ベイツの仕事
「いやぁ~、今日は虫が少なくていいな。うるせぇヨハンもいねぇし、絶好の行楽日和ってなもんだ。ふんふ~ん♪」
いつになくご機嫌だったベイツだったが、沼の手前で何やら人の気配を感じ、慌てて近くの木陰に身を隠した。
「誰がこの沼に……。農家の親父はもう通ってないはずだが……」
注意深く茂みの中を掻い潜り、そっと沼の様子を覗く。
見ると、身なりの良いやたらと顔の整った男と眼鏡を掛けた若い女が、農家の親父と何やら話をしていた。そして、その傍らでは、つまらなさそうな顔をした若い男が立っている。
――ヨハンに報告すべきか?
いや、まてよ。目を離して万が一、宝石が無くなったとしたら……。
一瞬、自分の未来を想像して、ベイツはぶるるっと身震いをした。
どうする……くそっ! 相手の力量もわからねぇ。
回収するにはリスクが高すぎる……落ち着け、あいつらの目的は何だ?
何かを探している様子もないし、宝石のことを知っているようには見えない。
農家の親父が呼んだのか? ん? あれは……水路を見てるのか……?
ははーん、これはアレだな。あの親父、作物が育たないから専門家を呼んだのか……。
しかし、あの連中、とても農作業をするようには見えないぞ……。
小綺麗な男と眼鏡の女は、身なりも良いし、上流層の人間にしか見えん。
もしや、どこかに情報が漏れたか?
いや、漏れていたら今頃ヨハンが手を打っているはずだ。
うん、あいつは昔からそういう方面に鼻が利く。
仕方ねぇ……万が一あいつらが宝石に気づいたら……。
ベイツはブーツに隠していた短剣に手を掛けた。
じっと息を潜めていると、話が終わったのか男達が山を下り始めた。
足音が完全に消えるまで茂みの中で待ち、ベイツは周りに誰もいないことを確認すると、短剣から手を離し、そっと茂みから抜け出て沼に近づいた。
しつこいくらいに周囲を気にしながら、宝石と繋がっている革紐が切れていないか確認をした後、大きく安堵の息を吐いた。
「ったく、焦らせやがってよぉ……」
良かった、宝石に問題はなさそうだな。
しかし……一応、ヨハンには報告しておくか……。
後で何か文句言われると癪だ。すぐ人のこと殴りやがるし……。
よし、長居は無用、行くか――。
ベイツは憎らしげに沼を一瞥し、王都へ急いだ。
『ふーん、人間って面白いことを考えるなぁ……』
一部始終を空から眺めていたノックスは、大きく欠伸をした後、どこかへ飛び去って行った。
*
――王都ロイヤル・ガーデン。
ベイツはマントの汚れを雑に払い、時計店のドアを開けた。
片目にルーペをして机に向かう白髪の職人が顔を上げた。
「よう、爺さん。来てるか?」
「……」
職人はフンと鼻を鳴らして作業に戻る。
「おいおい、そりゃねぇだろ! もうちょっと愛想良く――」
「ベイツ、中に入れ」
奥からヨハンの声がした。
ベイツは不機嫌そうに職人を睨み、奥の部屋に入った。
職人はベイツが部屋に入ったのを確認した後、表のプレートを「CLOSE」に裏返した。
ヨハンは緑色のソファに座って足を組み、新聞を広げていた「あの爺……」と、ベイツが呟くと、ヨハンは新聞をずらしてベイツを見据えた。
「ラルフさんは自分の仕事をしただけだ。お前が『合言葉』を言わないのが悪い」
「――あ」
ベイツがしまったという顔で扉の方を振り返る。
「後でちゃんと謝っておけよ」と言って、ヨハンは新聞を折りたたみ、「報告を聞こう」と向かいのソファに手を向けた。
ベイツは、ばつが悪そうに顎を撫でた後、ソファにどかっと腰を下ろした。
「あー、今回は少し変化というか、その、妙なことがあった」
「妙なこと?」
片眉を上げたヨハンが前のめりになる。
「ああ、いつも通り様子を見に行ったら先客がいた。沼から水を引いていた農家の親父と、身なりの良いやたら顔の整った男、若くて眼鏡を掛けた黒髪の女、あと、女と同年代くらいの男が、沼の前で何か話をしていた」
「……」
「見たところ、農家の親父は水路を気にしているようだったな。宝石は無事、ちゃんと確認をした。誰にも見られていない。保証する」
「……身なりの良い男、か。お前が言うくらいだ、よほどの美丈夫なのだろうな」
「遠目だが、ありゃぁ、知ってる奴なら一目でわかる。それくらい目を惹く容姿だな。若い女の方もなかなかのものだった」
「そうか。なら、探すのはたやすいな。他には?」
「あんまり関係ないかも知れないが、虫が……少なかったな」
ベイツがぽつりと言った。
「虫?」
「ああ、いつもは厄介な毒虫がわんさか出るんだが……今日に限って、全くといって良いほど出なかったな」
「虫か……わかった。ご苦労様、今週分だ」
ヨハンは懐から封筒を取り出し、ベイツに手渡した。
「待ってました! へへへ……」
ベイツは嬉しそうに紙幣を数えると懐にしまった。
「じゃ、また」
部屋を出ようとしたベイツに、ヨハンが声を掛けた。
「――ベイツ、今週は深酒するな。あと、その男の素性を探ってくれ」
「え……俺がぁ⁉」
「安心しろ、報酬なら出すさ。いまはあっちの方で動けなくてな」
ヨハンは窓から見える王宮に親指を向けた。
「あ、ああ。わかったよ」
「頼んだぞ」
部屋を出たベイツはラルフと目が合う。
「あー、なんだ、その……」
「謝罪などいらん。仕事の邪魔だ、さっさと出て行け」
「なっ……⁉ このクソ爺……」
「クソ爺でもおいぼれでも結構。いいか若造、もう一度だけ言ってやる。儂の仕事を邪魔するな」
ラルフは言うだけ言って、作業に戻った。
「て、てめぇ……この」
「ベイツ! 構うな」
部屋の向こうからヨハンの声が響く。
ベイツは頭を掻きむしり、「チッ、わぁったよ! 覚えてろこのクソ爺!」と声を上げ、時計店を後にした。




