人間をやつてゐます
古典風に書いてみました。
読みにくいかもしれません。
どうも、吾は人間をやつてゐます。
終日、或は終夜、齷齪働いてをります。誰もしたがらぬ職に就いてをります。
誰もしたがらぬ、と言つてもそれほど難くは御座ゐませぬ。とても簡単な仕事で御座ゐます。しかし、どうしても職の都合より、召し物が汚れてしまふものですから、誰もしたがらぬのも無理はありませぬ。吾は気に入つてをりますが。
その職とは、またぎのやふなもので御座ゐます。鋸のやふな、小刀のやふな物で肉を捌くので御座ゐます。血抜きから保存まで、吾独りで熟すのであります。他人の飯を作るといふ立派な職でありますが、なにしろ前にも申しました通り、誰もやりたがらぬ故、全ての事物を吾独りでやらねばならぬのであります。
どのやうな肉を捌くのかと申しますと、それは吾達と同じ生き物で御座ゐます。同じ姿をした、同じ人間で御座ゐます。その腕と脚を切り落とし、肉と骨を剥がし、内臓を引き摺り出し、血を抜きまして、乾かし、売るので御座ゐます。道行く人達は何も知らず、吾が作つた肉を買つて行きます。吾は幾らかの小銭を貰いまして、又は飯を貰いまして、生きてをります。
人は吾を人でなしと言ひます。詰まるところ、人間ではないと言ふのです。確に吾は人殺しではあります。赦されぬことをしてをります自覚は御座ゐます。しかし、一つ言はせて頂きたいのですが、吾には人間ではないと言はれる筋合ひはありませぬ。吾は他の人達の為に、日々人に鋸を振り上げてゐるのです。それ故、吾には裁かれる言はれはありませぬ。吾は人の食ひ扶持を持つてをります。人々は、吾の肉を人肉だと分かつて買つてをります。皆知つてゐるのです。皆同罪で御座ゐます。吾を裁くのでありましたならば、同じやふに吾の肉を食つた者を裁いて下さい。そうでなければ吾は死にたくありませぬ。
吾は人間で御座ゐます。人間で御座ゐます。人でなしでは御座ゐませぬ。吾は確に人間をやつてゐるのです。どうも。どうも。