258.娶る?
「体はもう良いのか?」
「ええ」
通された部屋で向かい合って座るのは、ダリオ=アッシェ。
赤銅色の髪にいつぞやの王妃と同じ紫の瞳をした、アッシェ家当主で騎士団の団長よ。
お兄様は青が濃いけれど、彼は赤みのある紫ね。
渋いお顔に鍛えた体躯でとっても厳つくて、息子よりよっぽど騎士らしいわ。
もちろん息子とはワンコ君の事よ。
ディアナが聖獣に昇華した直後に気を失った私が目を覚ました時には邸のお兄様のいる棟に用意されていた自室のベッドだったの。
1週間眠り続けていたわ。
起きたら夏休みが終わるまでに残り1週間。
目覚めたのに、何の悪夢かと愕然としたのは記憶に新しいわ。
もちろんSSS定食の為に皆勤賞を目指して、お兄様の制止なんか無視。
明日の新学期開始から登校するつもりしかないわ。
聖獣ちゃん達のお陰で体もすっかり癒えているから問題ないもの。
「しかしあまり眠れていないようだが……」
「明日からはしっかり眠る予定ですのよ」
起きて不眠不休で色々活動していたから、仕方ないわ。
夏休み最終日だって気づいたのが今日だったくらい多忙だったの。
若さ頼りに目の下に薄く存在感をアピールする熊さんは、やっと落ちいたからそのうちいなくなるはず。
「それで、わざわざこんな所に来てお願いとは?」
「息子さんを私に下さいな」
やっと本題に入れるわ。
この人も何かと忙しいでしょうし、長居は無用ね。
「……息子、とはどれだ?」
「ヘインズ第3公子でしてよ」
「愚息は公女に対して騎士にあるまじき言動で長いこと苦しめたはず。
それに将来性もない。
依り代にされかけてからか、それよりも前に何かしらで精神を叩かれたからか、プライドも何もかもが折れて使い物にならん。
そんな屑を引き取っても公女には負担だろう。
何故か聞いても?」
訝しむのも当然よね。
それだけワンコ君が正義感に駆られて私に対して行った当時の数々の言動は酷いわ。
屑発言には同意しかしない。
「適材適所でしてよ。
聞けば卒業後の騎士の道も諦めたようですし、何より疑心暗鬼で人前に出る事すら恐れるようになったとか。
それでも最終学年は自習が多いですから、ある程度の出席率を確保すれば、卒業はできるようで何よりでしたわ。
卒業後は完全なる放逐が決まったと小耳に挟みましたの」
そっと鞄から取り出して1冊のノートを見せる。
「これは……一体どこで」
あら、一瞬目が左右に揺れたわ。
口調からして知っていたのね。
「うっかり、たまたま手に入れてしまいましたの」
「うっかり……ああ、アレの物か」
ん?
誰の物だと思ったのかしら?
何ページかめくって何だか安堵の響きね?
もしかして……いえ、それはまあいいわ。
物凄く興味があるけれど。
「左様ですわ」
「しかしこのノートが何だと?」
そうね、彼からすればなんの価値も見出だせないでしょうね。
「そのノートを見てしまったからこそ彼が欲しくなりましたの。
そうですわね……いくら主と決めた者に準じたとはいえ、長らく公衆の面前でも、そうでない場でも罵倒され続けたお詫びとでも思っていただければ」
そう言うと凛々しい眉がピクリと動いたわ。
警戒させたかしら?
「特に金銭はいりませんから、彼の身1つで手を打ちましてよ。
少なくともこれまでアッシェ家の公子がロブール家の公女に行ってきた数々の非道な行いを把握していなかっただなんて事はあり得ませんでしょう?
もちろんそれで手打ちにしますし、これまで同様騒ぐつもりもございません」
「そちらの当主も捨て置いたと……」
「これ、うちの当主がお渡しするようにと先ほど頂きましたわ」
カサリと胸ポケットから紙を出す。
そこには一言。
【うちの娘が望む物を寄越せ】
先に魔法師塔へ行った時にオネダリしたいと伝えたの。
内容も聞かずにサラッと書いて渡されたわ。
それはそれで良かったのかしら?
まあ基本的にはそこらへんの興味はないのでしょうね。
「…………はぁ。
だが誓約魔法で今後我がアッシェを名乗る事も、騎士になる道も断つ。
公女がアレを娶っても旨味はなくなるぞ」
「……娶る?」
「違うのか?」
大きなため息を吐いての最後の言葉に首を捻れば、それを受けて団長も首を捻る。
暫し無言で首を捻り合う私達。
何なのかしら、この状況は?