テストと新入生ライブ
学校内で新入生王子様である律輝の誕生日騒ぎが落ち着いたある日の体育授業。
予定していた体力テストも全て終わり、自由時間が与えられた生徒たちは希望者を募ってサッカーをしていた。
下手ながら楽しそうに走り回る卯柳を眺めている律輝の周りには女子ではなく、一部の男子が群がっていた。
「なー天羽。紹介してくれよー」
「いーや、うちに紹介してくれ」
「頼む天羽。連れて来いって先輩がうるさいんだよ」
律輝はこっちの方がうるさいと言いたげな表情を群がる男どもに向ける。
「そんな困ってるなら本人に聞けばいいだろ」
「なんか話しかけ辛いんだよな」
「雰囲気あるっていうか、、、」
「放課後もすぐ帰るし」
そもそも本人が声をかけられたいたいとは思っていない動作をしているので、律輝としても言わんとしてることが分からないでもない。
「中学からの仲だろ。頼む!新堂君を紹介してくれ!」
律輝は「はあ」とため息をついてグラウンドで走っている卯柳を指さした。
するとちょうどシュートを打つタイミングだったらしく豪快なスイングで空振りしている姿が見えた。
「うさぎは運動音痴だけど。、、、なんでそんなに運動部総出で欲しがるんだ?」
律輝の疑問に当然といった様子で周りの人間が答える。
「まずはあの圧倒的な速度。そこらの陸上部より早いぞあれ!」
周りも「うんうん」と頷く。
卯柳は昔から見たままに体を動かせる能力が備わっていた。
本人は舞台に上がっているプロの人間なら普通と言っていたが、走っている人間や泳いでいる人間まで真似するのは少し異常だとは律輝も薄々感じていた。
ただし、道具を使った種目はめっぽう弱いため野球やサッカーもフォームは完ぺきだが、動いている球に当てるなどの動作はからっきしだった。
「次に持久力。シャトルランで百を超えてる時点で合格。文句なし」
またしても周りが「うんうん」と頷いた。
卯柳は普段から体系維持や体力作りのためにランニングも欠かしていない。
昔から夏純も一緒にしていると聞いていたのでそこまでハードなものではないと思っていたが、どうやら二人とも化け物だったらしい。
「最後に体幹。あんなに豪快に空ぶっても転ばないのは純粋に凄い」
これは律輝も実感していた。
身長が高くスラっとした雰囲気なのに、力比べは僅差ではあるが大和に勝つほどだ。
本人曰く筋肉をつけると肌を出す役の時に筋肉を落とすのが大変だから体幹のみを鍛えていると言っていた。
そのお陰か痩せて見えるのに中身は筋肉が詰まっているという密度の濃い人間が出来上がっていた。
それを聞いた周が「人間よりも人間。人間がもう一個入っている感じね」と言っていたことを思い出して律輝はふっと笑った。
「あとなんか可愛い。あれは男子の中に一人いるだけで癒される」
またしても豪快な空振りを見せた卯柳は「ごめんなさい」と笑っている。
味方は「おいー」と言って駆け寄るが、どこか微笑ましそうだ。
卯柳が働いているのはそもそも人に好かれないと続けられない職業だ。
長年その世界に身を置けているのもひとえにその才能があるからだろう。
正体を知らずともいつも間にかクラスの男子に好かれているのはさすがと言ったところだ。
「はあ、分かったよ。聞いといてやるけど、うさぎは部活に入らないと思うぞ」
律輝の予想に周りは「えーっ」と言ったが、律輝が周りを追い払う動作を見せて卯柳勧誘の会合は仕方なく解散した。
高校初のテストまで二週間を切ったとある日。
「律輝くんー。勉強教えて」
そう言って放課後に一年一組の教室へ訪ねてきたのは瑠璃だった。
いつもの可愛い子ぶったキャラとは少し違う不躾な言い方に律輝は「はあ」とため息をついた。
突然の他クラスのそれも異性の訪問者に放課後のわずかに残った生徒たちがざわつき始める。
「ごめん。今日は帰るからまた今度でいいかな?」
「へえ。どこで勉強するの?」
全く会話が通じない瑠璃にさらなるため息が出る。
二人は同じ小学校に通っていたため多少なりとも知った仲ではあるが、どちらも卯柳と仲がいいだけでお互いにそこまで仲が良くはなかった。
「帰るって言ったんだよ。聞こえなかった?」
苛立ちを隠せず、煽るような物言いに瑠璃もムッとする。
「そっかうさぎのとこか。じゃあ私もお邪魔するね」
(なんでうさぎの事を好きになる奴は皆話を聞かないんだよ)
律輝はポケットからスマホを取り出して百十番を押してかける寸前の画面を瑠璃に見せる。
これで少しはけん制できると思ったが、瑠璃はそんなことは全く気にも留めずひょいっと律輝のスマホを取り上げて連絡アプリに自分のアカウントを登録する。
「また今度、勉強教えてね。テスト近いからすぐがいいな。じゃあね」
瑠璃はそう言い残して小走りで教室から去っていった。
卯柳は委員会で席を外していたことに安堵のため息が出る。
過去、二人は同じ屋根の下で生活をしていたことがあるが、卯柳としてもあまり良い思い出ではないのは確かだ。
オリエンテーション泊の時も少し他人行儀な態度を見れば、会わせたくはない。
またいらぬ苦労が増えたと思っていると、二人のやり取りを見ていたクラスの女子から声をかけられる。
「天羽君。私たちも勉強教えてくれないかな!」
律輝は「これもあいつの作戦通りか」と思ったが口には出さなかった。
断れば周囲に瑠璃が特別であるとみなされることになり、承諾すれば卯柳と合わせることになる。
あまり悩んで返答に時間をかけると怪しまれると思い、二つ返事で承諾する。
「いいよ。じゃあ世良さんと同じ日でいいかな」
律輝の提案に声をかけてきた女子たちは申し訳なさそうにする。
「それは世良さんに申し訳ないから、、、」
「ああ、いいのいいの。世良さんとは一緒の小学校だったからわかるけど、ただ教えて欲しいだけだと思うよ」
自分で言っておきながらどんな言い訳だと思ったが、それで納得したようで「それなら、、、」と言って同じ日にすることになった。
瑠璃の思い通りに動いたと思うと腹立たしくて今にも帰りたくなったが、そうもいかず勉強会の予定を立てる律輝だった。
律輝主催の勉強会は翌日にはすでに学年中に知れ渡っており、ゆく先々で律輝目当ての女子とその女子に群がる男子達に声をかけられた。
さらに翌日になると夏純の参加も確認され、人数はとうに三十人を超えていた。
「おーい、天羽。今日は勉強会やるんだろ?」
いつものことかと思い「一組と三組の教室でやるんで参加したいならどちらかにどうぞ」と言って通り過ぎようとした。
「違う違う。俺、松木。お前の担任の松木だ」
「まつき、、、まつき、、、。ああ、松木先生、どうしたんですか?」
永太は通り過ぎようとした律輝に「担任を忘れるなよ」と言いながら近づいた。
「部屋に困ってるならお前らがいつも使っている家庭科室解放しようか?」
「いいんですか?」
担任になって一か月ほど経過したが、永太は無責任に見えて存外面倒見は良い。
律輝としても第一印象は生徒に無関心な担任だなと悪いものだったが、卯柳達のために家庭科部を再始動させたり今もこうして気にかけたりとしてくれている。
関りの少ない生徒にはいまだに話しかけ辛い先生だと思われているが、多少なりとも関りがあれば人となりがすぐに分かる人として接しやすい先生だ。
「六時までならいいぞ。それ以上は残業代を請求するからな」
永太のとんでもない冗談に律輝は苦笑いしながら感謝した。
律輝から家庭科室の使用許可をもらった旨を聞いた卯柳たちは一番に家庭科室を訪れていた。
一番前の窓側のテーブルに七人で座る。
「大和部活は大丈夫だったの?」
周の質問に大和はカバンの中をガサゴソと筆記用具を探しながら答える。
「んー、なんか二週間前から自由参加で一週間前は部活禁止らしいから大丈夫」
零れ落ちたレシートを千恵が拾い上げて「ちょっと、汚いもう」と言いながらゴミ箱に入れる。
「次のライブはいつなのですか?」
「七月のはじめのほうだな」
「夏純さんの誕生日前ですね」
去年も祝った記憶のある周と大和は「あー」と言った。
「夏純ちゃんの誕生日は七月七日だよね」
「そうよ。お祝い楽しみにしてるわ」
すると周と大和は合わせて「んー」と言った。
二人の反応に何か思うところがあったのか、夏純は二人をジトっとにらんだ。
「ねえ。この二人私の扱い雑すぎると思わない?」
夏純のご立腹な様子に一同は苦笑いする。
「そんなこと言ったら夏純がクラスで暴れてることうさぎにチクるからね」
「ほんとにな。好きだの同せ、い、、、」
「あー!」
大和が言いかけたのを夏純が全力で阻止する。
そのまま横に座った卯柳の表情を上目遣いで確認すると、ニコニコとしてはいるが明らかにいつもの優しい雰囲気ではない。
「夏純さん」
「はいっ!」
いつもより低い声音を聞いた夏純に緊張が走る。
「あまり暴走が過ぎると佐伯さんと西尾さんに言って連れ戻してもらいますよ?」
「うわーん。悪いと思ってるわよー」
