オリエンテーションと告白
入学式から二週間も経過すると本格的に部活動も始まり、いくつかのグループが完全にできあがっていた。
例にもれず、卯柳たちもそれぞれ活動をはじめていた。
大和は初日からギターを背負ってきた期待の新入部員として軽音部で絶賛活躍中だ。
卯柳と千恵と凛の三人は放課後に家庭科室で料理やお菓子を作っているところを先生に目撃され、それならということで人がおらず活動停止していた家庭科部もとい家庭科同好会として活動を始めた。
周は料理などはできないため家庭科部には所属せずに、家に帰ってゲームやら店の手伝いにいそしんでいる。
そして、彼らの中でも初日から全学年男子の注目の的の夏純と全学年女子の注目の的の律輝は、仮部長の凛と仮副部長の卯柳に家庭科同好会での活動禁止令を出されているため、ただの味見係に落ち着いていた。
しかし、放課後になると定期的に家庭科室に集まっているのでそのうち活動がばれて大変なことになるだろうなと卯柳は頭を抱えていた。
普段の学校での生活は、夏純は無断での写真撮影禁止、異性の連絡先交換禁止は事務所の影をちらつかせて徹底しており、卯柳たちといる時に話しかけてくる無礼者にはゴミを見るような冷めた視線を振りかざしてその一切を追い払っている。
対する律輝は連絡先は快く交換するものの、返信は一人につき一日一回しか返さず、運が悪いと数日は放置する対応をしており、放課後もしくは休日の誘いは男子のみ承諾している徹底ぶりを見せている。
二人とも徹底的な塩対応により最初ほどの勢いはなくなっているものの、卯柳たち以外は誰に対しても平等に接しているため反感の声などは一切なく、人気の陰りはとどまることを知らなかった。
律輝の連絡に関しては、見た目に相反して基本的にスタンプでしか返事をしないめんどくさがりな分、卯柳は律儀だなと感心していた。
ただやはり二人の存在は大きく気を惹くようで、周と大和はふらりふらりとマイペースにつかみどころがなく躱してしているのだが、卯柳と千恵はいちいち丁寧に対応していた。
ちなみにだが、凛は一切無関心といった様子で、律輝や夏純の名前を出した時のただならぬ雰囲気に皆も切り出せずにいた。
オリエンテーション泊まで残り三日の中、クラス内では誰が初めに律輝に告白するかの緊張状態にあった。
そんな中、卯柳はオリエンテーションで作成する料理を決めるために家庭科室に来ていた。
「私、天羽君に告白しようと思うの」
同じ班になった栗原早紀の急な相談を聞いて卯柳と千恵は目を丸めた。
凛と律輝はクラス委員会で出払っており、遅れて参加する予定だ。
その律輝が不在のなかで行われた相談はオリエンテーションの料理などではなく、恋愛の相談だった。
照れた様子で亜麻色のふわふわとした髪を揺らす早紀は、クラスでも元気で明るく可愛らしいで通っており、比較的に男子人気も高い。
同席している早紀の友達で、卯柳と同じ図書委員の福島瑞希は聞き慣れていたようで、隣で本を読み進めている。
肩まで伸びた黒髪に、少し度の強めな眼鏡越しにもわかる大きなくりっとした瞳は未だ磨かれていない原石のような輝きを感じる。
凛の上品な落ち着きとはまた別のお姉さんのような雰囲気は早紀とは対照的だ。
「神崎さん、新堂君、聞いてた?」
「聞いてはいました」
「え、あ、うん?」
あまり理解していない様子を見せた千恵のために早紀はもう一度同じことを言う。
「オリエンテーション泊で天羽君に告白しようと思うの。だから協力して!」
いつも相談をする側で受けるとは思っていなかった千恵は相談される側に回ったことに驚いていた。
それとは逆にいつも相談を受ける側の卯柳はいたって冷静に話を聞いている。
「具体的には何をすればいいのでしょうか?」
「このオリエンテーションって初日のお昼ご飯の料理を頑張ると晩御飯にいいことがあるって書いてたでしょ?だから、そこで結果を出して初日の夜に二人きりにしてほしいの」
あまりの横暴なお願いに瑞希は本を読んでいた手を止めて、ちらりと卯柳と千恵の顔を覗く。
「さすがに欲張りすぎ」
暴走気味の早紀に落ち着いた口調で止めるように言うと「ごめんごめん」と少し焦った様子を見せる。
「栗原さんは料理できるの?」
「全然!!!」
すがすがしい返事に千恵は少し押され気味に「なるほど」と答える。
その横で卯柳は淡々と考えを巡らせていた。
「料理はいいのですが、自然に二人きりにするのは難しいかもしれません」
「ほうほう。その心は?」
さらっと言った「料理はいい」という卯柳に誰も気に留めることなく話が進んでいくことに瑞希は違和感を覚える。
「僕も千恵さんも律輝君と付き合いが長いので、多分ですけど気づかれます。なので最終的には栗原さんが強引にしないとだめですね」
「おおお、なんか作戦っぽい。採用!」
なんだかあまりにもサクサク進んでいく作戦会議につい口をはさんでしまう。
「え、二人は大丈夫なの?」
「律輝君は誰かに協力したからって怒る人じゃないよ。それにほんとに嫌な時はちゃんとやめてくれって言う人だし」
「そうですね。誰かから好かれるというのはとても素敵なことですから、友達としては誇らしいです。僕らは素直に応援しますよ」
あれだけのイケメンが隣にいると感覚が麻痺でもするのだろうかと瑞希は何となく納得した。
「そうとなればみんな頑張りましょう!」
謎の団結力が生まれた瞬間だった。
それから律輝告白同盟の一同はクラス委員長二人を迎えて無事にメニュー決めを終えて帰宅した。
千恵は念のため早紀に確認を取った後、凜にも同様の内容を伝えたが、特に興味はないようで「うさぎ君がいいなら」ということで協力をすることになった。
告白同盟という謎のグループ会話が作成され、律輝以外のメンバーが半強制的に参加させられていた。
卯柳は今日あった出来事を思い出しながら、黙々と晩御飯を作っている。
姫花は東家お泊りの為に春と一緒に買い出しに出かけており、家には二人しかいなかった。
夏純はぼーっと卯柳を眺めていた。
暇そうな夏純に気づいた卯柳は口を開く。
「夏純さんはオリエンテーションで何の料理を作ることになりました?」
「ふっふっふ。聞いて驚かないでよ」
自信満々な謎の溜めに卯柳は笑ってしまう。
「なんと、カレーよ!」
「、、、え?」
予想外の回答に卯柳は戸惑う。
「え、どうしたの?キャンプ場といえばカレーじゃない?」
「確かに、キャンプ場と言えばカレーですね」
違和感の感じる言い回しに夏純は眉をひそめる。
その姿を見かねた卯柳はヒントを出す。
「二日目のお昼何食べるか聞いてます?」
「、、、あ!」
夏純は慌てて同じグループの周と大和に連絡した。
「二人とも、二日目のお昼何食べるか覚えてる?私達、カレー大好きっ子よ」
あまりの迫真の演技とワードに卯柳は声を出して笑った。
「だから先生あんなにカレーでいいか確認してたのね」
念を押されてもなお貫き通した三人のその自信はいったいどこから来ているのか不思議でしかたがない。
「ちょっとうさぎ、笑いすぎよ。私、カレー大好きだから大丈夫だもの」
「じゃあ今日もカレーにしときますか?」
「それはやめて、、、」
子供らしいやり取りに電話の奥の周と大和も笑い声をあげる。
騒がしい夕方の一幕。
オリエンテーション泊当日。
卯柳はまだ寝ぼけている夏純に朝ごはんを食べておくように伝えて夏純と共に東宅へ向かう。
「忘れ物ない?」
「うん、大丈夫!なはず!」
うきうきな笑顔を見せる姫花に卯柳も満足気だ。
「姫花なら大丈夫だと思うけど、周さんのお父さんとお母さんの言うことは聞くんだよ」
「はーい」
東宅の前には春が待ちきれない様子で立っていた。
「姫ちゃん、うさぎさん、おはよう!」
早朝の街中に春の元気な挨拶が響き渡る。
「春ちゃん。おはよう!」
「春さん。おはようございます」
春の挨拶に美佳も表に顔を出す。
「二人ともおはよう」
「おはようございます!」
「おはようございます。朝早くからすみません」
