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第8章


 想像を絶する話を聞かされたジョルジュのキャパシティはとうに限界を超えていて、彼は冷たい石の床の上にへたりこんでいた。

 それでもわずかな期待を持って彼は尋ねた。何故エリオットが叔父マークスの息子だとそう確信できるのかと。叔父上自身がそれを認めたのかと。

 

 しかしセーリアの答えを聞いたジョルジュは絶句した。エリオットとこの娘の子供の正当性がはっきりと証明されたからだ。

 

「貴方はエリオット様が貴方に似せるために髪を銀色に染めたとおっしゃいましたよね。

 でもそれは違うのですよ。正確には染めたのではなくて、元の色に戻したんです。

 

 エリオット様の地毛は銀色なんです。でも、それではあらぬ疑いがかかると困るからと、幼少期から薄茶色に染めていたんです。

 幼い頃は先祖返りなのだと言われて、彼もそれを信じていらしたそうですが、成長と共に自分は母と公爵の不義の子ではないかと、エリオット様はずいぶん苦しまれていたそうですよ。

 結婚式の直後に真実を知らされるまで」

 

 

 

 暫く沈黙が続いた。

 

 

 

 ジョルジュは石の床の上に座り込んだまま、そして鉄格子を挟んで、セーリアは暖かなブランケットを腰に回して椅子に座っていた。

 

 やがてその静寂を破るように、再び教会の鐘が鳴った。王太子の棺の埋葬が終わったのだろう。

 

「何故私を殺さない? 私を苦しめるためか?」

 

 ジョルジュが覇気のない声でこう言った。するとセーリアはこう即答した。

 

「国王陛下のお望みです。真実の愛の結晶である貴方の命だけは奪わないで欲しいと」

 

「真実の愛だと!

 私を産んだその女性は今どこにいるんだ? 

 知っていたら教えてくれ」

 

「亡くなられたそうですよ。大分以前に」

 

「死んでいるのか……

 どんな人だったのだろう。君は何か聞いていないか?」

 

「残念ながら私が生まれる前のことですので存じ上げません。むしろ貴方の方がご存知なのではないですか?

 貴方の乳母をなさっていたそうですから」

 

「乳母?」

 

「美しいピンク色の髪をしたとても可愛らしい方だったそうですよ」

 

「ピンク色のか・み……」

 

 その時幼い頃のワンシーンが脳裏に蘇った。

 

 ジョルジュは綺麗で優しい王妃である母親が大好きだった。いつも母の側にいたかった。

 しかし王妃様はお忙しいから私と遊びましょうと、いつも乳母によって母と引き離された。

 

 母との触れ合いを邪魔する乳母を彼は嫌っていた。その乳母の髪がピンク色だった。なんて派手で下品な色なんだろうと思っていた。

 そしてある日とうとうその乳母に向かってこう叫んだのだ。

 

「お前なんか大嫌いだ。大好きな母上といる時に邪魔ばかりしてきて。

 父上、何故こんな平民で下賤な女が王太子である僕の乳母なのですか!」

 

 父である国王はジョルジュの頭上に手を振り上げたが、母である王妃が彼を庇うように抱き締めたので、殴られることはなかった。

 そしてその後乳母の啜り泣く声とすまなかったと呟く父の声が聞こえた。

 あの謝罪は一体誰に向けられたものだったのだろう。とジョルジュはぼんやりした頭で考えた。

 

 あれは妻である王妃と、愛人である乳母だけではなく、息子である自分に向けたものではなかったのか。

 実の母親に向かって下賤な女と息子に言わせてしまった、愚かな自分を詫びていたのではないだろうか。

 

 あの後間もなくして乳母はいなくなったが、そんなことさえ今の今まで忘れていたジョルジュだった。

 

『下賤な女……』

 

 ジョルジュは口には出さなくても、いつも平民を見下していた。同じ人間だとも思っていなかった。

 だから幼い少女に平気で一度捨てた菓子を与えることができたのだ。

 

 しかしその少女は平民などではなく、侯爵と男爵家の令嬢との娘だった。それに比べて自分の体には半分、その下賤だと思っていた平民女の血が流れていたのだ。

 もはや己を笑うしかなかった。

 

 

 そしてジョルジュには、今頃になって思い出したことがもう一つあった。

 それは仲の良い夫婦だと思っていた両親が言い争っていたことだ。

 彼は驚いて慌てて仲裁に入ろうとしたのだが、その時信じられないほど冷たい母の声が聞こえたのだ。

 

「子供が欲しいですって? 確かにジョルジュにも兄弟がいた方がいいでしょうね。

 でもそんなことを態々私に言わずとも、側室でも愛人でも迎えてお作りになればよろしいじゃないですか。貴方は国王なんですからお好きになさればいいわ」

 