夏純がそう言って机におでこを付ける姿を見て周と大和は「やーい」と言った。
卯柳は慰めるように夏純の背中をポンポンと撫でながら続ける。
「周さんも大和さんもありがとうございます。夏純さんもお二人のことを信用しての行動だと思いますのでこれからもよろしくお願いしますね」
「親か」
シンプルな律輝の突っ込みに凛が「ふふっ」と笑うと皆も笑った。
「うさぎは私の親じゃなくてだん、、、」
言いかけて家庭科室の扉が開いたことに気が付いた。
全員がヒヤリとして扉のほうに注目すると瑞希と早紀が家庭科室に入ってくる姿が見えた。
「やっほー。ってあれ、どうしたの皆注目して。もしかしてモテ期?」
横にいる瑞希は振られて一か月も経ってもいない相手の前でよくもそんな冗談が言えるなとひきつった顔をした。
「夏純ちゃん隣のテーブルいい?初めましての人もいるね。よろしく!」
そう言って瑞希と早紀は初めましてである周と大和に自己紹介をした。
「二人のことも知ってるよー。ヤンキーと不健康!」
「え、僕ってそんな風に思われてるの?」
「あの、さすがに周君は冗談だと思う」
「えっ。俺は?」
大和は瑞希のフォローに自分が含まれていないことに意義を唱えるが瑞希は気まずそうに顔をそらした。
瑞希の偶然にも上手な大和の扱いに皆は笑った。
「俺ほんと怖くないから。あ、でも喧嘩売られたら任せて」
早紀は瑞希に「怖いよー」と冗談っぽく泣きついた。
そんな冗談を話していると続々と人が集まってきた。
夏純と律輝が座っているテーブルを中心にどんどんと席が埋まっていく。
その中に見知った顔が混じる。
「うさぎー!」
卯柳と律輝以外は聞きなれない声に一瞬の緊張が走った。
現在は大々的に活動をしていないとはいえ卯柳は芸能人である。
それにあまり交友関係が広くなく、自分たち以外で卯柳のことを認識しているのは芸能人としての卯柳の姿を知っている人間しかいない。
瑠璃はそんな緊張と不安が走る一同を差し置いて卯柳と目が合うと一目散に隣まで駆け寄った。
「オリエンテーションぶりだね。うさぎ毎日登校してる?放課後に教室に行っても全然見かけないんだけど」
どうやら卯柳以外は見えていないようで、突然現れて話を続ける女子に一同は面食らっていた。
「お久しぶりです。瑠璃さんも参加されるんですね」
「そうだよ。うさぎは参加しないんじゃないかって思ってたけどよかった」
そう言いながらしれっと卯柳の隣に座る瑠璃に注目が集まる。
卯柳は空気を察して極力声を抑えて紹介を始めた。
「皆さんにも紹介しますね。僕のいとこの世良瑠璃さんです。瑠璃さんの家には小学生の頃に少しだけお世話になっていました」
いつもの優しい笑顔を見せながら紹介する卯柳に皆は安心して「よろしく」と自己紹介をするが律輝だけは気が気ではなかった。
それもそのはずで、律輝の予想が正しければ卯柳は無意識的に瑠璃を避けている。
というのもそもそも卯柳は自分の周りの人間とそれ以外の人間で明確に分けて接しており、瑠璃と接する態度は自分の周りに対する態度とは違う。
瑠璃も人の感情にはさとい人間だ。
気付いてもなお近づいてくるということは周囲へのアピールやけん制の意味もあるのだろう。
特に芸能人で昔から付き合いがあるはずの夏純への関係性の提示。
「初めまして百目鬼夏純さん。うさぎと仲良くしていただいてありがとうございます」
卯柳の隣に座って自分のモノと言わんばかりの瑠璃の挨拶に最初は好意的だった夏純も言い表せない不快感を覚えた。
あまりにも攻撃的な挨拶に、まずいと思った律輝は夏純が余計なことを言う前に立ち上がる。
「皆、今日は勉強会に参加してくれてありがとう」
幸い夏純と瑠璃のやり取りは周囲には気付かれていなかったらしく、二人の空気を壊すことに成功する。
やれやれと思いながら律輝は勉強会を仕切り始めた。
それから勉強会は若干の気まずさを残しながらもつつがなく進み無事に終わりを迎えた。
卯柳はいつも通り家事のために途中で帰宅しており、他の面々も徐々に帰り始めている。
気まずさの元凶である瑠璃は意外と最後まで残っていたが、勉強会が終わるとすぐさま帰っていった。
夏純を送り届ける帰り道。
暮れなずむ春の夕焼けはいやにまぶしくて目を細めた律輝は隣を歩く夏純の沈黙の意味を考えるだけで憂鬱だった。
大きめの公園に差し掛かった時に夏純が口を開く。
「ねえ、律輝。色々と聞きたいことがあるんだけど」
案の定そう切り出された律輝は顔色一つ変えずに返事をする。
「俺が答えられることだけならな」
立ち止まってじっと見上げる夏純の姿は夕日に照らされているせいもあってか、現世へ降臨した女神のように美しくて律輝は一瞬目を奪われた。
見つめられている意味を察して公園に足を踏み入れる。
面倒なので一番手前にあったベンチに腰かけるとわずかに間をあけて夏純もベンチに腰かける。
すると夏純は間髪入れずに話しを始めた。
「昔お世話になっていたことがあるっていうのは聞いていたけど、瑠璃って子がいとこなのは聞いていなかったわ」
律輝は黙って聞いていた。
「昔お世話になっていたっていうのは不倫事件を起こした世良家?」
これは調べれば分かることだと判断した律輝は「そうだ」と言って頷いた。
その様子を見て夏純の表情が曇り始める。
「瑠璃ちゃんはただのいとこ?うさぎの仕事については知っているの?」
話を進めると徐々に熱が入っていくのを感じた。
「瑠璃との関係について言及したことはないから知らない。うさぎの仕事については知ってる」
「だってあいつの母親はそれだけを頼りに生活をしていたから」と言いかけて止まった。
姫花や瑠璃の話からそんな生活を送っていたことは簡単に想像できたが、あくまでも想像の範囲なので口に出すことははばかられた。
「私とうさぎの関係については知ってるの?今のうさぎの生活については?」
「両方とも知らないと思う。オリエンテーション泊の時に久しぶりだって話をしてたくらいだから」
オリエンテーション泊の時に話したということは夏純も知っていたことなので特に驚きはしなかった。
「瑠璃ちゃんはうさぎのことが好きなの?うさぎは瑠璃ちゃんのことをどう思っているの?」
律輝は「それは俺が答えることじゃない」といった視線を夏純に向けた。
夏純自身もこんな質問をするのは間違っていることは分かっていたが、卯柳のこととなるとどうしても止められなかった。
自分の好きな人が自分の知らないところで知らない人と仲良くしているのは不安でたまらない。
テレビで知らない子役と共演している時は何とも思わなかったのに、なぜこんな感情が芽生え始めたのか夏純にも分からなかった。
「うさぎはあの家で何があったの?うさぎはあの頃に何があったの?」
夏純は今にも泣きだしそうな表情でそう言った。
夏純の言う「あの頃」は律輝にも心当たりがある。
卯柳が学校よりもテレビでよく見かけるようになった頃。
卯柳が誰に対しても敬語を使い始めた頃。
卯柳が世良家に移り住んだあの頃。
「うさぎは、なんて言ってるんだ?」
「何も、、、聞けてない、、、」
声が少し震えたような気がした。
夏純には過去の卯柳に何があったかは分からないが、報道された内容から彼の生活の凄惨さにある程度の想像がついていた。
だからこそ卯柳にとってそれが深い傷となっているなら、無理に聞き出してえぐるような真似はしたくない。
本人が言いたくなった時、辛くて苦しくて誰かに共有して楽になりたい時に言ってくれれば頼ってくれればいいと思っていた。
けれどいくら施設で顔を合わせていても、共に生活を始めても、思いを伝えても、卯柳は何一つ切り出すことはないまま瑠璃が現れた。
律輝は気づかないふりをして夏純から目をそらす。
「じゃあ俺から言えることもない。そもそも俺も本人の口からは何も聞いていない」
卯柳は決して自分の身の上を話すことはない。
姫花や律輝にはもちろん、学校の人や仕事関連の人、あげくは警察や児童相談所の人にまで「大丈夫」と言っていつものように優しく笑う。
最初は全てをかばうために無理をしてそう振舞っているのかと思ったが、卯柳は本気で「自分は大丈夫」と思っていた。
事が発覚するまで全てを背負ってきた卯柳はその重さに何もかもを歪めてしまっていたのだ。
「本人の口からってことは全部知ってる人はいるの?」
「普段の生活や学校でのこと、仕事先のこと。一部を知っている人間は居ても全てを知っているのは卯柳だけだ」
卯柳に聞くしかない、夏純もそう分かっていても様々な感情が邪魔して聞き出せない。
もし聞くことで二人を傷つけることになったら。
もしそれがきっかけで壁を作られることになったら。
大切にしたいはずの存在を逆に傷つけることになるのではと思うと上手に行動ができない。
二人と生活していると人を大切にするということは自分の思っている大切を押し付けることではないとつくづく実感する。
最大限に相手を尊重したうえで自分にできることを精一杯する。