相も変わらず、変な仮面をつけている姿を見て少し不安になる。
「いいのよ。今日からよろしくね姫ちゃん」
「よろしくお願いします!」
少し緊張している姫花の背中にそっと手を添える。
「はじめてのお泊りなんで色々と粗相もあるかもしれませんが、お願いします」
「大丈夫大丈夫、家燃えなきゃなんでも大丈夫よ」
美佳のとんでも発言に姫花は激しく顔を横に振る。
「姫花、楽しんでね。行ってらっしゃい」
「うん!行ってきます!お兄ちゃんも行ってらっしゃい」
「行ってきます」
オリエンテーション泊を控えた一年生たちは登校した者から順に第二講堂に集まっていた。
卯柳たちが第二講堂に姿を見せると少し講堂内がざわつく。
「瑞希瑞希、天羽君来た」
「そ、よかったね」
律輝に興味のない瑞希は空返事をしながら第二講堂の入り口を一瞥する。
グループの中央に立っている律輝と夏純にいやでも視線が向く。
「やっぱり二人付き合ってるのかな」
「そうだとしたら美男美女でお似合いだなあ」
「えー、つまんないでしょそれは」
噂話が第二講堂にひそひそと飛び交う。
卯柳たちは気にも留めず、前の席を陣取る。
「大和さん。夏純さんの荷物お願いしますね」
夏純の荷物を大和に手渡す。
「夏純さん、しっかりしてください。今日から僕いないんですからね」
「、、、やだ」
そう言って少し寝ぼけたまま卯柳の腕に頭突きをする。
卯柳は慌てて夏純から離れて、椅子に座らせる。
「ここ学校ですよ。いい加減起きてください」
夏純はすねた様子をみせた。
「帰るまで我慢してください」
夏純の耳元でこっそりとつぶやくと、満足した夏純はうつむいて目を閉じた。
再び眠りにつこうとする夏純をゆすって起こそうとする。
一同はそんな二人のやりとりをニコニコと眺めていた。
やがて第二講堂に先生陣が入ってきた。
「皆さん、おはようございます」
前に並ぶと一人の先生から今回のオリエンテーション泊について説明が始めた。
オリエンテーション泊はバスでキャンプ場まで移動することから始まる。
初日のお昼は事前に決めたメニューを元に班ごとに食材を確保して料理を行う。
その料理の結果によって晩御飯に出てくるBBQの食材レベルが変わるため、各々まじめに取り組むようにと注意された。
午後からは農業体験を行い、そこで得た食材は二日目のカレーに使われる。
二日目はクラス間で親睦会という名の自由時間のあと、バスで学校まで送迎があり、そこでオリエンテーション泊は終わりを迎える。
卯柳と律輝はバスの中で先生の説明を思い返していた。
「二日目のお昼はカレー」という先生の言葉を聞いた瞬間の大和と周のこわばった顔。
卯柳はなぜそうなったのかの経緯を律輝に説明すると、律輝は声をあげて笑った。
「二日連続カレーってもう流石としか言いようがないな」
「僕もさすがに耳を疑いました」
「そんなに好きなら今度カレーでもご馳走してやるか」
いつもと変わらない意地悪な発言に卯柳もふふっと笑った。
早紀はその二人のやり取りを斜め後ろの席から見ていた。
「新堂君ってモサ男の癖に天羽君の横にいてもなんか様になるよね」
相談を聞いてもらているのにも関わらず、あまりに横暴な言い方に瑞希は苦笑いした。
「二人とも身長が高いからじゃない?」
「確かに、それにモサっとしてるから変に目立ってる」
「同じ委員会の人としてはどうなの」
「普通の優しい人って感じ。あと全員に敬語なのは謎」
「天羽君にもため口使ってるとこ見たことないかも」
「その天羽君とはどうなの」
「オリエンテーション泊のおかげでめっちゃ話せてる!」
「よかったじゃん。頑張って」
意気込む早紀たちを乗せたバスはキャンプ場に到着した。
卯柳はバスを降りると山を見上げて大きく深呼吸をした。
「ここ、冬場はスキーとかもできるみたい」
「いつか皆で来たいですね」
「いいね。姫ちゃんと春ちゃんも連れてこよ」
「太一、確かスキーとスノーボードできたはずだから教えてもらいましょ」
「へえ、太一さんってなんでもできるよね」
「脳筋なだけよ」
脳筋というおおよそ凛には似合わない単語に三人は笑ってしまう。
仲良さそうに宿へ向かう四人に早紀と瑞希は話しかけられないでいた。
そんな早紀を見かねた瑞希が話しかけようとしたとき、卯柳が二人の方に顔を向ける。
「お二人はウィンタースポーツとかしたことありますか?」
いじけていた早紀の顔が一気に笑顔になる。
「アイススケートならしたことあるよ!天羽君は?何かある?」
卯柳はあからさまに好意を向ける瑞希に律輝の隣を譲る。
「福島さんは何かありますか?」
「えっ、、、?」
自分に話しかけられると思っていなかった瑞希は慌てて顔を上げる。
「ウィンタースポーツ、したことありますか?」
「あ、、、私はない、かな。スポーツは苦手」
「そうなんですね。料理とかは普段します?」
「お手伝い程度なら、、、」
「じゃあ今日は頑張ってくださいね」
「え、私が?」
任されると思っていなかった瑞希は戸惑う。
「千恵さんもですよ」
前で余裕な様子を見せていた千恵は自分も指名されると思っていなかったのか驚いた様子を見せる。
「ええっ、私も?」
「そうですよ。皆さんに楽しんでいただきたいので」
そんなことでいい成績が残せるのだろうかと瑞希は少し不安になった。
「大丈夫ですよ」
不安を察した凛はそっと瑞希につぶやく。
「福島さん、優しいんですね」
想定外の発言に瑞希は驚いた。
すると凛は少し首をかしげる。
「勝つのは栗原さんが告白しやすくするためですよね?福島さんが気に掛ける必要はないと思うのですが、、、」
瑞希は言われて気が付いた。
オリエンテーション泊は瑞希が告白するためのイベントと自分の中で思いこんでいた。
「誰かの幸せのために誰かの不自由を許容するなんて間違っていると思いますよ」
「、、、そうだね」
「純粋に楽しみましょう」
少し説教っぽくなってしまったのを反省した凜は気まずそうに笑った。
「ありがとう」
瑞希も笑って返す。
部屋に荷物を置いた一同は麓の調理場に来ていた。
クラスが集まっていることを確認すると、永太はいつもの気怠そうな声を上げる。
「はい注目。今から説明するからちゃんと聞いとけよ。質問はなしだかんな」
それから昼の調理勝負の説明を続ける。
山頂と山頂までの五つの道のりに合計六のチェックポイントが設定されている。
それぞれのチェックポイントでは簡単なミニゲームがあり、クリアすると食材を確保できる仕様になっている。
チェックポイントにある食材は知らされておらず、実際に見ることでしか確認できない。
食材には五点満点で点数が設定されており、手持ちの食材が合計五点になると一度調理場に戻って食材を置いて点数をリセットしなければいけない。
「ってことで開始」
急な開始の合図に、誰も反応できず、呆気に取られていた。
そんな中、卯柳は律輝の肩を叩く。
「律輝君、これは他グループと協力しましょう」
律輝は気を取り直す。
「だな」
卯柳の言わんとしていることを察して律輝は皆の前に立った。
「それぞれのグループのリーダーにお願いしたいんだけど、全グループ違う道に行って、食材メモして山頂で情報共有しない?」
「どういうことー?」
「教えて天羽せんせー」
説明を求められた律輝はちらりと永太の方を見ると、ご自由にと言わんばかりに手をひらひらさせていた。
「簡単な説明になるんだけど、まず食材にポイントが設定されているのは生ものや重たいものをいっぱい持って山道を歩き回るのを防止するためだと思うんだ。だからそういったのに該当する食材は低めの位置でとれるだろうしポイントも高く設定されていると思う」
一息止めたところで納得の声や黄色い歓声があがる。
「次に、協力しようって話だけど、どのチェックポイントに何の食材があるか分からない状態で行ったら、山頂まで最低でも三回は行かないとダメになる。そうなると調理する時間がなくなるし、体力的にも厳しいから皆で情報を共有して歩く距離を減らそうって話。賛同してくれるならぜひ協力しよう」
