第4話 終焉の音の生誕 4
いつからだろうか、僕は夢を見るようになった。
真っ黒な森の奥深くにいる夢。
ただひたすらに暗い視界の中でうっすら見えるのは、大きい樹々のシルエットのみ。
僕は彷徨うように歩み始める。どこへ向かうかは自分でも分からない。
ただそこに道と、まだ歩ける足があるから進む。
自分が何を求めているのか、何を探しているのか、
自分はなんなのか。
右も左も分からない状態で進む途中で、周りの樹々の葉っぱが一斉に僕の方を向き、先端を尖らせて、四方八方から、無造作に僕に突き刺さる。
体制が崩れ、僕は地面につく。
それでも飛び回る葉っぱの棘たちは、容赦なく僕に刺さり続ける。
無論、激痛だ。
しかし、それは何故か物理的な痛みというよりも、皮膚を通り越して、心臓を突き刺しているかのような痛みだ。
刺さる度に、心臓の血管がピチッ、プチッと切れる音が鼓膜の内側から聞こえる。
次第に心臓が抉り取られ、中の青い光が露わになる。
自分でもこの光がなんなのかは分からないが、夢を見る度にその光の大きさは小さくなっていく。
今となっては、もう儚い蛍の光のように乏しい。
もう…ほとんど見えないじゃないか…これが消えたらどう…なるん…、、だろ、、、、、、
「m1d1d1。」
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?
ゆっくりと意識が戻ってくる。少しずつ目を開き、僕は夢から目を覚ました。
それでも夢の中の森のように辺は暗い。そして、とてつもない異臭だ。
「い、今の声は一体…」
朦朧とする意識の中、夢で聞こえた、モヤがかかったような声は何だったか。
考えようとしても、頭がぼぉーとしていて、何も考えられない。
完璧に意識を起こし、状況を把握する。
あたりには、自分の学校の鞄、血、そして嘔吐物だけだ。
親はもう、下に行ったようだ。
とりあえず、立ちあがろうとすると、
「いっ!」
腹に痛みが走る。
まるで筋肉が握り潰されていくような感覚。どうやら、気絶したあとも何度も蹴られてたようだ。
「いつものこと…だよな」
僕は時間を知ろうと、鞄の中に入っているはずの携帯を探す。
「あ、あれ?ないぞ」
あるはずの携帯を探すが、どこにもない。どこへ置いたか考えていると、ふと、思い出す。
昼休みの屋上で、変な黒いカラスを見ていた時に床に置いて、そのまま忘れていた。
「と、とりあえず、取りに行こう」
携帯がないと朝の目覚ましもかけられないし、なにかと不便だし、僕は学校に取りに行く事を決める。
幸い、今日はきっと両親はもう大丈夫だ。
僕はそっと、立ち上がり、屋根裏の扉が開いている事を確認し、部屋を出る。
階段を降りて行くごとに、だんだんと交差する声が聞こえてくる。
何を言ってるかは分からないが、次第にその言葉の内容が理解できる。
「ガハハッハハハ!やっぱ、これがないとなぁ!」
「もう、あなたったら、でも最高だわ」
リビングから飛び交うのは、活気に溢れた両親の陽気な声。
そこだけ見れば、仲の良い夫婦に見えるが、それは大きな間違いだ。
僕は階段を降り切って、少しだけ開いてるリビングのドアの隙間から中を覗く。
二人揃って、ソファーに座り、会話を楽しんでいる。
だが、二人の会話に慎重に耳を傾けると、その異様に気付くだろう。
「それにしても、付き合ってた時に行った、新婚旅行は楽しかったな!」
「そうね、明日のテレビもとても面白かったわね」
そう、まるで噛み合っていない。それに互いに話してる内容も全く意味がない。
その理由の正体は、ソファーの目の前にあるテーブルの上を見れば、一目瞭然だ。
白い紙の上に、あるのは苔のように緑がかっている、粉。
そう、大麻だ。
主に、「マリファナ」や「バンク」などと言われており、大麻の葉を乾燥させたものらしい。
大麻を摂取すると、各成分は急速に血液に吸収され、脳や全身に行き渡り、一般的には気分が快活、陽気になり、よくしゃべるようになったり、泥酔状態や、俗に言う、「ハイ」になる。
しかし、その一方で視覚、聴覚、味覚、触覚などの感覚が過敏になり、変調をきたしたり、現在、過去、未来の観念が混乱して、思考が分裂し、感情が不安定になったりする効果もあるそうだ。
今は吸っている最中だから、今日はとりあえず、僕のことは忘れているはずだから、問題はない。