それが根底にあるから二人と過ごすのはとても心地が良かった。
しかし、その心地よさに甘えていては昔の自分とは何も変わらない。
卯柳の隣に立てるように大人になりたい。
「姫花もうさぎも昔の話はしないから怖いんだろ。触れていいのか聞いていいのか分からない。それでも今を生きている以上過去は必ず存在する。目に見えるものや気がついたことを簡単に口に出して、もし過去に関係するものだったらどうしようって考えているのか」
施設ではそこまで頻繁に会うこともプライベートな時間を過ごすことも少なくて見えなかったものが、長時間共に生活を続けると見えてくるものがある。
それはわずかな違和感だが、放置していたらきっといつか歯車が嚙み合わなくなって崩壊してしまう。
そんな目に見えない壁のような不安が心地よさの隙間に見え隠れしていた。
けれど卯柳はそんな気持ちを抱かせないようにひたすらに「大丈夫」と笑っている。
「うさぎのこと本気なんだったらちゃんと覚悟しろよ。うさぎは覚悟も責任もすでに持っているだろうから」
「覚悟」と言われても夏純にはいまいち意味が分からない。
確かにこの生活を始めたのは卯柳のことが好きで離れたくないという単純で軽率な気持ちからだった。
しかしその気持ちには過去の深い後悔からきており、その場のひらめきで決めたことではない。
「あの頃」から卯柳の生活が一変し、途端に業界内に卯柳の悪い噂が流れ始めた。
それを聞いた夏純の事務所は夏純の意思とは裏腹に卯柳と関わるのをやめるようにと指示をした。
また、卯柳自身も世良家との関係は不健全であると理解していたので夏純のことは意識的に避けていた。
そんな周囲の環境やすれ違いから会えることが少なくなり、卯柳に不満を抱いたこともあった。
今思えばあれだけ環境が変わってこの世界に味方がいなくなっても尚、変わらずに優しくいることがどれほどおかしいことか気がつけたはずなのに、その頃の夏純はたまに会えることに喜びを感じるだけで他は何も考えてはいなかった。
そんなお気楽に日々を過ごしていると、いつの間にか卯柳の継母の不倫報道が世間をにぎわせており何も悪くないはずの卯柳は休養と言うことでメディアから姿を消した。
卯柳と久しぶりに会えたのは施設の紹介を受けている時だった。
少し他人行儀でそれでもいつものように優しく笑う卯柳を見て夏純は泣きながら卯柳を抱きしめて、ただひたすらに「ごめん」と「大好き」を伝えていた。
あれだけ好きで大切にしていたはずなのに、自分ばかりが甘えて何も気づかなかったこと、世良家からは遠ざけてくれてたのにのうのうと不満を抱えていたこと、大人からの指示で何も悪くないはずなのに避けていたこと、それら自分勝手なところや子供っぽいところに苛立ちや不甲斐なさを感じて全てが溢れ出てしまった。
施設での生活を経て、三人で生活を始めるとこの気持ちはより強くなった。
もう周りなんて気にしない。
与えてもらったたくさんの幸せを分け合う。
新堂卯柳は絶対に私が幸せにする。
誰にもこの役目は渡さない。
それが最後には自分の幸せになる。
それは覚悟よりも大きい決意。
自分が生きる意味。
だからこそ夏純には覚悟の意味は分からなかった。
「覚悟、なんて言われても分からないわよ。でも、、、うさぎのことが好きな気持ちだけは本物。これまでもこれからも何があっても変わらない感情よ」
律輝としては卯柳が幸せになるなら夏純でも瑠璃でも誰でもいい。
ただ、少なくとも瑠璃よりは夏純のほうが信用できることは確かだ。
「もし不安なことがあるなら話し合えばいい。二人ともしっかり向き合ってくれる」
再び訪れる沈黙。
それでも今回は重くはなかった。
「そうね、ありがと。私たちは家族なんだから話し合わないといけないわよね。姫花の受験のこともあるし落ち着いてから切り出してみるわ」
本来は家族という言葉につっこむべきなのだろうが、そんな気力は律輝には残されていなかった。
「律輝もいい男になったわね。もっといい男が近くにいるからかな」
言ってろと思った律輝はふっと笑った。
「まあいくら変わろうとうさぎは昔から優しかったからな」
「そうなのよ。あんまり優しさはふりまかないで欲しいわ」
話も一区切りついたところで律輝は勢いよく立ち上がる。
「早く帰らないと旦那様から心配の連絡がくるぞ」
「あら、ついに認めてくれた?」
おどけてみせた夏純に「まだまだだよ」と言って再び帰路につく。
日はもう沈んでいた。
テスト一週間前からテスト期間は阿鼻叫喚の日々だった。
と言っても勉強が嫌いな夏純と周と大和の三人が主な発狂者である。
律輝大監督の元、暗記系は卯柳と千恵が、計算系は凛が指導した。
律輝としても卯柳を学校に誘った手前、ついてきた三人も赤点で留年など万が一にもさせる気はない。
それに散々苦手だ嫌いだと言っても最終的には律輝のことを信頼してついてくる。
だからこそ互いの間に遠慮などはなく、詰め込むだけ詰め込んだ。
律輝曰く、倍を詰め込んでやっと半分とのことで、今回の目標である各教科七十点のために百四十点分の知識が詰め込まれた。
試験当日は三人ともゾンビ状態でうめきながらも何とか乗り切った。
終わった瞬間に周はゲームをするためにすぐさまに帰宅し、大和は誰よりも早く軽音部へと向かった。
夏純は今すぐにでも卯柳に抱き付きたかったが、学校と言うことで卯柳に叱られるため家までは我慢した。
家に帰ると懇願された卯柳は仕方なく夏純に抱き付かせ頭を撫でていた。
「はー、癒される。毎日してくれてもいいのよ?」
「ご褒美はたまにあるから頑張れるんですよ。何事も慣れてしまいますからね」
自分の胸元に頬を擦り付ける夏純を見て卯柳は違和感を覚える。
どうやら瑠璃が現れてから夏純の距離感が少しおかしい。
極力卯柳を自分の視界に収めようとしているし、二人きりの時のスキンシップが激しくなっている。
瑠璃に対してか、もしくは他の何かに対してか、夏純が不安のようなものを抱えていることは卯柳にも感じ取れた。
背中をポンポンと叩いてやると落ち着いたようで、大きく息を吸ってから顔を離した。
「ねえうさぎ。勉強会に来ていた人たちで打ち上げの話が出てるんだけどどうするの?」
「僕は遠慮してきますね」
「、、、うさぎが行かないなら私もやめとこうかな」
少しためらった様子の夏純に卯柳が問いかける。
「事務所から何か言われているんですか?」
卯柳はじっと見つめながら言った。
「ううん。気を付けていれば大丈夫って」
夏純も思うところはあったのか卯柳から顔をそらす。
わずかな沈黙のあと卯柳が口を開く。
「もし夏純さんが本当にそうしたくて選んだのなら何も問題はありません。ですが少しでも自分の意志とは違うのなら僕はそれを受け止められません」
卯柳はいつもの優しい笑みを浮かべて夏純の頭を優しく撫でた。
「悲しいことや辛いこと、苦しいことを感じたときはいつでも何度でも受け止めます。だから楽しいことや嬉しいことも目一杯楽しんで僕にもお話してください」
卯柳は自分のために何かをすることはない。
オリエンテーション泊の時や放課後や勉強会の時でさえ自分を優先させることはない。
どれだけのものを背負っていようが決して他人に見せることをせず、平気だと優しく笑って皆を安心させる。
これが律輝の言っていた卯柳が背負っている責任なのだろうか。
「そっか、、、分かった。じゃあうさぎの分も楽しんでくるね」
何とか絞り出した言葉に力はなかったが、それでも卯柳は優しく頷いた。
「行ってらっしゃい。姫花と僕にたくさん聞かせてくださいね」
どこまでも自分をないがしろにする発言に心を痛めたが、絶対に自分が大切にすると改めて決意を固めて卯柳の胸へ顔を埋めた。
テスト期間が明けるとすぐに姫花の運動会が控えていた。
「私、明日は新堂夏純だから」
運動会を明日に控えた晩御飯時。
昨日までの弱気はどこへ行ったのやら、急な宣言に卯柳は飲み込んでいた晩御飯を吹き出しかけてせき込んだ。
「どういうことですか?」
水を飲みこんで落ち着いた卯柳は困惑気味に問いかける。
「明日は姫花の運動会でしょ?見に行けるように新堂夏純で入場者申請したから。ね、姫花」
「うん!楽しみだなあ」
「楽しみって、先生に何か言われなかった?」
姫花は特に思い当たることがなかったのか「うーん」と数秒悩んだのち何でもないように続けた。
「家族増えたんだねって言われたかな」
「それでなんて答えたの?」
「お姉ちゃんが増えましたって答えたよ」
小学校の職員も新堂家の大まかな現状や生活環境などは把握しているため確実に誤解は生まれている。
「、、、明日先生たちに正直に話しましょう。何とか夏純さんも入れるように説明しますが、入れなかった場合も仕方ないと思ってください」
その言葉を聞いて姫花と夏純は親指を立てあった。
なんだか最近、姫花がよくない影響を夏純から受けている気がする。
無茶を通しても卯柳なら何とかしてくれるという信頼ともとれるごり押しのお願い。
