挨拶と誕生日会
GWに入る前のある日の夜。
「え、一緒に住んでること事務所に言ってないんですか?」
「え、言ってるの?」
夏純のあまりにも予想外の返答に卯柳は家事をしている手を止めて夏純を凝視した。
「言ってますよ。夏純さんの事務所にも伝わっているていでうちの事務所にも伝えてます」
すると夏純は気まずそうに目をそらした。
「その様子ですと、活動休止も特に話をしてませんね?」
「だって、唯成怖いんだもん」
そう言ってすねたような態度をとる夏純はまだまだ子供のようで卯柳はにこりと微笑んだ。
「ちゃんと話し合ってください。僕も一緒に行って説明しますから。ね?」
卯柳の懸命な説得に「むう」と同意とも拒否ともとれる態度を見せた。
「はい、今から連絡してください」
夏純は嫌々スマホを取り出して連絡ツールを開く。
『五月一日事務所に説明しに行きます』
打ち込むとコンマ数秒で既読が付き夏純は「ひっ」と言ってスマホを放り投げた。
するとすぐさま電話がかかってくる。
無造作に投げ出されたスマホの画面には西尾唯成の文字が表示されている。
卯柳は再び隠そうとしたスマホを取り上げて通話ボタンを押した。
『もしもし?色々言いたいことはあるが、とりあえず連絡ありがとう。次の土曜日に事務所に来るってことだが、時間は何時になるんだ?』
通話先の人間は極力優しく努めたような声色で簡潔に要点の確認を行う。
しかし夏純はおびえてスマホから遠ざかり声を発する様子がない。
仕方なく代わりに卯柳が発言する。
「夜分遅くにすみません、志藤隆兎です。当日朝九時にお伺いします」
卯柳は相手にもわかりやすいように本名である「新堂卯柳」ではなく芸名の「志藤隆兎」と名乗って通話を続けた。
『、、、それは何故君が夏純の電話に出ているのかという説明も兼ねてということで問題ないかな?』
ある程度覚悟はしていたが、夜分遅くに他事務所のそれも異性の声を聞いた唯成はわかりやすく声色を変えた。
「はい」
その問いに応えるように卯柳も声色を変える。
『分かった。夏純は元気にしているかな?』
卯柳は視線で夏純に通話に参加するように促す。
「げ、元気です。、、、怒ってますか?」
『もちろん。五月一日を楽しみにしているよ』
その言葉を最後に通話が切れた。
卯柳はわずかなやり取りでもげっそりとなった様子を見せる夏純の肩をぽんぽんと叩いて「僕も一緒に行きますから」と言った。
その後に見せた泣きそうな顔に苦笑いするほかなかったのは言うまでもない。
嫌々ながら過ごしているうちに五月一日を迎えた。
この日はGW初日にもかかわらず夏純はちゃんと朝早くから目を覚ましていた。
そわそわと落ち着かない様子を見せており、事務所に向かうためにタクシーに乗っている間も手を組んだりほどいたりを繰り返していた。
姫花はすでに朝食を済ませて、翌日の誕生日会のための買い出し組が家に来るまで勉強をしている。
約束の時間より早く着いたため事務所近くのコンビニで下車する。
「何か飲み物でも飲みましょうか。お腹はすいてないですか?」
「大丈夫よ」
まるで自分に言い聞かせるような姿はもはや心配するほどだ。
卯柳はコンビニで水を買ってきて夏純に手渡す。
「夏純さん。これからのお仕事はどうされるんですか?」
現状は活動休止するとは言ったものの事務所から声明が出てるわけでもなく、夏純が言い張っているだけという宙ぶらりんな状態だ。
「正直ちゃんと考えてないのよね。今は学校が楽しいから、生活を優先させたい気持ちが強いわ」
「そうでしたか。僕は夏純さんの活躍している姿を見て元気を貰ってましたよ」
「私もうさぎから元気貰ってたわ。仕事終わりのお話はとても楽しかったもの」
「懐かしいですね」
二人して施設で生活していたことを思い出す。
「そうね。施設では男女分かれていたし、共用の場所も九時までだったっけ」
「帰る時間がいつも遅くてお話しできる時間は三十分くらいでしたね」
「それでも楽しかったわ。そう考えると今もそんなに変わってないのかしらね」
成長しても変わらない自分たちに二人は「ふふっ」と笑った。
「もし夏純さんがお仕事を始められる決断をされても僕は待ちますからね。安心してください」
どの道を選んでも受け入れてくれるその一言に夏純の気持ちは前向きになる。
「そろそろ向かいましょうか」
そのまま他愛もない話をしながら歩いていると気づけば二人は事務所前まで来ていた。
扉をくぐって受付に向かったところでふと声をかけられる。
「、、、夏純?」
上手く姿を隠した状態のため怪しむような声となったが、その聞きなれた声に夏純はビクッとはねた。
卯柳はとっさに間に体を入れるが、その声の姿を確認すると身を引いた。
卯柳よりも高身長でスーツに身を包んでいてもわかる健康的な体はたくましさや心強さを感じさせる。
短髪で爽やかな雰囲気の顔はいかにも仕事ができる雰囲気だ。
「ヒトチガイデス」
この期に及んで裏声ではぐらかそうとする夏純に唯成は色々と言いたそうなため息を吐きながら夏純の帽子を取った。
「何か言うことは?」
「ごめんなさい!」
夏純は間髪入れずに頭を下げた。
「何に対して謝ってる?」
「その、、、連絡を返さなかったり、勝手にどっかにいったりしたこと、、、」
「大体合っている。本当に無事なのか心配になるだろ。佐伯も大丈夫しか言わないし緊急の連絡先も通じない」
生まれた時から両親がいない夏純にとって、唯成と施設の責任者である佐伯良子は育ての親同然である。
そんな小さい頃から面倒を見てきた夏純が黙って姿を消したのだ。
ショックも大きかったが、心配のほうが強かった。
そんな二人のやり取りを眺めていた卯柳の存在に気付いた唯成は改めて向き合う。
「ご挨拶が遅くなってすみません。志藤隆兎です」
そのまま自己紹介を続けようとした卯柳を片手を突き出して抑制する。
「続きは会議室で聞こう。誰にでも聞かせていい内容でもないだろう」
GWの初日で早朝のため人通りはなかったが、事務所の玄関口で話し込む内容でもないため卯柳は言葉に甘えて唯成の後に続く。
会議室の前まで来ると唯成から「まずは夏純と二人で話をさせてほしい」と提案があり、それに了承した卯柳は近くの椅子に腰かけて待つことになった。
部屋に二人きりになると夏純は改めて後ろめたさを感じてうつむく。
「夏純。今はもう怒ってないから顔を上げてくれ」
唯成は恐る恐る上げた夏純の顔をまじまじとのぞき込む。
「健康そうでよかった。今はどこで世話になってる?」
「、、、うさぎの家よ」
「志藤に何か言われたりされたりしたのか?今は二人で暮らしているのか?」
以前からそれとなく好意があるのは伝えられていたが、それほどまで本気とは思っていなかった唯成は卯柳に無理やり連れ出された可能性を確認する。
「うさぎの妹と三人で生活しているわ。私が押しかけたの。うさぎは私にひどいことなんてしない、絶対に」
「悪い噂が流れたが悪い奴ではないことはわかっている」
悪い噂、の言葉を聞いて夏純はムッとした。
「それだってうさぎは被害者よ」
「僕も夏純も全ての真実を知っているわけではないだろう? それに、いまだに否定的な意見を持っている人間もうちの事務所にはいる」
そもそも悪い噂の元凶である卯柳の事務所と卯柳本人はその噂に対して否定的な意見も肯定的な意見も発表していない。
そんなうちから悪だと決めつけて糾弾するのもどうかとは思うが、否定もしていないので手放しで受け入れることもできない。
現状は誰もがその悪い噂を野放しにしている状態なので、唯成としてもあまり受け入れたくはないが定説化してきているのは事実としてある。
「夏純は今後どうしたいんだ?」
「私は、、、私は今後もうさぎたちと生活したいわ。学校にも通いたい。けど仕事もやめたくない」
夏純らしい欲張りな主張に唯成も「そうだよな」と気を取り直した。
「今の生活で困っていることとか問題は特にはないのか?」
「ないわ。しいて言うなら私がいつうさぎに襲い掛かるか分からないことね」
いつもの調子を完全に取り戻した夏純は冗談ともとれる軽口を放つ。
「そんなに好きなのか?」
「好きよ。大好き」
しかし夏純には珍しく視線をそらして照れたように言った。
「なんで目をそらした」
「だって唯成とこんな話をすることなんてあまりなかったもん」
すると唯成はわかりやすくため息をついた。
「別に恋愛を禁止していたわけでもないし、悪い噂が出ている人間だからと制限をかけていたわけでもない。不自由を感じさせていたならごめん」
「言い辛かったのはそうだけど、打ち明けるのも悪くないものね」
「だが誰にでも言っていいものでもない。悪い噂を真に受けている人間も少なくはない」
「、、、分かったわ。ありがとう」
本当は卯柳の誤解を解いて回りたい気持ちでいっぱいだったが、本気で心配した唯成の表情にそう言うしかなかった。
「次は志藤君と話したい。外で待っててくれるか」
「呼んでくるわ」
そう言って夏純が後にした扉をぼーっと見つめる。
好きな人がいるとは聞いていたし、プライベートでの交流があったり、共演する際の態度でなんとなく気が付いていたものの本人から言われると感じるものがある。
将来自分の娘が彼氏を連れてくるとこんな複雑な感情になるのだろうか。
しかも相手は普通の男の子というわけでもない。
取り扱いを間違えれば卯柳と夏純が傷つくだけでは済まない。
改めて覚悟を決めると、丁寧に扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
意識して注視しないと卯柳であると認識し辛い恰好は良い警戒だと褒めてもいいほどだ。
事務所内でもその姿なのは自分の立場をしっかりと分かっているように思える。
(事務所に騙されて責任を負わされているわけではないのか、、、?)
