てっきり壊滅まで追い込んでこい――とか言われるのかと思ってたけど。
てか潜入スカウトってだけでそこまで考え込む理由があったのか?
思ってたよりも簡単そうだけど。
「潜入スカウト?それはまた唐突ですね。
そんな大役を僕なんかに任せて大丈夫なんでしょうか?
本来ならばスカウトマンの仕事になるはずですし……」
そうだ――仮に僕がスカウトを行ったとして、スカウトマンはどうなる?
仕事を奪われたと反感を買えば、今後の学園生活も穏やかにはいかないだろう。
現に僕は、生物学の准教授であるマキバからスカウトされてこの学園に入っているんだ。
もしもこんな形で恨みを持たれたりなんかしたら、これからの学園生活に影響が出るのは間違いなく予測できる。
それだけは御免蒙りたい。
「いや、これは君にしか頼めん事だ。
今いるスカウトマンでは、誰もアリバに近づけんのだ。
あの国は、基礎戦闘能力が他国と比べても随一とされている。
故に何処も近づけず、現状鎖国状態にある」
なるほど。
荒くれ者の出生率が極めて高いとされるアリバ。
入国をしても、必ず痛手を追うとされていた事から極めて接近が困難となっていた。
その中には帰ってこなかった人間もいるとかなんとか。
そんな中現れたのが、天からの恩恵を大々的に披露した僕。
この力を扱える僕だからこその頼みというわけか。
だとしてもだ、スカウトである必要性が見当たらない。
仮に何か危害を加えられているのだとしたら、やはりスカウトなんてするよりも、いち早く攻め込んで他国に脅威なりを知らしめる方が国の為にもなると思うが――なんてことは考えても、そこら辺の知識は皆無だから、それに対する損得までは分からないけど。
一先ず詳細を貰おう。
「詳しく話を聞かせてください」
ロウランスは机上に両肘を乗せると、五指と五指を搦めさせ、口元へと持ってくる。
「うむ。結果的に言うとだね、私……いや上の目的がアリバとの和親条約や通商条約の締結を求めていてな。
それで君にはその一端を担ってもらいたいと考えている。
もちろん、我々は全力でサポートするし、その為なら上も協力的になるだろう。
だが――」
一呼吸置くロウランス。
搦めた両手はそのままに、視線だけが中空に向く。
そこに文字でも書かれているかのように。
そんな訳だから、勿論僕は不思議に思う。
「どうかしましたか?」
と――閉じていた口を開いたのだった。
その言葉を皮切りに、ロウランスは再び喋る方向へと意識を取り戻した。
「正直な所を申すとね、私はこの件に関して、あまり寛容的ではないのだよ。
だが上からの指示という手前、私が断る事は許されない。
だからこうして話を持ち込んだのが……君には辞退してもらいたいと願っている。
私は断れない立場にあったが、君自身が言うのなら別だ。
上も納得してくれるだろう。
まぁ、あくまでもこれは私の願いであって強制では無い。
受け入れるも断るも最後に決めるのは君になる」
学園長よりも上の立場にある人間か。
さっきから上という曖昧な表現を使っているから、よく分からないけど、国王の事であってるのか?
「あの、本筋と逸れるようで申し訳ないのですが、上というのは国王の事ですよね?
学園長は国王とどういうご関係で?」
「私自身が直接――という訳では無い。
あくまでも学園と関係しているだけだ。
それに、私は国王と関わりを持てるほど、大層な人間ではない。
上とはつまるところ、理事会の事だ」
国王では無かったが……理事会か。
詳しい事は分からないのでこれについても聞いてみたが、守秘義務があるからという事らしく、あまり教えてもらえなかった。
大まかには、重要事項を決定する役割を担っているとからしく、こういった事はこれまでも度々あったらしい。
恐らくだが、理事会というのは更に上の政府と繋がっており、理事から政府、政府から国王へと情報が渡っているのだろう。
「分かりました。
ですがどうして今、そんな事を?」
いくら条約の締結を求めるとはいっても、今じゃないと駄目な理由が分からない。
「アリバの戦闘力は現状世界一とされている。
もしもあれらを敵に回すような事があれば、このムドラ王国とて無事では済まないだろう。
そうなる前に、こちら側に取り込んでおく必要があるのだ」
大きな被害が出る前に先手を打っておくわけか。
アリバの民がどれほどの者なのか、僕自身が直接関わったことがあるわけじゃないから分からない。
けど、そこまで恐れているというのなら野放しにしておくわけにもいかないのは事実。
それが僕にしかできない事だと言われたら尚更だ。
それにもしもこのスカウトが上手くいったら、何かしらの上との繋がりも持てるかもしれないね。
どちらにしろ断る理由はなさそうだ。
そうなると僕がスカウトする人物は――、
「――キリング一族ですか」
「うむ、そうだな。引き受けるか?
私は強制はしない。嫌なら辞める事も可能だが」
学園長の内に秘めた思いを汲み取るならば、引き受けるべきではないのだろう。
だが僕には僕の夢がある。
その為にはどれだけイバラの道だろうと進む以外の道は無い。
「いえ、やらせていただきます。
……とは言っても一筋縄ではいかなそうですけどね」
「引き受ける……と。
もし失敗に終わったとしても、私は責めたりはしない。
無事を祈る事しかできん私が責める道理もないということだ」
「お心遣い感謝します。
必ずや、ご期待に応えてみせます」
「ハハ。これは頼もしい。
良い人材をスカウトしてくれたマキバ君には感謝だな」
ロウランスはそう告げると席を立つ。
「詳しい話はまた後日。
こちらも色々と準備があるのでね」
そうして研究室を後にした。
――それにしても、久しぶりの人との会話は楽しかったな。
それも相手は学園長で、内容も仰天だ。
これからの事を考えると、僕も色々と準備をしないといけないよな。
世界で一番戦闘に長けた国に行くわけだから、秘技とか奥義とかも考えないと……あぁ、楽しくなってきた!
――尻目にチラと血痕が映る。
うん、すっかり乾いてるね。
はぁ……。
「掃除しよ」
僕は再び掃除用具を取りだした。