「こういったことはほんとにダメなことですからね。テレビ局に家族を名乗る別人が入ってきたら立派な事件ですよ?」
自分の環境であり得るたとえ話をされると夏純は「うっ」と言って渋い顔をした。
「それは、、、ごめんなさい」
姫花にも通じたのか横で一緒に謝っている。
卯柳は二人ともやってしまったことの大きさを理解して反省したのを見て落ち着いた様子で続ける。
「前日に話してくれてよかったです。今度からはもっと早くに相談してくださいね」
そう言いながら卯柳は明日のお弁当について考えていた。
運動会当日はスズメの鳴き声が聞こえてきそうなほどの晴天だった。
姫花の目覚めはよく、ご機嫌で準備をしている。
打って変わって夏純はいつものようにぼてぼてと寝ぼけながら日焼け止めを塗ったりなどの準備を進めているところだ。
一方で卯柳は既に弁当も詰め終えて二人の準備が終わるのを待っていた。
念のため、朝から学校に電話を入れて昨日発覚した企みを補足気味に説明した。
夏純とは施設にいた頃から今も同じ家で生活しており、家族のような関係であること。
本名では周りにばれてしまう可能性があるため新堂と名乗って申請してしまったこと。
身元もわかっていいるし絶対に変なことをさせないから入場を許可してほしい旨を伝えるとあっさりと許可をもらえた。
拍子抜けだったが、それを聞いた姫花がさらに元気になったのでよしとした。
「ねえうさぎ、首元に日焼け止め塗って」
夏純はそう言って日焼け止めを掲げながらリビングのテーブルに額を付けてだらんとした。
まだ準備中の姫花を無理矢理呼び出してお願いするのもはばかられた卯柳は仕方なく日焼け止めを手に取り手で伸ばし始めた。
卯柳が「付けますよ」と確認すると「ふぁーい」とまだまだ眠たそうな夏純の声が返ってきた。
白くもっちりとした肌に優しく触れて肩までまんべんなく伸ばす。
日頃のケアを怠っていない美しい素肌は誰よりも意識の高さを感じる。
さすがに卯柳も美しいわずかばかり後ろめたさのようなものを感じたが、他に誰もいないのだから仕方がない。
しばらくすると夏純は「んーっ」と声を発しながら伸びた。
「起きましたか?」
「起きた。から起こして」
両手が日焼け止めで汚れているため、腕を腹部に巻き付けて抱え上げるように起こした。
予想していなかったのか「ぐおおおお」という悲鳴とは言えない声を上げて立ち上がった。
「ビックリした。急にお腹触らないでよ」
「ごめんなさい。両手がふさがってるんであとは羽交い絞めしか思いつかなかったんです」
「そのどっちかで聞かれたら確かにましだわ、、、」
そんなやり取りをしていると姫花がリビングに元気よく入ってきた。
「準備できたよー。あとは夏純お姉ちゃんお願い」
櫛と髪ゴムを受け取ると姫花をソファに座らせた。
「まかせて。可愛い可愛いお団子にするからね」
前まで姫花の髪を整えるのは卯柳の仕事だったが、夏純と住み始めてからは夏純の仕事となっている。
「姫花は何に出るんだっけ?」
「百メートル走と玉入れと騎馬戦!あとはクラスリレーと組体操かな」
「すっごいトライアスロンじゃない。鉄人にでもなった?」
「えっへっへー。でもお兄ちゃんほどじゃないよ」
「うさぎは超人だから比べるのじゃないわ。それに比べる必要もない。いつだって姫花は私たちの一番だからね」
夏純が話を終えたタイミングで髪のセットも終わったようで、姫花の頭をポンっと撫でた。
「夏純お姉ちゃんありがとう。お兄ちゃん、似合ってる?」
二人のやり取りを見ていた卯柳は優しく微笑みを返す。
「今日もとても似合っているよ。夏純さんありがとうございます」
姫花はとても気分がよくなったのかにっこりと笑顔を見せた。
「よし、行こー!」
その合図で新堂家は姫花の小学校へと向かった。
到着は早かったらしくまだ校内にも全然人がいない状態だったが夏純の件の説明をしているといつの間にかたくさんの生徒と親が来ていた。
子供たちは普段とは違う空気に緊張と興奮が入り混じったような表情をしている。
その中で見知った顔を見かける。
「姫ちゃー--ん。おはよ!」
春がいつものように元気いっぱいで突っ込んできた。
「うさぎさんも夏純さんもおはよ」
「おはようございます」
「おはよ、春ちゃん」
奥から徹夜明けのような見た目の周とその両親も現れて挨拶をする。
「ここに入ってるってことはついに結婚したの?」
「そうなの。今日から新堂夏純よ」
卯柳はいつもの事のように訂正する。
「違いますよ。今日はお忍びという形なので二人とも夏純さんのことは秘密にしておいてくださいね」
「「はーい」」
それから姫花と春は一度椅子を取りに行くということで校舎の中へ入っていった。
「僕たちは場所を取りに行きましょうか」
「だね。でもあんまり混んでるところだとバレかねないよ」
子供たちのやり取りを見ていた実佳がカバンから自分がつけているのと同じ黒のフェイスガードを取り出した。
「夏純ちゃん私のフェイスガード使う?」
「いいんですか?ありがとうござます!」
黒のつば広帽子に黒のフェイスガードまでするとさすがに誰かは分かり辛い。
「完璧だね。うちが取ってる場所があるからそこまで行こうよ」
「そうね。今まで姫花の運動会は見に来れなかったから楽しみだわ」
三人と周の両親の二人は話しながら歩き始めた。
「最近は仕事の方は落ち着いてるの?」
「少しずつって感じ。オーディションはしていないけど、いただいたお仕事をこなしていってるわ。うさぎほど演技が上手いわけじゃないから多いってこともないけどね」
「ふーん。お母さんも言ってたけど、やっぱりうさぎって演技上手いんだ」
「上手よ。まあでも演技が上手いってなに?ってなるわよね」
「そうそう。演技力って言っても明確な数字があるわけじゃないじゃん?」
「ほんとにそこは難しいところよね。それにうさぎと私はほとんどといっていいほど売り方やタイプが違うから比べようもないし」
自分の売り方を雄弁に語る姿は十五歳らしくはない。
それでも自分の強みを理解しているのはその身一つで稼いできただけのことを体現していた。
「売り方?」
「例えばなんだけど私がドラマに出てると百目鬼夏純だってなるでしょ?」
これだけ容姿が浮世離れした存在に周は「確かに」と頷いた。
「けどうさぎは志藤隆兎だってならずに役をそのまま飲み込める」
周は夏純に言われたことを数秒間咀嚼して「あー」と声を上げた。
「なんとなく分かる気はする。夏純はなんか見たときに知り合いが出てるってちょっと恥ずかしくなったけどうさぎはすんなり見れた」
「あら、私が下手って言いたいのかしら?」
周の悪意のない純粋な意見に夏純はにやりと微笑んで意地悪な質問をした。
「あ、いや、そうじゃなくて。何て言うかな」
うろたえる周を見て夏純は「ふふっ」と小悪魔のように笑った。
「大丈夫よ。それが私の売り方だから。もちろん演技をしているからにはうさぎみたいにできるのがいいのだけどそう簡単にはいかないものなのよね」
からかわれた周はジト目で夏純を見た。
「結局はのろけってこと?」
「そう取ってもらっても構わないわ」
いつの間にのろけにすり替わっていたのか、誰も気づかないまま話は終わり五人は既に荷物が置かれていた場所へとたどり着いた。
ブルーシートに荷物を載せて落ち着いていると、姫花たちが校舎から椅子を持って現れた。
「だからー、俺が持ってやるって」
「いらないよー。それに陽太君別クラスなんだから遠いでしょ」
「そんなの気にすんなって。な?」
あまりのしつこさに姫花は手に持っていた椅子をその場に置いて、言いよる少年に向き合った。
「次、したら怒るから」
簡潔にそう告げると少年は固まった。
様子を見ていた春は姫花の見えないところで謝罪のジェスチャーを少年に向けてしているが、目に入っていないようで立ち尽くしていた。
「あ、、、う、、、」
何も言う様子がないと思ったのか姫花は再び椅子を持ち上げて去っていく。
三人は一連のやり取りを見ていた。
「姫ちゃんやるなあ、、、あ、てかあの人見たことある気がする、、、」
立ち尽くす少年に卯柳と同い年くらいの女性が近寄って行った。
「陽太、悪いことしたらごめんなさいでしょ」
「悪くないもん。優しさだもん」
少年はしゃがんで目線を合わせた女性の目を見ると安心したのか、シャツの袖をつかんだ。
「じゃあ陽太が焼肉行ってお肉食べ終わってアイスの番になってもお肉食べさせられたらどう?嫌でしょ?」
「嫌だあ。アイス食べたいよお」
自分が悪いことを認めた少年の頭をポンポンと撫でる。
「ちゃんと謝ってきたらお昼に買ってきてあげるから。ね」
「分かった。謝ってくる」
「うん。いってらっしゃい、、、あ」
女性は少年を見送った先に卯柳たちの姿を見つけて固まった。
「やっぱり、瑞希さんだよね」「やっぱり、瑞希ちゃんよね」
先ほどまで弟の福島陽太をなだめていた瑞希は気まずそうに三人の姿を確認した。