「お久しぶりです。夏純さんを預かっているのに挨拶が遅くなってしまいすみません」
あんな噂が回っていたからどんな人間に成長しているのかと邪推していたが、いかにもな好青年の挨拶で毒が抜けてしまう。
「まずは夏純を預かってくれてありがとう。どういった状況かは聞いているから改めて話す必要はない」
「わかりました」
「今の志藤君についていくつか確認してもいいかな?個人情報にあたる部分は話してもらわなくて大丈夫だから」
「はい。僕が答えられるものでしたら」
どうなることやらと思っていたが、唯成は自分も説得される立場であることを理解した。
「今の生活はどこまで続けるつもりかな?」
「小学生の妹が自立して家を出るまでを当面の目標としています。これは夏純さんが来た後も変わらない第一優先事項です」
気を使ってか分からないが、その計画性と夏純が彼らの重荷になっていないことに安心した。
「そちらの事務所とはどういった話になっている?」
「同意は貰っていますが、僕の勘違いでこちらの事務所の同意ありきで話を進めていました」
あれだけの事があったが、事務所との風通しも悪くない。
「現状を公表するつもりは?」
「妹のことを考えると極力したくはありません」
唯成は「ふむ」と唸った。
卯柳も夏純もアイドル方面で清廉潔白として売りに出しているわけではないが、未成年の内からそういった印象が付くのは避けたい。
夏純はその可憐な容姿や、身寄りのない生い立ちを少なからず評価されている。
一方の卯柳も数多くの不幸に見舞われながらも、容姿や才能にあぐらをかくことなく仕事をこなしている姿はとてもよく評価されている。
小さい頃から数多く共演してきて、境遇も似たような二人が結ばれるのは世間的にも祝福はされるだろう。
だがそれは二人が十八歳以降の正しい交際を経た場合に限る。
どれほど立派な理由があろうとどれほど正しい行いをしていようと、報道する側が正しく報道し、それを見た聴衆が正しく理解するなんてことは滅多にない。
しかし、唯一の親族である妹を守りたいという卯柳の気持ちも尊重されるべき問題である。
この関係を三年間も隠し通せる可能性は正直言ってあまりない。
夏純の情報がSNSに上がっていない現状ですら奇跡だというのにそれ以上の奇跡を見込んで了承するのはあまりに無責任だ。
「夏純のことについてはどう考えている?」
「僕にとって夏純さんはとても大切な人です。小さい頃から僕のことを励ましたり支えてくれました。なので僕は夏純さんに幸せになって欲しいです。望むことはかなえてあげたいですし、何か問題があるなら解決するために尽力します」
実際にその言葉には説得力があった。
夏純が望めば住む環境を提供し、衣類や食事に困っている様子もない。
肌や髪の艶は以前より増しているようにも見えたし、何より新堂家との生活を心から楽しんでいる。
「もし夏純さんがいつか家を出る時がくるなら快く送り出します。もし僕が足かせになるなら黙って消えます。もし成長に壁が必要なら僕がそれになります。僕の家に住む以上は必ず責任を取ります」
その言葉に嘘偽りがないのならばこれほどまで夏純のためになる環境はない。
しかしその言葉を信じるには一つだけ大きな問題がある。
「その言葉を信用するにはあまりにも志藤君のことを知らなさすぎる。特に君の過去について」
悪い噂が流れている以上、その真偽について本人に確認することはとても重要なことだ。
「西尾さんがどこまで把握されているかは分かりませんが流れている噂は全て嘘です。僕は僕の力で仕事をこなしてきました。これは見栄でもおごりでもありません」
共に仕事をした者なら分かるだろうが、卯柳の仕事に対する姿勢や能力については疑いようがない本物だ。
それは数々の仕事を取られきたからこそ分かっていた。
「だからこそ、その価値をかけて責任を取ります」
ここまでの話をするつもりではなかった唯成は「ふっ」と息を吐いた。
責任の所在についての確認まで行ってしまえばそれは個人の話し合いでは済まない。
ただ卯柳から発せられる雰囲気はもちろんそれらの言葉も全て意味をしっかりと把握しているだろう。
口先だけではないことは言葉だけでなく、態度からしても明らかだった。
唯成も自然と姿勢を正す。
「それは誰も望まないことではないかな」
卯柳がどれほど自分をかけて夏純を守ろうとしているのか分からないが、夏純の立場を考えるとそれは絶対に受け入れないだろう。
「こちらに迷惑をかけないとは言い切れませんが、相応の謝礼と夏純さんの今後の活動について保証はします」
「そういうことを言ってるのではなくて、、、」
「いいえ、そういう話をしにきたつもりです。だから会社の人間である西尾さんに話をしています」
そう言い切った卯柳に「なるほど」と唯成は思った。
どう動いても卯柳の覚悟は本物のようで揺るぎようがない。
「今後この生活を続けるリスクは想定しています。僕にできるのはそのリスクを背負うことと西尾さんの立場の人間を不安にさせないことです。もちろん今日一日で了承をいただける問題でないことも把握しています。後日、事務所から書面を出します」
夏純がこの会話を聞けば了承をしないことは確かだ。
だからこそ夏純の思いを汲んでやり、会社でも地位の高い唯成がこの場にいる。
「上の人間は夏純や志藤君の思いなんて汲まないよ。ただ書面にある事実と会社にとっての利益を天秤にかけて判断する」
「その方がいいです。決して不利益を生んだりはしません」
この強情な利他主義者はどうやっても説得ができないようだ。
そもそも卯柳は説得する立場で説得されることを想定としていない、という心理も作用しているだろう。
「だったら僕も少し踏み込んだ質問をさせてもらうよ」
熱くなりすぎた場をにごすために話題の転換を試みる。
「もう一つの噂についてはどうなのかな?」
もう一つの噂、そのワードだけで全てを把握した卯柳はわずかな間をおいて答える。
「先ほど言った全て嘘という言葉を訂正するつもりはありません。事務所からも明確な声明を出していない以上、僕からは回答はできません」
それは戸惑うでもなく困惑する様子も見せず明確な意思を持った発言だった。
だからこそ唯成の方に疑念が生まれる。
(もし全てを知っていたら?そのうえで全てを背負っていたら?)
