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スターダスト学園の敷地内――その北西に位置している中高層建築物は、生徒立ち入り禁止の教職員棟である。
高さ約30mを記録する最上階――第八会議室では、重苦しい空気が充満し、部屋を異様で包んでいた。
――その最奥にあるとされる第八会議室は、二重扉となっていた。
棟の中で最も秘密が多いとされており、特定の人物しか入室する事が許されない、教職員でさえも立ち入り厳禁の房室である。
部屋の装飾にこれといった特徴は無い。――が、それは大前提として『豪華』であるという所を除けば、の話だ。
長く使うほど美しさが増していくペルシャ絨毯のような敷物で、床のタイルは見る影もなくなっている。そんな他の会議室とは一線を画した特別的な議場。
珍しい所を挙げるとすれば、その室内の造形が、ありがちな四角形では無く、正五角形であるということだ。
何故その部屋だけ造りが違うのか――その部屋に入ることのできる人間は限られている。
そんな自分達を特別扱いするかのように、部屋の造形もまた、四の上をいく五を使用する事で、徹底的に格付けをしているのだ。
五角形の外周に沿うように、ドーナツ型のテーブルと五つの椅子が等間隔に並べられており、その中心にも丸型の机と椅子が一つ。
机と椅子もまた共に、最上級という豪華な空気感をまとわりつけていた。
学園の資金面を鑑みても、別にそういった物が存在する事は、特別おかしなことでは無い。
だが、初老を迎えた一人の男性には、どうにもそれが不快でならないようだ。
その席に座る人物達と未来を担う子供に格差をつけ、まるで物でしかないと扱うような、あの視線と口調を思い出し、更なる不快感が込み上げてくる。
現在のこの国を形作っているのは、紛れもなく学園の卒業生達である――その事実を理解しているからこそ、彼にはその態度が理解できなかった。
「まったく、ここにはいつ来ても慣れんな……」
まるで……いや確実に誰かから見下ろされている――ここに来る度にそう感じる。存在感のあるダークな木材で造形された扉を見上げながら呟くのは、この学園の実権を握るロウランス・ランドである。
「今度は何を――」
否、そんな事は既に分かっているではないか。
また今回も突拍子も無い事で、生徒に無理強いをさせようとしているのだ。
大方それに関する事だろう。
一教育者として考えるのならば、当然断りたいし、それが本来のあるべき姿であろう事は理解している。――だが、私はあの者達に逆らえない。
それは決して脅されている等という理由では無く、単純に立場としての問題だ。
それを向こうは知っており、全力で利用してくるのだ。
ロウランスも学園長になりたての頃は、内部に対する不満がある度に告げていたものだが、ロウランスは老いた――昔のような若さも無く、ただ未来ある生徒を守る事で精一杯。
永年の人生を経て、彼の上層部に対する反発心や捨て身の心は既に失われていたのだ。
「我が身可愛さで口を噤む事しかできない。
私は学園長として失格……いや、それがあの子達の為にもなる以上は仕方あるまいか。
一つの未来より、二つ三つ――未来は多いに越したことはない」
学園長ロウランス・ランドもまた一人の人間である――胡乱で滲んだ顔に小さな溜息を追加すると、扉を開けて中へと入った。
「――これはこれは理事長……と、評議員会の皆さん。
もう既に揃っておられるようで、貴重なお時間を奪ってしまい申し訳ありません」
ギロギロと、周囲の視線がロウランスに集中する。
だがロウランスは目を細めることで、その視線をシャットダウン。
言葉は軽く、表情は笑顔で。取り繕い、何も感じ取らせないように。何事も無く穏便に終わるように。
そんなことを胸の内で呟きながら、部屋を彩る白いライトに照らされて、中央の椅子に腰を掛けた。
――ドーナツテーブルの中心には、アンティーク調の円形テーブルがあるのだが、それを間に挟むように、ガドルーンの彫刻が施されたバルーンバックチェアが二脚。
ロウランスが先程座った椅子である。
その対面に座る人物――その人こそが、学園法人のトップであり、このスターダスト学園の内部を総括する理事長スワロフ・ラッキドルである。
そして、先程からひしひしと感じていた取り囲むような複数の視線。
ロウランスは尻目で視線の源を探る。
人数は計五人――評議員会の老人達は、じっとロウランスを見つめていた。
「それで、アレについてはどうなった?」
一人の老熟した声が響く。誰の声かは分からない――それは、全員の容姿が同じような黒スーツと赤のネクタイで装えられているからである。