「うさぎ君と周君と、、、夏純ちゃ、、、」
「なー瑞希、やっぱり早紀とさー、、、ん?」
更に奥から瑞希の知り合いと思しき男が自分の服で手を拭きながら瑞希の声をさえぎるように現れた。
「あれ、なんか見たことあると思ったら百目鬼天羽グループの二人じゃん。えーっと、名前はなんだったっけ、、、」
「新堂卯柳です」
「あー新堂君だ。運動部の先輩たちが騒いでたよ。それとーひがし君?」
「あずまだよ。東周」
「そうだ!ごめんね。俺は一ノ瀬 陸。瑞希と早紀の幼馴染ってやつ」
その挨拶からは爽やかやチャラいというよりも軽さを感じた。
出で立ちは黒髪で長くも短くのない好印象な青年といった様相だ。
挨拶を終えた陸は黒のつば広帽子とフェイスガードを身に着けた人間をじっと見つめると、まさかと言った様子で目を見開いた。
「それで奥の人は、、、え!?もしかしてどうめっ、ぐえっ」
顔を隠しているのには理由があると思った瑞希が大声で名前を言いかけていた陸の横腹をつつく。
対して威力はなかったものの不意の攻撃だったため、ひるんでわき腹を抑えた。
「急になんだよ」
瑞希自身も夏純が顔を隠している理由が分からないため、卯柳の方に説明を求める視線を向けると夏純が自ら前に出た。
「そうよ、私は百目鬼夏純。よろしくね。今日はお忍びで来ているからここで会ったことも黙っておいてもらえるとありがたいわ」
「すっげえ顔ちっせぇ。、、、なんか、すっげえ光栄っす。応援してるっす」
何とも言えない無難な挨拶に先ほどまでの調子はどこへ行ったと思った瑞希は再び横腹をつついた。
さすがに不甲斐ない自覚があったのか陸も今度は何も言わなかった。
「瑞希ちゃんたちも家族で来てるの?迷惑じゃなかったら一緒に見ない?」
予想外の誘いに瑞希は気まずそうに陸を見た。
「んーっと、大丈夫?」
夏純も何が言いたいのかを察して陸に微笑んだ。
「友達の友達を無下にするほど男を避けてるわけじゃないわ。あ、でも調子は乗らないでね」
初対面の相手にも遠慮のない物言いにさすがに卯柳も「夏純さん」と一声かける。
「軽そうだから釘を刺させてもらったけど私は元からこういう性格よ。幻滅したならごめんね」
「いやいや全然!むしろお邪魔して申し訳ないっす」
すると夏純はキョトンとした顔をした。
「邪魔なんてことはないわ。それに敬語もやめて。同い年よね?」
「、、、そうっす。あ、いや、そう。ありがとう」
陸は認められた気がして少し照れた。
「私だってみんなと同じ十五歳の女の子よ。特別扱いされるべきなのは分かるけど腫れもの扱いは寂しいわ」
会話が落ちつくとタイミングよく姫花と春が来た。
卯柳に話しかける姿を見て瑞希は少し気まずくなった。
「もしかしてうさぎ君の妹さん?」
「そうですよ、紹介しますね」
そう言って卯柳は姫花と春に視線を向けた。
「うちの妹の新堂姫花です。そしてこちらが周さんの妹の東春です」
二人は「よろしくお願いします」とお辞儀すると対して陸は軽い挨拶をした。
恐らく弟が好きな子であろう人物と対面した瑞希は申し訳なさそうに口を開いた。
「うさぎくんと同じクラスの福島瑞希です。さっきはうちの弟の陽太が迷惑かけたみたいでごめんなさい」
すると姫花は思い当たることがあったのか「あー」と声を上げた。
「陽太君のお姉さん! 大丈夫だよ。さっきも謝ってもらったから」
「そっか仲良くしてくれてありがとね」
「ううん。陽太君優しいから。たまにしつこいけど、、、」
つい漏れた不満に瑞希は苦笑いした。
それはおそらく陽太が姫花のことを好きだからなのだろうが、瑞希は弟の恋路を黙って応援することにした。
しばらく話をして四人は姫花と春を見送るとしばらくして運動会が始まった。
周の両親は気を使ったのか、別角度から撮ると言って少し離れたところに場所をとった。
仕方なく卯柳と周はその場でカメラスタンドを組み上げていると小学生たちの入場が始まった。
カメラをセッティングしてそれぞれ姫花と春を撮っていると、春が皆の前に出て選手宣誓を始めた。
「春ちゃん凄いじゃない」
周は黙ってピースサインを夏純に見せつけた。
春の選手宣誓が終わると準備体操が始まった。
ばらばらと広がる中で姫花と目が合うと夏純は大きく手を振った。
姫花も小さく振り返すと周りの男子がざわざわと騒ぎ出した。
「やっぱり姫花ってモテるわね」
聞き耳を立てていた卯柳はピクリと一瞬だけ体を震わせた。
「すごい可愛いよね」
弟が好きなのでそれ以上言及はできなかったが、瑞希もあっさりと同意した。
「さすがだねー。春もよく姫ちゃんが告白されてるとこ見てるって言ってたし。、、、って、あ、うさぎには内緒だった」
聞き耳を立てていた卯柳の体が誰もが分かる形で傾いた。
「あら、うさぎもさすがに姫花と恋バナとかはしないのね」
そういった話題に対して互いに意識して避けていたわけではなかったが、卯柳としても交際経験がないため特段話題とすることはなかった。
しかし卯柳としても一切気にならないわけではない。
もしそういったことで姫花が傷つくことがあるならできるだけ把握して支えたいと思っている。
「そう言ったことは姫花の自由にさせてますから」
そう言って気にしていないふりをする卯柳を見て夏純はにやりと笑った。
「えーじゃあ気にならないの?私とは恋バナしていっぱいしっているけどなー」
「姫花だって話したくないことの一つや二つはあるでしょうから無理しては聞きません」
卯柳は理解のあるふりをして話しを終わらせる。
一連のやり取りを見ていた陸は思ったことをそのまま確認する。
「百目鬼さんって三人兄妹なの?」
一瞬、卯柳と夏純と周の三人に緊張が走ったが、夏純が何事もないように話しを続ける。
「どうしてそう思ったの?」
「あ、いや、姫花ちゃんって子が新堂君の妹なのは分かったけど、百目鬼さんも凄い仲が良いから三人兄妹なのかなって」
夏純は天涯孤独の身であるが、家族構成を公式に発表したことはなかった。
両親がいないことは噂程度に広まっており、一般の人間もそれとなくは把握している。
「まあ二人とも噂程度には知っていると思うけど私には生まれた時から親族がいないのよね。それで私とうさぎと姫花は同じ児童養護施設の出身なの」
極力気まずくならないように呆気からんと言い放ったが、内容が内容だけに陸は「ぐっ」と一瞬黙った。
夏純に関しては噂が流れていたものの卯柳と姫花も同じ施設の出身と言うことは、少なくとも健全な家庭環境で育ってはいないことは確かだ。
「あー。答え辛いことを聞いてごめん」
「私たちは気にしていないから大丈夫よ。気を使わせてごめんね」
瑞希は会話に交じっていたわけではないが、二人に向けた夏純の言葉に申し訳なくなった。
「夏純さん」
卯柳はカメラに声が乗らないように小声で話しかけて、優しく微笑んだ口元に人差し指を当てた。
一瞬視線を集めると奥から準備体操を終えた春と姫花が向かってきているのが見えた。
その行動は「妹の前では言うな」ともとれるし、カメラに声が乗ることを指摘したようにもとれる。
「お兄ちゃーん」
姫花から視線を移すと卯柳はいつもの雰囲気に戻っていた。
その様子を見た一同はそれ以上話題にすることはなかった。
運動会はつつがなく進んでいった。
春は開幕の障害物競走で他の追随を許さないほどの力をみせ、姫花は玉入れで周囲の視線を釘づけにする。
二人が組んだ騎馬戦では機動力と華やかさに満ちており、より一層周囲の視線を集めた。
姫花と春は人だかりができるほどではないが、どんな人間も一目置いているようなそんな存在だった。
「以上で午前の競技は終わりです。午後の競技は13時から開始いたします」
アナウンスがかかると同時に騎馬戦を終えた姫花と春が戻ってきた。
「ただいまー」
「姫花、春ちゃんお疲れさま」
そう言って夏純は二人にタオルを渡した。
「夏純さんありがとうございます。、、、あれ、二人は?」
先ほどまで一緒にいた瑞希と陸がいないことを確認した春が不思議そうにたずねた。
「お二人ともご家族でお昼ご飯を食べるみたいですよ」
「そっか」
「陽太君達も一緒に食べれたらよかったのにね」
なんとなく残念そうな雰囲気を察した卯柳は二人に提案をする。
「お誘いしてきましょうか?」
「ううん、お邪魔しないようにしよ!」
即答した姫花の陰に隠れて春は何かを言いかけて口を閉ざした。
「両親呼んでくるね」
未だに眠そうな周はふらふらと立ち上がって両親を呼びに行った。
「危なそうなので僕もついていきますね」
卯柳はぽてぽてと歩く周の横に並ぶ。
「瑞希さんは先ほど弟の陽太さんにアイス買う約束をしていましたね。終わってからなら時間があるかもしれません」
卯柳が何を言いたいのか察した周は「くくっ」と笑った。
「春のためにありがと」
「こちらこそ、姫花が勝手に決めてしまってごめんなさい」
「ううん。春もちゃんと言わなかったからね。どこで我慢なんて覚えたんだか、、、」