いったいどれほどまでに痛みに鈍感なのか。
これが世代どころか時代の顔である人間の強さなのか。
「もし夏純が他の人間を好きになったら?」
「それが夏純さんの幸せなら僕は応援します。もちろんその後の対応もします。僕が言った責任は自分に都合のいい責任ではないです」
「もし君が今の生活に嫌気がさしたら?」
「ありえません。少なくとも妹は僕がちゃんと育てると決めています。それを投げ出すなんて生きる価値を捨てたようなものです」
「もし君の身に何かあったら?」
「そのために一人でも生きていけるように成長してもらいます」
そこでようやく唯成は対等に話を進めていることに気が付いた。
未成年の人間に自分の死を想定した質問をするなんて熱くなったとはいえ大人げない。
しかしそんな質問にも簡単に解答してしまう卯柳に恐怖すら感じた。
「こんな質問をしてしまってすまない」
「いえ、夏純さんのことが大切なのは皆同じってことですから」
「、、、大人だね」
「そんなことないですよ。ただ子供じゃいられなかった。中途半端なだけです」
初めて見せた弱みはひどく歪んでいて、把握したころにはすでに声をかけるタイミングを見失っていた。
「実際の生活風景を確認していただいたほうがより安心できると思いますので、ぜひいつでもいらしてくださいね」
これ以上話を続けても結論が出ないと踏んだ卯柳は話を終わらせる。
「夏純さんを呼んできますね」
「あ、ああ、頼む」
そう言って卯柳が後にした扉を眺める。
改めて整理すると卯柳の説得に傾きかけている自分がいることに唯成は驚いた。
(いやいやいや、なしだろ。リスクリターンが見合ってなさすぎる)
しかしいくら説得しても夏純がこのまま大人しく引き下がるわけがない。
施設に無理矢理戻してもこっそりと抜け出して生活を始めるだろうし、監禁まがいのことをするなんて言語道断だ。
卯柳に追い出せと言ってもあの夏純をコントロールしきれるとは思わない。
一番望ましかったのは生活を始める前に止めることだった。
それか自分たちの管轄内で生活させていれば責任もとれるし外部への説明も可能になる。
このまま卯柳の提案を受け入れて全ての責任を押し付けてしまうのは最も毛嫌いしている行為だ。
卯柳の提案を受け入れることについて逡巡していると二人が部屋に入ってきた。
二人並んで唯成の前の席に座る。
遠すぎず近すぎることもない二人の距離感は長年連れ添ったの夫婦を思わせた。
「結論から言わせてもらうが俺一人の判断で二人の生活を認めることはできない」
そう伝えると夏純は明らかに落ち込んだ様子を見せる。
「と言っても夏純は言うことを聞かないだろうから。こちらからいくつかの条件を出させてもらう。それが受け入れられないようなら今の生活は完全に諦めてもらう」
すると夏純は様子を一変させてパッと花でも開いたように笑った。
横に座る卯柳はその様子を覗き込んでにっこりと笑うと唯成に軽く頭を下げた。
その一連のやり取りを見て唯成は「ああそうか」と思った。
リスクやら責任ばかりを気にしていたが、結局は夏純のこの笑顔が見たかったのだ。
ただひたすらに笑っていて欲しい、悲しみなど感じさせずに幸せに包まれていて欲しい。
周囲の人間にそう思わせるほどの魅力が夏純にはある。
「それで条件って何なの?」
まるで条件を叶えられないなんてことは微塵も考えていないような様子に唯成も「ふふっ」と笑った。
「まずは卯柳君の連絡先を教えてもらおうかな。プライベートアドレスじゃなくてもいいが、何かあったときに緊急で連絡できるものをお願いするよ」
卯柳は「分かりました」と言って夏純が唯成と連絡をとっていたアプリを開く。
「夏純のことだけじゃなくて他にも何かあれば頼ってもらっても構わないからね」
「、、、ありがとうございます」
唯成としては夏純がお世話になっているお礼と思って言ったのだが、卯柳は遠慮がちに頭を下げた。
「私が迷惑をかけるのは当然みたいな言い方ね」
「たまに佐伯がぐちってたぞ」
「大丈夫よ。良子は私の前でも堂々とぐちるから」
それの一体何が大丈夫なのか分からない唯成は笑うしかなかった。
「それより夏純はこれからも仕事をするってことでいいんだな?」
「もちろん。けど今の生活も大事だからね」
「分かってる。佐伯に高校に行ったことは聞かされていたから学業優先ってことで仕事はまだキープの状態だ」
「ありがとう。これからまた頑張るわ」
卯柳に説得されていたのか、その「頑張る」にはちゃんとした意志がこもっていた。
時代が何を求めていて、演技力や魅力とは何で、周囲の人間にはどう思われているか。
いい人だけでは物足りず、綺麗なだけでは飽きが来て、力があるだけでは廃れていく。
明確な回答のないこの世界を子供一人で歩き続けるのはとても難しく、一度メディアで見ることがなくなれば一気に陰りが訪れる。
だからこそ卯柳も大々的ではないにせよ活動を続けているし、本人がどう考えているかは分からないが夏純にもそうあって欲しい。
実際に卯柳と出会う前の夏純はいわゆる「嫌な子供」で、そのまま成長すればいずれ仕事がなくなるのは目に見えていた。
仕事先や普段の生活で自分本位な行動ばかりをとっており、嫌なことがあるとすぐに逃げ出したり、変なことで人の気を惹いたり、機嫌が悪いと誰の言うことも聞かないことも多々あった。
それは生まれながらに両親がいないことや、派手な容姿から他人とは距離を置かれがちなところからきている部分もあったのだろう。
甘えたいのに甘え方が分からない。
関わる大人から与えられる感情はどこか壁を感じてどう近寄ればいいのか分からない。
派手な見た目と仰々しい名前で関わる前に構える人もいた。
そんな孤独を抱えながら生活を続けているうちに人との正しい距離感が分からず、学校や施設でも徐々に孤立していった。
担当になった唯成も結婚してすぐだったため夏純にばかり時間は割くことができず、良子にとっても夏純は施設にいる子供たちの中の一人に過ぎず集中的に相手をしてやることはできない。
何とかしてやらないと、とは思いつつも人生に責任をとれるわけではないので下手に手を出せないもどかしい日々が続いていた。
そんな夏純の前に突如として現れたのは卯柳とその両親だった。
当初の卯柳はデビューしたてで大した知名度もなく、夏純のように特段容姿に優れているわけでもない。
生まれてから親に愛されて育っているのが分かるほどの優しい雰囲気と愛くるしい笑顔が印象的なただの子供。
華と呼べるほどの第一印象はなく、声などのすぐにわかる特徴もない。
夏純とは違って今回はたまたまオーディションに受かっただけのいつかは一般の世界に消えていくどこにでもいる子役。
最初はみんなそう思っていた。
しかしそんな考えはすぐに覆されることとなる。
卯柳は周囲をよく観察していて、大人の言うことを理解し実行に移せる、いわゆる空気の読める子だった。
どの現場にいても持ち前の可愛らしい笑顔と子供ながらの稚拙な優しさは、みんなを癒して周りの空気を柔らかくする。
デビューしたてでも夏純と共演できるのが納得できるほどに空気を支配している、究極の潤滑油のような存在。
そう卯柳を評価した唯成は「これは夏純が試されている」という大きな危機感を感じた。
新たなカリスマに厄介者として取って食われるか、文句も言わせぬ圧倒的な実力で周りを黙らせるか、これからどうこの世界を生き抜くのか。
ここで明確な解答を出さなければ厄介者としてそのままこの世界からフェードアウトしてしまう。
結局は食うか食われるかの人気商売の世界なのだ。
人から嫌われる人間は長くは続かない。
撮影前の時点でこれから売れていく方がどちらかは目に見えていた。
愛想と愛嬌がよく、大人の指示を従順にこなせる卯柳と周りの気持ちなど知ったことではないと横暴をする夏純。
夏純の機嫌をとるために奔走していた者たちは卯柳をより良く見せるために奔走するようになっていく。
容姿や才能だけでは語れない「何か」に自然と人が吸い寄せられていく。
卯柳という可愛らしい子をどのようにして輝かせるか。
夏純より卯柳、といった空気を唯成と夏純はどことなく感じていた。
そういった焦りや緊張、周囲の嫌な期待をはらませたまま撮影が始まることとなる。
何も手を打てなかった唯成は焦燥感と後悔を抱えたまま現場へ向かったが、目にした景色は想像とは違うものだった。
卯柳が根気強くわがまま放題の夏純の相手をしていたのだ。
ある日は撮影が卯柳より上手くいかず逃げだせば、捕まえてきて笑い話にしたり。
ある日は朝からの撮影が嫌で隠れていた夏純を卯柳が泥だらけになって見つけてきたと思えば背中で寝ていて皆で和んだり。
ある日は誰かにかまってもらいたくて変な行動をすれば、一緒になって変な行動をして皆を笑わせたり。
いつも大人に注意されてばかりで、同年代からは煙たがれらていた行動も卯柳がいれば不思議と皆が笑顔になる。
夏純も最初こそは自分の立場が奪われているような苛立ちから卯柳のことを敵視していたが、求めていた空間が卯柳の周りにあると分かると自然と自分から近づくようになっていった。
そうして撮影が始まる前まで感じていた危機感はまったく思ってもいなかった形で解決した。
その後も夏純は何かあっては卯柳の家に行き、二人は家族ぐるみでの関係となった。