「なるほど」
「さすが天羽せんせー」
「じゃあさ、写真送るから天羽君の連絡先教えてー!」
その一言を皮切りにまだ連絡先を交換していない女性が律輝に群がる。
瑞希はその様子を興味なさげに眺めていた。
「福島さんは行かないんですか?」
背後から急に話しかけられた瑞希は驚いた様子を見せないように振り返る。
「私は興味ないから」
あまりにそっけない返事になってしまい慌てて続ける。
「あ、その、欲しいって思ったものは自分で頑張って手に入れたいから、誰かのついでみたいなのは嫌ってことで、、、」
フォローになっているのかもよく分からない説明に、慌てて卯柳の顔を見上げると優しい笑みが返ってきて瑞希は少しだけ安心した。
「かっこいいと思いますよ」
その優しい声と笑顔に、自分だけ焦っていたことが恥ずかしくなりつい顔をそらしてしまった。
数分後、律輝は黄色い声援を浴びながらも卯柳の元に戻る。
「ありがとうございます」
「美味い昼ご飯で手を打とう」
「乗りました」
律輝が突き出した拳に卯柳も軽く拳を合わせる。
卯柳たちは山頂への道を歩き始めた。
「天羽君、さっきはかっこよかったよ!」
ちゃっかりと律輝の横のポジションを確保した早紀はハイテンションで話しかける。
早紀の横にいる千恵もどこか満足そうだ。
「そう?ありがとう」
誰彼構わずふりまくさわやかな笑顔に後ろを歩いていた凛は顔をしかめた。
そんな様子を見かねてか卯柳が口を開く。
「今日は凜さんにはタコをさばいてもらいますね」
「タコですか、、、頑張ります」
凜にとって卯柳は料理を教えてくれる先生である。
基本的にはお菓子の作り方を習っていたのだが、料理の手伝いをしているうちにそれ以外も学んでいった。
「福島さんもタコさばいてみますか?」
「ぬるぬるしてるの苦手だからダメかも、、、」
本当に嫌そうな顔を見せる瑞希に二人はくすっと笑った。
「虫は大丈夫なんですか?」
「虫もダメ」
「福島さん、立ち止まって目を閉じてもらってもいいですか?」
卯柳の急な依頼に意味が分からず聞き返す。
「え、なに?」
凜と卯柳の気まずそうな顔を見て自分の近くに虫がいるのだと気づく。
焦って掃いのけようとした瑞希の背中を卯柳はそっと支えて、そのまま肩にいた虫を掃った。
「山道で急に動き出すのは危ないですよ」
思っていたよりも卯柳の手に体重をかけていたことに驚いてすぐに離れる。
「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
先に謝罪をする卯柳に瑞希も慌てて声をかぶせる。
「私の方こそごめんなさい」
「僕は大丈夫ですよ」
スマートな動きの割に少し引きつったような卯柳の笑顔に瑞希はさらに慌てる。
「ほんとに?怪我してない?」
全容を見ていた凛は補足するように話を始める。
「うさぎ君も虫苦手ななんですよ」
「え、あ、そうだったんだ、ごめん」
引きつった顔をしていた原因が分かり安心する。
「大丈夫かー?」
先に進んでいた三人は不安そうに降りてきた。
「まさか虫いた?」
「いました。もう掃ったので大丈夫ですよ」
「顔引きつってるよ。うさぎ昔から虫苦手だもんね」
「そうそう、昔ゴキブリと対峙した時もずっとにらみ合ってたもんな」
「やめてくださいよ」
恥ずかしい昔話を披露する二人を恥ずかしそうに制止する。
仲良いやりとりを見ていた早紀はふと思ったことを口にする。
「そういえば、みんなうさぎって呼んでるのはなんでなの?」
「新堂卯柳の卯がうさぎの卯でみんな呼びやすいからそう呼んでるの」
「へえ、可愛いね。私たちもそう呼んでいい?」
「いいですよ」
「よろしくね、うさぎ君」
「よろしくお願いしますね、栗原さん」
「うちらのことも名前でいいよ!」
「私はちょっと」
勢いよく自分もまきこまれた瑞希はすぐさま冷めた口ぶりで否定する。
「そこは皆名前で呼びましょうって雰囲気じゃなかった!?ね、律輝君、千恵ちゃん、凛ちゃん」
瑞希はどこか他人行儀な卯柳と瑞希の言葉に元気よく突っ込みを入れた。
律輝のことをしれっと名前呼びした瑞希に千恵は「ほう」と感心する。
「え、俺も?」
名前で呼ばれた律輝は言いながら大げさにおどけてみせた。
「っておーい!?私だけ!?私だけだった!?」
「冗談冗談、よろしくね早紀さん」
「さんもとってくれてもいいんだよ?」
ボケたふりをして律輝に肩をぶつける。
さりげなくも激しいアピールに千恵は終始感心していた。
「足止めてすみません。先急ぎましょっか」
「え、今名前呼んだ?」
「違います。福島さん」
むっとしたような雰囲気を出した卯柳に「ごめんごめん」と軽い謝罪をして山道を先に歩き始めた。
瑞希はそのやり取りをぼーっと見ていた。
「瑞希さん?」
「え、あ、はい」
急に名前を呼ばれて驚く。
「早紀さんたち行っちゃいましたよ。それとも名前で呼ばれるのは嫌でしたか?」
「ううん大丈夫、、、うさぎ君、凛さん。ごめんね」
人のことを名前で呼ぶことの少ない瑞希は抵抗はあったものの、早紀の提案を受け入れた。
「休憩箇所があるみたいなのでそこまで頑張りましょう、早紀さん」
「ありがとう」
瑞希は疲れてはいなかったが、気を使ってくれた凛に否定することなく素直に礼を言う。
(この班、コミュ力高い、、、)
同類と思っていた卯柳の優しそうな微笑みを見て瑞希は再び足を進めた。
一同は山頂のチェックポイントでレクリエーションを楽しんでいた。
「一番星に近いところ、ということで皆さんの星座についてとそれに関連する誕生日についてです」
そう言って始まったレクリエーションは数字を使わずにコミュニケーションをとり、誕生日順に並ぶということだった。
「律輝君って誕生日いつなの?」
「俺はもうすぐ。だがら真ん中ちょい前くらいかな?」
「へえ、そうなんだ!私は夏休みのはじめくらいなんだよ!うさぎ君は?」
急なふりに準備をしていなかった卯柳は「えーっと」と言いながらスマホで自分の芸名を検索しようとする。
その様子を見た律輝は慌てて止めに入る。
「うさぎは俺のすぐ後ろな」
「そうでした」
「え、なになに、スマホに自分の誕生日メモしてるの?」
「そうなんですよ。忘れっぽくて」
「思ったけど、うさぎ君って結構変な人?」
「そうなんですかね?」
「なぜ疑問形!?」
にっこりと笑うと冗談と受け取ったのか、それ以上踏み込むことはしなかった。
それから一同はわいわいとレクリエーションを進め、無事に食材を確保していった。
自分から提案するだけあって、早紀はぐいぐいと律輝にアピールをしており、食材が揃っていく毎に心なしか距離も縮まっているように見えた。
千恵はそのやり取りを終始関心しながら眺めていた。
瑞希はなぜか敬語の二人と不器用ながら会話を続けていた。
卯柳が発端ではあるものの意外と会話が尽きることはなく、凛が意外とお茶目であることも知った。
調理にとりかかると、メニューを決めた卯柳が作業手順通りに周りを動かし皆もそれに従う。
律輝と早紀のペアは普段から料理をしないので、簡単な作業が振り分けられた。
千恵と凛は普段から料理を教わっているだけあって、信頼も厚いのか少し大変な作業を任されている。
「瑞希さん、包丁の扱いかた上手ですね。全然って聞いていたから驚きました」
「両親がいない時は代わりに作ったりするから。ほんと、たまにだけど」
「弟さんいらっしゃるんでしたよね、何年生なんですか?」
先ほどの会話で少し言っただけの弟の存在を覚えていた卯柳に驚きを覚える。
「小学六年生だよ」
「うちの妹と一緒です。食べ盛りですけど好き嫌いも多くて大変ですよね」
まるで本当の保護者のような物言いにふふっと笑う。
「私はそこまでは考えてなかったな。メニューを考えるとかそこまではできないから凄いと思う」
「慣れるまでは大変ですね。でも楽しいですよ?気になったらいつでも教えますね」
「ありがとう」