そこには早朝の眠そうで頼りない姿はなくちゃんとした兄の姿があった。
「まあでも言いたいこと言わないのは僕も一緒か、、、」
卯柳に聞こえないようにそう呟きながら二人は瑞希たちのシートへ向かった。
卯柳のお弁当を食べた姫花と春は午後からも大活躍で、百メートル走やクラスリレーでは走っているだけなのに特別歓声が上がった。
組体操では小柄な姫花は上段に上がることが多く、さらなる歓声を呼んだ。
去年はここまでの歓声はなかったのだが、六年生ともなるとメインとなる競技に出ることが多いのか注目も集まっているのは実感できる。
「それにしても姫ちゃん凄いねー」
得点の発表と姫花と春が所属していた紅組の優勝がアナウンスされた後、撤収の準備を進めている最中でも姫花と春は写真撮影をお願いされていた。
後輩や同級生など、世代や性別を問わずお願いされている姿は友達百人を豪語していただけのことはある。
「小学校の時の律輝ぐらいあるんじゃない?」
「律輝君はあまり愛想がよくなかったのであそこまでではなかったですね」
なんとなく想像できたのか夏純と周は「あー」と言って納得した。
「そういえば、ミニ律輝みたいな子いなかった?」
「眼鏡かけた子?すごい爽やかだったよね」
「姫花の次くらいに歓声が上がってたんじゃない?」
「もしかして、王子と姫、、、」
二人のやり取りを聞いていた卯柳は片付けていた手を止めた。
見かねた夏純が口を開く。
「そんなに気になるなら直接本人に聞けばいいじゃない」
夏純のもっともな問いかけに卯柳はしぶしぶ自分の考えを口にし始めた。
「姫花にはほんとに自由にしてほしいんです。僕が何かを聞くことで変なことを察してもらっても困りますから」
言わんとしていることは二人にもなんとなく分かった。
卯柳がそういったことを聞けばどれだけ違うと言っても姫花は彼氏を作ることをやめてしまう可能性は十分にある。
「ただ、もし姫花がそういったことに興味があった場合は将来的には僕に挨拶が来るわけですから、そこは何となく察してあげたいですし、そんなことで窮屈になって欲しくはありません」
「何言ってるのよ。僕たち、でしょ」
卯柳は「また言ってる」と言わんばかりに渋い顔を見せた。
冗談を言う夏純の横にいた周は何も聞いていなかったようで続ける。
「僕は楽しみのほうが大きいかなあ。それにまだ実感が湧かないというか」
「それもそうね。うさぎは若いうちから考えすぎなのよ。私に壁ドンしたみたいにもっと勢いよく生きなさい勢いよく」
外で何を言い出すんだと思った卯柳はこつんと夏純の頭をなでるように触れた。
夏純はやっと反省した様子を見せて卯柳のしていた片付けに加わった。
片付けも終盤に差し掛かると瑞希が現れる。
その後ろには短くさっぱりとした短髪にまぶしい笑顔の陽太と、先ほどまで話題にしていたミニ律輝がいた。
ミニ律輝はいかにも王子様という雰囲気ではないが、とても爽やかで律輝よりは人を寄せ付けるような愛らしさがあった。
注目が集まっていることを察知した瑞希は紹介を始める。
「こっちが私の弟の福島 陽太でこっちが陸の弟の一ノ瀬 拓海」
陽太は借りてきた猫のように固まっていた。
「姫花の兄の新堂卯柳です。よろしくお願いします」
「お兄さん!おうわさはかねがね聞いております!」
好きな人の兄ということで失礼のないようにしたのだろうが、あまりにも小学生には似つかわしくない挨拶にみんなは笑ってしまった。
「ふふ、笑ってごめんね。俺は東春の兄の東周だよ。よろしくね」
そして最後に注目が集まったのは帽子では隠し切れない綺麗な金髪と、フェイスガードの隙間から整ったパーツが見え隠れする夏純だった。
「百目鬼夏純よ。よろしくね」
すると拓海は心当たりがあったのか「え!」と大声を出した。
陽太は全く心当たりがないのか、「誰々?知り合い?」とのんきに聞いていた。
「知り合いというか、、、」
そう言いかけて夏純のほうを見ると、人差し指を口元に立てていたのを見て口をつぐんだ。
「うん。知ってる人、だね」
その返答に興味が薄れたのか「ほーん」と言って卯柳に向き直った。
「あら、私もまだまだね」
卯柳と周には聞こえるくらいの小声でそういうと周は「ふっ」と小さく笑った。
「お誘いしたのにお待たせして申し訳ないです」
「ぜんぜん大丈夫!さっき教室で見かけたからもうすぐで来ると思う!」
相変わらず緊張が見て取れる陽太を見て卯柳はいつも通り優しく笑った。
「疲れていませんか?よければ座って待ちましょう」
しまいかけていたシートに誘うと皆はゆったりと腰掛けた。
のんきで緊張している陽太と夏純の存在が気が気ではない拓海の二人としばらく談笑していると姫花と春が現れた。
「お兄ちゃん遅くなってごめん。あれ、陽太君と拓海君どうしたの?」
「皆でアイス食べて帰ろうって話をしてたんだよ。姫花は嫌じゃなかった?」
すると姫花はちらりと夏純のほうを見た。
何かを察した夏純は手でOKのマークを作り見せる。
「嫌じゃないよ!むしろ家までもたないと思ってたところ!」
姫花はそう言って自分のお腹を撫でた。
「春さんも良ければご一緒しませんか?」
「え、うん、行く!」
昼の口を閉ざした時の表情はどこかへ行ったのか、とても明るく可愛らしい笑顔を見せた。
「それじゃあ向かいましょうか。良ければコンビニまで案内してもらえますか?」
そう言って皆を立ち上がらせるとシートを回収して出発し始める。
どうやら案内役は陽太が買って出てくれたようで、並んで拓海と姫花と春も前に出た。
「朝のことは言わないようにするから安心してね」
前の四人には聞こえないように瑞希がそう切り出すと卯柳と夏純と周はよくわからないといった反応を見せた。
「あれ、、、?てっきり釘を刺しに来たのかと思ってたけど違った?」
瑞希の少し物騒な考えにたまらず周と夏純は笑いだす。
「くくくっ、、、。うさぎ、怖いってさ」
「身長高いし目元は髪と変な眼鏡で隠してるし不審者よね」
二人から攻め立てられて「ええ」と困惑する卯柳を見て勘違いだと分かった瑞希はとても申し訳なくなった。
「違う!違うの!ごめんね、私の勘違いだったみたい!」
慌てて訂正する瑞希をよそに、周と夏純は煽り続ける。
「ずっとにこにこしていて怒ってるとこ見たことないんだよ?」
「それに下心のない優しさは警戒するわよね。言ってるのにやめないんだから」
言いたい放題で止まらない二人は諦めて、卯柳の方向に向き直った。
「ほんとにそんなこと思ってないからね!ただうさぎ君、学校早く帰ってたりクラスの集まりに参加したこともないから隠したいのかなって」
「そうですね。あまり言いふらすようなことではないですから」
夏純と同じ施設ということがばれるのはなおのこと大変だろうなと思った。
「陸にも言っておくから安心してね」
「ありがとうございます。けれど無理はなさらなくても大丈夫ですから。必要でしたらいつでも相談してください」
なんだかんだと言われてもいつも通りの優しい卯柳に瑞希も安心した。
「ちょっと、何を二人でこそこそしてるのよ。瑞希ちゃんはこっち側でしょ」
夏純は瑞希を引き寄せて腕を組んだ。
そんな卯柳が少し不憫なじゃれあいをしているとコンビニに着いた。
小学生組は急いでアイスのコーナーへ向かい、高校生組はその後ろをゆっくりと追いかける。
「ジュースとアイスは一人一個までですよ」
そう言って卯柳はかごをかざした。
皆は「はーい」と言って各々の好きなものを入れていく。
「うさぎ、親からお金預かってるから使ってよ」
「私も!私もうちと拓海の親から預かってるから使って」
両者から千円を渡されるが、さすがにそこまでは使わないと思い二人に五百円ずつ返した。
「ありがとうございます。残りは僕が出しますね」
「この間のゲームセンターの分もあるし私が出すわよ?」
各々の気遣いに卯柳は「ふふっ」と笑った。
「夏純さんもありがとうございます。ただ夏純さんには買い出しで出していただいている分もあるので大丈夫ですよ」
それぞれの気遣いをやんわりと受け止めて卯柳はレジへ向かった。
「お兄ちゃん、ポテトも食べたい!」
姫花はレジの横に並んだホットスナックの列を指さして言う。
「帰ったら晩御飯あるけど食べれる?」
「平気平気!」
イベントの時くらいは大目に見るか、と思いホットスナックも合わせて注文する。
外に出ると一目散にアイスを受け取った陽太に続いてそれぞれアイスを受け取り食べ始めた。
「そこに公園があるからいこーぜ!」
陽太の提案に瑞希が焦って割って入る。
「ちょっと陽太、もうすぐ日が暮れるからダメだよ」
「えぇー」
駄々をこねる陽太の後ろに卯柳がそっと近づく。
「コンビニの前でたむろするのもなんですし、皆さんのお時間が大丈夫でしたら寄っていきませんか?」
まだ午後四時頃なので時間的にも余裕があった。
皆まだ大丈夫なようで、それを聞いた陽太はウキウキで案内を始める。
陽太の言う通り、公園は歩いて五分ほどのところにあった。