優しい卯柳の両親はやはり優しく、夏純にだけ時間を注ぐことができない唯成や良子の代わりに本当の親のように夏純と接した。
それから夏純は目に見えるように変わった。
逃げ出しても頭が冷えた頃には自主的に帰ってくるようになったし、高圧的な口調は変わらなかったが分かりやすく気を遣うようになった。
不器用ながら変わろうとしているその様子は微笑ましく、次第に周りの人間の目も見守る視線へと変わっていった。
そんな全てが好転し始めた矢先、卯柳の両親の訃報が夏純の元に入る。
その訃報はわずかな関係値の唯成ですら動揺を隠せなかった。
案の定、夏純はひどく取り乱した様子を見せた。
数日間は撮影どころか普段の生活もままならず、食事をとることすら忘れて泣き明かすこともあったほどだ。
新堂一家と夏純の仲がいいことは周知の事実であったため、みんなにその様子を心配されていた。
しかし夏純にとっての唯一の救いは、同じ悲しみを共有できて自分を救ってくれた張本人である卯柳がいたことだった。
小さい頃の夏純は卯柳の身を案じるよりも先に本当の親を失ったような悲しみが押し寄せてきて、心を許した存在である卯柳の優しさに甘える以外にその悲しさを乗り越える方法を知らなかった。
卯柳自身も悲しみの中に身を置いていてもなお、あふれんばかりの優しさで夏純の事を心配し精神的な支えとなった。
そんな卯柳の支えもあってか夏純は次第に落ち着きを見せた。
唯成も夏純の様子を見て安心したが、反対に卯柳への心配は日々膨らんでいた。
芸能界という不安定な世界に身を置きながら、マネージャー業務もこなしていた両親まで失って、果たして頼りはあるのだろうか。
優しい彼は頼られてばかりで頼ることを知らないのではないのだろうか。
唯成自身は夏純が変わるきっかけを与えてくれた卯柳に感謝をしていたし、少しでも返せることがあるのならと施設を紹介したりもしたがどうやら身寄りはあったようで唯成のその優しさに卯柳は「ありがとうございます」と泣き出しそうな顔で言った。
与えられた優しさをそのまま返しただけなのに、まるで返ってくるなんて微塵も思っていなかったかのような様子に唯成は安心した。
今後、この世界に生きていくにしてもこの世界から離れるにしても卯柳の周囲へ与えた優しさはきっと返ってくるだろうし、それにおごることも必要以上に強がることもなく受け入れる姿勢は決して弱くはない子だと思った。
しかしその安心とは裏腹に卯柳の生活は一変することとなる。
卯柳は両親が亡くなってから一ヶ月も経たないうちに仕事に復帰すると、学校の時間や休日などプライベートな時間を極限まで削って仕事を増やしていった。
傷心の身にも関わらず圧倒的にメディアへの露出が増えたのは誰の目から見ても明らかな異常事態だったが、卯柳は周りに心配させることなく仕事をこなしていく。
だからこそ、卯柳に対する周りの印象はあまりいいものではなかった。
悲劇の少年ぶってメディアに出演して同情を買おうとしている。
両親の死を仕事に利用できてむしろ喜んでいる。
継母に無茶をさせて仕事を取ってきている。
偽善者、亡者、悪魔。
十歳もいかない少年かけるにはあまりにひどすぎる言葉はどことなく現れて、限りなく広がっていく。
共演した者は皆、卯柳の能力で得た仕事だと知っているものの、彼を晒しものにするようなメディアや世間の噂の標的になりたくない業界の関係者たちはその言葉を聞いても否定することなく沈黙した。
あまつさえ卯柳の味方であるはずの事務所も炎上したのをいいことに、沈黙を貫きさらなる炎上を呼び込んだ。
夏純も卯柳が継母の元へ移り住んでからは家に行ったことはなく、仕事で多忙な卯柳に会えずにいた。
悪い噂を聞くたびにもどかしそうにしていたが、今が大事な時期だから触れるなと唯成は自分にも言い聞かせるように言っていた。
そんな状態が四年近くも続いたある日、とある報道が世間をにぎわせる。
『人気子役、志藤隆兎の母親が多数メディア関係者と不倫』
たくさんのヘイトを集めていた有名子役の名前と不倫の文字を使ったセンシティブな報道は瞬く間に世間の関心を集めた。
閲覧数を稼ぐために子供ですら食い物にする悪意ある見出しと報道に嫌気を感じた者は少なくないが、それ以上に食いついた人間がいるのは言うまでもない。
報道の内容は両親を亡くした卯柳を預かっていた継母が事務所の社長を含む、複数のメディア関係者とホテルに入っていく様が撮られたものだった。
唯成もその継母とは顔を合わせたことがあるが、妖艶な魅力というよりも幼い危険といった言葉が似合う美人だったことを覚えている。
ところどころで見え隠れする子供らしさは魅力よりも幼稚という印象が強く、たまに見せる強さは母の強さではなく子供の我儘に感じるほどにアンバランスだった。
そもそも初対面にも関わらず距離が近すぎたため、唯成は「これは騙される人間は騙されるだろうな」と警戒心全開で挨拶を済ませたが、そのお陰もあってか対象となることはなかった。
そんな人間の不貞行為の発覚で、異常事態だった卯柳の仕事量も軽減されることとなる。
誰の目から見ても明らかにメディアへの露出を減らし始めた卯柳に状況が改善されていったと安心感を感じたが、芸能界ではまた違う行動を見せた。
卯柳の才能や環境に嫉妬した趣味の悪い人間は「志藤隆兎が継母に不倫をさせて仕事を得ていた」などという悪い噂を広めたのだ。
子供のような妄言は想像していたよりもたちが悪く、かつて炎上した際は事務所が沈黙したという不審な対応もあってその噂は現実味を帯びて業界や世間の噂話程度に広まることとなった。
新体制の元、再スタートを切った事務所は今回ばかりはその悪い噂を否定すると思われたが、事務所や卯柳の口から真偽が語られることはなかった。
大半の人間はその沈黙の意図をくみ取ることができなかったが、事務所を運営している立場の人間からすればその理由は明らかであった。
その悪い噂を否定すれば、過去卯柳に過度な仕事をさせていたこと事務所ぐるみで黙認していたという事実を肯定することになる。
そうなれば批判は全て事務所に寄せられる。
小さな事務所で新体制といった状態では、四年に渡る卯柳への仕打ちに対する批判が殺到すれば簡単に傾いてしまうだろう。
そのことが分かっているからこそ事務所も、そして被害者であるはずの卯柳自身も悪い噂に関して何かを発信することはなかった。
事務所にいる役者は?事務所で働く人間たちは?事務所の関係者たちは?
その全ての責任を取れる人間は外部には存在しない。
だからこそ内部のそれも当事者である卯柳の黙って仕事をこなす姿は「責任を取れないなら言及するな」という言葉を雄弁に語っていた。
そうして悪い噂の真偽は明かされないまま、メディアへの露出をなくした天才子役の卯柳と「志藤隆兎が継母に不倫をさせて仕事を得ていた」という噂だけがこの世界に残った。
あれから唯成は卯柳にいくつかの条件を提示した。
SNSのアカウント情報の共有は卯柳がそういったたぐいのものを一切していなかったために免れたが、施設へ定期的にしている報告の共有は行うこととなった。
また、夏純には学業と仕事をより一層取り組むことと、もう少し姿を隠すことを条件として提示した。
そして最後の条件として卯柳の事務所への訪問と生活環境の確認だったが「だったら明日みんなで誕生日パーティをするから花織さんとあかひか姉妹も誘ってくればいい」と夏純に押し通されてしまった。
卯柳と唯成の二人は事務所前でタクシーを待っていた。
夏純は久しぶりの事務所ということもあって二人を置いて探査にでかけてしまった。
「夏純さんが強引に誘ってしまったみたいですみません。僕たちは午前中から準備を始めているのでいつ来ていただいても大丈夫です」
「むしろ部外者のような人間が四人もお邪魔しても大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。ですが気を遣うようでしたらまた改めてでも問題ありません。ほんとに急なので手見上げとかも必要ないですからね」
そうは言われてもこれから夏純がお世話になるのに手ぶらとはいかない。
戸惑った間を感じ取った卯柳は申し訳なさそうに微笑む。
「では明日のおやつお願いできますか?人数が多いので注意してくださいね」
気を使わせてしまった唯成も「すまない」といった様子で微笑み返す。
「ありがとう。今までも、そしてこれからも夏純をよろしく」
「はい。大切に預からせていただきます」
言葉や雰囲気の節々に感じる責任感はとても強い。
あの訃報以降、一体どれほどの責任を人生を気持ちを背負ってここまで歩いてきたのだろうか。
「夏純には何も話していないのかな」
唯成は夏純が近くにいないことを確認してそう切り出す。
「そうですね。もしよければですけど、黙っていていただけませんか?」
「なぜ?夏純なら必ず味方になってくれるだろう」
「だからですよ。夏純さんには幸せになってほしいんです」
まるで「自分の隣では幸せになれない」と続くようなその言葉に唯成は驚いた。
「これはうぬぼれかもしれませんが、その情報が夏純さんの自由を妨げるようなことがあってはならないと思っています」
自由の妨げになってはならない、に関しては同意だが夏純としては卯柳に不自由を与えられることが何よりも幸せだと思っているだろう。
しかし今ここで自分の口からそれをつげるなんて野暮なことを唯成はしたくなかった。