それからも調理は順調に進んだ。
卯柳は面倒な下処理や片付けなど、皆が作業をしやすい環境を作るのに徹底していた。
時刻は十二時三十分を回る頃で、ぎりぎりまで作業をしていた。
そのおかげもあってか、テーブルには色鮮やかなゴーヤチャンプルとタコのカルパッチョが並べられていた。
テーブルに並べた途端に達成感と空腹が一同を襲う。
評価用の写真を撮ると、シャッター音と共に早紀のお腹が鳴った。
「あ、ちょっと、律輝君笑ったでしょ。皆も恥ずかしいから今のは忘れてよ!」
そういって皆で笑いながら食事の準備を始める。
「「「いただきます」」」
栗原早紀は「らしく」生きる女の子である。
小さい頃から明るく元気な性格だった。
フレンドリーという言葉が似合うくらい人との壁がなく、良くも悪くも距離が近い。
そんな彼女が恋心や異性を意識し始めたのは小学校低学年のときだった。
友達のように接してきた幼馴染の男子が急に告白してきたのだ。
当時は誰かと付き合うことであったり、異性として好きになることの意味が分からなかった。
異性も同性も同じくらいに仲良く接していたし、それ以上の関係があるとは思えない。
もちろん告白や付き合うといった行為自体は認識していたが、それをしたところで今以上に楽しくなるのが想像できなかった。
だからこそ興味本位で付き合ってみることにした。
実際に付き合いを始めてみると思いのほか楽しく、秘密や特別といった甘い言葉に淡い思い出ばかりを積み重ねていった。
しかし早紀にとってこの関係は友達の延長線上でしかなかった。
その感情のズレが関係のズレに発展していき二人は自然と疎遠になる。
寂しさはあったものの中学に上がると自然と縁の切れる関係も増えていき彼女の中で違和感はなくなっていた。
そんな初恋と呼べるかもわからない生傷がかさぶたになった中学一年生の冬。
彼女は再び告白される。
相手は部活動で接点があった一年上の男子バスケットボール部員だった。
少しやんちゃな風貌は当時の彼女にはとても大人に見えて、好意よりも憧れのほうが強かった。
彼は大人の真似をして大人になったような気になるタイプの人間で、彼女に様々な要求をした。
徐々にその要求についていけなくなった彼女はあっさりと捨てられるように振られた。
「早紀って子供っぽいよね」
今でもたまに思い出す。
感情が環境の変化についていけずに、自分が何をしたいかも何を求めているかも分からなかった。
ただ誰かといることで環境に適応できている気がしていただけで、中身は小学生のころから何も変わらない。
その可愛らしい容姿は否が応にも周囲から大人になることを求められる。
ギャップに悩まされた結果、学校に自分の居場所がなくなっていく感覚が強くなる。
辛いや悲しいよりも、憧れに近づけなかった自分に強く失望した。
何かを変えないといけないのに、何を変えたらいいかが分からない。
やがて校内によくない噂が流れ始める。
「栗原早紀は頼めばなんでもしてくれる」
ちゃんと考えれば先輩が流した噂なんてことは分かるはずだった。
しかし中学生にとってはとても刺激的な話題だからか、その噂はすぐに広まった。
何人か早紀の友だちも声をあげたが、そんな少数の声は大多数の好奇心に消されていく。
いつの間にか彼女は引きこもるようになっていた。
元気で明るい栗原早紀、大人になったつもりの栗原早紀、なんでも言うことを聞いてくれる栗原早紀。
周りから求められる自分が何か分からなくなって逃げ出したのだ。
そんな中でも彼女と関わりを続けたのは幼馴染の福島瑞希だった。
瑞希は中学受験に合格し、早紀とは別々の学校に通うことになったのだが家が近所なのもあってか親交が途切れることはなかった。
不登校になったことを話しても変わらず接してくれる環境に安心していた。
「早紀は明るく笑ってる時が一番かわいいよ」
それは瑞希なりの自分とは何かに対する一つの解答だったのかもしれない。
何の恥じらいもなく、まっすぐそう言ってくれた彼女に早紀は強く応えたいと思った。
そして瑞希を迎えに行ったある日、彼と出会った。
校門の前で待っていると容姿のせいもあってか、制服を着た数名の男子生徒に囲まれていた。
「誰か待ってるの?」
「聞いてきてあげようか?」
あまりにも急な出来事に早紀はその場で固まってしまう。
そして彼が校門に近づくと、取り囲んでいた男の一人が大きな声をあげた。
「おーい天羽。お客さんじゃね?」
大きな声をあげた男の視線を追いかけると、まるで本物の王子様のような容姿をした青年がこちらをいぶかしむように見ていた。
「知らない。誰?」
「、、、誰?」
大きな声をあげた男は改めて向き直ると、また早紀は気まずそうにうつむいた。
すると王子様は分かりやすくため息をついた。
「とりあえず道ふさぐな。警察に通報するぞ。はい解散」
「せめて先生にしてくんね?」
「いいから行け」と言いながら彼らを追い払うと、困惑した顔を早紀に向ける。
「何か言わないと何も伝わらないぞ。不審者なら通報するけど」
あまりにも容赦のない対応に思わず顔をあげて何かを言おうとしたときに校内から瑞希が顔を出す。
「おまたせ」
「なんだ待ち合わせか。それじゃ失礼しました」
「あの、、、!」
突然の大きな声に王子様が振り向く。
「ありがとう!」
感謝される意味が分からなかった王子様は困ったようにひらひらと手を振って去っていった。
「瑞希、顔赤いけど天羽君と何かあった?」
「ううん、何もなかったよ」
彼にとっては何もない日々の一つだった。
けれどこの出来事は早紀の心を大きく動かした。
周囲から期待されるほどの容姿を持っていてもぶれない彼の強さにひかれた。
その後王子様とは対面で話すことはなかったが、瑞希を迎えに行く際に目で追ったり、瑞希からの話しで律輝の影を追いかけた。
彼の正面に立てる人間になりたい。
そう思った時にはもうすでに学校に通い始めていた。
恐怖や不安が多少なりともあったことには違いないが、それ以上に彼の正面に立ちたいという思いが強かった。
登校を始めてからはただひたすらに何事もなかったかのように過ごす。
すると周りも徐々に彼女を受け入れるようになっていった。
「自分らしさくらい自分で作る」
強さを作るための自分なりの指標。
誰かに依存するでもなく、誰かに評価されるでもない、自分が自分であり続けるためのもの。
明るく元気な栗原早紀。
それからは早かった。
ただ彼のことだけを考えておしゃれをしたり勉強に励んだり。
早紀の協力もあってか、同じ高校に受かったときはとても嬉しかった。
ドライな瑞希も泣いて抱き合ったのはいい思い出の一つだ。
初登校の日、壇上に上がる彼を見て高校生になっても変わらない雰囲気に焦がれた。
たまらず、終わってすぐに連絡先を交換してほしいとお願いしたほどに。
けれども彼を追っていると、凛や千恵、やがては夏純の存在が目についた。
周りの目を嫌でも集める律輝と夏純たちのグループは一年内だけでなく学校内でも独特の雰囲気を放っていた。
常に一緒にいるわけではないが、わずかな会話でも通じ合っている家族のような信頼と安心が周りからでも見て取れる。
誰もがそんな人間たちに近づきたいと思っていたが、誰もその関係に踏み込めないでいた。
だからこそ瑞希伝いではあったが、オリエンテーション泊で同じ班になれた時はチャンスだと思った。
この機会を逃せば、きっともう話すことも近づくこともできずにずっと蚊帳の外で彼らを眺めているだけになる。
周りをできるだけ巻き込んで彼に近づいて「自分らしさ」を見せる。
クラスの集まりに一度も参加したことがない卯柳が乗り気になったのは意外だった。
話す機会など滅多になく常に顔も隠れているため、彼女の中ではノリが悪くあまり関わることのない人間という評価だったからだ。
しかし話してみれば意外と気さくで、律輝と近づくチャンスを何度もアシストしてくれた。
「ナイス」と心の中でウインクをしながら会話に花を咲かせる。