運動会の影響か、公園には誰もおらず、卯柳たちはベンチに腰掛ける。
小学生組はしばらくアイスとジュースとフライドポテトを味わうと遊具へ向かっていった。
「うさぎと夏純が体力あるのはわかるけどさあ、姫ちゃんも相当だね」
「姫花ちゃんも春ちゃんも運動会で大活躍だったもんね」
「どう?瑞希ちゃん。うちの子たちはとっても可愛いでしょう。、、、これが母性?」
危なっかしい発言に卯柳は苦笑いを見せる。
「とっても可愛いよ。陽太も好きな人ができたとは言ってたけどこんなに可愛い子だとは思わなかったな」
「瑞希ちゃんも陽太君と恋バナとかするんだ?」
「するよー。うちは両親が忙しいから姉弟で過ごすことが多いの。だから自然とね」
「瑞希ちゃんのところも大変なのね」
「全然全然!むしろ中学の頃からいい学校通わせてもらってるから少しでも返せたらなって」
何となく会話を聞いていた周はふと思ったことを口にした。
「ふーん。みんな偉いなあ」
「周も働いてるじゃない」
「手伝いみたいなもんだよ」
「十分じゃない。あ、周は実家が家電屋でね。そこで働いてるの」
夏純説明に言い分があったが、面倒に思い「働いてはないからね」とだけ付け足した。
「私は働いてはいないから二人とは違うかな。うさぎ君は?」
「僕も働いていますよ」
しれっと身分を言い出すのではないかと思い夏純と周の二人はぎょっとした。
しかし、それを聞いた瑞希は特に変なことは思わなかったようで「そうなんだ」と言って納得した。
「もしかしてだけど私たち働きすぎじゃない?」
高校に入学してまだわずかしか経っていないが、その夏純の一言に何となく心当たりがある四人だった。
「ねえ、もしかしてだけど姫花って私が思っているより気を遣っているの?」
夏純はリビングのソファでひたひたと肌のケアをしながらキッチンの卯柳に尋ねた。
時刻はとうに夜の九時を回っており、遊び疲れた姫花は自室でくっすりと眠っている。
テレビからうっすらと流れるニュースの声を遮るように卯柳が答えた。
「夏純さんがどう思っているかはわかりませんが。気は遣っているとは思いますよ。夏純さんにも僕にも」
カチャカチャと食器が重なる音をたてながら卯柳は続ける。
「どうしてそう思ったんですか?」
夏純は「うーん」と今日の出来事を思い出しながら口を開く。
「今日一日私の正体がばれないようにしてくれたじゃない?お昼も瑞希ちゃんたちと一緒に食べなかったし、終わった後も一緒に遊ぶとばれるんじゃないかって様子を伺っていたし」
その様子は卯柳にも心当たりがあった。
少し遠慮がちで、それでもそんな気持ちを感じさせないほどさりげない気遣いだったが、夏純は感じ取っていたのか、もやもやしたものを卯柳に打ち明ける。
「なんだか私のせいで姫花が窮屈な思いをするのはやるせないなって思ってね。私たちの子供だし」
卯柳は後半は聞かなかったことにして自分の考えを告げる。
「それでも気を遣う、という行為は悪いことではないと思いますよ。集団の生活で必要不可欠なのに集団の生活でしか身につかないことですから、それが姫花の身についているということはとてもいいことです。ただ気を遣いすぎていないかどうかは僕も心配するところですね」
思うところはあるが、卯柳も心配していると聞いてため息のように「そうよねえ」と吐き出した。
その姿は我が子に悩む母親のように見えて卯柳はくすりと小さく笑った。
「私はまだまだ有名じゃないと思ってたんだけどね。拓海君に知られてたのはびっくりしちゃった」
「夏純さんは良くも悪くも目立ちますからね。直近の朝ドラは話題になっていましたし」
「でも私なんか全盛期のうさぎに比べたらまだまだよ?朝ドラも主役ではなかったし、主役ってほどの主役はしばらくやってない。それ以外の露出が多いわけでもない。世間の認知度なんて真剣にドラマを見ている人が知ってるくらいのものだと思っていたわ」
珍しく弱気な姿を見せる夏純に「大丈夫ですよ」と優しく微笑みかける。
「夏純さんが学生生活を楽しく過ごせるように唯成さんが仕事を調節しているんだと思います。仕事が切れないようにちゃんと繋がりを作りながら表に出すぎずいつでも普通の女性として生きていけるように。とても大切にされているんだと思いますよ」
お肌のケアを終えた夏純はソファにもたれかかりながら少し物足りなそうに卯柳を見つめる。
「それに夏純さんは売れようと思えばすぐに売れると思います。明確な武器もありますし、とても器用で頑張り屋さんなので」
そうじゃないと言わんばかりに頬を膨らました。
「うさぎは?うさぎは私のことを大切に思ってる?」
あまりにも分かりやすい態度と質問に卯柳はいつも思っていることを口に出す。
「とても大切に思っていますし、とても大切にしています」
卯柳がそう答えると夏純はにこっと太陽のような笑顔を見せた。
「よし、じゃあ寝ようかしら。おやすみ、うさぎ」
「おやすみなさい。夏純さん」
夏純は勢いよく立ち上がって自室へと向かっていった。
キッチンに残された卯柳は先ほどよりも少し大きい音をたてて食器を片した。
中間テストが無事に終わり、土日の練習期間を挟んで月曜日。
今から行われる新入生お披露目ライブのために、軽音楽部の大和と二年生の立石翔真は共用のドラムを運んでいた。
黒髪短髪で清潔感があり、イケメンというよりは男前といった様相の翔馬は主に下級生や同級生の同性からの人気がある。
特に大和は気合が入っている新入生として先輩たちに気に入られており、その中でも一番興味があるドラムのサブリーダーである翔馬とは何かと関わる機会が多い。
二人は他愛もない話をして機材を運んでいると、背後からドラムスティックだけを持ったギターパートリーダーの渡井雫来が現れた。
「大和ー。高校初のテストどうだったー?」
雫来はそう言いながらボブほどの髪を元気そうに揺らして翔真の横腹をドラムスティックでつつく。
おっとりとした小悪魔のような雫来は下級生上級生問わず人気で、同級生からも憧れの先輩と評価が高い。
大和としてはどこかの金髪自由人がちらついて肯定しきれないが、夏純とは違って一定の距離は保てる人間なのでそこは評価している。
現にちょっかいをかけているのは翔真にだけで、大和には二次被害である翔真を支えるということしか発生していない。
「おま、あっぶねえだろ、まじで、運んでるときはやめろ」
全く反省の色を見せない雫来を叱ったら落ち着いたのか、もたれかかっていた大和に「悪い。ありがとう」と言って離れた。
翔真はあきらかに手持無沙汰な雫来を見て不満な様子を見せる。
「お前も運ぶもんあるだろアンプとかコードとか」
「だからー。これ持ってきてるのー」
そう言って雫来はドラムスティックで翔真の肩を刺した。
「はいはい、ありがとうございます。雫来様」
翔真は「お前はギターパートのリーダーだろ」と言いたげな顔で感謝を述べる。
「それでー、テストはどうだったー大和」
そう言われて大和はテストが返却されたときのことを思い出した。
律輝から目標とされていた七十点はどの教科も惜しく届かなかったが、赤点は優に超えていた。
しかし、周はどの教科も七十点を超えており全体的に負けたことで煽られ、夏純には理系科目の点数は勝っていたものの文系の科目で大差をつけられ総合得点で負けて煽られることとなった。
まさかテストの点数で悔しいという思いをすることになるとは思っておらず、律輝大監督の力をしみじみと感じている。
「目標には届かなかったっす」
「目標立ててやってるのか。偉いな」
「いや、俺が立ててるとかじゃないんすけど、友達に立ててもらって皆でやってる感じっす」
「その友達ってーもしかしてー王子さまー?」
自分の周りで他称王子様なのは律輝しか思い当たらなかった。
「王子様って律輝の事っすか?」」
「そうそうー。中学の頃からちょーう有名人」
「だな。全学年の女子から大人気で中学の時はほぼ全員に毎日のように告白されていたかな」
「そんなに凄いんすね」
あのグループとは違う人間から聞かされるとなおのこと律輝のモテ具合はレベルが違うのだと実感する。
「まーでもー近くにあーんな可愛い子がいたんならそりゃー他の女の子にはー興味湧かないよねー」
「百目鬼さんなんてどこで知り合うんだよ。何回人生やり直しても友達になれる気がしないぞ」
「ああ、夏純っすか。なんか、たまたまっす」
「なんだあ、すかしてるのか?羨ましいやつめ」
翔馬の言う「すかしている」という表現は大和にはぴんとこなかった。
なにせ、夏純は知り合った頃から卯柳一筋でずっと愛情表現をオープンでしていたため、可愛いや綺麗よりも「なんだこいつ」が先行してそういった気持ちにはならなかった。
むしろ夏純にいい顔をして近づく人間ほど「中身を知ったらやばいやつなのにな」と同情するほどだった。
しかし律輝も夏純も外面は良すぎるといっても過言ではないので、誰も信じてはくれないしそもそも理解させることも無意味だと思っている。