せめてと思い別の言葉を紡ぎだす。
「若いうちは自分の気持ちにも素直にね」
「ありがとうございます」
そう言って見せた卯柳の笑顔は昔のままで、だからこそ唯成は違和感を感じた。
声をかけようとするとタクシーが事務所前に到着した。
どこで見ていたのかタイミングよく夏純も階段を駆け下りてきて卯柳の隣に落ち着く。
「それじゃあまた明日ね」
夏純は無理矢理誘ったことは忘れたのか、来るのは当然といった様子で言い放った。
「顔を出すくらいはするよ」
その返事に朝事務所に来た時とは全く真逆の喜んだ表情を見せる。
「住所はまた午後に連絡します。こちらの事務所からも遠くはないのでおそらく大丈夫だとは思いますが、時間の都合が付かない場合は明日以外でも大丈夫ですから」
強引な夏純の補足をするように卯柳は言った。
夏純も「そうそう」といった様子で満足げだ。
二人はタクシーに乗り込むと卯柳は行き先を伝えて夏純が窓を開ける。
にっこりと笑いながら「ばいばい」と手を振る姿はどこか幼さを感じた。
唯成は奥で軽く会釈した卯柳の姿を確認すると手を振り返す。
やがてタクシーは二人を乗せて出発する。
夏純がいなくなると一気に静かになった。
このエネルギーにあふれた楽しいやり取りも久しぶりに感じた。
夏の前触れ、五月の熱気はまだ肌寒さをはらんだ春風にさらわれた。
すっかり気分を戻した夏純と卯柳を待っていたのは凛だった。
リビングへのドアを開けるとキッチンで昼ご飯の支度を進めていた凛が振り向く。
「ただいま帰りました」
「ただいまー。あ、凛ちゃん!」
その夏純の大きな声を注意するように凛は口の前で人差し指を立てる。
「おかえりなさい。お昼は焼うどんですよ」
「ありがとうございます。具材ありました?」
「ちらほらとあったので全部混ぜです」
その言葉に夏純はお腹を「ぐぅ」と鳴らした。
三人はにっこりと笑って準備を進める。
凛は淡々と食材を切り分ける作業に戻り、卯柳はホットプレートを出して焼く準備を始めて、夏純は取り分けの皿を用意する。
夏純の自然な動作に凛は「随分慣れたものだな」と思った。
「そういえば事務所の方から許可はいただけました?」
夏純の機嫌がいいのは明らかなので解答は分かっていたのだが、念のためと思って確認する。
「ばっちりよ!」
どうやら夏純の中では条件はあってないようなものらしく、まったく気にした様子もなく返した。
「さすがに条件はありましたよ。けど大丈夫だと思います」
卯柳の大丈夫という言葉に夏純も「ふふん」と鼻を鳴らした。
三人は準備を進めてホットプレートで食材を焼き始める。
その音につられたのか春と姫花が和室から顔を出した。
二人そろった「おかえり」の声に卯柳と夏純もにこやかに「ただいま」と返す。
「お兄ちゃん、どうだった?」
二人は料理中の卯柳の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「大丈夫だよ。これからも皆で生活しようね」
その卯柳の優しい一言に「よかったあ」と安心を見せた。
「なになにー、二人とも心配してくれてたの?」
夏純はわざとらしく言って二人の肩に手を置いた。
「うん。一緒に生活できて楽しいし嬉しいよ。、、、それに夏純お姉ちゃんダメって言われたら庭で野宿とか始めそうじゃない?」
あまりにも的確な指摘に凛と奥で勉強していた律輝がこらえきれず「んんっ」と笑い声をあげた。
夏純は後半は聞かなかったことにしたのか、二人を抱きしめて頭を撫でる。
そんなことをしていると周と大和がリビングへの扉を抜けてきた。
「ただいま。もう荷物重すぎてへろへろだよ」
「帰ったぞー。お、いい匂いしてるな」
続いて千恵と太一が顔を出した。
「ただいま。うさぎと夏純ちゃんも帰ってたんだ」
「おかえりなさい。太一さんもお休みなのに車まで出していただいてありがとうございます」
「全然。むしろ僕もお呼ばれしてよかったのかな?」
太一は特徴の細めを携えて不安そうな顔で確認する。
「ご迷惑でなければぜひ参加してください。姫花も人が多い方が喜びますし、美味しいコーヒー期待していますね」
褒め上手な卯柳におだてられて機嫌をよくする。
重い荷物を運んで疲れた様子を見せた大和と周がソファに倒れこむ。
「ちょっとー。二人とも手洗いうがいしなさいよー」
いつも通り二人の世話を焼く千恵に一同は「まるで母親みたいだな」と思いつつも口には出さないでいた。
二人は「へいへい」と言って気怠そうに洗面所へ向かった。
「そんなことよりうさぎさん!お昼からはアレ作るよね!」
兄の怠けをそんなことと一蹴して春は元気よく確認した。
春の言うアレというのはバケツプリンのことで、明日の誕生日会に向けて春と姫花の要望で作ることになったのだ。
食べきれないほどの大きいプリンを作ってみたかったらしく、いかにもご機嫌だ。
「ちゃんと勉強頑張っていたみたいですので、皆で作りましょうね」
「「やったー」」
喜ぶ二人に卯柳も満足そうに微笑む。
明日に唯成の訪問もあるが、ひとまず今はこの穏やかな日常を守れたことに安心した。
次の日の新堂宅は朝から大騒ぎだった。
小春日和というにはふさわしいぽかぽかした日差しと心地よい春風とともに一番乗りで新堂宅を訪れたのは東家だった。
春が元気よく走り回り、その後ろをよぼよぼと周が追いかける。
その更に後ろをゆっくりと周の両親が乗った車が追いかける。
四人そろって挨拶を終えると春が車からテントを取り出して姫花と庭に立て始める。
その様子を相変わらず変な仮面を付けた実佳が見守り、横では宗一が家から持参したBBQセットを準備する。
「持ってきていただいたのに準備までしていただいてありがとうございます」
「いいんだいいんだ、いつも周と春が世話になってるから」
「お世話って言うほどのことは、、、」
「そんなことはねえよ。子供にとって安心できる環境は一つでも多くあった方がいいもんだ」
宗一は楽しそうにテントを組み立てる春たちを見ながら言った。
その後もわいわいと話を続けていると次は凛を乗せた太一の車が到着した。
太一はプレゼントであるコーヒー豆を手渡すと宗一とBBQセットの準備に加わる。
凛は卯柳と一緒に昨日から仕込んである料理の仕上げにとりかかった。
ローストビーフや一口ピザの具材を綺麗に盛り付けて、食後のデザート用の果物を切り分ける。
野菜の生春巻きと色とりどりの付けタレを並べる。
複数の大皿に色とりどりの食材や料理を盛り付けていると、神崎家と乙和家が新堂宅へやってきた。
大和はギターケースとBBQ用の食材が入ったビニール袋を持ちながら隣にいる千恵の父親である神崎一と仲睦まじげに話をしている。
第一印象は清潔感のある長身痩躯な雰囲気だが、よくよく見ると縛り上げた長髪とちらちらと見えるピアスやアクセサリーからチャラさがにじみ出ている。
その後ろを千恵と大和の母親の乙和優香里が続く。
シュッと整った顔立ちと大和との血のつながりを感じる少しする鋭い目元。
春先のゆったりとした服装からでもスレンダーさが伺える体型は千恵とは真逆だ。
大和と千恵はお互いに片親同士で家も隣だったため、小さい頃から家族ぐるみでの付き合いがあった。
気がつけば一は大和の父親のような存在に、優香里は千恵の母親のような存在となっていた。
「うっさっぎっくーん。久しぶりー」
「お久しぶりです」
「相変わらずもしゃもしゃしてるねー」
そう言って一はわしゃわしゃと卯柳の頭を撫でた。
友人の父親ということで激しく拒否できず、珍しくなされるがままの卯柳を大和と千恵は驚いた様子で見ていた。
いい加減止まりそうもないので優香里がぺしりと腕を叩く。
一は「あいたっ」と言って腕をひっこめた。
「今日は誘ってくれてありがとう、新堂君」
「こちらこそ、来てくださってありがとうございます。姫花も庭で作業しているので顔見せてあげてください。荷物は回って和室の方にお願いしますね」
簡単な挨拶を済ませると四人は庭の方へ回っていった。
入れ替わりで律輝が顔を出す。
「おはようございます。もう皆さん来てますよ」
「おはよ。俺が最後か。珍しいこともあるもんだ」
本日の主役はいかにもリラックスした様子だ。
「父さんは午後に休みが取れたみたいだからもうちょっとしたら来るよ」
「よかったです。じゃあ先始めちゃいましょうか」
そう言ってその場を後にしようとすると卯柳が思い出したかのように口を開いた。
「夏純さん呼んできてくれますか。そろそろ来られると思うので」
律輝は「あいよー」と言って手をひらひらさせながら庭へと向かった。
入れ違いで夏純がやってくる。
「千恵ちゃんのパパがあんなにチャラ男だとは思わなかったわ、、、」
夏純も変な絡まれ方をしたのか、げっそりとした様子でそう言った。
玄関先で二人仲良く談笑していると西尾家が訪れる。
「あ、花織ちゃーん」
西尾唯成の妻の西尾花織の姿が見えると夏純は大手を振って出迎えた。
ひまわりのような明るい女性の前をとてとてと双子の女の子が歩いている。
夏純の姿を確認すると速度を上げて夏純に抱き着いた。
「朱里、星、元気にしてた?」
「「うん!」」
太陽の髪ゴムをつけた西尾朱里と星の髪ゴムをつけた西尾星は顔を上げて夏純の顔を見上げた。
「夏純ちゃん。誘ってくれてありがとね。新堂君も初めまして西尾花織って言います」