律輝と話すならこんな話題がいいだったり、律輝のこんなことが知りたいだったり、話すたびにとめどなく想いがあふれ出てくる。
歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるところ。
レクリエーションで成功した時に見せる笑顔。
一緒に料理をして一緒に美味しいって笑い合ってくれる姿。
自分らしくいるためにこの気持ちを今日伝える。
「律輝君、晩御飯の後時間作って。伝いたいことがあるの」
班の人間が午後からの農業体験の準備のために二人きりにしてくれた。
このチャンスは最初で最後だ、そう思ったらもう止まらなかった。
心臓の音がうるさい。
返事が返ってくるまでの間がやけに長く感じて怖い。
今、人生で一番赤面している気がする。
そして今、人生で一番、栗原早紀をしている。
「わかった。八時にバス乗り場でいいかな」
「、、、うん」
農業体験はまったくもって頭に入らなかった。
いつもの元気よりもさらに元気、というよりはてんぱった様子を見せて、空回りしているななんて反省をする。
照れなのか興奮なのか待ち遠しいのか怖いのか、この感情に名前をつけるのだとしたらきっと恋と呼ぶのだろう。
しかしその一言で片付けるにはあまりにもたくさんの感覚にあふれている。
料理でクラス一位になった感動よりも、いいお肉を食べた美味しさよりも、友達と話す楽しさよりも、今だけはこの気持ちに満たされていたかった。
けれど告白の時間はやってくる。
「後片付けは僕がやっておきますので、皆さん先に帰っちゃってください」
卯柳なりの気遣いに感謝して、一度部屋に戻って可能な限りのおめかしをする。
八時に間に合うように宿を出ると、外はもう薄い暗闇に覆われていた。
少し涼しさを感じる山の空気は火照った頬にちょうどいい。
落ち着け、落ち着けと言い聞かせてバス乗り場までの外灯を追いかけていると、その先に律輝がいた。
月に照らされたその姿はとても美しくて、まるで童話の中に入り込んだような気持ちになる。
走ったわけでもないのに彼の前まで行くと息が荒くなってしまう。
今、栗原早紀は天羽律輝の前に立っている。
「、、、律輝君」
彼は何も言わずにただそこに立っている。
せかすわけでも、待ち望むわけでもなく早紀の言葉をただ聞いている。
「好きです。お付き合いしたいです」
彼女の言葉をしっかりと聞き終えた律輝はゆっくりと口を開く。
「ありがとう。でもごめん。早紀さんの気持ちには応えれない」
午後八時、晩御飯の片付けを終えた卯柳たちは、いつもの面々でトランプの大富豪をしていた。
山の夜は風がないものの少し肌寒く、外で談笑している人間は卯柳たち以外いない。
そんな雰囲気もあってか夏純は一切の遠慮なく卯柳から借りた上着を羽織り、隣に寄り添うように座っている。
「律輝がいないけど、どうしたの?」
夏純の純粋な疑問に千恵はカードを出す手を止めて、気まずそうに「あー」と声をあげた。
秘密の相談と題した作戦会議を行った手前、あまりプライベートなことをぺらぺらと話すのもよくないと思い卯柳も苦笑いを見せる。
「ま、いつものことだろ」
「律がイベントの毎に告白されるのってほんとだったんだ」
大和は呆気からんと言い放ち、周もそれに同意する。
「青春ね」
卯柳の上着を着てぬくぬくと温まる夏純はまるで他人事のようだ。
一同がしばらくトランプをしていると宿とは別の方向から二つの影が、唯一の明かりに誘われるように近づいてくる。
「あーっと、律輝の様子でも見てこようかな」
大和は居心地が悪そうに立ち上がると、周と千恵もそれに続く。
卯柳たちの存在を確認した瑞希は決まずそうに目をそらす。
しかし早紀は歩みを止める様子がなく、そのまま卯柳たちの前まで来た。
「どうでした?」
卯柳の驚くほどやさしい声色を聞いて察したのか、夏純は自分が羽織っていた上着を早紀にかけて椅子へと案内する。
一向に言葉を発する様子がない早紀に焦りを感じる瑞希だったが、凜がそっと後ろに手を添えて早紀の隣へと案内した。
学年トップの才色兼備である凛と、学年トップどころか日本トップの美貌を持つ夏純、両手に花でも動じない卯柳の異色の三人に囲まれて瑞希は委縮していた。
「飲み物買ってきましょうか。早紀さんと瑞希さんは甘いので大丈夫ですか?」
少しだけ落ち着きを取り戻した早紀は軽くうなずく。
「えっと、私は、、、」
自分の分まで聞かれると思っていなかった瑞希は言葉に詰まる。
「大丈夫ですよ。僕、大富豪なんで」
卯柳はテーブルに並べられたトランプを見ながら立ち上がって、自分の着ていた学校指定のジャージを夏純にかける。
「じゃあそれで、、、お願い」
明るい洒落とさりげない優しい行動に戸惑いを感じながらも、有無を言わせぬ厚意に何故か照れてしまった。
早紀にかけられた上着をまじまじと見つめると、どこか見覚えのある気がしてくる。
「、、、やっぱり、律輝君と百目鬼さんって付き合っているんですか」
芸能人との第一声は果たしてそれでいいのだろうか、なんてどうでもいいことを瑞希は考える。
「私?私は律輝とは付き合ってないわ。今後付き合う予定もない」
振られたばかりの人間に対して夏純のハッキリな物言いに他人ながら焦る。
誰とも付き合っている様子はない、つまり問題は自分にあるという事だ。
夏純の咎めるでもなく、いさめるでもない、むしろ受け止めるような大きな瞳に見つめられた早紀は無言で大粒の涙を流した。
夏純は子供をあやすかのように早紀の頭を優しくなでる。
初対面でつっかかってきた相手を慰めるなんて、どんな胆力をしているんだと瑞希は呆気にとられた。
夏純は彼に惚れたのが運の尽きなんて考えながら早紀の頭をなでるが、思いのほか撫で心地がよく興奮気味に抱きかかえて頭をなでる。
「夏純さん」
調子に乗って瑞希にも手を伸ばしたところで凜にとがめられる。
「可愛すぎてつい、ごめんね」
目の前で行われている甘やかしについていけなかった瑞希は、謝られてもなお呆気に取られている。
卯柳がテーブルに飲み物を置いたことで我を取り戻す。
ココアを夏純の前に置き、お茶を凜の前に、ほっとレモン、抹茶ラテ、紅茶を二人の前に並べる。
「お好きなのをどうぞ」
早紀はお礼を言って抹茶ラテを手に取る。
それに続いて瑞希も紅茶を手に取る。
卯柳はニコリと微笑んでほっとレモンに手を伸ばす。
月明かりを反射しているかのように白く肉付きの良い卯柳の素肌に瑞希は素早く目をそらす。
見てはいけないものを見てしまったような感覚に陥る。
「いつの間に仲良くなったんですか?」
夏純は撫でていた手を止めて早紀と見つめ合う。
「、、、初めまして。栗原早紀です」
「初めまして、百目鬼夏純です」
そのまま促すように瑞希を見る。
「初めまして、福島瑞希です」
「早紀ちゃん急に撫でたりしてごめんね」
すっかり落ち着きを取り戻した早紀は顔が紅潮する。
「いえ、、、あの、、、光栄です」
「そう?いつでもお待ちしているわ」
そうやって手を広げる夏純の胸元に顔を押し付ける。
夏純は受け入れて優しく頭を撫でる。
「瑞希、やばいよ、何か、、、何か目覚めそう。夏純ちゃんって呼んでいいですか、、、」
「敬語もなくていいよ」と言いながら優しくうなずく。
ツッコミ役が不在のうえ、新境地に達しそうな友達に名前を呼ばれてもはやパニックである。
卯柳はニコニコと優しい笑みを浮かべているし、凜にいたってはもはや何を考えているのかわからない表情だ。
夏純は今ならいけるかと瑞希に手を伸ばすが、またしても凜に阻まれる。
「夏純さん」
「もう、瑞希ちゃんだって撫でられたいでしょ?」
「そうなんですか?瑞希さん」
「え、ええ!?、、、じゃあ、、、お願いします」
謎の自信に満ちた夏純の瞳にあらがえずに頭を差し出す。
優しくも心強い手に包まれる。
(百目鬼さんの手なんかふわふわするしいい匂いする)
何分か経過した頃、不意に卯柳が口を開く。
「落ち着きましたか?」