「運がよかったっす」
何事もないかのようにそう告げると、翔馬からは軽く肩をぶつけられ、雫来からは軽くドラムスティックで叩かれた。
なんとも息の合った先輩たちだ、と思い大和は運搬を続けた。
王子様と美少女芸能人のせいか、それとも別の何かのせいか例年からは想像できないほどの人数が第二講堂に集まっていた。
「ライブ終わったら軽音部の皆で飯行くらしいんだけど千恵はどうする?」
「どうするってどういうこと?」
大和の突然の意味不明な質問に「帰る」以外の選択肢が思いつかずにそのまま突き返す。
「飯一緒に行ったら送れるだろ?」
千恵は言葉足らずの大和が言わんとしていることを薄っすらと理解した。
「つまり、ライブで帰りが遅くなるけど私のことを送れないから軽音部の新入生歓迎ご飯に来ないか?ってことであってる?」
大和はさすが千恵と言わんばかりに「そうそうそう」と繰り返した。
「終わるって言っても七時くらいでしょ?じゃあ私一人でも大丈夫だよ。さすがに入ってもない部活のご飯は気まずいし、、、」
「んー、そうか、、、。じゃあサクッと送ってくから今日はダッシュで帰ろうぜ」
それでも送ろうとする大和に相変わらずだなと思った。
「いいってば、大和は楽しんできな?」
そこまで送ることにこだわるのはおそらくだが中学の頃の事件が原因しているのだろう。
どうせそのことで父にも何か言われているのかと思い今更ながら律儀に守っているあたり頑固というか義理堅いというか、そこが大和のいいところでもあるので強く拒否もできないでいた。
そうやって二人で話していると、横で聞いていた律輝がそれとなく提案する。
「俺が送ってくよ。一つ手前の駅で降りるだけだから」
どうもこの男たちは気が利きすぎていて困る。
卯柳の影響か周囲の人間には明確に優しく接する。
ただ千恵としても自分は夏純や凛ほどは魅力的ではないので、さすがに大丈夫だろうと高をくくっているのだが男どもはそれを許そうとしない。
友達だとは分かっているのだが、丁寧に扱われるのはむずがゆくなる。
「じゃあ頼んだ」
話がつくと大和はライブの準備のために舞台裏へと引っ込んでいった。
「ほんと駅まででいいからね」
送ってくれるという話に譲歩した提案に律輝は分かってないなと言いたげな顔を見せる。
「そんな中途半端なことしたら俺が大和に怒られるだろ」
そうして互いに理解もあり、利害に関係なく信頼している。
これは早紀が言っていた「家族のよう」というのも納得だ。
内に属しているままでは気づきようがなかったが、外の人間に言われて改めて気づいた。
だからといって何か問題があるわけでもなく変化を求めているわけでもない。
ただただ自分は特殊な環境にいるのだなと思うだけだ。
「分かった。よろしくね」
千恵がそう告げると律輝はまったく気にしていないのか、手をひらひらとさせて了解の意志を示す。
今の律輝にはそんなやり取りよりも気が気ではないことが一つだけあった。
それは瑠璃と大和がバンドを組んだかどうか、ということ。
瑠璃と卯柳の間に何があったかは話していないし、卯柳以外の人間が話すことでもない。
だからこそ瑠璃が何も知らない大和に取り入って卯柳の現状についてあれこれと聞き出す可能性はある。
特に施設を出て夏純と一緒に暮らしているなんて知られた日には何をしでかすかわからない。
しかしそんな律輝の心配は的中することとなった。
しかも、あろうことかトップバッターで大和と他男子二人を引き連れて瑠璃が出てくる。
「こんにちは!新入生お披露目ライブトップバッターの”ロールバック”です」
準備が終わると簡単なバンド紹介として瑠璃が猫かぶりモードでにこやかに話し始めると小さな歓声が起こった。
「一曲だけしかできないけど覚えて帰ってくれたら嬉しいです」
そう言って瑠璃はメンバーと目を合わせた。
「東京」
どこかで聞いたことがあるようなギターのフレーズが拙くも努力を感じるメロディーを奏でて、他の楽器が一斉に入ってくる。
主旋律はギターとベースとドラムが担っており、そこにギターボーカルである瑠璃のギターとキーボードの音が加わった。
「東京の街に出て来ました」
最初のフレーズを聞いたときに瑠璃を評価しようとしている自分に気が付いた律輝は途端に嫌気がさした。
瑠璃もきっと卯柳に近づきたいというやましい気持ちはわずかにあっただろうが、それでも舞台の上で懸命に演奏をしながら歌う姿はしっかりとした努力を感じた。
だからこそ、そんな瑠璃を評価しようとしている自分があさましく感じて嫌になったのだ。
「あい変わらずわけの解らない事言ってます」
しかし、律輝としても瑠璃に対して一つだけ許せないことがある。
それは過去の瑠璃の言動だった。
「恥ずかしい事ないように見えますか」
瑠璃は卯柳たちとともに生活していた頃、卯柳の一番近くにいたはずなのに、何をされているか知っていたはずなのにそのことに知らないふりをするどころか、全てに対して都合の良い顔をしていた。
学校では卯柳が孤立していても手を差し伸べることなく、家でもかばうどころか世話をさせて、あげくに事が発覚すると卯柳が孤立すれば自分を頼ると思っていた、なんて泣き出した時には律輝は本気で「こいつは一体何を言っているんだ」と思った。
しかもそのことを卯柳本人ではなく、卯柳の友人である律輝に打ち明けて少しでも楽になろうとしたことがたまらなく許せなかった。
「雨に降られて彼等は風邪をひきました」
実際に卯柳が瑠璃の家に来るまで瑠璃は一人で耐え続けていたのだろう。
それはもちろんあってはならないことだとは分かっている。
けど、だからと言って、自分からではないにしても、学校で卯柳が孤立していくのを止めることなくただ傍観するどころか付け込もうなんてこと許されていいわけがない。
「駅でたまに昔の君が懐かしくなります」
きっと卯柳は瑠璃がされてきたことも卯柳に何をしたかも全て分かっているんだろう。
だからこそ瑠璃から離れた。
そのまま瑠璃が卯柳に対して後ろめたさを抱えて生きていくことがないように、それを見て周囲がこれ以上傷つかないようにと物理的に距離を取った。
今、瑠璃は離婚した本当の父親の元で暮らしており、卯柳たちは施設で暮らしていることになっている。
「あい変わらず僕はなんとか大丈夫です」
しかしその瑠璃に対する許せない事とともに何もできなかった自分にも腹が立っていた。
家族との仲を見直すことや、自分にとって何が大切なのかを確かめることのきっかけをくれた卯柳に何もできなかったことがたまらなく悔しくて苦しくてなんて役立たずなんだと憤った。
ライバルと言いながらも学校に来れば話をしていたし、プライベートでもお互いの家は知っており親交もあった。
今思い返せば、たくさんの違和感があったはずなのに、卯柳の「大丈夫」という言葉を信じてそれ以上は踏み込めなかった自分は瑠璃と同じ穴の狢だ。
「よく休んだらきっとよくなるでしょう」
だからこそ瑠璃のことを完全には拒否することはできないし、かと言って肯定なんて絶対にできない。
それにこれは何と言っても卯柳と瑠璃の問題だ。
当時の卯柳はそれこそ今の夏純のように瑠璃のことを大切にしていた。
その気持ちが親心か恋心かは律輝には知る由はない。
「今夜ちょっと君に電話しようと思った」
どちらにせよ律輝としてはただただ純粋に卯柳に幸せになって欲しかった。
自分のことを救ってくれた友人がこれ以上傷つくようなことだけはあってはならない。
避けられない困難や不幸を仕方ないと言って見なかったことにはしたくない。
もし卯柳があの時期に何か過ちを犯したのだとしても、もう十分過ぎるほどに新堂卯柳は傷ついた。
「君がいない事君と上手く話せない事」
全てが判明したあの日の卯柳の姿は三年が経った今でも鮮明に思い出せる。
あれだけ周囲に大丈夫と言って優しく笑っていた卯柳が呼吸もままならない様子で吐き出しながら倒れている姿。
あんなにも弱弱しくうなだれている卯柳の姿は後にも先にも見ることはないだろう。
誰にも言えず、誰にも頼れず、誰にも救われない。
その小さい体で大切なものを目一杯抱えてただひたすらに歩き続けた人間の末路があんなにも悲惨なものなのだとしたら、この世界はあまりにも救えない。
「君が素敵だった事忘れてしまった事」
あれからいくら経とうとも卯柳は自分にはもっとできることがあったはず、皆は被害者だと言って自分は悪者であり続けた。
一生癒えるかもわからない大きく深い傷を抱えながらも誰かのために悪役になり続けた。
律輝はそんな不器用にも強くあろうとする卯柳の味方で、理解者でいたかった。
「LaLa、LaLaLa」
曲はいつの間にか二番に差し掛かっていた。
まだ瑠璃を許すつもりはない。
もし許してしまえば過去に卯柳が傷つけられたことを肯定してしまうから。
今の自分を否定してしまうから。
だから許せない。
ただ今はこの演奏を受け入れることにした。