「初めまして、新堂卯柳です。今日はお越しいただいてありがとうございます」
「ほら、二人とも挨拶して」
そう言って夏純は朱里と星の頭をぽんっと撫でた。
「こんにちは、西尾朱里です」
「西尾星です」
よくよく観察してみると星の方が少し人見知りなことに卯柳は気がついた。
「こんにちは。新堂卯柳です。よろしくお願いします」
優しく微笑むと安心したのか、二人とも笑顔を見せた。
「新堂君、今日はありがとう。まさかこんなに近くに住んでいるとは思わなかったよ。あと口に合うか分からないけどこれ、、、」
卯柳から住所を聞いた時、徒歩圏内であることに驚いたことを思い出す。
「ありがとうございます。皆さんにも紹介したいと思いますので庭までお願いできますか?」
少し大きめの紙袋を受けとった卯柳は庭まで四人を案内する。
庭にはもうすでにテントが立っており、中はぬいぐるみやらタオルケットやらでゆるふわっとした空間ができあがっていた。
夏純を先頭に西尾家が庭に入ると一同は静かに注目する。
「皆に紹介するわ。私のマネージャーの唯成。今日は私とうさぎの生活の視察に来たから皆大人しく過ごすように!」
明らかな冗談交じりの紹介に仲の良さがうかがえる。
唯成は苦笑いしながら訂正する。
「夏純が小さい頃からマネージャーをしている西尾唯成です。今日はお祝いするつもりできたのでよろしくお願いします」
「この横の女性が西尾花織ちゃん。二人とも私が小さい時からずっと世話を焼いてくれてたわ」
世話を焼かれている方の紹介に花織も「よろしくお願いします」と言って苦笑いした。
「そして二人の子供で双子の朱里と星。略してあかひか姉妹」
大勢の人前で二人とも緊張しているのか、ちょこんと頭を下げた。
「で、私の旦那の新堂卯柳とそのお嫁さんの新堂夏純です!」
唐突な紹介に二人の関係を知っている者はにやにやと、知らない者は驚いた様子を見せた。
「僕をオチに使わないでください。皆さんもう知っているとは思いますけど、百目鬼夏純さんです」
もう否定することも疲れたのか、そのまま夏純の紹介をすると夏純は機嫌良さそうに笑った。
夏純が少しでも微笑めば場は和むのだからすごいものだ、と卯柳は思った。
ここまで身近なのに浮世離れした容姿や存在感はアンバランスな不安感を煽らず、心地よい安心感と高揚をもたらす。
その雰囲気に感謝しつつ一同の紹介を進めた。
一の紹介の時にふと唯成がいぶかしむ。
「どこか見たことあるような、って思ってます?」
一は唯成の視線を受けて考えを当てた。
卯柳は驚いた様子を見せた唯成に紹介を続ける。
「一さんはフレンチシェフとしてテレビに出たことある方ですよ」
卯柳の紹介に一はのんきにダブルピースを作っている。
「何年も前なのに見覚えあるのすごいなあ。さすがマネージャー」
「人の顔を覚えるのも仕事の一つなので、、、」
名前まで思い出せなかったのか唯成は恐れ多いといった風に言ったが、なぜか夏純は得意げな表情を見せた。
「一さんってこんなにチャラチャラしてるのにすごい人だったのね」
「わぁ、夏純ちゃん初対面なのにしんらつぅ。実はすごいんだよー?」
「なんかこう、大和と同じ空気を感じるのよね。思いっきり殴っても平気というか。むしろ殴られたがってるんじゃないかって」
姫花や春も含めた女性一同がうなずいたことで何となく意志が統一された。
「俺は殴るなよ!?」
聞き逃さなかった大和がすかさずつっこむ。
その流れに皆は声を出して笑った。
「そろそろ始めましょうか。夏純さん、唯成さんたちに荷物の置く場所を案内できますか?料理と飲み物をお持ちするので周さんと大和さんお願いします。それと、、、」
卯柳の指示のもとでてきぱきと乾杯の準備を始める。
コップを配って料理を並び終えるとそれぞれが飲み物を注ぎ始める。
その準備の中でいつの間にか姫花と春が朱里と星を可愛がっており、子分を引き連れるかのように一緒に飲み物を注いでいた。
夏純は皆に飲み物が行き渡ったことを確認すると、うさぎと律輝を前に呼び出しおもむろにコップを掲げる。
なんともビジュアルの良い三人の並びは何かの撮影を思わせるほどだ。
「じゃあさっそく、うさぎと律輝の誕生日アンド私たちの新生活を祝して。かんぱーい」
卯柳と律輝も遠慮がちにコップを掲げると皆もそれに打ち付けるような動作を見せて飲み物を口にした。
「よーし、じゃあさっそく焼き始めようか」
一の一言に各々の食べたい食材を並べ始める。
気がつけば時刻はとうに十二時を回っていた。
あれから夏純と大和と周と姫花たち四人組の四つ巴で食材の奪い合いをしたのち、仲良く一口ピザを盛り付けて焼けるのを待っていた。
その間に律輝の父である天羽由人も仕事を終えて参加しており、わずかな理性のもとに残された食材を大人組と消化している。
大人組は庭でBBQの続きをしながら談笑しており、子供組は次なる料理の一口ピザが焼けるのをリビングで待ちわびている。
一同を眺めながら一段落したと安心して卯柳は窓際に腰かけた。
しばらく眺めているとリビングから律輝がやってきて隣に腰かける。
「本日の主役二号がこんなとこでゆっくりしてていいのか」
二号であることを甘んじて受け入れてにっこりと微笑む。
「食休みです。このあとプリンとフルーツポンチもありますからね」
「豪華だな。去年までは施設だったからここまで派手にできなかったもんな」
「そうですね。みんな楽しそうでよかったです」
二人してリビングで騒いでいる皆を眺めてしみじみする。
「隣いいかな?」
唐突な唯成の確認に二人は少し詰めて空間をあける。
唯成は律輝の隣に腰かけると、おもむろに口を開いた。
「律輝君って事務所に所属してたりするの?」
「ないですないです。めちゃめちゃ一般人です」
卯柳の前で恐れ多いといった様子を見せたが、その様子でさえ誰が見ても卯柳に引けを取らない。
むしろ可愛らしく綺麗な卯柳とは別タイプの爽やかで整った顔立ちは男ですら見入ってしまう。
「スカウトされててもおかしくないのにね。二人は付き合いは長いの?」
「そうですね。同じ小学校でうさぎが嫌でも目立ってたんで突っかかってたら仲良くなりました。夏純の次くらいには付き合いが長いかな」
「律輝君もとても目立ってましたけどね。今はもう律輝君の方が有名かもしれないですね」
「あんだけ正体隠してたらな。夏純も同じくらいつつましくしてくれたらいいけど」
「もしかして夏純が迷惑かけてる?」
「全然大丈夫ですよ。ただもうちょっと姿を隠すのと誰彼構わずうさぎに対する愛情を表現するのだけは傍から見てもひやひやしますけど」
やはり誰の前でもしているのかと唯成は不安になった。
「夏純さんも頑張っているみたいですし、皆さんにも助けていただいていますし、僕としてはとても楽しい日々を過ごさせていただいてますよ」
「ほーう。うさぎとしてもまんざらでもないと、、、」
すると卯柳は人差し指を口元に当ててにやりと微笑んだ。
「さあ、どうでしょうか」
艶めかしいその不敵で魅力的な笑顔は二人の視線を釘づけた。
「「「焼けたー!」」」
室内から聞こえる複数人の歓喜の声で二人は我を取り戻す。
「食べに行きましょうか。そろそろ食後のスイーツも準備しますね」
卯柳は何事もなかったかのように室内へと入っていった。
「油断できないなあ」
「うさぎって仕事先でもあんな感じなんですか?」
「同じ事務所じゃないから何とも言えないけど、昔はもっと天然って感じだったよ」
「そうですか。唯成さんもうさぎのこと昔から知っているんですね」
律輝の方へ視線をやると何かを探るような雰囲気を感じた。
ここへきて初めての敵意に近い感覚に「新堂君の過去を知っていれば普通はそうだよな」とも思った。
「うさぎと姫花と夏純の人を見る目は特別信頼しているんでいい人ってのは分かります。でもそれがうさぎにとっていい人とは限らない」
「律輝君は全て知っているのかな?」
「俺は、、、全部、知っています」
苦しそうにそう告げると律輝は苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「鎌をかけたみたいで申し訳ないんだけど、新堂君のことについては噂程度にしか知らないんだ。ごめんね」
「そうですか、俺もせっかく楽しんでるのに突っかかってすみません」
「大丈夫。むしろ君みたいな人がいてくれて安心できるよ」
申し訳なさそうな表情を見せた律輝を安心させるように唯成は優しく微笑んだ。
「分かっていると思うけど僕は夏純の味方だ。二人の生活は応援しているし新堂君に返すべき恩もある。だけど、どこまでいっても夏純はうちの事務所の人間だし新堂君はライバル事務所の人間だ」
その先は言わなくても律輝は分かっていた。
どこかの組織に所属している以上、その制約の中でしか行動はできない。
それが例え感情とは反対の行動であっても、その感情より大切な守らなければならないものがある唯成はなおのこと制約を破ることはできない。
「俺はうさぎの味方です。夏純の敵ってわけじゃないですけど、もし二人に何かあったときは迷わずうさぎを助けます」
その誠実さは唯成の元へも届いた。
「君もたいがい、いい人、だね」
唯成の返しに律輝はどこか毒が抜けたような顔をした。
「それを俺に言うってことは、もしもの時に夏純は助けられないから代わりに頼むぞってことだよね」
「そう、、、なんですかね、、、」