気づくとテーブルの上にポケットティッシュが置かれていた。
「至れり尽くせりすぎてあと四回くらいは告白できそう」
「元気が出たならなによりです」
早紀は一切の遠慮なくティッシュで鼻をかむ。
「ううう。こんなに優しくされると次はうさぎ君に告白しちゃいそうだよ、、、」
撫でていた夏純の手がぴたりと止まる。
「ダメよ告白なんてしたら。するなら私に告白しなさい」
そう言って早紀の顎に手を添えて顔の近くまで引き寄せる。
「あっ、、、はい、、、」
そんな様子を見て凜はどこからか聞いた言葉を思い出す。
完堕ち。
瑞希はごくりと生唾を呑んだ。
そんな空気を見かねてか卯柳はパンッと手を叩いた。
何やら過ちを侵しかけていた一同の空気が一変する。
「栗原さんはどうして律輝君のことを好きになったんですか?」
「恋バナ!いいわね、辛くなければ聞かせて」
「理由かー、理由、理由。うーん、特にないかな。気づいたら目で追いかけていた」
早紀は難しいことを考えながらポツリと続ける。
「なんていうかな、人を好きになることに理由なんてない気がするの。なんとなく好きになってなんとなく隣にいたいなって。理由があったら足踏みしちゃいそうじゃない?」
その早紀が紡ぎだした言葉に夏純は目を輝かせる。
「なんだか素敵ね」
「夏純ちゃんの恋バナとか聞いても大丈夫?」
芸能人だから気を使ったのか、早紀は恐る恐る尋ねる。
「全然気にしないで。むしろ恋バナは大好きよ」
「え、じゃあ好きな人とかは!?」
「もちろん、いるわ」
その焦がれる顔が誰に向けてなのかは言うまでもない。
「えええ!?誰!誰!共演者?」
「名前は秘密よ。けど過去に共演したことはあるわ」
「お、、、大人な世界だ、、、」
「そんなことないわ。皆と変わらない、好きなだけで付き合ったこともキスしたこともない、褒められれば照れもするし嬉しくもなる。ただの恋する少女よ」
そう言いながら卯柳のことを考えたのか、少し照れた様子を見せた夏純に早紀は鼻血を出しそうな勢いで興奮した。
「だからよかったらこれからも恋バナしよ?きっと早紀ちゃんの方が経験もあるだろうし。色々教えてね」
「っ!!!手取り足取りお教えさせていただきます」
早紀はへなへなとその場にへたり込んだ。
そんな空気とはつゆ知らず。
「おーい、新堂いるかー」
そう言いながら宿の方から姿を見せたのは担任の永太だった。
卯柳の横に大きなクーラーボックスを置く。
「どうされたんですか?」
「新堂につまみを作ってもらいたくてな」
卯柳は「わかりました」といってクーラーボックスの中を見て作業を始めた。
一部始終を見ていた早紀は思ったことを素直に口にする。
「先生って、結構喋るんですね」
「どんな印象だ」
「生徒とかめんどくせえ。誰も話しかけてくんな。みたいな?」
早紀の予想通りの返事に永太は苦笑いを見せた。
「あながち間違いでもない。ただ俺はだるいことは嫌いだが、面倒くさいことは好きだ」
意味の分からない自己紹介に一同は首をかしげる。
「つまりだな、食材を集めるのが嫌い、料理をするのは好きみたいな感じだ」
そう言いつつ卯柳に料理をさせているのはいかがなものかと思う。
「松木先生は私たちが所属している家庭科同好会の顧問をしてくださってるんですよ」
「そんな部活あったっけ?」
早紀の問いかけに瑞希も「さあ?」といった様子をみせる。
「部員がいなかったから活動休止してたんだが、新堂たちが家庭科室でこそこそしてたから入れた」
「へえ、いつものメンバーで活動してるの?」
「私とうさぎ君と千恵の三人ですよ」
「で、私と律輝と先生は味見役」
夏純の謎のどや顔に永太は「顧問な」とつっこみを入れている。
「私たちもたまにお邪魔してもいい?」
「え、私も!?」
「いいじゃん、料理の勉強になるよ」
瑞希は黙々と調理をしていた卯柳の方へ目をやるとまんざらでもない様子でにこっと微笑んでいる。
「律輝君いるけど問題ないの?」
「あー、、、私はもう切り替えたし、律輝君も告白され慣れてるだろうし大丈夫でしょ」
あまりの切り替えの早さに瑞希は目を丸めた。
「お、なんだ、恋バナか?」
「先生には関係ないでーす」
「混ぜてくれよ減るもんじゃないし」
「先生、恋バナとかするんですか?」
「女の園に足を踏み入れるなんて通報しますよ」
「新堂も男だろ?」
「うさぎは特別だからいいの」
「うさぎ君にはいつも相談乗ってもらってますから」
「え、凛ちゃんも好きな人いるんだ!」
凛は「あっ」っと言って口元を隠してそっぽを向く。
その様子を見た永太は「へえ」と言いながらにやにやした。
「先生はダメでーす」
「だってよ新堂。男として見られてないそうだ」
「そうですか。困りましたね、、、」
そう言いつつ卯柳は全く困った様子を見せずにできがった料理をテーブルの上に置いた。
「皆さんで食べましょうか」
その一言に永太はクーラーボックスから酒を取り出した。
「うわ、先生お酒ですか」
「大人の嗜みだ。チクんなよ」
皆の批判を浴びながら「ぷしゅ」という缶を開ける音が鳴る。
よいも進む夜分の一幕。
あれから永太を含めた一同の談笑は謎の盛り上がりを見せ、卯柳の料理を食べきった頃に風呂の時間ということで解散となった。
部屋では律輝と周と大和を含めた一組と四組の数人が腕相撲大会を開催しており、大和に敗北して悔しそうな律輝を連れて露天風呂を満喫した。
律輝と卯柳は風呂上がりに自販機の前で涼んでいた。
「いい風呂だったな」
「景色もよくてびっくりしました」
「役者マネーでうさぎの家にもあれを作ってだな、、、」
しばらく話し込んでいると窓ガラスにふと見知った影が近づいてくるのが映り、律輝は不安にも似た焦りを感じた。
「ごめん、先に部屋戻っててくれ」
「わかりました」
急な展開にいぶかしんだが、この場にふさわしくない深刻そうな顔に卯柳は素直に部屋へ向かった。
近づく影は自販機前を通って卯柳の向かった方向へ歩みを進める。
律輝はとっさにその影の腕を握った。
「痛いんだけど。なに急に」
ぶっきらぼうな物言いに真剣な眼差しになる。
「うさぎに何の用だ」
「何の用も何も久しぶりに会うから挨拶しようとしただけだけど?」
「よく、そんなにのうのうとうさぎの前に顔を出せるな」
律輝の強い言葉に顔をゆがめる。
「あんたこそ何の用なの。いきなりそんなこと言われても分からないんだけど」
「お前をうさぎに会わせることはできない」
「わけ分かんないんだけど。なんであんたにそんなこと言われなきゃなんないの?卯柳と私の関係なら問題ないでしょ」
「自分がうさぎに何したか分かって言ってるのか?それとあいつのこと卯柳って呼ぶな」
「卯柳とも話し合ったし問題はないはずだけど?」
「だから卯柳って呼ぶな」
意味不明な指摘と強い口調に互いにいらだちを隠せずにいる。
「さっきから、、、!」
言いかけて止まった。
律輝の背後から自室に戻ったはずの卯柳が顔を見せる。
「二人とも、いったん落ち着きましょうか」
「うさぎ、、、悪い」
「卯柳、久しぶり。元気してた?」
先ほどのいらだった空気が一変して少し照れたような空気に律輝は嫌気がさした。
「、、、お久しぶりです瑠璃さん。僕は元気でしたよ。それより一旦、場所を変えましょうか」
男女の言い合いに野次馬が数名部屋から顔を出していた。
さらには律輝と女子生徒となればなおのことだ。
卯柳は二人を野次馬から隠すようにして立ちふさがり、宿の外へと促した。
卯柳を追いかけていた女性の名前は世良 瑠璃。
茶色がかったボブに、細く華奢な体、男心をくすぐるような小動物にも似た雰囲気をしている。
瑠璃と卯柳はいとこの間柄で、両親を亡くした新堂兄妹を一時期預かっていた。
卯柳は肌寒さを感じ瑠璃に上着をかける。
「ありがと、、、三人で話すのも久しぶりだね」
「そうですね。瑠璃さんも入学していたとは知りませんでした」
「私も、今日の晩御飯の時に知ったの。変わってなくて安心した」