僕はそっと、玄関のドアを開いて、家を出た。
外はもう既に、暗くなっていた。玄関を出る際、時計を確認したが、時間は7時半。
それを踏まえても、この異様な暗さはきっと予報の雨雲のせいだろう。
雨こそは降らなかったものの、星どころか、月すらも見えない。
僕はそのくらいで、特に気にせずに、学校へ向かった。
歩いている最中も肋が痛む。一歩を踏むごとに、肉を金属で挟まれているかのようにギシギシと感覚を痛感する。
「今日のは流石に痛いなぁ…」
気付けば口から出ていた。
僕はそこで、思い返す。一体いつからこうだったのかを。
──── 思い返すも何も、物心ついた時にはもうすでにあんな感じだった。
最初は「勉強をしなさい」と何百回も言われたり、ご飯を抜きにされるくらいだった。
でも、僕はそれが優しさだと信じていた。それに自分の両親に何より応えたかった。言われるがままに、ただがむしゃらに勉強をするも、思うように結果は出なかった。
僕自身は自分で頑張って、得た点数には満足していた、だが、両親はそれを認めなかった。
良い点を取って、早く自慢の息子になれ。そんな言葉は何度も聞いた。それでも、いくら勉強をしても、いくら努力しても、実ることはなかった。
「あ、もう着いたか」
学校にはわりとすぐ着き、表の門は閉まっているので、裏口から入ることにした。
うちの学校はその辺は意外とゆるい。
中に入り、屋上に続く階段を使う。
まさか、夜の学校がここまで不気味だったとは知らなかった。街の光だけが、唯一の頼りなくらい、今日は特別に暗い。
「携帯、取られたりしていないよな…」
────そこから、徐々に両親からの暴力が始まり、二人は大麻に手を出し、日に日にエスカレートしていった。3食の食事は当たり前のごとくなく、暴言、暴力はほぼ毎日。挙げ句の果てには志望校も勝手に変えられていた。とりあえず、東大に入れば、周りに自慢出来る、良い会社に入って、自分達が働かなくてもいい。そういう考えらしい。
けど、それが普通だと思っていた。いや、もしかしたら、今もどこかではそう思っているのかもしれない。みんな、表には出さないだけで、全家庭がそうなのかもしれないと思う。もしくはそう願う。
「よし、着いた」
屋上の扉の前に着き、いつもの要領で鍵を開ける。
扉を開いて、外に出る。
自分がいつも座っているところに行く。そして、無事、自分の携帯はまだあった。
「あ、あった、よかった」
────もう何が正しくって、何が間違っているのか、分からない。僕がいけないのか?生まれてきたことが罪だったのか?僕がもっとちゃんと勉強していたら、二人は笑ってくれたのか?
「帰ろうかぁ」
携帯を拾い、ポケットに入れる。
ふと、網越しに外を見る。街灯があっちこっちに見える、車が動くのも見える。
ふと、下を見る。6階の屋上から見えるのは校庭。薄暗く、動くものは何一つとしてない。
そして、ふと、思う。
「ここから落ちたら、死ぬよね」
────風見亮介という存在はこの世には不必要なのか?きっと、僕がいけないんだ。きっと、そうだ。僕一人が死んだところで世界中、誰も困らないさ。
「……」
ただ、下にある校庭を見下ろし、こう思う。ここから死んだら、きっと骨は折れ、即死だろう。
即死ってきっと楽なんだろうな。だって痛みは一瞬。その後はもう、感覚なんてないもんね。だから──
「もう、疲れた」
────そうさ、きっと、僕は生まれてきたのが間違いだったんだ。だから──
もう死のう。
「おいおい、予定を狂わせるんじゃないよ、少年。」
網に足をかけたその時、
静かだった夜にさらにその静けさが増した気がした。
風の音どころか、無駄な雑音一つ聞こえない。
そして、背後から聞こえたその声。
寒気と恐怖と共に、僕は後ろを振り向く、
屋上の扉の上、梯子なしでは行けない小さな第二の屋上。
そこにいたのは、
黒よりも黒い羽織物を纏い、口元しか見えないくらいにフードを被った人物。
僕がいる、ところに降り、少しずつ僕の方に近づいて来る。
「憎悪を持つ者には愛好を。愛好を持つ者には死を。死者を正しき場所へと誘うのが我々死神に課せられた使命。」
「え?…」
「こんばんは、少年」
そして、なぜか僕には、自らを死神と名乗る彼女の言葉が──
この狂った日常が終焉の音の生誕に聞こえた。