618.同情からの婚約とプロポーズ
「月が高いな」
空を見上げれば、月の位置が高い。
さっきドンドンと花火が上がる音がしたから、後夜祭が始まってしまった。
急がなくてはと思うも、魔力が乱れた状態では、転移で謁見の間から離宮の近くへ移動するのが精一杯。
体の聖印が魔力で抑えられるとわかって、魔力はそちらに割いている。
お陰か、聖印の進行は落ち着いて、体表からは消えたように見える。
体の内側に移動しただけかもしれないけど。
私が住む小屋には学園に繋がる転移陣があるからと、徒歩で向かっている。
ガサリ、と背後で枯れ葉を踏む音がして、袖口に隠した暗器に手をやる。
謁見の間では一切使わなかったけど、いつ魔力枯渇しても暗殺に対応できるような対策はしていた。
「ベル、私だ。
良かった、探し……ベル、その聖印は何だ?!」
「エッシュ?」
ホッとした様子のエッシュが、突然顔色を変えた。
慌てて走り寄って、私の肩に手を置く。
金緑の瞳が煌めいているから、エッシュの瞳的には、未だに聖印が健在だったんだろう。
「何があった?!
どうしてこんな……」
「エッシュ、落ち着いて」
「ベルこそ落ち着きすぎだ。
放っておいて良いような聖印じゃない」
「こういう時こそ、落ち着いて状況確認だよ。
どうしてエッシュがここに?
というか、そんなに汚れているのは珍しいね」
するとエッシュは、顔を顰めて大きく息を吐き、軽く吸って、吐いた。
「ちょっと地下牢にいて、エビアスに魔力を吸われた。
魔力枯渇が落ち着いたから、ベルも知っているラルフとポチが見つけた隠れ通路を使い、脱出したのだ。
ベルがこんな所にいると思ってなくてな。
エビアスから学園祭で裏方をしろと言われていただろう?」
「ああ、忘れてた。
それよりエビアスに魔力を吸われたって、何?」
「忘れていて良い。
そのままの意味だ。
エビアスから黒い靄がでて、黒い人型のシルエットが現れた。
シルエットと話したエビアスが、私に手をかざすと、魔力が吸い取られてしまった。
エビアスはすぐ去ったし、ラルフとポチが隠し通路から居合わせて、エナDを飲ませてくれたものの、暫く動けないでいた。
やっと動けるようになって、ベルの小屋の中の転移陣を借りようとしていたところだ。
私はベルの小屋に承認されているからな。
エビアスが学園祭に向かえば、必ずベルと鉢合わせするだろう」
色々と新事実が出てきたな。
エビアスは元々、色々な人間の魔力が詰まったポーションを飲んでいた。
黒いシルエット……まさか悪魔?
スリアーダは悪魔への警戒心から壁を作っていて、取り憑かれていたのとは様子が違っていた。
でもエビアスは……エビアスの性格なら、悪魔の甘言には普通に乗ってしまいそうだ。
もしエビアスが悪魔に取り憑かれて、他人の魔力を吸い取れるなら、ポーションよりも手軽に魔力を増やせる。
でも人の器には限りがあり、魔力枯渇で死にそうな苦しみと引き換えになら、器が大きくなる。
でもエビアスはそんな苦しみを味わっていなそうなんだよね。
なのにエビアスの魔力は、昔と比べれば、極端だと言えるくらい増えている。
もし、もう1つ魔力を増やす方法があったとしたら……。
【魔法呪は魔法とは似て異なるもの。
万物の理を歪めし悪魔の力に頼りしもの。
呪う者、呪われる者のどちらも不幸にせしもの。
決して使う事なかれ】
万物の理を歪めし悪魔の力……なら、器の限界突破もできるんじゃ……。
「なあ、ベル……いっそ、私と二人でロベニア国を出ないか?」
エッシュが不意に、絶対口にしないような事を口にして、思わず顔を見上げる。
エッシュの顔がクシャリと歪んでいて、長年の付き合いなのに、初めて泣きそうな顔を見せた。
もしかして、謁見の間で起きた事を視た?
「せめてベルの体が、本当の意味で成人するまではと、婚姻するのを待っていた。
婚姻すれば夫として、こんな生死と隣り合わせの、悪意ばかりの環境から、すぐに連れ出せると思っていた。
ベルの体が幼いのは、生まれてすぐに時間を止められていたからだ。
だけど今日、ベルの体は成人した。
元々私達はこの国の法律上、成人している。
家から出奔して貴族でさえなくなれば、平民は自由に籍を入れられる」
「ああ、そう言えば……」
今日は私が生まれた日だった。
誰に祝われるでもなく、キャスケットとラグォンドルは元々魔獣だったから、人間と違って誕生日の概念がない。
まさかエッシュが私の誕生日なんて、覚えていると思わなかった。
それも体の年齢を数えていたなんて。
国王の目があるから、私達の婚約者としての交流は最低限だったし、誕生日を祝い合う事もなく過ごしていたのに。
「もう、ベルが傷つけられるのも、良いように扱われるのも……こんな……酷すぎるだろう」
そうか。
エッシュは、もうずっと長い事、もしかすると最初から私の境遇に同情して、婚約を結んでくれていたのか。
「ありがとう、エッシュ。
同情からでも嬉しいよ」
「違う、同情じゃ……」
「でも、駄目なんだ……私は聖獣達を見捨てられない。
それにもう、私には時間が残っていない」
「ベル、それはどういう意味……ベル、何の魔法、を……」
エッシュに睡魔の魔法をかける。
魔力枯渇に陥ったなら、休息を取らないと低体温になったりして命が危なくなる。
ガクンと両膝から崩れ落ちそうになったエッシュの体を支えて、寝かせる。
「シャローナと、ついでにチェリア家も。
きっとこれから、悪意と殺意に襲われる。
シャローナは、物理でなら魔法をかけてあるから守れるけど、それ以外の事からは難しい。
チェリア家ごと守れるのは、四大公爵家の中でもロブール家だけだと思う。
エッシュ。
私の代わりに守って。
最初で最後のお願いだ」
「……待っ……て……」
エッシュの上にポケットから出した、保温用の魔石を乗せて、小屋に向かった。