第3章
約二年前、王太子がこの北の塔に収監された時、彼女は彼の食事の配膳係として現れた。
その当時の彼は気持ちが荒れて正常さを失っていたので、彼女の顔などろくに見もしなかった。
毎回数百段の階段を登って食事を運んできてくれたのに、その食事に文句を言ったり、足元にばら撒いたり、彼女に向かって投げつけたりもした。
しかし彼女は一切何の反応も示さなかった。全くの無表情で怒ることも怯えることも蔑むこともしなかった。
いや、それどころか一言も言葉を発しなかった。
最初のうちジョルジュは、唯一接触できる相手であった彼女に当たり散らしていた。
しかし彼女がなんの反応も返さなかったため、やがてジョルジュは、自分一人だけが感情を露わにしていることが恥ずかしくなってしまった。
その上、食事は決められた時間に決められた量しか与えられなかった。そして散らかした部屋を片付けるのも結局自分なのだ。
そのことに気付いてから彼は、食事を粗末にするのは止めた。
ジョルジュはこの北の塔に入って初めて空腹の苦しみを知った。そして食べ物が腐った時の強烈な悪臭も。
彼は週に一度体を清拭しにやって来てくれる下男にこう言われた。
「収監されたのがこの北の塔で良かったですね、殿下。もし地下牢に食べ物を放置してたら、すぐに蚊や蝿に襲われて大変なことになってましたよ。
だけどこの高い塔にまではさすがにアイツラも上がってこれませんからね」
「そうなのか?」
「はい。ウジまみれにならなくて良かったですね」
下男の言葉にジョルジュはぞっとした。そして食事を捨てたり残したりしなくなった。
こうして食べ物のありがたみを知ったジョルジュだったが、それと同時に今更感もあった。
「とある国の宗教の教えでは、食物をぞんざいに扱った者は、踏み潰した食料と同じだけ他人に還元しないと、天国へは行けないそうですよ」
以前、元婚約者の家に遊びに行った時、そこの屋敷の使用人の子供にこう言われたことを思い出しからだった。
今まで自分が無駄にしてきた料理や食材を考えると、それを償えるとはとても思えなかった。
そしてその言葉を私に放ったのが、目の前にいる娘だったことにようやく彼は気が付いた。何故すぐに気付かなかったかというとそれは服装だった。
この北の塔に通って来ていた娘は、いつも王城のお仕着せ姿だったが、元婚約者のフェオリス侯爵家で見ていた彼女は、お仕着せなどは着ていなかった。
質素ながらもこざっぱりした綿のワンピースドレスを着ていた。ただそれは、彼女がまだ子供だからと思っていたのだが……
「君はフェオリス侯爵家の使用人の子供ではなかったということか?
つまりエリオットと結婚式を挙げたのは、当主に娘の身代わりを命じられたからではなく身内だったからなのか?」
「フッ……
今頃ですか。どこまで鈍いんですか。いや視野が狭いんですか。
貴方みたいな人間がこの国の頂点に立たずに済んで本当に良かったですよ。
人の死を望むなんてとても恐ろしいことですが、飢えや暴力で毎日多くの人々が亡くなっているこの国では、そんな悠長なことを言ってはいられません。
だから、このモールトレード王国の王太子殿下に亡くなってもらうことに、私も賛成でした。
そして今朝王太子殿下は予定通りお亡くなりになりましたよ。魔物狩りの最中に不慮の事故で」
「さっきから何を言っているんだ。私はここにいるではないか! お前は頭がおかしいのか!」
「ここって、貴方のことですか?
でも貴方は二年前にこの塔に連れてこられた時点で既にもう王太子などではなかったはずですよ。
半年ほど前に、貴方はエリオット様にそう言われたのではないですか?」
「あれは、あれはいっときのことだったのだろう?
エリオットが私に似せて髪を銀色に染めても、いつまでも私の振りはできまい?
それに王家の血の入らない子を王族と偽るなど、神殿がお許しになるわけがない。いくら私達が従兄弟で似ているとはいえ、王族とは関係がないのだから。
しかも私がスレイン侯爵家の血筋でないというならなおさらだ。
幼い頃から似ているとよくいわれたが、それはたまたまだったのだろう」
エリオットはクライスト侯爵家の嫡男で、母親は亡き王妃シルヴィアの妹のアネッサだった。
それ故王太子ジョルジュとエリオットは母方の従兄弟同士と言われていたのだ。
しかしジョルジュが王妃の産んだ子ではないというのなら、二人には血縁関係などないことになる。
「これではまるで、クライスト侯爵家による王家乗っ取りではないか!
国家反逆罪だぞ!」
ジョルジュは思わずこう叫んでいた。
読んで下さってありがとうございました。
次は12時に投稿する予定です。