「僕も見かけたときに驚きました。それで、お二人は何を話してたんですか?」
卯柳は全てを分かって聞いているのだろう。
そう悟った律輝は自分から口を開く。
「うさぎと世良の関係で俺が早とちりした。二人の間で話が済んでるなら問題はない」
「卯柳と私はもう話し合いは済んでるの」
卯柳からかけられたジャージの袖をぎゅっと握り「ね」と言いながら肩を寄せる。
「律輝君には心配をかけてしまって申し訳ないです」
「俺の方こそややこしくしてたならごめん。本当に、大丈夫なのか?」
本当に、そう念を込めて確認する律輝を安心させるように卯柳は優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。あの時は僕らは子供だっただけなんですから」
子供だっただけ、その一言で片付ける様子に律輝の胸が痛んだ。
しかし、卯柳がそう言うなら納得せざるを得ない。
「わかった。うさぎがそう言うなら俺が悪かった」
卯柳の後ろでこれ見よがしに舌を出す。
「瑠璃さんも、ね?」
「え、、、ご、、、ごめん」
すねたような謝罪に卯柳はにっこりと笑顔を見せる。
「もう就寝時間ですから帰りますよ」
言うが早いか卯柳は足早に切り上げる。
そそくさとそれに続こうとした瑠璃を呼び止める。
「最後にひとつだけ。あいつのことはうさぎって呼んでやってくれ。頼む」
「さっきから何なの?それ」
今まで見せなかった律輝の真剣な表情に続きを言いかけてから止まった。
「、、、わかった」
「ありがとな。これはうさぎに返しといてやるから」
そう言って瑠璃の肩からジャージを取り上げた。
「あ、ちょっと、返して、、、!」
二人も卯柳に続いて宿へと戻った。
隣の部屋でこそこそと動き回る音が聞こえて目が覚める。
瑞希はしばらくぼーっとしていつもとは違う枕に顔をうずめたことでオリエンテーション泊に出ていたことに気が付く。
同部屋の凛と千恵の姿はすでになく、早紀はすやすやと眠っている。
軽く身なりを整えて部屋を出ると何人かの生徒は活動を始めていた。
共用の洗面所に向かい、朝の準備を済ませる。
部屋に戻る途中で宿に向かってくる集団が視界に入った。
「おはよう。瑞希ちゃん」
「おはようございます。瑞希さん」
「おはよう。千恵ちゃん、凛さん」
二人の後ろから卯柳も顔を出し挨拶を済ませる。
どうやら四人で朝から散歩へ出かけていたらしいのだが、いつの間にか律輝が女子生徒に囲まれていたらしい。
朝から大変だな、なんて思っていると解散し始めた女子の群れから律輝が顔を出す。
「おはよ、瑞希さん」
同様に軽く挨拶を返すと、律輝はどこか心配そうな面持ちで見つめる。
「早紀はまだ寝てるよ。一応切り替えたとは言ってるけど数日は引きずるかも」
友達を振ったのだ。
これくらいは迷惑をかけてもいいだろうと思い、そう伝えると「そっか、わかった」とだけ返事がきた。
「もうすぐ朝ごはんですから食堂に向かいましょうか」
「一回部屋帰ってから行くね」
「わかりました」
律輝と卯柳が去った後の女子生徒たちの視線に少し違和感を感じた。
二人を追うのではなくこちらを注目しているような感覚に居心地の悪さを感じた瑞希は足早にその場を後にした。
部屋に戻ると早紀は未だにぐっすりと寝ていた。
慣れないことをたくさんしたり、あんだけ泣いたのなら仕方ない部分もあるだろう。
「早紀、もうすぐ朝食だから準備して」
体を揺すると腫れぼったい目を気怠そうに開きながら上体を起こした。
「お゛は゛よ゛う゛」
心配になるほどのかすれた声に三人は早紀の顔を覗き込む。
自身でもそんな声を出すとは思っていなかったのか、きょとんとした後、安心させるようににっこりと笑った。
洗面所の方向を指さし、準備をしてくるとジェスチャーで伝える。
早紀は三人が何か反応を返す前に急いで部屋を出て行った。
その後姿を見て千恵がぽつりとこぼす。
「やっぱり駄目だったのかな」
「他の人から聞いてないの?」
千恵の一言に瑞希は驚いたように返した。
律輝が振ったことはグループ間で当然のように共有されていると思っていたからだ。
「聞いてない聞いてない。そういう話は本人の口から聞かないと失礼だと思うから」
「、、、そうだよね。変なこと言ってごめん」
「全然!むしろ私たちのほうが気を付けないとだよね」
「あと半日ですから、あまり気負いすぎるのもよくないですよ」
「お互いに気楽にいこ」
「ありがとう」
それから一同はから元気気味の早紀を連れて食堂へと向かった。
食堂へ到着するとすでにクラスの人間は席について談笑していた。
遅刻をした訳ではないので問題はないのだが、心なしか注目を集めているような気がしてならない。
好奇というよりは警戒のような敵意に近い視線。
全員ではないものの少し周りに気を配ればひしひしと感じる。
瑞希以外の三人は普段から視線を集めることに慣れているのか気に留めた様子はない。
「ねえ瑞希、目腫れてないかな?」
「ちょっとだけ腫れてるね」
「そっかあ、冷ましたんだけどなあ」
そのやり取りに関心を寄せていた何名かのクラスメイトから「やっぱりそうじゃない?」と聞こえてきて、早紀はやっとこの視線の意味を理解した。
中学に入学してすぐの頃、律輝に最初に告白した人がグループからつまはじきにされるという噂話が一時期流れていた。
実際のところはどうだったのか分からないが、律輝を自分のものにできないなら他人のものになることも許さないという一部の意見がそんな噂話を作り上げた。
おかげで互いにけん制し合うような形で告白は減ったが、律輝やその周りの女性もひどく過ごしにくい生活を送ったのだろう。
まだそんな子供じみたことをやっているのかという苛立ちと友達がその対象になった焦りが瑞希の気を動転させる。
朝食は山菜がメインの和風テイストなものだったが、現状を考えると気が気ではなく箸も思うとおりに進まなかった。
今はただ極力注目を浴びないように、時が過ぎるのを待つほかない。
瑞希は食器が当たる音にも敏感になるほどに警戒していた。
得体の知れない暗黙の了解の影は想像以上の効果があるようだった。
「、、、き?、、、みずき?」
早紀の呼びかけにハッと意識を取り戻す。
「大丈夫?体調悪い?」
いつの間にか朝食の時間が終わっていた。
オリエンテーション泊二日目の午前中はクラス間の親睦会という名の自由時間だ。
「今から自由時間だ」
相も変わらずの面倒くさそうな永太の一言にクラスの全員が「それだけ!?」となる。
永太がどこかへ行ったことを皮切りにぽつりぽつりと談笑が始まる。
よりにもよって自由時間にこんな居心地の悪い状態になるとは思っていなかった瑞希はいっそのこと抜け出して部屋に戻ろうかと考えていた。
聞こえる声が自分たちのことを噂しているようにすら思えてくる。
「律輝君」
卯柳が急に律輝の名前を呼んだことでクラスの注目が集まる。
「僕は君の素っ気ないようで優しいところだったり、興味なさそうに見えて熱いところが好きですよ」
「何だよ急に」
そのストレートな物言いと優しい笑顔に照れた律輝は突き放すように返した。
「こうして対面で思っていることを伝えるってとても素敵なことだと思いませんか?」
何を言いたいかを察した律輝が誰にも気づかれないような小さなため息をついた。
「はいはい、素敵だよ素敵。新堂君は素敵なやつですね」
「はい、ありがとうございます」
そのやり取りを見ていた男子が茶化すように二人を取り囲む。
「新堂って変な奴?」
「真面目系かと思ってたわ」
そのふわふわとした雰囲気は女子にも伝播していたようだった。
その中で千恵が早紀に話しかける。
「ね、早紀ちゃん昨日のこと聞いてもいい?」
「そっか、千恵ちゃんには話してなかったっけ」
二人のやり取りを周囲も何んとなしに注目する。
「よーし、じゃあ皆に聞いてもらって皆に慰めてもらおうかな。一組女子は私の部屋に集合で!」
早紀のから元気にほだされるような形で部屋へと移動を始めた。