「一応、確認として。
アレとは……アリバの件で合ってますよね?」
そうロウランスが確認を取ると、対面する理事長の眉間に皺が寄った。
ちょっとした確認でさえも、彼からすれば不必要な事でり、時間を奪われたと感じたのだろう。
あまりにも理不尽である。――が、それが立場の低い者の宿命だ――とロウランスは込み上げた溜飲を下げた。
「それ以外ないだろう。――どうなった?」
怒りの籠った声色を投げつけたのは、別の老人である。
「……本人は、前向きに検討しているとの事です」
ここでロウランスが確定をさせず濁したのには、せめてもの反逆とリュカ・エルピスの思考の変化を考慮した猶予という意図があった。
確かにあの時、かの少年は引き受けると言っていたが、死が交差している場所に行くとなる以上、その決断は揺らぐものになるはずだ。――ロウランスは考える。
彼の年齢はまだ幼く、思考力も成熟していない。
まだまだこれからという年齢だ。
そんな規定の年齢にも満たない少年に、我々はアリバの王族を狙った潜入スカウトをさせるという重役を担わせようとしているのだ。
話を持ちかけた時、本人もその内容の重さについては理解しているようではあった。だがその実情は、彼の想像や彼の持つ力『天からの恩恵』を容易に超えてくるだろう。
言ってしまえば私からすれば、彼のあの発言は、子供が大人に褒められたいが為に良い事をするそれと何ら変わらないのである。
そんな軽い気持ちで、アリバへ行かせて泣く泣く死なせた――なんて事があったら、こちらとしても堪ったものじゃない。
生徒を捨て駒のように扱い、小さな未来の芽を潰す事は、ロウランスが教育者とする上で一番嫌いな事である。
もしも彼――リュカ・エルピスが、私の好感度を上げる為だけに、そのような軽い気持ちで行くと公言したのならば、その考えを改めさせて、今一度真剣に向き合ってほしい。
そんな、彼に対する願いを込めて。
あえて言葉を濁したのだ。
「フハッ、クッフフハ。
そうか、前向きに……ねぇ」
リュカ・エルピスの価値をはかるような視線に、嘲笑じみた笑い声が理事長スワロフから上がる。
それを聞くや否や、周囲を囲む評議員の連中もケタケタと笑い、室内に反響していた。
――これだ。ロウランスが嫌悪する物は。
自分に特別な才覚があるという訳でもないのに、自身の地位が高いというだけで驕り高ぶる下卑た態度。
そして、それに屈する事しかできない自分自身もまた、嫌いなのである。
未来を担う若き天才達にはこうなってほしくない。
私がそれを指導していかなければならない――ロウランスは心の奥底にある決意を、改めて固める。
「――何か問題でも?」
先刻、平常だったロウランスの声色には、少量の嫌悪と怒りが混ざっていた。
もちろん、内心は少量なんてものではない。莫大な憎悪が跋扈している。だが、必死で抑えるのだ。
自身の無力さを嘆く事で。
「問題?いいや、そんなものは無い。
前向きに――その言葉に嘘偽りはないのだろうね?」
その視線は、自身の発言を思い返させられるように鋭く、凍てついていた。『前向きに検討している』その言葉が不正解とでもいうかのように。
いや、大丈夫なはずだ。
あの時あの場では、紛れもなくあれが正解だった。
それが、あの子の為になっていたはずだ。――だが、嫌な予感が襲ってくるのは、逃れられなかった。
「……えぇ、ありません」
ここではぐらかした所で、三下のような評議員の連中が語気を強めて睨みを利かせてくるだけだ。
そうなればよりややこしく、厄介な事になるに違いない。
今は一刻でも早く、この場から立ち去りたかった。
それが、現在のロウランスの心境だった。
一方でその時、理事長スワロフはニヤリと冷笑を張り付かせると、一頻りに笑っていた。
その笑いは、あの評議員でさえも狼狽える程である。
「――金ならいくらでも用意できる。
どれだけ積んでも良い。私が許そう。
だからどんな手段を使ってでも、必ず実行させるのだ。
身内も脅して巻き込め。逆らうのならば殺しても良い。
こちらはいくらでも隠蔽できるのだ。
クッフフハハハッ!!
とにかくだ、それが君の――」
「ちょっと待ってくださいッ!」
自身の中にある危機的センサーが反応したのか、完全なる無意識で、ロウランスはその老体を乗り出すように席を立つと、今日一大きい声を張り上げていた。
先程の心境も、スワロフのその言葉の後では跡形もなく消えていた。
理事長の言葉を遮るのはよくない事――それは十二分に理解していたはずなのに。
奇しくも自分でも声を上げていたことに気付いたのは、言い終えた後だった。
「今は私が喋っている途中だが?