無意識でやっていたことに唯成はなおのこと律輝のことを信用できる人間だと判断した。
「よかったら連絡先交換してくれないかな?いつか君の力になれるかもしれないし、君に力になってもらうかもしれない」
「こちらこそ、お願いします」
卯柳に黙ってのやりとりにどこか後ろめたさを感じつつ連絡先の交換をしていると家の中から卯柳の呼ぶ声が聞こえた。
「皆さん焼けましたよー。姫花、これ持って行ってあげて」
「はーい。朱里ちゃん星ちゃん、一緒に行こ!」
新たにできた年下の友だちを引き連れて配り歩く様子は可愛い隊列をなしていた。
「凛さん。そろそろデザートの準備を始めましょうか」
「わかりました。じゃあうさぎ君は座っていてください。、、、一さーん」
凛は本日の主役である卯柳自らが作業を始めようとしたのを制止して一を呼んだ。
「なになにー?ついにシェフの出番?」
「出番です。果物を切り分けるので手伝ってください」
「任して。今日はもう凛ちゃんとうさぎ君が準備してたからすることなくてうずうずしてたとこだったんだよねー」
いつものニコニコチャラチャラとした雰囲気だがキッチンに立つ姿はまるでそこに収まるべきものであるかのようだ。
「じゃあ二人にいいことを教えてあげよう。食材は切り方によって味が変わる!」
「あ、知ってます」
「知ってたか!繊維の話は有名だもんね。ただ切り方にもそれぞれあってね。厚みや時間、形に色合い。色々なことに気を巡らせる」
一は小さく切り分けたリンゴを四つ並べた。
「先に皮に舌を付けるように食べてごらん」
卯柳と凛は言われた通りにリンゴを口にした。
リンゴを噛み砕くと口の中では若干の渋みの後に甘い果汁が広がった。
「美味しいです」
「ですね。ただ私が切るよりは果汁が残っていて悔しいです」
素直な感想に一は「くくっ」と笑いながら水の入ったコップを二人に手渡す。
「次は果肉を舌に付けるように食べてみて」
二人は言われたままにすると先ほどとは味が違うことに驚いた様子を見せた。
「さっきのより甘さが全然違います」
「同じリンゴなのにここまで違うんですね」
予想通りの反応に一も満足そうに頷いた。
「あー。うさぎさんがつまみ食いしてる!」
そう言って春を先頭に駆け寄ってきた四人組にもリンゴを切り分ける。
「「「「美味しいー」」」」
可愛らしい笑顔を見せた四人を眺めながら続けた。
「いろいろなことに気を配るっていうのは食材にだけではなくて食事を提供する対象にって意味でもある」
話しながらでも淡々と果物をあるべき形へと切り分ける。
「例えばその人の着ている服からどんな色が好きかは分かるし、所作から利き手が分かる。下げられたお皿からその人の大まかな食べ方が分かる。提供している飲み物の減り具合から会話が弾んでいるのか緊張しているのかの状況が分かる。それらが分かれば料理の盛り付けが変わって味も変わる。個人個人によってその瞬間によって最高の一皿が決まる。そしてそれをみんなで作り上げる」
盛り付けられた果物たちは煌々とした輝きを放っていた。
「飲食業界も楽しそうでしょ?」
卯柳と凛だけではなく四人組も一の話を静かに聞いていた。
「これは社会人からのアドバイス。うさぎ君は嫌なほど知っていると思うけど気を配ること、人を見ることはどの職場できっと役に立つと思うよ。そしてどんな仕事をするかは分からないけど極めること。これが何よりも楽しさを何倍にも倍増させる」
「一さんって見た目よりちゃんとしてるんですね、、、」
「グサッと来るね!!!今結構かっこよかったと思うんだけど!!!」
「でもやっぱり姫ちゃんたちには悪影響なので、、、」
「ねえなにが!?存在が!?存在がなの!?」
先ほどまでの雰囲気はどこへいったのやら、果物の切り分けが終わって包丁を置くと人が変わったかのようにチャラチャラした雰囲気が戻ってきた。
その様子を見ながら凛が「こういう男は捕まえてきちゃダメですからね」と笑っている四人に呼びかけていた。
「うさぎ君も笑ってるけど、実はこういう人の方が危ないんだからね!?これも大人からのアドバイス」
「そうですか?」
「うーん。そういう場合もあるかもしれませんが、うさぎ君は誰にでも優しそうに見えてちゃんと距離はとっていますよ」
「え、そうなんだ!?意外ー」
「うさぎ君の行動原理は姫ちゃんのため、が基本ですからね。最近は夏純さんのためにも動いていますけど」
「姫ちゃん愛されてるねえ」
「えへへ。でしょー」
そういって見せた笑顔はとても愛くるしいものだった。
「姫ちゃん、、、将来は魔性の女になるね、、、」
「姫花たちに変な言葉教えないでください。ほら姫花、これ持って行ってあげて。皆もスプーンとお皿をお願いしますね」
教育上よろしくないと思った卯柳は盛り付けが終わったフルーツポンチを姫花に手渡して外のテーブルに持っていくように指示する。
姫花は「えー」と言いつつも仕方なくその場を離れた。
「ほんといい子に育ってるね。すごいなあ」
「そうですね。素直で可愛い自慢の妹です。受験勉強を始めてからは色々言葉を覚えたみたいで口答えし始めましたけど、、、」
成長が嬉しくもあり寂しくもある、自分にはまだない感情を抱いている二人を見て凛は改めて凄いと思った。
「困難はあっても不自由することなく皆が幸せになってくれればいいです」
その言葉に一は一瞬心が締め付けられるように苦しくなる。
「うさぎ君も、だよ」
千恵との関係を見直すきっかけをくれた卯柳が自分よりも他人の幸せを願う姿に大人としての責任を強く感じた。
卯柳との付き合いは二年ほどになるが未だに恩を返し切れているとは思わない。
むしろ千恵が成長するたびに卯柳への感謝の気持ちも大きくなる。
しかし一はそれ以上何かを言うことはしなかった。
きっと卯柳は「なんでも頼って」と言っても自分一人で何とかしようとするし、実際に何とかしてきた。
だからこそ言葉以上に行動で示す。
「ありがとうございます。バケツプリンも用意してるんでそちらも出しちゃいましょうか」
当の本人はまったく気にした様子はなく、社交辞令のように当たり障りのない感謝で会話を締めた。
「まったく、うさぎ君は女心より難しいね」
「でも私は今うさぎ君が考えていること分かりますよ?」
「ほう、その心は?」
「そんなこと言ってないでとっとと手伝え、です」
言い当てられた卯柳は何とも言わずにこりと微笑むと一は「わはーっ」と言いながら駆け寄った。
「姫花ー?」
唯成から貰ったお菓子を配ろうと庭に出ると、テントの前に立った卯柳が「しーっ」と言って口元に人差し指を立てた。
「姫花たちは寝ちゃったみたいです。そろそろ冷えるのでブランケット取ってきますね」
卯柳はそう言い残して二階へと向かった。
テントの中を覗いてみると四人が仲良く気持ちよさそうに寝ていた。
あれから一同は食後のデザートを食べながら大和の演奏会に突入し、歌うだけ歌うとそのまま寝入ってしまった。
歌いつかれた大和とBBQ奉行を務めた一も活動限界を迎えたのか、卯柳が準備していたタオルケットにくるまって和室で眠っている。
他の面々は大人組と子供組で分かれてパーティーゲームやそれぞれ談笑をしていた。
「皆寝た?」
遠目で様子をうかがっていた唯成が顔を出す。
「寝ているわ。今うさぎがブランケットを取りに行ったとこ」
「何から何まで助かるな」
「凄いでしょう、私の旦那は」
また卯柳に何か小言を言われそうな言葉に唯成は苦笑いを見せる。
「凄いよ。たくさんの人間が安心して過ごせる空間を作るなんてほんとに凄いことだ」
唯成の芯からの言葉に夏純は満足そうに続ける。
「こんなに安心をくれて、そっと背中を支えてくれる。だから私はこれからも仕事を頑張るわ。いつかあの世界に帰ってくる時に居場所がなくなっているなんてことが無いように、私がうさぎの居場所を作る」
それが多少でも恩を返すということになるなら、唯成としても受け入れる他なかった。
「、、、頑張ろうな」
「そうして私に依存させていずれは、、、」
爽やかな決意の後に、なんとも怖い作戦を口にした夏純にぎょっとした。
「、、、それはほどほどにな」
ブランケットを持ってゲーム組に捕まっている卯柳を見ながら夏純はいとおしそうに続けた。
「うさぎはきっと私が好きな人できた、って言っても快く応援してくれると思うの。施設にいた頃は私が想い続けていればそれでもいいって思ってた。けど近くで過ごしていると私がいい、私じゃなきゃだめって思われたくなってきてさ」
そう語る夏純の横顔はひどく幼く見えて唯成は安心した。
「私が好きな人だなんだって自由に幸せをいっぱい語るより、たった一つでもうさぎの幸せを聞いてる方が何よりも満たされる気がする。本気で人を好きになるってこういうことなのかな」
いかにして気持ちを自分なりに言語化して落とし込んできたか分かるほどの言葉に唯成はただただ感心した。
十五歳にしてここまで感情を言語化でき、その感情を飲み込んでいる姿はやはり他とは違う能力の高さを感じる。
ただ恋愛の経験は卯柳以外にはないのか、戸惑いも感じ取れた。
「これからゆっくり向き合っていけばいい。夏純たちはまだまだ若いんだから」
「、、、若い、か、、、」
夏純が違和感を抱いた部分は唯成も理解していた。
この世界にいると時々、人生何周目か分からないほど悟っている子供がいる。
その最たる例が卯柳である。