「違う。君との子が欲しいんだ。君は好きに恋人を作っても構わないという契約だったのに、一度も男を寄せたことはない。それは私を愛してくれているからだろう?」

 

「はあ? 何を言ってるの? 私が貴方なんかを愛しているわけがないじゃない。なんて図々しいの。

 私が男を作らないのは男が嫌いだからよ。嘘つきで乱暴で強欲で女を自分の思い通りになる人形だと思っていて。

 貴方も前国王も、そして実家の父も大嫌いだわ。

 そうね、唯一愛しているといえばジョルジュくらいね。あの子だけは私を選んでくれたから。

 

 貴方の真実の相手が亡くなって、まだ二年よ。それなのに私にそんなことを言うなんて本当に最低だわ」


「違う。君と結婚式を挙げてすぐに気が付いたんだ。私が本当に愛していたのは君だけだったと。ただ君に劣等感を持っていて、素直になれなかっただけなんだって」

 

「ふざけないで。たかがつまらないその劣等感というもののために、卒業式という華やかな思い出を作る場で、一生消えない傷を私に付けたというの? 

 そして愛されない形だけの王妃になれって言ったというの? 

 絶対に貴方を許さないわ」

 

 その時なんと王妃である母は、夫とはいえ国王の頬を引っ叩いて去って行ったのだ。

 

 その時の二人の会話の内容をまだ幼かったジョルジュはよく理解してはいなかった。

 ただ、父がどうしようもない大きな過ちを犯したことだけは、なんとなくジョルジュにもわかったのだった。

 自分は父親のような失敗はするまいと思っていた。しかし、結局彼もまた父親と同じ過ちを犯したのだった。

 

 

 ジョルジュの思考能力は段々と麻痺をしてきた。そして目の前の娘の顔を見ながら、ぼんやりとこう思った。

 

『今、何の感情もないように私を見ているあの子は、どうやったら以前のようにまた無邪気に笑ってくれるのかな。

 昔は私が微笑むと、すぐにあの少女も本当に花が綻ぶように微笑んでくれた……その輝くような笑顔を見ると、いつも心が和らいで幸せな気分になれた。

 

 それなのに、いつからか彼女はよそよそしい態度になって、そのうちに私を避けるようになった。

 私はそれが悲しく悔しくて腹立たしかった。

 しかし後になって思った。それは隠していた私の選民意識が彼女に気付かれたのかもしれないと。もしそうでなければ、彼女が自分の身分について理解するようになったから、私を避けるようになったのではないかと』

 

 ジョルジュが気になっていた少女は、いつしか彼から距離を取るようになった。

 その理由が彼が考えた理由のどちらだったにせよ、彼女の立場からすればそれが当然のことだった。

 

 それでも少女は、時々王太子の横を通り過ぎる際に、何気ない素振りをしながら格言のような言葉を発することがあった。

 あれはきっと、王族として人として彼にその過ちに気付いて欲しかったからだったのだろう。

 そのことに今頃になって気付いたジョルジュだった。

 

『今思えば、あの控え目でありながら凛とした彼女の佇まいに、私は惹かれていたのだ。

 五つも年下だというのに、彼女に敬愛する母の姿が重なって見えていたのだ。

 

 しかし私は、平民の娘などに心を奪われるのは王族として恥べき事だと思っていた。

 だから彼女への淡い思いを封印し、彼女を無視し続け、婚約者のシシリアや側近達との享楽に耽った。

 そして親身になって私に忠告をしてくれた母である王妃や、エリオット、あの少女の言葉に耳を貸さなかった……』

 

 そしていつしかジョルジュはその初恋の少女のことなどすっかり忘れてしまっていたのだ。

 

 そう。忘れていた。それなのに、よりによって何故今さら彼女のことを思い出したりしたのだろう、この絶望的な状況下で。

 

『父上、真実の愛の結晶とは誰と誰との愛の結晶なのですか?

 貴方は私を産んだ女性と愛を誓いながら、それは誤りだったと言っていた。自分の本当の真実の相手は君だったのだと、正妻である王妃に縋っていた。

 もし、再び会う機会があればそれを父上にお尋ねしたいものです』

 

 

 

「ジョルジュ様。貴方はこの二年間孤独だったかも知れません。

 でも、貴方は王家の影によって絶えず守られていたのですよ。

 それにあの下男、いいえ、フリット様は自ら希望されて貴方の護衛をなさっていたのですよ。彼のお名前はきちんと覚えて下さいね。そしてもちろん、私の名前も……」

 

 セーリアはそう言うと立ち上がって軽く頭を下げた。そして足音も立てずに階段をそっと下りて行った。

 そしてそれから暫くしてから、どこからか甘い匂いが漂ってきた。

 

「何の匂いなんだろう」

 

 ジョルジュは次第に遠のいて行く意識の中でそう呟いたのだった。


読んで下さってありがとうございました。

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