錯乱
叔父様の怒声を面白がるように、ヨハンは半笑いを浮かべた。
「許さない……だと? 誰に言ってる?」
靄がヨハンを覆い尽くす。
かろうじて見える双眸は赤く輝いていた。
変だわ、あの父でさえ目が赤くなるなんてなかったのに……。
その時、私は靄が沼と繋がっていることに気づく。
「なっ……⁉」
沼の方を見ると、あの大蛇が消え、雲のような靄が渦巻いていた。
「お、叔父様! 危ない! おかしいです!」
思わず叫ぶと、ベイツが私の方へ駆けてきた。
が、ハロルドがその前に両手を広げて立ち塞がる。
「や、やめろーーっ!」
向かってくるベイツに向かって、ハロルドは両手を無茶苦茶に振り回した。
「チッ……暴れるなよ面倒くせぇな! これだからガキは嫌なんだ……」
ベイツは顔をしかめながら、ハロルドを取り押さえようとする。
「ベイツ! 全員殺れ!」と、ヨハンが短剣を抜いた。
「は、はい? ていうか、俺の名前……おいおい、らしくねぇな。どうしたんだ? 頭大丈夫か?」
明らかに様子のおかしいヨハンに、ベイツも困惑しているようだ。
「黙れ!」
ヨハンがベイツに斬りかかった。
間一髪でベイツが躱す。
「……ヨハン、いくらアンタでも、冗談じゃすまさねぇぞ?」
真顔になったベイツがヨハンに言った。
「殺す! 殺す! 殺す! 殺す!」
半狂乱になったヨハンは見境なく暴れ始めた。
「ちょ、おい! やめろ!」
ベイツがヨハンに襲われている隙に、叔父様が私の側に来た。
「フレデリカ! 無事かい⁉」
「はい!」
「お、おい、どうする? 何かやべぇぞ、逃げるか?」
ハロルドが身構えながら言った。
「フレデリカ、今のうちにみんなで逃げよう」
「そ、そうですね……」
三人で逃げようとした時、ヨハンが私達の方へ走ってきた。
「死ねぇぇええーーーーっ!!!」
短剣を大きく振りかぶって、そのまま振り下ろそうとする――。
「フレデリカ!」
叔父様が私を抱き抱え、ハロルドを突き飛ばした。
――駄目⁉ 叔父様っ!
その瞬間、フッと目の前が真っ暗になった。
『これがかつて自分の一部だったかと思うと、情けなくなるな……』
え……この声……。
「うぐっ⁉ な……がはっ……!」
「な、なんだ……か、体が……重い……」
ヨハンは地面に倒れ、ベイツは片膝を付いた。
そして、それを宙から見下ろす黒猫がいた――。
『ノックス⁉ ノックスなの?』
『主、オレが抑えているうちに、こいつをジェレ坊に浄化させてくれないか』
『え……でも……』
『ジェレ坊なら大丈夫。心配はいらない』
一体、何が何だか……。
でも、ノックスが嘘をつくとは思えない。
『あとで……ちゃんと説明してよね』
『……いずれ、必ず』
『わかったわ』
私は叔父様に、向き直りお願いをしようとした。
でも、私が口を開く前に、叔父様が私の乱れた髪を直してくれた。
「大丈夫、フレデリカの様子を見てわかった。彼等を抑えているのが……ノックスなんだね?」
あの時、私は叔父様にすべてを打ち明けた。
叔父様は「わかった、信じるよ」とだけしか言わなかったから……。
半分でも信じてくれていればいいかなって思ってたのに……ちゃんと、信じてくれていたんだ……。
「そうです。いま、ノックスが抑えてくれています……だから――」
叔父様は「大丈夫だよフレデリカ。僕は僕の役目を果たすよ」
私の肩を優しく叩き、叔父様はヨハンの方へ向かう。
見ると、叔父様の手は震えていた。
「叔父様……」
私は視ることができる。
だから、それが真実だと理解できる。
でも、実際に力があるかどうかなんて、叔父様自身には見えないし感じられない……恐ろしくて当然だ。私の話を信じてくれているのも不思議なくらいなのに……。
「お、おい、おじさん、何やってんだ? 止めなくて大丈夫か?」
ハロルドが不安げな表情で私に言った。
「……叔父様!」
私は叔父様を追いかけ、その手を取った。
「フレデリカ……何をやって……」
「安心してください、私が付いてます!」
せめて、少しでも叔父様の不安がなくなりますように……。
そう願いを込め、まっすぐに叔父様を見つめると、
「まいったな……こういう時って、普通は逆なんだけどね」と、苦笑を浮かべた。
私の手を握り返し、そっと手を離す。
「ありがとうフレデリカ、もう大丈夫だ――」
叔父様はうずくまるヨハンの側に立つ。
「ぐ……ううあ……が……」
恐ろしげな呻き声を上げながら、ヨハンが叔父様を見上げる。
「私に力があるのなら、君を救える……。正直、半信半疑なところもある。だが、私は身内びいきでね。彼女のことは、他の誰よりも信じているんだ――」
叔父様の手がヨハンの頭に触れた瞬間、辺りに立ちこめていた黒い靄が消し飛んでしまった。
「……!」
すごい! あんなに濃くなった靄が……一瞬で……。
『ノックス、終わったの……?』
上から様子を見守るノックスに尋ねる。
『うん、あるべき姿に戻った』
私は叔父様の側に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「ああ、大丈夫……何だろう? 自分じゃ何も変わらないんだけど……これでいいのかな?」
叔父様は呆然と自分の手を見つめながら言った。
「はい! もう、呪いは消えました! きれいさっぱり!」
「そう、良かった。フレデリカにも、笑顔が戻ったね」
「え……」
思わずどう答えていいか戸惑っていると、ゆっくり立ち上がったベイツが声を掛けてきた。
「あー、取り込み中悪いんだが、一体、何がどうなってんの?」