リーダーシップを用いて人々の先頭に立つときもあれば、思慮深く人々の背中をそっと支えるときもある。
しかし、皆を見守るようなその姿は明日にでもふっと姿を消してしまいそうな儚さがある。
それほどまでに卯柳はつかみどころがなかった。
それは一緒に生活している夏純だからこそ感じることもあるのだろう。
「私、律輝に言われたの。うさぎは夏純や姫花のためなら自分の命も天秤にかけることができる人間だって。だからもしうさぎが私のことで身を削るような時があれば俺は迷わずうさぎの味方になるし私の敵になることもあるって」
ただ夏純の敵というわけではなく、卯柳の味方という律輝の一貫した行動に唯成も安心した。
「きっと今の私はうさぎも姫花もここにいる誰も守る力はない。けどうさぎのように自分の身を挺して誰かを守るのは何か違うと思うの」
夏純はリビングにいる卯柳から目を離し唯成の瞳をすっと見つめる。
「だからお願い。いつかそんなうさぎを間違いだって言えるくらいに、大切な人を包み込むくらいに私は強くなるから、私のことを助けてね」
いつもは気が強くて抑えようがない夏純も卯柳のためなら恋する十五歳の高校一年生にもなる。
夏純には不思議と応援したくなるような魅力がある。
卯柳の何とかしてくれるとはまた別の夏純なら何かやってのけてくれる、という魅力。
だとすると唯成のすることは決まっていた。
「強い女性はモテないらしいぞ」
「うそ!?えー、じゃあどうしよ」
全てを一人で抱え込ませないこと。
何かあっても絶対に一人にさせないこと。
自分は味方であると示し続けること。
卯柳に何があったか唯成も詳しくは分からないが、この業界に彼の味方がそう多くないことは知っていた。
かくいう唯成も悪い噂が絶えず流れていた時期は夏純にも会うのなら極力人目を避けるように指示していた。
卯柳がそんなことをするはずがない、善良な人間だと分かっていても何故か事務所は声明を出さず、その不誠実な対応には今でも憤りを感じてる。
そんな軽口を交わしているとやがてゲーム組に捕まっていた卯柳がタオルケットを持って二人の前に現れた。
二人の姿を確認するとにこりと微笑んで、テントの中で気持ちよさそうに寝ている四人組にタオルケットをかける。
「ありがとう」
「いえいえ。皆さんすっかり楽しんでいただけているみたいでなによりです。お二人もゲームされますか?」
唯成は居間へ招くような動作をする卯柳を片手で制する。
「よかったら三人で話をさせてくれないかな。二人に話しておきたいことがある」
応えるかのように卯柳と夏純は椅子に腰かける。
「今まで夏純を救ってくれたこと、支えてくれていること、本当に感謝している。きっと俺や佐伯よりも夏純の力になってくれているんだろう」
卯柳は途中で止めることをせずに、続きを促すように微笑んだ。
「だからこそ、今まで君を避けていたこと君の力になれなかったことを本当に申し訳なく思っている」
そこまで言われて卯柳も口を開いた。
「西尾さんが謝る必要なんてありません。他事務所の人間ですし、僕たち事務所も肯定も否定もしていません。そんな状態なら自社のタレントを守るのも当然だと思います。むしろ私情に流されずにちゃんと仕事をされたのですから」
卯柳の言い分に唯成はふっと口角を上げた。
「ありがとう。ただこれからはそうも言ってられない。他事務所の人間とはいえうちの事務所の異性と未成年だけで一つ屋根の下で生活をする、この意味を改めて理解してほしい」
真剣な口調に夏純も改めて向き直る。
「今度こそ新堂君のことは可能な限りサポートしたいと思っている。だけど、もしもの時は君のことまで守り切れないことも把握しておいてほしい。脅すようになって申し訳ない」
「大丈夫です。それにこの生活は僕と姫花と夏純さんで決めたものです」
夏純の手前責任という言葉を使わなかったが、卯柳の言いたいことは唯成も理解していた。
「夏純はこれからも仕事を続けるなら写真やSNSには十分すぎるほど注意しなきゃいけない。幸い今はまだ夏純の写真は出回っていないが、今後確実に広まる。もちろん広まる前に止めることが一番大事だが、そんな意識や注意だけで止めれるなら誰も苦労しない」
卯柳は自分の継母がスキャンダルを報道されたので嫌というほど分かっていた。
「撮られるのは制服や部屋着に近いものは絶対にダメだ。学校や家が特定されればすぐに人が押し寄せる。最悪写真が出回った場合はすぐに俺に知らせること。状況が把握できればこちらとしても対処ができるかもしれない。最悪なのは誰も把握していない状況で情報が出回ること。今回の知らないうちに同棲してましたなんてもってのほかだからな」
夏純が気まずそうに顔をそらした。
その様子に唯成は「ふぅ」と息を吐いた。
「まあ新堂君はSNSをしていないし、夏純のSNSも会社管理の物しかないから基本的に内側から出ることは想定していないよ。だからこそ外では今以上に警戒すること」
唯成は極力穏やかな口調で続ける。
「これは全て新堂君を信頼している前提の話になる。これが今俺たちの事務所が取れる君への最大限の信用だということをどうか理解してほしい」
「分かりました。僕もその信頼を守るために尽力します」
「なーに言ってるの」
夏純のその一言に二人の注目が集まる。
「私がうさぎと姫花を守るの」
急な宣言に二人はあっけにとられた。
「今はまだ何を言ってるんだって思うかもしれない。けどそんなこと思ってる間にぐんぐん成長して私なしじゃ生きられないようにしてあげる。ね!唯成!」
「え、あ、あぁ」
本人の前でも言ってしまうのかと思っていると急に話を振られてたどたどしい返事をして卯柳の方へ視線を移す。
卯柳はほんの一瞬悲しそうな表情を見せた後、いつものにこにことした顔に切り替えた。
「楽しみにしていますね」
夏純は「もっちろん!」と笑顔で答えた。
昼頃よりも閑散とした居間にのんきに鼻歌を歌いながら夏純が入ってきた。
風呂上がりでまとめ上げた髪はどこかふわふわとしており、堂々と出したおでこは白玉のように輝いていた。
夏純は台所でBBQで使った食器を片している卯柳を横目に和室へと向かう。
「あら姫花まだ起きてたの?」
時刻は夜の十時を回っていた。
「うんー。お昼寝しすぎちゃった」
夏純は黙々と勉強をしている姫花の向かいにマットを敷いて柔軟を始める。
「四人ともぐっすりだったもんね。あかひか姉妹とは仲良くなれた?」
「もちろん!また来たいって行ってた!」
「そっかよかった。近いしまたいつでもおいでって言っとくね」
「楽しみだなあ。お兄ちゃんいいー?」
「もちろん。でもほどほどにね」
兄の小言に姫花は喜び半分、いじけ半分で口をむすっととがらせながら「はーい」と返事した。
兄妹の仲睦まじいやりとりに夏純もくすりと笑った。
「夏純さんもですからね?中間テスト、休みあけたら二週間前ですよ」
「げっ」と言ってぐったりする夏純を見て姫花も笑った。
二人と生活を始めると施設では見えてこなかった姿が見えてくる。
姫花は誰にでも明るく接しているように見えて臆病であること。
卯柳は警戒心があるように見えて来るもの拒まずなこと。
兄妹ともに最初の一歩を踏み出すことに躊躇はないが、それ以上深いところには踏み込ませない壁がある。
その証拠に西尾家の双子に最初に声をかけたのは姫花だったが、その後は春の一歩後ろで様子を観察していた。
明るくふわふわした雰囲気や喋り方の裏側には小学生としてはとうてい持ちえるはずのない警戒心が隠されている。
愛らしい双子が安全だと分かると壁が取っ払われたように仲良くなっていたが、姫花に確認を取らず強引に連れてきたのは夏純も申し訳なさを感じた。
反対に卯柳はわずかでさえも警戒心を感じさせず来るもの拒まずなスタンスだったが、常に全体が見えるような位置にいたり姫花より年下の双子相手にすら敬語で接していた。
近寄る隙があるからこそ誰も卯柳を疑うことがなく、誰もがそれ以上踏み込むことをしない。
夏純も明確ではないが、直感的に卯柳の立ち回りに違和感を抱いていた。
もちろん夏純としても他の人間よりは卯柳に近づけている自信はある。
しかし家族として新堂家の一員としてなじんでいるのに卯柳からの敬語のままなのがいびつさを際立てていた。
卯柳が姫花以外の人間に敬語で話すようになったのは継母の所に移り住んでからだということは夏純も把握していた。
姫花も卯柳もその頃の話は露骨に避けている。
あまり身の上を語りたがらない卯柳はさておき、おしゃべりである姫花さえもこの話題に対しては一切語らない。
そんな二人からこの話題を聞いてしまええば何かが一瞬にして崩れ去るような不安から夏純も切り込めずにいた。
好きな人間の過去を知りたいとは思いつつも、踏み込めない。
もしこのことで二人に悲しい思いをさせたら、知られたくないと思っていることを知って嫌われたら、手に入れた大切な生活が崩壊したら。
夏純としても自分の傍若無人ぶりは把握していたが、二人のことになるとここまで臆病になるとは思っていなかった。
恋をするとは、家族を持つとは、誰かを大切に思うとはこういうことなのだろうか。
むず痒さや不安のようなネガティブな感情を持つこともあるがそれ以上に安心感や多幸感に満たされる。
今日も新しい様々な感情を抱きながら三人は家族として生活を続けるのであった。