この私に向かって口を挟むのか貴様は?」
「そうだぞ!」老人の荒らげた声。「無礼だ!」もう一人も同様に。そして更には「自分の立場を本当に理解しているのか!」そんな怒声が鳴っていた。
だが、評議員のそんな言葉は一切耳に入らなかった。
自身の脳内を駆け巡る、先の言葉の整理で脳の処理が追いついていない。――が、ただ一つ、確信できることがあるとすれば、これが皮脂から感じていた嫌な予感の正体であるという事だった。
やがてハッと我に返ったロウランスは、自己保身の為の当たり障りのない上面だけの軽い謝罪を述べて、倒れた椅子を直しおもむろに座り直すが、何を話せばいいものか――言葉を詰まらせていた。
固結びのようにぐちゃぐちゃに絡まった思考を、懇切丁寧に解いていく。
――聞きたい事は山ほどあった。
だが、本当に聞いていいのか?また嫌な顔をされるだけではないのか?――本来ならば、そんな台詞が真っ先に脳裏によぎるだろう。
だが今のロウランスには、そんな余裕すらなかったのだ。
「そんな事をすれば、どうなるか分かってるんですか!?」
ロウランス自身、これまで幾度となく彼らの愚行を眼にしてきたが、あれらは全て前座でしか無かったのだ。
彼らの本心――ロウランスはその時、初めてそれを実感していた。
スワロフは、わざとらしい笑みをニヤリと張り付かせる。
彼がそんな表情を見せる時、決まってある言葉が出てくる。
「そんな事とは何だ?金の事か?
それなら心配あるまい。優秀なサポーターが山ほどいる事くらい、君もよく知っているだろう?」
スワロフの容姿は正に金を体現している。その格好を見れば、誰しもが金銭に強欲であると思うだろう。
あの卑しい微笑みは、正に金を話題に出す時の表情だったのだ。
サポーターとは、裏口入学生を皮肉ったようにマイルドにした学園の上層部に伝わる用語の一つ。――その件に関しては、前回の評議員会で既に終わっているであろう。
ロウランスが本当に知りたいのはそんな事では無い。――まるでロウランスの胸の内を読み取ったかのように、最も気になっている部分をあえて外し、金銭という部分をつついてくる。
まるでこの現状を、ロウランスの反応を楽しんでいるかのようだ。
「その件ではなく、恐喝及び殺人の勧告ですよ。
学園内部のトップである貴方達が、そんな事をしたらどなると――」
「いくらでも揉み消せると言っているだろう!」
絶えず怒りをあらわにさせた評議員の怒声。
「ですが、もしそんな事実が明るみになれば、貴方達の地位どころか学園自体が失墜しますよ!」
まるで過去の自分が憑依したかのように、ロウランスも負けじとそれに抗っていた。
「本当に話を聞かん奴だな……」
「それも含めてこっちは隠蔽できると言っているのだ!!」
「それに、こちらには特殊兵器がある。
それを使えばたかが記憶くらい……」
「特殊兵器……!?
なんですかそれ、聞いていませんよ……!!」
初めて聞く単語に戸惑うロウランス。
これまでにも、上層部が学園長を通して生徒に干渉した事が何度もあったが、その内容の殆どはロウランス本人には明かされない事が多かった。
恐らくその中の一つが特殊兵器なのだろう。
「コホン。君には関係の無い事だ。
とにかく、こちらにはいくらでも手段がある。
くれぐれも選択を間違えるなよ……」
知られると不味い内容なのか――咳払いを一回すると、スワロフは半ば強引に話を終わらせる。
「時間を無駄にした」
スワロフは腕に装備する時計を確認し、席を立った。
「な……ちょっと待ってください!!
まだ話はっ――!!」
「終わりだ」
ロウランスを見下ろし、睨みつけるように鋭い眼光を飛ばすと、語調を強めたその声でロウランスの言葉を切断した。
カタンという椅子の音と共に、寸分違わず評議員の五人も同じく一斉に席を立ち、スワロフを先頭に扉へと歩き、その場を去る。
まったく、とんでもない事を言い出してくれたもんだ……!」
――一人取り残されていたロウランスはしばらくその場で静止していた。
学園長の座について凡そ三十年、これまで幾度も耳を疑うような内情を聞かされてきたが、それでも上層部は人道は守っていたと思っていた。
だが今回の件でハッキリした。奴らは目的の為なら平気で人をも殺せるのだと。
その目的とは何だ?未来ある生徒を使い、学園は何をしようとしているのだ?
そこまで聞かされていないロウランスが知る由もない。
キーとなるのは特殊兵器。それを使えば記憶に干渉できるのか?
過去にそんな人物が……?
「先ずは生徒名簿の確認か……」
こめかみから垂れる一滴の汗を最後に、ロウランスもその議場から退室した。