高校に入ってからも明るく元気に誰とでも接してきた早紀はまだできたばかりのクラスでも中心人物と呼べるくらいに一目置かれていた。
だからこそ、嫉妬や警戒もあったのだろう。
しかし性格の良さは数日過ごしただけでも伝わっていたのか、その行為を否定する者や拒否する者は現れなかった。
それから早紀はクラスの女子に取り囲まれる形で昨日振られて目が腫れるくらい泣いたことや朝起きて声が枯れていたことを話した。
クラスの雰囲気が悪くなることはなく、中学時代の律輝の話で盛り上がりを迎えた。
卯柳たちの班は昨日と同じ席に座ってカレーを食べていた。
「やっぱうさぎ君って料理すごくない!?」
「僕は指示を出しただけで、皆さんの手際が良かったからですよ」
「なんか私が上手くなったって錯覚しそうだからやめて」
早紀が不器用ながらも包丁を扱っていた姿を思い出して瑞希はにこやかになる。
「うさぎ君、私もたまにだけど家庭科室にお邪魔してもいいかな?」
瑞希は何となく思ったことを口にした。
昨日早紀が言ったときはあまり乗り気ではなかったが、卯柳の作った料理を食べて安心した瑞希は考えを改めた。
「ぜひいらしてください。作りたいものがあればお教えします」
その優しい返答に瑞希も優しい気持ちになる。
「ありがとう、うさぎ君」
早紀に協力してくれたこと、傷心で落ち着かない二人を受け止めてくれたこと、クラスの雰囲気を察して話しやすい空気を作ってくれたこと。
きっと卯柳は感謝してほしかったり、見返りを求めたりはしないだろうが、瑞希は素直に感謝を伝えたかった。
「いえいえ」
全てを分かって受け止めるような、もしくは何も知らなくとも包み込むような優しい笑顔に瑞希は目をそらせなかった。
「うさぎ君って笑顔すっごい可愛いよね」
横で見ていた早紀がポツリと言った。
「そうですか?ありがとうございます」
余計な謙遜をせず、照れもしない卯柳の様子に早紀は目を細めて怪しむような視線を送る。
「女性から褒められても照れないし、夏純ちゃんの近くにいても委縮しないし、うさぎ君って何者?」
鋭い指摘に千恵が慌てて割って入る。
「うさぎ君と夏純ちゃんと律輝君は長いから」
「へえ、どうやって知り合うことになったの?」
「俺の子役のスカウト的な、、、?」
律輝の苦し紛れの言い分だったが、あまりにも別世界過ぎて早紀と瑞希も「なるほど」と納得した。
実際、卯柳の事務所の人間に声をかけられたことはあるので完全な嘘というわけでもない。
「律輝君なら余裕でモデルとかいけるよ!」
瑞希の言葉に律輝は「むりむり」と言いながら首を横に振る。
他の追随を許さないほどの天才が小さい頃から身近にいるからこそ出る言葉だった。
「それに俺は夢があるから」
「どんな夢なの?」
「医者になること」
高校一年生ながらそう言い切った律輝に本気を感じた。
「すごいね。ほんとすごいと思う」
夢やなりたいものなどぼんやりとしか考えていなかった。
「夢かあ。夢なんて考えてなかったなあ」
「私もなりたいものなんてまだありませんよ」
「私もないかな、なんとなくこうなりたいってのくらいしか」
「だよねえ。今を楽しむので精いっぱいだよ。とりあえず今はカレーが美味しい」
そう言いながら美味しそうにカレーをほおばる姿に一同は笑った。
そうしてオリエンテーション泊は終わりを迎えた。
学校に到着した後は簡単な挨拶をして解散を告げられる。
どうやら姫花はもうすでに宗一が自宅へ送り届けてくれたらしく卯柳と夏純と周の三人は家路についていた。
「カレー美味しかったですか?」
卯柳の問いかけに二人はげっそりとした表情を見せた。
「もうカレーは当分いいや」
「そうね。飽きたわ!」
あまりにも勢いのある拒絶に卯柳は苦笑いする。
「じゃあGWの誕生日会はカレーはやめときますね」
「ほんと、頼むよ」
「何か食べたいものはありますか?」
「うーん。甘いのかなあ」
「周ってほんと昔から甘いもの好きよね。そのくせ肉が付きにくいのは羨ましいわ」
「でも最近りんりんが色んなお菓子作れるようになったから蓄積がやばいんだよね」
「凛さんすごく上手になってますからね」
「だよねえ。話してたら食べたくなってきた」
タイミングよく周のお腹の音が鳴り、三人は笑った。
「じゃ、また月曜日。ばいばーい」
「またね」
「はい、また月曜日学校で。直接挨拶に行けなくて申し訳ないですが、また機会があればご両親にも感謝をお伝えしに行きますね」
「伝えとくー」
そう言いながら大手を振って二人とは別の方向に歩き始めた。
「僕らも帰りましょうか」
「そうね。、、、あーあー疲れたわ」
卯柳の提案に同意しつつも大げさに言って卯柳の体操着の袖をつかむ。
「誰か親切な人が自宅までおんぶしてくれないかなあ」
あからさまなお願いに苦笑いを見せる。
「ちゃんと顔は隠しててくださいよ」
そう言って卯柳は夏純の前で背中を向けてかがんだ。
夏純は「やった」と言わんばかりに笑顔で卯柳の背中に乗る。
立ち上がるといつもよりも少し高い景色に新鮮さを覚える。
「わっは。高い!」
興奮気味な夏純に微笑ましく思いつつも「顔は隠してください」と注意をする。
夏純は「はあい」と言って卯柳の背中に顔を押し付けた。
するとほんのわずか卯柳とは違う甘ったるい匂いがふわっと香ってきて少しムッとなる。
「他の女の匂いがする気がする」
他の女と言われて、昨晩の瑠璃に体操着を貸したことを思い出す。
「瑠璃さんに貸したのでその時についたのかもしれませんね」
「瑠璃って?」
「小学生の時にお世話になっていた家の人ですよ」
夕日に照らされた卯柳の顔がわずかに陰ったように見えた。
両親が亡くなったあと親戚の家に身を寄せていたと聞いたことがある。
これは施設の人間や仕事先での噂を聞いた程度で、本人から直接聞いたわけではない。
というのも、身を寄せていた家の母親がメディア関係者複数名と不倫関係にあり、卯柳の名前を使って大々的に報道がなされたのだ。
《志藤隆兎母親が不倫か》
当時、学業をおざなりにするほど過度な仕事をこなしていた卯柳の名前を使った報道はあらぬ誤解や憶測を呼んだ。
報道の後、卯柳の身を守るためとはいえメディアへの露出を極端に減らしたことも追い打ちのような形になった。
そんな出来事があったからか、卯柳も過去のことについては必要以上に語ることはなく、夏純も言及することはなかった。
「うさぎがお世話になった人か。じゃあ私も挨拶しておかないとね」
そのことについて卯柳は特に何も言わずにゆっくりと歩みを進めた。
「うさぎ。私はどんな事があってもうさぎの味方だからね」
「急にどうしたんですか?」
「伝えておきたかっただけよ。ずっとずっと今までもこれからも私はうさぎのことが大好きってことを」
「この先も、ずっとですか?」
珍しく不安そうな声色を出した卯柳を安心させるようにぎゅっと強く抱きしめる。
そのまま卯柳の耳元に顔を近づける。
「そう、ずっと大好き」
すると卯柳はくすぐったそうに身を震わせた。
その様子を見て夏純は悪いことを思いついたような笑顔を見せる。
「もしかしてうさぎって耳弱いの?」
「そんなことないと思いますけど、どうなんでしょうか」
夏純は「フッ」と卯柳の耳に息を吹きかけた。
「っへやっ」
変な声をあげて首をすぼめた卯柳に夏純は「わっはは」と豪快な笑い声をあげた。
調子に乗ってさらに息を吹きかけると変な声は出さなかったものの、居心地が悪そうに身を震わせている。
「もう、そんなにするなら下ろしますよ夏純さん」
夏純は「ごめんごめん」といいながら再びうさぎを強く抱きしめた。
「さっきの話ですけど、僕のほうこそ夏純さんの味方ですからね。何かあっても絶対に守りますから」
その大きくも優しい背中に自分は背負われているのだと実感して、心地よさと安心感に満たされた。
再び卯柳の耳元に顔を近づける。
「ありがとう、うさぎ」
わざと耳元でそう言うと卯柳は「もう」と言って歩く速度を早めた。




